381. 東の弓工房コンブラー
イーアンとドルドレンは、ダビを剣職人に預けて、次なる目的地の弓工房へ向かった。近い距離にあって、ダビを置いてきた所から5分も行かないうちに、弓工房へ到着した。
「ここは東で一番の弓工房、コンブラーだ。といっても」
朝陽を受ける銀色に輝く瞳で、ドルドレンはイーアンを見つめて微笑む。『デハナ・デアラとは違う』安心して良いと教えた。イーアンの肩を引き寄せて、広い前庭と裏庭を持つ、横に長い舎のような建物の敷地に入る。
「弓。大丈夫だな」
「はい。ダビが確認させてくれました。大丈夫でしょう」
緊張はしますけど、とイーアンは苦笑い。自分の顔とか名が一つとか、そんなことで蹴落とされては困るからと思う。門から続く煉瓦の道を通って、二人は大きな扉の前に立ち、戸を叩いた。
少ししてから扉が開き、朝早い来客に少し驚いていた。中年のふっくらした女性で、ドルドレンを見て、ぱかんと口を開け、少し赤くなっていた。
「おはよう。北西支部所属、騎士修道会総長のドルドレン・ダヴァートだ。こちらは同じく、北西支部所属工房ディアンタ・ドーマンの作り手イーアンだ。弓の件で相談に来た」
「あの、はい。おはようございます。伺っておりますので、只今主人を呼んで参ります。お待ち下さい」
女性は来客をホールに通し扉を閉めると、ドルドレンにぎこちなく笑顔を向け、廊下を小走りに駆けて行った。
「ドルドレンは。全ての女性を魅了します」
「イーアン。朝早くから俺を締め上げるな」
「だって」
「好きだよ」
すかさずちゅーっとして、機嫌を取るドルドレン。イーアンはちょっと口端に笑みを浮かべて(※単純)うん、と頷く。良かった良かった、安全安全。ドルドレンは、素早い適確な応対の自分に賛辞を贈った。
「ちょっと思ったんだが」
ふと思い出したドルドレン。先ほどの老職人の態度を自分がどう思ったか、イーアンに話す。
「職人とはああしたものなのかな。親父もそうだし、オークロイも、タンクラッドも似てる」
「ああしたものって。どんな?」
「うん。ほら。俺はいつも閉め出される側だから思ったのだが。サインも、ダビを中に入れたら、俺たちの用事は終わりだったろう。付き添いがいても関係ないような」
ああ、とイーアンは頷く。『私は職人ではありませんから』気質は異なるでしょうけれど、と前置き。
「恐らくそうかもしれません。用事がある人の話を聞きますものね。お付きの方は、用が違うのかどうか、それを確認したら、自分に用のある方とお話しますでしょ。それは、はっきりされてるかもしれませんね」
「イーアンは付き添いにも話すよな。お茶も出すし」
「親父さんもタンクラッドもそうでしたよ。オークロイも。サインさんは先に用件をご存知でしたから」
「いや。違う。ちょっとそうじゃない。イーアンと彼らは境界線が違う気がする」
そーお?イーアンにはよく分からない。皆、お茶くらい出してくれるし、無視するわけでもないからと思う。男性との差もあるかしらねとイーアンが言うと、伴侶も頷いて『そういうこともあるかもな』と納得していた。
雑談していると、廊下の向こうから先ほどの中年女性が来て、二人についてくるようにと促した。『主人の用意が出来ましたので』こちらへと言われ、朝陽の差し込む窓が並ぶ、明るい廊下を進む。
主人の用意って・・・何だろう?と言葉の意味を考えるイーアンがちらっと伴侶を見ると、伴侶もイーアンを見ていて、同じことを思ったらしく首を傾げた。
長い廊下を曲がってすぐの、案内された部屋に入ると、そこは応接室のようで広くてきちんとした雰囲気だった。嫌味な装飾もなく、整然としていて、お金持ちのミニマル的な印象を受けたーアン。存在する家具などは質が高いと見て分かるが、無駄もなければ必要最小限のリッチ感。ここは、こうした人が職人なんだ、と思っていると。
