36. クローハルと剣工房と職人
(※少し前から長めの文章が続いています。お時間のある時にどうぞ)
「クローハルさん、私を連れていてクローハルさんには迷惑がかかりませんか」
馬上の自分を見た町の人が二度見することで、思った以上に目立つことを気にしたイーアンは心配した。
「イーアン。シンリグと呼んでくれ。迷惑はかかっていないけれど、気になるなら対処しよう」
「対処。 クローハルさん・・・」「シンリグ、と」「はい」
クローハルは微笑んで、立ち並ぶ商店の中の雑貨店で馬を下りる。イーアンにも手を伸ばし、彼女を下ろしてから雑貨店に入った。店の表には売り出し中の品が並んで、店内は少し奥へ続いて暗い。
そろそろと入ったイーアンが見慣れない雑貨に目を輝かせているので、彼女を少し楽しませておくことにし、クローハルは目当てのものを探して購入した。
一箇所に留まるイーアンのもとへ行くと、彼女は紙の束と羽ペンを手にしてじっと見ていた。
「ペンと紙だけでは書けないよ、インクがないとね」
後ろから急に声をかけられ驚いて振り向くイーアンに、クローハルはイーアンが持っていた紙の束と羽ペン、そして横に並んでいた小さいインク壷をささっと集めて『買ってあげるよ』と店主に硬貨を渡した。
「ごめんなさい。買ってもらうつもりではなかったんです」
はい、とクローハルに渡された包みを受け取って、イーアンは困ったように謝った。クローハルは『気にしないでくれ』と微笑み、真向かいに立つイーアンにふわっと薄い紫色の布をかけた。
薄くて向こうが少し透けて見える長い布。細い糸で織られていて柔らかい。イーアンは布を見つめてビックリしながら、綺麗なその布を頭にかけてくれたクローハルの楽しそうな胡桃色の瞳に説明を求める。
「うん、よく似合う。イーアンは紫色が似合うと思ったけど正しかったな」
満足そうに笑って、クローハルがイーアンの頭にするすると布を優しく巻くと、イーアンの目元以外は淡い紫色の布で覆われた。そしてもう一つ。脇に抱えていた布を広げ、同じ色で明度が濃い長衣を見せた。
「その頭衣に今の格好じゃ合わないからね」
そう言って、しなやかで薄い長衣をイーアンに羽織らせた。袖がない長衣は前でいくつかのボタンを使って閉じ、膝下くらいまでの長さがあり、金色の飾り縁が縫い取られていた。
「間に合わせだけど、なかなかきれいだよ。さあ、行こう」
イーアンは呆気にとられていたが、あまりに爽やかに一連の動作が済んでしまったので、慌ててお礼を言った。
なんでこんなに親切にされているのか分からないが、深く考えるのは止した。クローハルはこれだけハンサムだから、引く手数多で女性の扱いは手馴れたものなんだわ、と。何かの雑誌で読んだが、モテる男は相手が少女だろうが中年女だろうが親切である、という記事は本当だったと納得した。
その後も、町の中を進みながら時折馬を止めては、クローハルは果汁販売所で飲み物を買ってくれたり、可愛く美味しい菓子を二人分購入して分けてくれた。乗りなれない馬は大丈夫かと気遣うし、ゴミが出れば即受け取ってくれるし、トイレの心配もしてくれるので、イーアンは『この人すごい』と、ただただ感心するばかりだった。イーアン的には感心する以外はないが、恐らく若い女性だったら心臓直撃で落とされる気がした。
通りを進んでいてもどこへ立ち寄っても、人々の目は、イーアンの格好が変わったのですっかり普通の反応になっていた。 ――服も紙も買ってもらって。さすがに遠慮を感じるイーアンは改めてお礼を伝える。
「クローハルさん」「名前で呼んでくれ。シンリグだよ」
「はい・・・・・ シンリグさん、色々ありがとうございます」「シンリグだけで」
「慣れるようにします」「イーアンは名前なのかい?それは姓?」
意外な所で話が変わる。これまではオシーンに訊ねられただけだったから、その質問が来るとは思っていなかった。
「姓です。名前を言う暇がありませんでした」「じゃあ皆が君を姓で呼んでいたってことか」
へぇ、とクローハルは面白そうに声を上げて、すっとイーアンの顔を覗き込んだ。慌てたイーアンが少し体を反らす。クローハルは甘い笑顔で笑う。
「名前は?」「気にしないで下さい」
きょとんとするクローハル。イーアンはドルドレンにだって名前を告げていないのに、クローハルにだけ教える気になれなかった。オシーンは『誰も気にしていないならイーアンで』と言ってくれた。
困ったように目を逸らすイーアンに、クローハルは小さく溜息をついて『義理堅いな』と諦めた。
そして1~2分の沈黙の後、堅固な石造りの建物の前で馬が止まる。
「名前はそのうち教えてもらうことにしよう。着いたよ」
