362. 北東ガディーナの温泉
「今日はどこへ泊まるのですか」
龍に乗ってツィーレインに向かう空の上で、イーアンは質問する。ドルドレンは少し考えていることがあると話す。時間はもう午後。残した朝食を包んだお弁当を、龍の背で食べながら話す。
「一応は、叔母さんの民宿でも良いかと思っているが。荷物もあるしな」
「そういえば。なぜ剣を下げてきたのでしょう。マムベトでもブリャシュでも、特に何もありませんでしたね」
「それはあれだ。単に、魔物が出たらイーアンも使うだろうと思ったから」
「ああ、そうでしたか。私も戦うということね」
「戦わせたくはないよ。そんな綺麗な格好の奥さんに。でもほら。イーアンは突っ込んでくから、剣がないと」
あらやだと笑うイーアン。そういうことだったのねと快活に笑い飛ばした。
だってそうじゃんと思うドルドレン。笑ってるけれど。逃げ出す雰囲気がない人・・・この人、そうなんだよな。逃げないんだよなぁとしみじみ思う。
何で逃げようと思わないのか、そっちの方が不思議だった。『逃げろ』と『待ってろ』の言葉を悉く無視している気がするイーアン。絶対に目を反らさない。
怪我しても血が流れても、全然怖がらない。むしろ。そんな目に遭ったら、一気に煮え滾って精神崩壊状態で鬼のようになる。・・・・・ひえ~ 怖いっ うむ。今は考えるのよそうと、思考を切り替えるドルドレン。
「でね。同じ民宿でずっとというのも、面白みにかけるかと思ってはいるのだが。これと言って、他に宿泊でお勧めの場所も知らないので困っている。もう午後だしな」
「あ。ドルドレン。そう言えば以前、温泉の遠征がどうとかお話ありませんでしたか」
「おっ。忘れていたな。そうだそうだ。あの後、一悶着(※156話)・・・・・いや、思い出すのはやめよう。そう、強烈に反省したからそれですっかり忘れていた。温泉地域の遠征。あれも援護遠征の類だったから、行かないうちに終わってた」
「温泉地域とはどこだったのですか」
「北東の奥だ。アイエラダハッド国に近い山の。アイエラダハッドも変わった国でな。水の中に火山があったり、そういった場所を抱えている。北東の・・・ああ、アティクの出身地の手前かな。彼はそこからもう少し、北に入った地域の部族だから」
「行ってみたいです。荷物を叔母さんの民宿に置いてから。宿泊は叔母さんの所でも良いではないでしょうか」
そうしよう、じゃあということで。二人はとりあえずツィーレインに荷物を置きに行った。そして叔母さんに今日も泊まりたいと言うと、勿論そのつもりだったと力強い返事が返ってきた。
夕食までまだ4時間ほどあるから、出かけてくると伝え、二人はまた龍で北東へ飛ぶ。
「ミンティン。ガディーナへ飛んでくれ。アイエラダハッドではなく、ハイザンジェルのガディーナだ」
「同じ名前ですか」
「そう。ハイザンジェルにも同じ名の地域がある。この国のガディーナは町ではない。民家はあるが、集落が点々としているくらいの小さな地域だ」
このガディーナの魔物が厄介でねと、思い出話。火山帯が奥にあるそうだが、そっちへ遠征で出た時、剣が悪くなるのが早かったという。
「あの。随分前に話して下さったことがありますか?飛ぶ魔物と仰っていた」
「そう。よく覚えているな。最初の時に話したことがあるか。あれだ。ブラスケッドやクローハルたちと一緒だったが、大変だった。そこら中臭うしな。頭は痛いし、場所によっては熱いし、岩しかないから、野営もテントが張れないのだ」
ドルドレンの話を聞いていると、魔物退治も面倒そうだったが、そこにいる滞在も大変だったらしい。
「イーアンがいたらな。あんなに何日もいなくて済んだかもしれない」
笑う伴侶に、イーアンは苦笑いで『そんなこと。状況によりますよ』と答えた。自分がいたって、何日も野営する場合だってあるし、今までどうにか、知識が生きただけで。全部が全部と上手くいくなんて思っていない。
「もうじきだな」
イーアンがぼんやりしていると、下方の風景が黒っぽく変わってきていた。岩が多い場所に入ったらしく、手前の森林は左側に寄り、右手側が前方に向かって黒々した岩山の景色に変わっているのが見える。
