373. 皆の剣を
支部に戻って。工房で考えるイーアンは、もしかしてと思い当たることを記憶から引っ張り出す。
「裏庭に入ってきた、大きな魔物2頭もそうだったのかしら。その後、私は外で犬みたいなあの群れに襲われて。そうだわ、あの日の夜に精霊の夢を見たのよ・・・魔物の王に命じられれば、魔物は襲ってくるって。
それ以降は笛があったから、そこまで魔物に遭わないでいたけれど。私一人じゃなかったから、というのもあったのかしら」
そしてさらに思い出した。頭を割った魔物はいくらかいたけれど、脳みそ云々の前に、あの石みたいな異様な印象のものはなかったこと。
工房に今日の作業用の材料と工具を並べ、手順を予め書いた紙を置いてから、時計を見る。9時半を回ったくらい。
イーアンは厨房へ行った。
時間は11時前になる頃。イーアンが次に向かったのは執務室。ちょっとお邪魔して、ドルドレンに『もう一度イオライセオダへ行く』と伝えた。黒髪の美丈夫は、とても心苦しそうな顔をしたが、止めないでくれた。
「今日は一緒にお昼を食べましょう。すぐに戻ります」
了承してくれた伴侶にお礼を言って、イーアンは荷物を持ってイオライセオダへ向かった。ドルドレンとしては、あの包みは食べ物のように思えて微妙な心境だったが、自粛の意味もあって黙って見送った。
伴侶の勘は正しい。イーアンは再びタンクラッドの家に降りる。裏庭の扉を叩くと、タンクラッドが出てきて嬉しそうな顔で招き入れた。作業中と分かる格好なので、イーアンはすぐにお暇すると伝える。
「忙しいな、お前は」
「私。思い出したのです。東の地域で海産物を買いました。海じゃないかも知れませんが。それをあなたにもお土産にと思って」
荷物の中からイーアンは料理を取り出す。青ノリによく似た香りがする緑の綺麗な緑藻を、生地を作って練りこみ焼いた。パンとは違うが、似たように仕上げることが出来て、料理担当のヘイズのお墨付き。
「これはね。私が昔いた世界で・・・と言いましょうか。私の国だったところでは、普通にあった食材です。少し違うのかもしれないけれど、もしやと使ってみましたら思ったように出来たので、あなたにも」
差し出された、温かな湯気の立つ磯の香り。ほんのり焼き色の付いた紡錘型の練り生地に、綺麗な薄緑色が鏤められている。タンクラッドはじっとその包みを見つめた。
「今。お前は、これを・・・・・ これを作って来たのか」
「はい。支部には焼き釜があります。料理担当の方も手伝って下さったので、皆さんにも焼きましたが、さっきタンクラッドの家を出る時に思い出したのがきっかけです。
これを食べてもらいたくて作りました。私と味覚が近いので、きっと美味しいと思って下さるかなと」
剣職人が両手に受け取った厚手の布には、焼き立ての可愛い焼き生地がコロコロたくさん。
戸口に立ったままのタンクラッドが何も言わずに、青さパンちゃん(※ゼッポリーニ系)を見つめているので、イーアンはどうしたかと思って覗き込んだ。
――揚げてないし、イーストでもないし、ちょっと違うんだけれど。でも美味しいのですと思いつつ、鳶色の瞳のイケメンを見ると。目が少し潤んでる。
タンクラッドは何も言わず、それを中の机に運び置いてから、イーアンをゆっくり抱き寄せた。『有難う』頭を撫でながら、イーアンの優しい気持ちに嬉しくて感謝を捧げる。イーアンも喜んでもらえて嬉しかった。
「喜んで頂けたのね。良かったです。それとこれはお好きか難しいのですが。私は好きで」
貝殻の付いたイカタコ系。足を切って唐揚げにしてきたのを、どうぞと油紙に入れて渡す。『これは本当に何と言うか。地元も地元の、料理ですけれど』イーアンはちょっと恥ずかしそうに見せた。
「これは何だ」
東で見つけた干物で、こういった生き物がいまして、とそこから説明し、以前の世界で自分の国は、この種類に似たものを、美味しく食べるんだと教えるイーアン。一つ摘まんで、自分でかぷっと齧って見せた。
「少々歯応えはありますが、とても良いお味です。私の子供の頃。漁師町でしたもので、こんな具合で食べることもあり」
イーアンが齧った残りを見つめ、タンクラッドはその手を掴んで自分に引き寄せて、イーアンに止められる前に食べかけイカタコを口に入れた。『これは美味い』豊かな味わいだと、目を丸くして喜ぶタンクラッド(※イカタコお気に召した)。
「食べかけなんて。こっちにありますから」