待ちに待った、剣の工房。
いろいろ買ってもらって有難かったが、イーアンはここに夢中になった。
簡素な彫刻を施しただけのしっかりした木の扉を開けると、最初に目に飛び込んできたのは夥しい数の剣とナイフだった。種類別に分けてあり、奥へ進むと鉱石が展示されている。
こじんまりした古い焦げ茶色のカウンター奥に、戸のない入り口が壁に開いていて、向こうに職人が数名仕事をしている姿が見える。
カウンターの壁は短い衝立があり、その裏側には剣と同じ輝きの金属製の容器や様々な道具が所狭しと並んでいた。余計な装飾はなく、工房の印だけが小さく押してあるだけのすっきりしたデザイン。
クローハルが奥の職人に声をかけると、一人の大柄なおじさんが呼びかけに応えてカウンターに来た。
坊主頭に太い眉毛と大きな目、濃い口髭を生やし、汗だくのチュニックと革の前掛けを身に付けた体は職人というよりも戦士のようだ。
「おう、クローハルさんか。久しぶり。剣がやられたか、必要なのかい」
「親父さん、久しぶりだな。剣は半年前に直してもらってずっと調子が良いよ。今日は魔物退治の帰りでね」
「そうか。採石場に魔物が屯し始めたから申請を出したと役場の奴が話していたな。毎回ありがとうな。そっちの人はクローハルさんの連れか」
「そう。彼女は服と美味しい物じゃ釣れない人でね。ここは気に入ったみたいで一安心だ」
クローハルが苦笑いして、容器の棚に貼りつくイーアンを顎で示すと、親父さんも『ふうん』とカウンターから身を乗り出して珍しそうにイーアンを見る。
二人の会話を何となく聞いていたイーアンは、容器を手にしながらカウンターに目を向けて会釈した。
「それが気に入ったかい」
親父さんが声をかけた。イーアンは『はい』と頷いて、容器は剣と同じ配合の金属かどうかを質問した。
「なんだって?」
職人はちょっと驚いて、イーアンの質問に眉を寄せた。その顔が怖くて、少し慌てたイーアンは質問の理由を付け足した。
「ごめんなさい。変な意味ではないのです。イオライの魔物の影響を受けない剣を見て、ここの剣だと聞いたものですから、同じ金属配合で作られている容器を求めています」
坊主頭に片手を当てた親父さんはクローハルに視線を流す。肩をすくめて『ね?』と笑うクローハル。二人を交互に見ながら、何を言おうかとイーアンが考えていると、親父さんがカウンターから出てきた。
「あんたの求めている用途を教えてくれるか? 魔物の話が出たということは、容器を魔物用に使うという意味だな」
その時、工房の通り側の窓がきらりと青い光を見せた。すぐに扉が開いて、背の高い黒髪の騎士が現れた。
「おっと。 総長かよ、今日は珍客だらけだな」
開けられた扉に振り向いた職人は、ドルドレンの姿に驚く。
その職人の影に見える、ふんわりした紫色の布に包まれた影を見つけたドルドレンは迷うことなく近寄る。
「イーアン。その格好は」
「その前に親父さんに挨拶したらどうだ」
クローハルが視界になかったドルドレンは動きをぴたっと止めて、親父さんに向き直る。『しばらくだな。元気そうで何よりだ』それだけ言うと、イーアンの両肩を掴んで戸惑った様子で『どうしたんだ。これは何だ』と問い詰め開始。目元だけの表情でも、イーアンが答えに詰まっているのが見て分かる。
カウンターに肘を付いたクローハルがくっくっと笑う。親父さんはしばしぽかんとしていたが、頭を振り振り『おい、総長』と笑い始めた。呼ばれたドルドレンは面倒そうに振り返る。
「なんだ」
「熱をあげるのは良いが、彼女はここに買い物しに来たんだよ。見せてやれよ」
あ、そうか、とドルドレンは思い出した。イーアンも少し笑って『格好のことは後で説明します』と伝え、それから親父さんに自分の求める用途を話し始めた。
ドルドレンの剣を指差して、戦闘時の状況と自分が思ったことも一緒に伝える。これから自分が何をしようとしているかも簡単に話してみると、それまで黙って話を聞いていた親父さんは、ぎょろっと大きな黒い目をイーアンに向けて『あんた、何者だ』と薄い布の奥を見据えた。
ドルドレンの灰色の目がすっと細まる。イーアンはドルドレンの視線に一瞬目を合わせてから、親父さんの強い眼差しを見つめ返し、頭衣を取った。親父さんは初めて見る顔つきに少なからず驚いていた。
「私はイーアンといいます。来た道も覚えていなければ、行く場所もない流浪人です。ドルドレンが私を保護してくれなければ行き倒れていました。
救われた身ですから彼らのために役に立ちたいと思いましたが、持ち物はこの体と長年積んだ知識だけです。他に何も持っていない無力な私を哀れと思って、少しだけお知恵を分けて頂けませんか」