「あの岩山の先がアイエラダハッドだ。こっちの左から・・・北に向かった場合は、アイエラダハッドの氷の大地に繋がる方向に、アティクの故郷があるはずだ」
「こんなに遠くから彼は来たのですね」
「うん。アティクも、シャンガマックと似たような理由で入ってきたよ。この国を守るんだと」
彼らは部族だから、自分たちの領域も国そのものも、同じように大事に考える宗教観があるのだろうと、伴侶は話した。
真面目な人が多くて、良い場所に思えるイーアン。悪人もいるだろうけれど(※ザッカリアの件)この世界は人の良い印象がある。以前の世界は善悪半々だったような。比率も四六時中変わる気がする分、この世界と比べてしまう。これは何によってそうなるのだろう、と度々考えさせられる。
ミンティンの高度が下がり、徐々に地面に近づきながら、黒い岩山のなだらかな麓に龍は降りた。
「民家が見えませんね」
「良いのだ。あっても彼らがいつもいるわけではないし」
龍を降りて、ミンティンを帰し、二人はガリガリした岩の上を歩く。スポンジのように穴だらけの黒い岩が続く。イーアンは硫黄の匂いのする方に顔を向け、どの辺りからか気になる。ドルドレンはこの匂いが嫌だと言っていた。
「ここに温泉があるのですか?見たところはずっと、同じような風景です」
「もうちょっと行くとな。あの岩の向こうに回ると、一応温泉がある」
ドルドレンに導かれて大きな岩の陰へ回ると、そこからは傾斜していて、ねじれた小さい木が間隔を置いて生えていた。木々の向こうに、湯気なのか白く曇る場所が見える。
「あれだよ。行こう」
手を引かれて、イーアンは足場の脆い岩の上を歩く。この靴じゃない方が良かったと思っても今更。歩きにくそうなイーアンを見て、ドルドレンは抱え上げた。『もっと早くこうしてあげなきゃな』微笑む伴侶はイーアンを抱き上げて、低い木々の間を縫って傾斜を下った。
着いた場所は湯煙で凄い湿度だった。風が時折抜けると、湯気が散って黒と灰色の世界になる。濡れた地面を触ると、少しヌルッとした。『ここ。中も・・・岩がごつごつしてるのでしょうか』イーアンはお湯の中を心配する。
「うーん、どうだろう。地元の人間は使っているみたいだから、大丈夫だろうと思う」
「勝手に入ったら怒られませんか」
「それはないだろうな。地元の人間の敷地でもないし。彼らは春や秋にここに来る。冬場はまず来ない。最近、暖かい日があったから雪が融けていたみたいだが、冬場はいつも雪が積もったり、凍るから。ここまで馬で来て入ることはないよ」
それにブラスケッドは入っていたと。ドルドレンは教えてくれた。『湯の中で怪我をしたとか聞かなかった』だから、大丈夫じゃないかというが。イーアンは躊躇う。
「痛かったら困りますね」
「俺が入ろうか」
え、と思ってイーアンが見ると、ニコッと笑ったドルドレンはいそいそ脱ぎ始める。
いやん。決定力が高過ぎ。あっさり目の前で全裸になった美丈夫に、イーアンは少し顔を赤らめる。毎晩やらしいことをしているのと、またこれは違う新鮮な裸。
ドルドレンは湯の中に手を入れてから、よいしょと足を突っ込む。そのまま少しずつ中へ体を沈めていくと、1mくらいの場所で止まった。
「この辺りなら深くない。座れそうだ」
湯の中で座ったのか、ドルドレンは胸くらいまで出ている状態で落ち着いた。それを見ていて、伴侶の胸が出るということはとイーアンは考える。自分には深いのでは(※身長差30cm)。
「イーアンも入れる。湯の中の岩は滑らかだ」
入れと言われて、イーアンも悩むものの。そのために来たのだしと思い直し、ベルトを外して上着を脱いで畳み、靴を脱ぎ、それからワンピースを脱ぐ。視線を感じるので顔を上げると、伴侶が頬を染めて見守ってる。
「見ないで」
「だって。こんな場所で。興奮するから」
「よけい見ないで」
寂しそうな伴侶に注意して、イーアンはそそっと脱いで服を畳むと、体を拭くのはどうしようかなと思いつつ、とりあえず湯の中に入った。
少しずつ足場を確かめて、ドルドレンの腕の伸ばされる方へ進む。湯の張っている岩は、侵食でもされているのか、切り立った角度はなかった。ドルドレンの手を取って、そっと屈むとそのままドルドレンの膝の上に座らされた。
「ちょっと。あの。当たります」