「おはよう。あなたが総長かな。それであなたは、作る人かな」
後から重い低い声がかかり、振り向くと、ドルドレンより背の高い男がニコッと笑って立っていた。先にドルドレンが自己紹介し、イーアンの背中に手を添えてイーアンの紹介もした。男性は頷いて、椅子に掛けるよう勧めた。
「どうぞ。私はファーミン・フラーです。コンブラー弓工房の職人です。今日は東の支部からご用件を伺っていますが、今後の展開が楽しみな話ですね」
流れるように喋るフラーを、じっと見つめるイーアン。顔つきがブラスケッドに似ていて、それが品良くなった感じ(※ブラスケッドに失礼)。
片目ではないが、頬に横に走る傷跡がある。長髪を結んだ栗色の髪で、緑がかる黄色い目。体つきもしっかりしていて、筋肉質。品があるのに、どことなく野生的な人である。年齢は自分よりも上かもしれない。
フラーはドルドレンと話して、騎士修道会で何をしようとしているのか、これから具体的にどう進めるのか、展開が国益の一部になる段階まで知ると、大振りに体を揺らして頷いた。それからイーアンを見て微笑む。
「イーアン。あなたが試作を。ということは、全ての武器防具に通じているという理解で良いのかな」
「いいえ。そうではありません。私は想いで動いています。各分野の研究をしたわけではありませんし、作った経験があるかと問われましたら違います。でも」
「俺が話そう。イーアンは俺たちと遠征に出る。倒した魔物を使って俺たちの役に立てたくて、彼女は行動し始めた。その道具の出来は、素人の俺たちでは判断できないが、目の付け所は良い。彼女は魔物の特性を考えて、武器防具を強化しようと日々励む。言葉で確認できるものではない」
ドルドレンは一気に、イーアンの活動を説明した。
フラーはそれを聞いて、少し考えているようだった。『私はお手伝いしたいですが』何か値踏みされているような目つきに感じたイーアンは、表情を無にして職人の目を見つめる。
「弓の分野に詳しくない方の試作を見て、無理だと判断することもあるでしょう。私はこの仕事しか知りません。逆を返せば、この仕事には通じています。少なからず弓に関わる人の依頼でないと、失礼ですが」
ドルドレンの眉根が寄り、イーアンを振り向かずにイーアンに腕を伸ばした。ドルドレンの灰色の瞳は目の前の男から動かない。腕を伸ばされたイーアンは、試作の弓を渡す。『これはダビが作っています』その紹介の方が良いだろうと思ってイーアンは呟いた。
「ほう。弓を持ってきましたか。でもイーアンではない人が作ったのですね」
「見てから言え」
機嫌が悪くなってきたドルドレンはぶっきら棒に弓を渡す。フラーは総長の重圧に気がついた様子ではあるものの、気にせずに弓を受け取って観察する。
「普通の弓です。確かにうちの系列で作ったものですが、普通のものです」
「イーアン」
はい、と弦を渡す。外して持ってきた弦をドルドレンが受け取り、それを机に置いた。フラーはちょっと表情が変わり、その弦を手にとって解いた。『これは。これは何が原料ですか』ドルドレンに訊ねるフラーは、答えようとせずに自分を睨みつける総長から、横にいるイーアンに視線を移す。
「教えてやれ、イーアン」
イーアンは考える。いきなり答えを言っても、この人はどこで自分を切ろうとするか分からないタイプの人だなと。
黙るイーアンを見て、フラーは質問を重ねた。『これは何が原料ですか。どうしてこんなに強いのです?強いのに硬くない』男の質問が具体化したので、イーアンはそれにだけ返答した。それは魔物の腸だからと。
「魔物?魔物の腸と言われるんですか。どうやってそんなものを」
「回収したので得ることが出来ました」
「イーアンは魔物を倒す。俺たちが倒した魔物も、自分が倒した魔物も、使える部分は自分で回収して加工する。それを使うのだ」