ちゃんと頼もう、とイーアンは顔を見せて自分の気持ちを伝えた。イーアンの知る世界での職人は、取っ掛かりが難しいだけで、きちんとお願いするとその腕を使ってくれる人たちだった。
――でも職人はきっと、どこの世界でも同じ。きちんと頼めば理解してくれるはず。とはいえ、親父さんの顔が怖い。イーアンは上目遣いに『まずかったかな』と思い始めた。
縮こまるイーアンが可哀相になって、ドルドレンが親父に何か言おうとした時。
「そうか。わかった。ちょっと工房に来てくれ」
親父さんが大きな手で、イーアンの背中に手を回して押した。イーアンの表情がぱっと明るくなる。
黙ってみていたクローハルが小さい声で、へえ、と意外そうに漏らしたのが聞こえた。
ドルドレンは自分の前を通過して、カウンターの奥へ連れて行かれるイーアンを黙って見ていたが、ハッとして『ちょっと待ってくれ、どうするんだ』と親父さんに駆け寄った。
「先、入ってな」とイーアンを工房に押し込んで、親父さんはドルドレンに向き直って言った。
「そう付いて回るな。彼女は総長の役に立とうとしてるんだよ。
惚れた女が心配なのは分かるが、ものづくりはちゃんと理解してこそ使える物が出来るんだ。彼女はそれを理解できると分かったから今から教えるんだ。
総長らしく、クローハルさんと一緒にその辺で茶でも飲んで待ってるんだ。10分くらいだ。我慢しろ」
ちょっと叱られたドルドレンは、うっと唸った。――『惚れた女』って言われた。そこで一応赤くなるが、とりあえずそれは置いといて、イーアンの為になるなら待とう、と頷いた。
「ドルドレン。前の茶屋で休もう。部隊もそろそろ到着する頃だろう」
クローハルに促されて外へ出る。『イーアン』と後ろ髪を引かれながら呟く。やっと会えたのに、とこぼしても、クローハルは無視して向かいの茶屋へすたすた歩いていく。
店先に置かれた席に二人で腰かけ、クローハルが茶屋の奥に向かって2人分の茶を注文する。ドルドレンはイーアンのいる工房をじっと見つめていた。
面白くなさそうに、クローハルが机に肘を突いて目の前の男を観察する。こっちを見ないまま、黒髪の騎士が言う。
「あの服はお前が買ったのか」「他の誰が買うんだ」
「イーアンが選んだのか」「俺が選んだ」「なんだと」「怒るな。通行人が彼女を見るから、彼女が困っていたんだ」
「イーアンに使った分の金は後で払う」「要らない。それと、イーアンは姓であって名前じゃないぞ」
何?と、ドルドレンが真向かいの男に目を向ける。クローハルはフン、と鼻で笑って首を振る。
「名前を聞いたら『気にするな』と言われた。ドルドレンが知らないままだから俺に言わなかった」
ドルドレンはぼんやりして、森の道での自己紹介を思い出した。名前を聞いたら、発音がよく分からないで『イーアン』だけで終わってしまったこと。 ――これまで呼んでいたのは名前じゃない。でも。
クローハルは机に付いた肘に頭を持たせかけ、冷めた目で工房を見ている。イーアンは聞かれても名前を教えなかったのか・・・・・ それが何だか嬉しかった。
「それと伝えておこう。紙とペンとインクを買って持たせた。何か書きたいみたいだ」
「それは支払う」「要らない」
「あと、果汁と菓子も買って食べさせたが、剣には敵わなかったことも教えておこう」
「お前は一体イーアンと何をしていたんだ」「デートだよ」
不敵な笑みを向けるクローハルに、ドルドレンは苛立った。やっぱりクローハルに任せたのは間違いだった。ギリギリと奥歯をかみ締めながら、目の前の色男を睨みつける。
「そんな顔するな。結局俺たち二人とも、工房の親父には敵わなかったんだから」
「ぬ・・・・・ 」
「不思議な人だな。イーアンは。異国どころか、違う世界から来たみたいな」
工房から目を離さないで呟き続けるクローハルの最後の言葉に、ドルドレンは何も答えず、茶を飲んだ。
クローハルの頭の中で、昨晩のイーアンの『初夜挨拶』が浮かんでは消えを繰り返していた。意味知らないで言ったんだろうな、とは分かっているものの。なかなか感慨深いことしてくれるじゃないか、と思う。
――紫の布にきれいだと魅入ったり、お菓子を食べて嬉しそうに笑ったり、金属に釘付けになったり。 ・・・・・年上なんだろうけど。見慣れない個性的な顔だけど。見ていて飽きないな、と溜息混じりに笑った。
「ドルドレンめ」「何だ」 「別に」「イーアンの昨日の発言は忘れろ」
「嫌だと言ったら?」「斬る」 「イーアンはそんな野蛮な男嫌いだぞ」「名前呼ぶな」
二人の騎士がぶつぶつ言い合い続ける、剣の工房前の昼時の茶屋。