375. 牛タン燻製日・前半
「行ってきます。ダビを連れて戻りますが、今日は夕方までには戻る予定です」
「どうして夕方前なのか、訊いても良い?」
「燻製を作るので。時間はかかります。それと翅がありますから」
「そうなの。分かった。イーアン、愛しているよ」
「私も愛していますよ。じゃあね、ドルドレン。お仕事頑張って」
愛してると言われたはずなのに。朝の挨拶の一環の流れで、さらーっと言われた感じが否めない。ドルドレンは、早くから龍と共に飛び立つ愛妻(※未婚)を見送った。
裏庭口から建物に入ると、シャンガマックがなぜかいた。少し申し訳なさそうな顔で、挨拶してきたので、ドルドレンは何かあるのかと思って、挨拶を返してから褐色の騎士を見つめる。
「あのう。さっきなのですが。イーアンに剣を作ってもらいたいと俺は頼んでしまったので」
「それはあれだろ。タンクラッドが皆の剣を作るのだから」
「いえ。そうではなくて、俺はイーアンに剣を作ってほしいんです。ほら。俺の鎧も手袋も脛当も、彼女に作ってもらってるから。でも剣を作るとなると、もしかしたらイオライセオダに行く回数が増えるかと今。気が付きまして」
「ぬう。お前・・・・・ 言われてみれば。最初からお前のセットは全て、イーアンが作っている気がする。その上、剣まで。でオマケに、タンクラッドの工房に通う回数を増やしたか」
「すみません。そんなつもりはなかったんですが。ただ、一人の職人が作り続けているって、顧客みたいで良いかなと思っただけです。俺の場合はイーアンだったので」
ぐぬぅ。唸るドルドレン。
――畜生、言われてみりゃそうだ。シャンガマックの鎧が全ての発端(※魔物手袋が先なのは忘れてる)。俺は、親父とタンクラッドの作った剣だというのにっ。こいつは剣まで揃えて『全身イーアンセット』かっ。それも白い皮を使ってるから、鎧はお揃いときてる。予てから羨ましかったが、こんなことになってるとは(※気が付くの遅い)。
う~・・・先を越されてる気がする、この敗北感!!悔しいっ。俺だって、市販の鎧で市販の手袋なのにっ! 何でシャンガマックが、うちの奥さんの手作りでほくほくしてるんだっ!!むかつく~
総長の顔色が悪い。目つきも悪い。そして見える範囲で、変な空気が総長の体から漂っている(※加重圧)。何となくマズイ気がして、シャンガマックは適当に挨拶し、その場を立ち去って朝食へ急いだ。
イオライセオダに到着したイーアンは。人様の少なそうな通りを選んで、出来るだけ日の光が当たらないように親父さんの工房へ向かった。
親父さんの工房に着いて扉を叩く。叩いて僅かな間で出てきたのはボジェナ。満面の笑みが初々しい若さに輝いて眩しい。
「イーアン。おはよう!早いわね、ちょっと上がっていって」
イーアンは早過ぎて申し訳ないと謝る。ボジェナは、イーアンを食卓へ連れて行って、親父さんとダビ、父親セルメと同席させた。ダビがすっかり馴染んでいる様子に、イーアンは嬉しく思った。
「今日ね。話し合っていたの。ダビが鏃を作れるから、北東の職人に会いに行けたらって」
何の話か分からないので、よくよく聞いてみると。
「ああ。それは素晴らしいです。ダビはずっと修理や改良をしていますから、間違いなく良い展開が待っているでしょう。帰り次第、ドルドレンに伝えます。北東の職人に教えを乞いに伺えるよう、早く手配しましょう」
イーアンの賛同に、工房の男は喜ぶ。ボジェナも喜んで、イーアンを抱き締めて頬にキスした。『そうよ、あのね』とボジェナは思い出したように言う。
「あの。ほら、この前作って持ってきた焼き生地の、豆と肉の。あれ、とても美味しかったわ。北の料理?」
キッシュのことかと思って、イーアンは自分もよく知らないけれど好きで作ると話す。ボジェナはまたあれが食べたいから、教えてと頼んでいた。ボジェナはイーアンを、自分のお母さんの妹くらいの感覚で受け入れている。
「ダビを今度また、連れてくるでしょ?その時、時間を取ってもらっていいかしら。一緒に作りたい」
「そうですか。そんなに気に入って頂けましたら嬉しいです。ではそうしましょう」
女同士の仲も良く。工房はほのぼのした空気に包まれて、朝食の素晴らしい時間が過ぎる。この後、イーアンはダビを連れて、挨拶してから支部に戻った。
「ボジェナと仲良くなってる様子で何よりです。仕事も楽しそうですね」