「あなたが?あなたは狩猟をするのですか」
「狩猟ではない。趣味や生活のためでしていることではない。命懸けで人を守るために働き、その産物を彼女は使う。それが魔物の材料だ。無駄に恐れられても、無駄に先入観をもたれても迷惑だ」
フラーは目の前の女を見つめる。目を反らして寂しそうに俯くイーアンをじっと見てから、手の上に乗った一本の弦に視線を戻した。『これを作ったのは違う人ですよね?』確認する。苛立つ総長は訂正する。
「それはダビという作業員が縒ったらしいが、そのくらいイーアンでも出来る。もとはイーアンが作る予定だったが、彼女が別件で出来なかったから今回別の者が作業しただけだ。回収も加工も切り出しもイーアンが行ってる。
これ以上、イーアンの仕事を軽んじる発言をするなら、話はもう結構だ」
立ち上がりかけるドルドレンは、フラーにさっと手を伸ばし、弦を返すように無言で示す。イーアンも居心地が悪くなってきたので、荷物をまとめて腰を浮かした。
「待って下さい。ご気分を害したならお詫びします。もう少し話を聞かせて下さい、座って下さい」
灰色の瞳で、困惑したような表情の男を見下ろし、ドルドレンは大きく息を吐いてから、横のイーアンを見た。イーアンもドルドレンを見て、意気消沈している顔。ドルドレンは彼女に嫌な思いをさせるのが可哀相で、イーアンの肩に手を置いた。
「私は」
「いいんだ、イーアン。すまないな、嫌な思いをさせて」
堂々と目の前で、自分が非礼を働いたことに詫びる物言いの総長に、フラーは眉根を寄せる。そう言われるのは仕方ないとはいえ、咳払いをして話の切り口を自分の番に向けた。
「失礼をしましたならお詫びします。ですが、初めてお会いする方です。それに自分の仕事に誇りもある。おかしなことは、最初に判断しないといけない立場でもあることをご理解下さい」
「おかしなこととまで言われて、頼む気はない。自分の仕事に誇りがあるのを理解しろというなら、俺たちの仕事の誇りはどうでも良いように聞こえる。
俺は騎士修道会総長だ。イーアンは騎士修道会を守る作り手だ。
俺たちは生死を分ける中で戦うのが仕事で、イーアンはそれを誇りに変えてくれた。彼女の仕事を軽くみる相手の仕事の誇りなど、俺にはどうでもいい。帰るぞイーアン」
慌てるフラーが立ち上がるのも無視して、ドルドレンはイーアンの肩を引き寄せ、扉を開けて大股で玄関へ向かった。イーアンは、伴侶の大股速歩についていけないので小走り。
「大丈夫だと思ったのだ。すまないイーアン」
「いいえ。私は。仕方ありませんもの」
ごめんなとドルドレンが同情する眼差しでイーアンを見る。イーアンは首を振って微笑んだ。『デナハ・デアラの方が大変でした』ちょっと笑う言葉に、ドルドレンも笑う。『そうだな』と答えて玄関の扉を開けた。
イーアンは青空を見上げ、笛を吹いた。空は一層、明るくふんわりを輝いて、青い龍がぽつんと黒い点で見える。
「待って下さい」
ホールに職人が追いついて、イーアンとドルドレンの背中に待ったをかけた。イーアンは振り向いたが、ドルドレンは顔も向けなかった。
「あなた方の。騎士修道会を馬鹿にしたわけではありません。それを誤解されないで下さい」
「俺たちのイーアンを馬鹿にしたことは、誤解じゃなさそうだな」
それは、と言いかけて。フラーの目は丸くなる。自分の家の壁の外に、巨大な青い龍が降りてきたのを見て肝を潰した。『りゅ、龍』まさかと声が漏れる。
イーアンはちょっと会釈してから、壁の外に待つミンティンに駆け寄り、辛い気持ちの時によくやるように龍の顔に抱きついて頬ずりした。龍も目を閉じて、それをちゃんと理解しているようだった。
「あの人は。あの人が龍に乗る女」