油紙の中にわさっと入った唐揚げを差し出すと、タンクラッドはそれを受け取りながら、目を閉じてイーアンの食べかけを堪能し続けた。もう少し唾液が付いていても良い気がする(※やらしい)。
「お前の食べかけが良い」
「それだけ聞くと危険な気がします」
「危険なものか。半分食べてからくれ」
「それ。半分齧れと仰ってるでしょう」
ほら、とタンクラッドは唐揚げを一つ摘まんで、真顔でイーアンに差し出す。
ええ~ そういうのヤなんだけどー。イーアンはちょっと引く。しかしタンクラッドが真剣に、ほら食えと押し付けるので、渋々齧る。
齧ってすぐさま、タンクラッドは満足そうに笑みを湛えて、イーアンの齧りかけに舌を出して、ぺろんと口に入れた(※齧った方を舌に付けて味わうのが正しい食べ方)。
いやん。セクシー。いや、違う。暢気にセクシーとか言ってる場合ではない。彼は自分の齧りかけを楽しんでいる。おかしいのだ、この状態。伴侶が見たら卒倒する。嬉しそうなタンクラッドに咳払いし、姿勢を正してご挨拶。
「では私は戻りますのでね。どうぞ温かい内にお召しになって下さい」
もう2~3個齧ってけと言われ、イーアンは嫌がる。そんなの出来ませんよと抵抗するが、無理に口に詰め込まれ、嫌々齧っては引き戻された。強引で怖い齧りかけ作戦に、急いでミンティンを呼び、イーアンは逃げた。
「明日。燻しに参ります。それではごきげんよう」
大急ぎで龍に浮上させて、タンクラッドが見つめる地上を離れた。笛に揚げ物の油がついたので、それをせっせと拭く。
食べかけを喜ばれても困る。好きな子のアルトリコーダー状態だと気が付いた時、お互いの年齢を真っ先に思ってびびった(※♂47歳・♀44歳)。タンクラッドは純粋だから(※最近怪しい)仕方ないのかと思いつつ、イーアンは無駄に疲れてお昼の支部に戻った。
お昼は無事、ドルドレンと一緒に食べる。イーアンはタンクラッドの家に持って行った、青さパンとイカタコ唐揚げを伴侶の食事にも出した。
「これを持って行ったのか」
「はい。皆さんにも作りましたから、タンクラッドにもお土産です」
「そうか・・・・・ 」
特別感が薄れていく最近。しかしここでまた拗ねては、元の木阿弥。料理でぶーたれてはいけないのだ。周囲を見渡せば、部下も青さパンを美味しいと食べている姿。自分の皿には、イカタコも付いているのだからと納得した。
イカタコはかなり美味しいと知るドルドレン。老後に食べるとなると歯が心配だが、今なら黙々と食べ進められそうな美味しさ。まだあるのかと訊ねると、イーアンは首を振って、もうないと答える。
「うむ。残念だな。もっと食べたい。アワウラも美味しいな。こんな海の香りがするのか」
「海なのか川なのか分かりませんけれど。聞くのを忘れました。でも私の知っている食材と似ています。これはまだありますよ」
「やはり東に仕事で出かけたほうが良いな。イカタコは安かった(※正式名称知らない)」
そうしましょうとイーアンも微笑む。そんな可愛い愛妻(※未婚)を見ていると、タンクラッドに取られかねないと最近ひしひし思うドルドレン。こんな美味しいものを作って運んだら・・・それだけで恋が芽生える(※すでに大樹)。
頑張って男らしく。イーアンにメロられる自分でいようと、ドルドレンは毎日決意を新たにする。美味しい昼食を有難く頂戴し、二人のお昼は過ぎていく。
お昼休みも終わる頃、タンクラッドの剣の話を聞いたドルドレンは、自分の剣も治癒場に持って行きたくなった。そもそもタンクラッドの剣は、遺跡の剣だと聞いて、それもちょっと羨ましい。特別感が芬々とする。
タンクラッドが乗り込んできた時に、外で彼を見た部下の何人かが『大きな剣を持っていたイケメン』と話していたので気にはなっている。彼の剣について、イーアンからは詳細を聞いていないが、何となし。タンクラッドの存在感が嫌でも目に付く最近だった。
ショーリにも言われた。『あの男は騎士だったんですか。随分迫力のある剣と一緒に来たが』と。騎士修道会一のデカイ男が、タンクラッドに目を留めるとは。鞘に収まる剣でも迫力があると思われる、その羨ましさ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、イーアンが明日も行って来ると言う。
――辛い。理由を一応聞いてみるが、この前、購入した食材の仕上げをするからだと・・・・・