イーアンの言葉に、まだ少し引っかかりのあるダビは、曖昧に答えを濁した。言われる内容は正しいのに、言う相手がイーアンであることに何かが。まだ。何かがある、自分を知る。
「うん。そうですね。鏃の件、お願いします。きっと彼らの役にも立てる仕事だと思いますので」
「勿論です。早く行きましょうね。ドルドレンに頼みますから、北東の職人に会いに行きましょう。私も弓工房へ用事があります。丁度良いです」
二人は弓の話をしながら、支部へ戻った。空気は悪くなく、ダビはこんな具合で過ごせたらいいなと思っていた。イーアンは忙しそうだけれど、一緒に北東へ行く用事も出来たし、それは何だか、少しホッとした。
支部へ着いて、一度龍を帰すと、イーアンは嬉しそうにダビを引っ張って『行きましょう』と誘った。複雑な思いはあるものの、それはそれで。ダビは頷き、ついていった。
二人で執務室へ行き、ドルドレンに工房での朝の話をした。ドルドレンは少し驚いていたようだったが、イーアン同様に喜んでくれて、話を早めに展開させようと取り付ける話をしてくれた。
イーアンは嬉しくて、伴侶に抱きついて頬に『ちうっ』とキスする。ダビは目を伏せた。執務の騎士も舌打ちした(※見てる)。ドルドレンは自慢そうにイーアンを抱き寄せて、もう一度してくれるように頼み、喜びのイーアン相手にそれはまんまと叶った。
「では。今日はその話を主に進めることにしよう。弓工房に行く日も近いからな」
ハッハッハと愉快そうに笑う総長。ダビは表情を変えずに退室し、演習に向かった。イーアンもあっさり抱きついた腕を解いて『ではタンクラッドのところへ行きますね』と消えた。
残る執務の騎士に、総長は締め上げられる。『東に用事なら、今日はのんびり仕事できないので頑張りましょう』無理くり書類の山を積まれた。
伴侶の気の毒な仕事を知ることもなく。イーアンはタンクラッドの工房へ向かった。裏庭に降りて、扉を叩こうとすると戸が開いて引っ張り込まれた。
「おはよう」
「おはようございます。急ですね」
「お前の気配で分かるようになった。寒かっただろう、炉の前に行くといい」
優しい剣職人はイーアンの頬を撫でて、冷たいと首を振る。微笑みながら背中をそっと押し、炉のある工房へ促した。
「朝食はどうされました」
「うん。まだだが。でも良い。お前は今日、牛の舌を燻すんだろ?俺の朝食まで作らなくていいから、温まっていろ」
優しいなぁとイーアンは嬉しくなる。嬉しくなると、頼まれてもいないのに勝手に動いて張り切る癖が出る。『作ります。お待ちになって下さい』一声かけて、イーアンはタンクラッドの両腕をちょっと押して椅子に腰掛けさせた。嬉しそうな剣職人は、微笑を注ぐ。
「いつもどおりです。簡単なものしか用意しませんけれど」
そう断りを入れて、イーアンは台所へいそいそと入った。『簡単じゃない。お前の料理はいつも手が込んでる』大きめの声で台所に伝えるタンクラッドに、イーアンは笑い声で返事をした。
――良いなぁ。こういう朝。イーアンが来て、『朝食は』って聞いて。要らない、休めと答えると、イーアンは嬉しそうに張り切るんだ(←知っててやってる確信犯)。
可愛いなあ。何て可愛いんだろうな。うちの犬だったら良いのに(犬=イーアン)。犬だったら、総長に返す必要もないし、うちで可愛がれる。可愛がり方は犬じゃないけど(※やらしいこと設定済み)。
ニヤニヤしながらタンクラッドは待つ。でも1分も我慢できず、椅子を台所に持っていって、台所で座って見てることにした。イーアンは振り向いて微笑む。『すぐです』もうちょっと、とニッコリ笑う。
満足なタンクラッド。キスできたらもっと満足だが、それを控えることが出来る年齢まで、年を食ってて良かったと、自分の大人さに感謝する。
イーアンはせっせと朝食を作った。買い置きの平焼き生地を横半分にスライスして、牛乳?と卵を混ぜた液にくぐらせてから、塩の強い硬質のチーズと、塩漬け肉のスライスを炙ったものを挟んで焼いた。根菜は紙のように薄く切り、さっと茹でてから、ティッティリャのソースと和えた。
「これで足りるかしら」
イーアンが作ったのは、フレンチトーストのカナダ版。モンテクリストと、名作の名前を持つことで興味を持った軽食。なぜその名前が由来なのかは知らないが、イーアンが子供の頃、よく食べた料理だった。大人も大人になってから、イーアンはインターネットで『モンテクリスト=カナダフレンチトースト』と理解した。