「フラー。後悔しろ。龍を従える女はイーアンだ。龍を見た今更、仕事を請けるとどんなにほざいた所で、龍の後ろ盾が目的にしか思えない。
見た目や自分の判断材料に惑わされて本質を見れない男に、イーアンはついていかない」
「そんな。彼女が龍を」
「もう一つ、最後の土産に教えてやろう。彼女はハイザンジェルの王を名前で呼ぶ。王は彼女の活動を後押しするために、必死になって取り組んでいる。彼はイーアンの本質を見抜いた。さすが王だな(※こんな時だけ使う)。王族が後ろ盾というのも、イーアンの」
「総長。待って下さい。話を。私は手伝いたいと最初に言ったはずです」
「バカ言うな。イーアンを値踏みするやつの言葉なんか聞きたくもない」
総長は吐き捨てて、青い龍に向かって歩いた。イーアンはミンティンに乗せてもらって、龍の首に跨って待っていた。
ドルドレンもひらっと跳んで、龍に乗る。二人に走り寄ったフラーは、龍を恐れて少し遠い場所で立ち止まり、もう一度話をしたいと大声で言った。
「帰らないで下さい。あなた方を断ったと知れたら、他の工房にどう思われるか。私の立場も汲んで頂けませんか。デナハ・デアラのような噂になったら、仕事が減ってしまうんです」
「どこまでも。自分のことしか考えてないのか。知るか」
ドルドレンは優しい気質だが、自分本位で人を値踏みしたり見下す人間は大嫌い。イーアンに行こうと促す。イーアンはというと。
「どうした?」
「いえ。デナハ・デアラのような噂って。少し気になりまして」
「そんなの放っておけ。どうでもいい」
イーアンの言葉の変化に食いつくフラーは、総長の取り付く島もない様子を諦め、急いでイーアンに話しかける。
「そうです。デナハ・デアラは、騎士修道会の鎧をもう作ることはないと聞いています。総長が委託相談に来た翌日からそれが起こったと聞き、工房の方向性を変更するまでに至ったと。
騎士修道会の『実戦向きの鎧』を見限られたと噂があり、華美な装飾や職人の腕による美術品が中心と・・・歴史ある鎧の町で、実戦ではない鎧を作る工房となってしまいました」
「つまり、それで仕事が減ると言いますと。私たちが帰るとなると、フラーさんの工房は同じように」
「そうです。実戦の弓を作らないと判断された、と。そう風評が立つ恐れが」
「弓工房は他にありませんでしょう。どこもご親戚が関わられている様子ですし。デナハ・バスとは違いますね」
「それでも仕事は減るかもしれません。弓だけであれば、うちを辞めた職人の、個人工房を頼ることも出来るわけで」
うっかり言い過ぎたフラーは慌てて口を閉じた。ドルドレンはちょっとだけ口角を上げる。イーアンも小さく笑って下を向き、ふーっと溜め息をついた。
「そうですか。お辞めになった方が独立されていらっしゃいますの」
「今もやってるか、分かりません。不確かですから。万が一頼めても、個人じゃ数百の単位はこなせませんよ」
フラーはイーアンの言葉に否定を加え、どうにか留めようとする。イーアンは笑ってフラーを見つめる。
「私は。フラーさんのお力をお借りしたかったです。でも私ではなく、私が持つものに価値を見出されていらっしゃる様子なので、私は帰ります。
私が持つものは、私にはどうにも出来ませんから、いつかは消えるものです。その時、フラーさんのがっかりされる顔を見たくはありません」
お時間を有難うございましたと、イーアンは手を振った。龍は浮上し、ドルドレンはなぜか高笑いしていた。
「イーアン、総長、ご連絡します!後日、またいらして下さい」
遠ざかる地上で、フラーは最後まで諦めない様子だった。それを聞きながらイーアンは黙っていた。ドルドレンはイーアンの顔を撫でて『デナハ・デアラみたいだな』と苦笑いしていた。
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