それは。違うんじゃないの。仕事じゃないでしょうと言いたくなるので。やんわーり遠まわしに気を遣って、毛布で包んで言ってみた。
「買ってから気が付きました。これは私の失態です。でもあれがあれば、暫く持つでしょうから、私が料理をする時間も、少し減るかもしれないです」
どうも愛妻は間違えた食材を購入したとか。それも自分以外は触りたいと思わないような、そうしたものを買ったから、保存食にして?そんな話だった。
「でね。ツィーレインの魔物の翅も渡しましたので。あれの話を聞いてと思います。もしあの翅が剣になるのでしたら、フォラヴやシャンガマック、ちょっと心配だけどザッカリアの剣も作れます」
翅はまだ私の工房に幾らもあるからと愛妻は言う。そう彼女の視点は、物を作る部分からは動かない。だからまあ・・・安全というか。それが第一なのは分かるから、こっちがチクチク言うのも良くないのだが。
「イーアン。ちょっと良いですか」
二人が工房の前で喋っていると、フォラヴが爽やかに微笑みながら近づいてきた。総長に軽く会釈してから、イーアンにニッコリ笑う。
「シャンガマックに聞きました。私の剣を頼んで下さるとか」
そうなのよとイーアンは答える。イーアンの引っかかり其の①。皆の剣の特徴があるのかどうか。それを聞いておかないと、タンクラッドに作ってもらっても無駄になってしまうかもしれないのだ。
「私の剣の特徴ですか。普通ですよ」
「いや。フォラヴの剣は違うだろう。そこらで売ってる剣ではないはずだ」
「形が少し異なるくらいです。イオライセオダで作って頂きましたから、材質は同様です」
フォラヴは普段、剣を帯びないのでイーアンも知らなかった。ドルドレンは彼の剣は違うという。フォラヴ自身は気に留めていないようだが、念のために見せてもらった。広間に剣を見に行くと、水色の鎧の側にある剣をすっと手にしてこちらを向いた。
「あら」
「だろ?」
フォラヴは同じと言うけれど。何というか。フォラヴらしい剣だった。細くて長く。その細さが剣というよりは突くための巨大な針のようだった。柄は籠で拳を守るような形で、これは確かに見ない形と思った。
「あまり意識して見たことはありません。でも私にはこれくらいが丁度良くて」
「これですか。これはタンクラッドに見てもらわないと。私では説明が難しいです」
「そうかも知れない。この手の剣は貴族が持っていることもあるが。フォラヴは貴族ではないし、剣はこれだけだよな」
総長の問いに、妖精の騎士はそうですと頷く。『貴族ではありませんけれど。これは先祖のいた土地の有名な剣で、私もそれに倣ったので』という。記憶にある剣の形を再現した話だった。
3人で話していると、シャンガマックも来て、自分の剣の話もし始めた。ここまで来るとザッカリアも呼んだ方がとそんな流れになり、結局ギアッチとザッカリアも探してきて呼んだ。
ギアッチには内緒にしておくわけにいかない状況が訪れる。『なんですか。この子に剣?』無理でしょう、とギアッチは本物の剣を持たせることに反対した。
この際だからということで、総長はギアッチに話を聞いてもらうことにした。簡単にざっくりと。ギアッチは眉を寄せながら、戸惑っているようだった。シャンガマックが途中で話を引き取り、自分の見た星の動きや、イーアンのことを伝える。ザッカリアはじっと横で聞いていた。
「というと。この子も連れて行くんですね。どうしても彼の力が必要と」
「ギアッチ、大丈夫だよ。俺知ってるの。俺も行くんだよ」
「分かりますけれど。でも危ないんだよ。他の国へ行くし、魔物といつも戦うんだよ」
「俺、だから生まれてきたんだ」
ああ、とギアッチがザッカリアを抱き寄せる。悲しそうに涙を堪えているのが分かる。総長も気持ちが分かるだけに何も言えない。『ザッカリアが無事かどうかなんて。分からないじゃないですか』ギアッチの搾り出すような声が痛い。
ふと、ドルドレンは昨日の精霊の呼んだ名前の中で、ザッカリアの名に違和感があったことを思い出す。
「そう言えば。名前が。名前、違ったよな。シャンガマック。ザッカリアの名前に何か違う言葉が付いていなかったか」
「付いていました。彼はミコーザッカリアと」
ギアッチが不審そうに顔を向け『違う人物の可能性も』とすぐに子供の可能性を否定した。イーアンは黙っていた。ドルドレンはこの名前をどこで聞いたか、目を逸らしたイーアンを見て気が付く。