イーアンの地元は、多国籍の海沿いの町。アメリカ人が多く、軍人の町とも呼ばれた。そんな環境で育っているので、自然といろんな国の人の故郷の味、B級レシピが身に着いている。
「私。これは美味しいと思うのです。タンクラッドも大丈夫かしら。ちょっと生地が柔らかいけれど」
出されて早速、嬉しそうに微笑んでから剣職人は、それを切って口に運ぶ。
「美味いな。とても柔らかい。でも中身がしっかりしているから、食べ応えはある」
誉められて嬉しいイーアンは、頷いてお礼を言う。タンクラッドはイーアンを撫でて、『お前の顔を見るのが楽しい』と言った。何でそれを今言うんだろうとイーアンがちょっと不思議そうにすると、タンクラッドは笑った。
「治癒場に行ってから。お前の声もちゃんと聞こえるし、お前の顔も、全ての世界が明るくなった」
だからねと笑う。剣職人の素直な笑顔に、そうだったと思い出し、イーアンは微笑んだ。『良かった』本当に良かったと思う。
「では私は、あなたの左右どちらに座っても良いのですね。そうすると向かい合わせでも」
「いや。左に座れ。椅子があれば。これまでどおりで良いんだ。俺はイーアンが左にいるのが最初だと思ってるから」
フフ、と笑うイーアン。そうしましょうと了承した。タンクラッドも笑いながら『そうしてくれ』と頼んだ。美味しい朝食を褒め称えながら、イーアンを何度も撫でた。
「今日は。どのくらい居られるんだ」
「あなたのお邪魔でなければ、夕方前に戻る気でいます」
「俺がお前を邪魔だと言ったことが一度でもあるか。仕事はあるが、ここにいろ」
笑ってお礼を言うイーアン。タンクラッドはイーアンを撫でて『今日は何か、燻すんだったろ』と質問した。イーアンはそのつもりで来たことを伝え、箱を作りたいから木を買ってくると言う。
「箱。木。お前は何を作りたい」
このくらいの、こんな感じで上下に扉を持つ箱で、とイーアンは説明した。タンクラッドは食事を食べながら考え、『俺が作ってやる』と答えた。それからちょっと名残惜しそうに朝食を食べ終えて、すぐさま裏庭へ出て行った。
イーアンは洗い物をしてから、タンクラッドのいる裏庭へ出る。早速取り掛かっているらしく、木材を器用に組み合わせていた。
「話を聞いただけなのに。あなたはそんなにすぐ」
「複雑じゃない。お前に作らせるようなこともないだろう」
端材の木を切り出し、釘で打って、あっさり完成させてしまった。出来を見ろといわれて、近づいてイーアンは箱を見つめる。『どうだ』と聞かれ、穴を開けたいと答えた。『上とね、中段に、串を通す穴を4箇所ずつ、前後の面にほしいのです』とイーアンが言うと。
「早く言え」
ちょっと考えたタンクラッドは、工房へ行って菱ギリを持ってきてから、木材の胴に穴を注意深く開けた。『他はないのか』そう聞かれて、イーアンは箱を調べる。完璧・・・・・
振り向いて、タンクラッドに抱きついた。感動しました、と喜びを伝える。僅か15分で、聞いただけの情報を元に、燻製箱を完成させる男に逢えたことを、心から神様に感謝するイーアン。
タンクラッドは抱擁に驚くものの、どうもそのレベルに達する試みだったことを理解し、満足した。ゆっくりそっと、警戒されないようにイーアンを抱き締めて、顔を髪の毛に埋める。
「嬉しいのか。良かった」
「とても嬉しいです。完璧なんですもの」
素晴らしい職人に賛美を贈るイーアンは、タンクラッドの胴体にぎゅっと手を回して、頭を胸にこすり付ける。タンクラッドはどさくさに紛れて、イーアンの頬の高さに屈みこんでちょっとだけ頬にキスした。
「それはいけません」
がつっと注意をされて、イーアンは即、離れる。しまったと思ったものの、次に生かす教訓として覚えるタンクラッド。顔色を変えず、普通に次を話しかける(※大人)。
「どうするんだ。舌をここに置くのか」
「はい。先に温度を上げます。ですので木切れを削って木片を作ってからです」
イーアンも大人なので、あっさり次の話題へ移った。それから木片は自分で出来るから、と言い、タンクラッドは仕事をして下さいと建物に押し込まれた。
「お前は」
戸口に立って訊くと、イーアンはニッコリ笑って『今日は私はほぼ外ですもの』と答える。タンクラッドはとりあえず納得し、ちょこちょこ様子を見にこようと伝えて中に入った。
お読み頂き有難うございます。
本日は、早朝から深夜にかけて仕事で出ます。本日の投稿はこの回だけです。2日の朝、次話を投稿致します。いつも読んで下さる皆様のお立ち寄りに、心より感謝します。
 