ドルドレンは元気。大事な部分が既に元気なので、腿に当たる。ちらっと見ると無害な笑顔を返された。
「気にしてはいけない。健全だ」
「そうですか。健全」
そうねと呟いて、諦めたイーアンは伴侶の膝の上で落ち着く(アレは当たるから落ち着かない)。思ったよりも熱い湯で、冷えた体には気持ちが良い。長湯は出来ないけれど、汗もかいて体が軽くなる。
お湯の話をしながら、5分も浸かっていると、伴侶の手の動きが妙な具合になってきた。イーアンは話しながら手を止めるが、気が付くともう片方の手が動いているのでキリがない。
「出ましょうか」
「もう?」
イーアンの目つきに『やめなさい』の文字を読み取るドルドレン。じっと見つめてから質問することにした。
「今夜はありなの」
「激しくなければ。あります」
そうかーと言いながら微笑むドルドレンは、イーアンの胸をちょっとまさぐって叩かれ、抱き寄せてアレに押し付けて引っ叩かれた。『ダメでしょう』こらっと叱られ、ドルドレンはぶーたれた。
「健全といいましてもね。お外ですよ、ここ。大の大人がいけませんでしょう」
笑うイーアンにぶーぶー文句を言うドルドレンは、仕方ないので湯を上がることにした。シャツで体を拭く伴侶。イーアンはシャツがびしょ濡れになるのを凝視する。
「これで拭いて良いよ。大丈夫だから」
はい、と渡されて、イーアンは出来るだけ水滴を払ってから、シャツを借りてちゃちゃっと拭いた。『ごめんなさい。布を持ってくれば良かった』謝るとドルドレンは気にしていない顔で、『遠征はこんなものだよ』と言った。
風呂に入らないけれど、時々水浴びが出来る川や水場があれば、自分の服で拭いてしまうよという。くしゃっとした濡れたシャツをドルドレンは普通に着て、ズボンその他を着用し、クロークを羽織った。
イーアンもそそくさ服を着て、元通り。二人はちょっと見つめ合ってどちらともなく笑った。
「こんな温泉も良いですね」
「そうだな。また来ような」
この温泉に魔物がいたのかと思いながら、後にする。帰りの上りも、ドルドレンが抱き上げてくれて、ひょいひょい進んでくれた。魔物の話をすると、ドルドレンは笑っていた。
「次にここに遠征で来たら。イーアンと風呂に入ったことしか思い出さない」
今日は楽しかったなという伴侶は、この後もずっと笑顔だった。二人は龍を呼んで、ツィーレインの民宿へ戻った。
夕食時、叔母さんに東の町で買った緑藻の白い方を渡す。叔母さんはそれを見て驚き、口に手を当てて一瞬目を瞑る。それからイーアンの背中を撫でた。
「あんたにこの話をしたことはなかったはずよ。お菓子は出したけれど。これで作ったと分かったなんて。あんたは物知りなのね。これはね、私のお祖母さんの故郷のもんだから。まさかこれを持ってくるなんて」
嬉しい中に、少し思い出した今は亡き家族の面影を、叔母さんはイーアンを通して見つめている。満足そうに息を吐き出し、叔母さんはイーアンにお礼を言う。『たまにしか買わないから。嬉しいわ』叔母さんの言葉にイーアンも嬉しかった。
その後、夕食を大量に頂いて、ドルドレンは今日も包む分を残すことなく食べた。しっかり食べて、適度な時間で、激しくなく。これを基本に夜を励む。
夕食後。明日帰ると告げると、叔母さんも叔父さんも楽しかったと言ってくれた。ドルドレンは3泊の代金と、綱と塩袋の代金、夕食のご馳走の割り増し分を、大体計算して多めに支払った。
『ありがとう』受け取った叔父さん。その手を即、引っ叩いた叔母さんは、お金を数えてから割り増したと思われる分をドルドレンに返した。
「そんなつもりじゃないのよ。お祝いだと言ったでしょ」
ドルドレンは微笑んでそれを受け取る。イーアンもお礼を言った。叔父さんは引っ叩かれた手の甲が赤く腫れ上がって、ひーひー言っていた。
寝室へ上がり、鍵をかけて。
ドルドレンは思う存分・・・ではないけれど、みっちり行儀良く、怒られない範囲で愛妻と楽しんだ。
適度に快感に浸った後。二人はゆっくり眠る。楽しい3日間の連休も終わりの日。明日は戻るんだなと思うと、またこうした時間を取りたいと心から願った。
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