「イーアン・・・君の名は。確か」
「え?イーアンの名前。イーアンは名前じゃなかったんですか」
シャンガマックとフォラヴが目を見合わせて、イーアンを見つめる。ギアッチもイーアンを見る。ドルドレンが思い出して、イーアンの肩をそっと触って覗き込んだ。
「教えてくれたよな。一度。私はミコって」
自分にもなぜその名前が、ザッカリアの名前の前に付いたのか分からないイーアンは、伴侶を見上げて困ったように頷く。『そうです。ですがなぜなのか』戸惑うイーアンに、ドルドレンも唸る。
「イーアンの名前。ミコっていうんですか」
「通称はミコでしたが、正確にはミコウです。私の国は3種類の文字を使いました。2つの種類は単体の発音で文字を読みますが、1つの種類は、単体の文字で幾つかの読み方と複数の発音を示しました。私の名前は、『3度呼び応じる』ことを意味する名でした」
「不思議な名前だったんですね」
フォラヴはイーアンをまじまじ見つめた。イーアンも自分の名の由来をよく考えたが、親もいい加減な人間だったので、理由は分からないままだった。
「その。イーアンの名前と、なぜこの子の名前が重なったのでしょうか」
ギアッチはイーアンとシャンガマックに訊ねる。二人とも首を振って、分からないとしか言えない。だが、確かにザッカリアには『ミコーザッカリア』と付いたのだ。それは本当であると答えた。
ザッカリアがイーアンの側に来て、手を握った。イーアンも子供の手を握って微笑む。レモン色の瞳が自分を見つめ、何か遠くを見ているようだった。
「俺のお母さんだからだ。イーアンは龍の子だ。俺は龍の目。そうでしょ」
あっ、とドルドレンは声を上げる。シャンガマックを振り返ると、褐色の騎士も総長に大きく頷き返した。
「そうだ。龍の目、ザッカリアは『神の従者・龍の目ミコーザッカリア』だ。精霊ナシャウニットがそう呼んだ」
ギアッチは瞼を閉じてしゃがみ込んだ。間違いなくこの子だと理解した。
ザッカリアは、イーアンの龍にいつも憧れて『龍と俺の目は、同じ色』と。だから自分は、イーアンと結婚できるんだと話していた。
異世界から呼ばれた、イーアンのもともとの名を受け取ったザッカリア。彼はこの『ザッカリア』の名と、彼女の名『ミコー』で運命を決められた人生を生きるのだろうと感じた。
黙るギアッチに、ドルドレンもシャンガマックも何も言えない。フォラヴはそっと、ギアッチの肩に手を置いて『大丈夫です。彼の無事を守ります』と約束した。イーアンはザッカリアを寄せて『一緒よ』と微笑んだ。
「私は。諦めるのですね。この子が旅から戻る日まで毎日祈りながら」
それなら、とギアッチは立ち上がった。この子にも剣を作りましょうと意を決して伝える。ザッカリアはギアッチに抱きついて喜んだ。
「本当ならソカを教えてあげたいけど。あれは特殊だからね」
「彼の剣を作るなら。彼に一番適したものを導ける人がいないといけませんね」
フォラヴは小さな子供を見つめる。旅している間に成長するとはいえ、そんな身長が20cmも30cmも伸びるほどの月日はかからないだろうと思えば、子供用の剣が要ると考える。
「タンクラッドをここへ呼びましょう。全員をあちらに連れて行くのは難しいです」
イーアンがそれを言うと、ドルドレンは首を振った。『イオライへ遠征がある。その時が良いのではないか』工房に直に行ける機会だと教え、イーアンも『そうでした』と手を打つ。
「それならギアッチも一緒に、タンクラッドにお願いできるだろう」
大事な我が子のようにザッカリアを育てるギアッチを、せめて工房へ同伴させてやりたいとドルドレンは思った。
「イーアン。タンクラッドの予定は大丈夫だろうか。請負と言っていたが」
「今日は聞きそびれましたが、多分その頃には、終えていると思います。請け負いの仕事に取り掛かり始めたのが、私たちが休暇に入る前だったはずです。彼は休まないで作るので、10日もあれば完了している気がします」
明日にでもこの話をしましょう、とイーアンは答えた。ドルドレンが頷くと、ギアッチは本当に寂しそうに子供をぎゅっと抱き締めた。ザッカリアも抱きついて『俺は強いから大丈夫だよ』と慰めていた。
「ここから。私たちの準備が始まるのですね。まずは剣から」
「そうだな。次は鎧だろう」
妖精の騎士と褐色の騎士が顔を見合わせて微笑む。自分たちの決意が、旅の道が音を立てて近づいてくるようだった。




