35. イオライセオダへ
遠征4日目の朝。
この日は出発前に、ドルドレンと各隊長が遠征予定について10分ほど話し合う時間があった。
救援申請内容の地域の魔物はこの3日間で潰したであろう、と確認出来たので、このままイオライセオダの町に報告し、帰路に着くと決まった。
彼らが話している間、イーアンはいつものように負傷者の馬車へ行って包帯の交換をしていた。
「早く支部に戻れて、お医者さんに診てもらえると良いですね」
最初に怪我をした3人の騎士の頭部と肩の包帯を巻いて、昨日の火傷を負った騎士たちの包帯を交換しながらイーアンは呟いた。
彼らはその言葉に、それまで交わしていたお喋りをやめた。お互いの目で何かを確認して頷き合う。イーアンは彼らの態度が変わったのを見て、自分が変なことを ――昨晩のように―― また言ったかと気になった。
「ちょっとイーアンに伝えたいことがあるんですが」
最初に怪我の手当をされた若い騎士が、口を開く。何だろう、と表情を不安そうに曇らせたイーアン。
「もしイーアンが良かったらですが、医者に診てもらった後も引き続き・・・・・ 」
そこまで言うと彼は言葉を探して黙り込んだ。他の騎士が『早く言え』と小声で急かす。『総長来る前に』とか『最後まで考えとけ』とか。 ――ああ、そういうこと、とイーアンは笑った。
「そうですね。もしお医者さんが私に手伝うように言ってくれたら、治るまで責任持って担当する方が良いかも知れないですね」
イーアンが彼らの言葉を繋いで、騎士たちはワッと嬉しそうに湧いた。そしてすぐに水を打ったような静けさが訪れる。
「駄目だと言ったら?」
冷え切った無表情で、黒髪の美丈夫が馬車の後ろに腰掛ける。夜空のような色の美しい鎧を身に付け、宵の明星と呼ばれる男 ――ドルドレンは美しく雄々しく、そして非常に厳しい面持ちで負傷者を見渡した。
「おいで。イーアン。 彼らに優しくしすぎてはいけない。なぜなら」
「総長が独り占めしているのは不満が生まれると思います」「総長はずるいと思います」
いつもイーアンを早々奪っていく憎き総長に、口々に言いたいことを思い切って言う。15人いれば怖くない。ここぞとばかりに言える。
負傷した騎士たちの間を縫って、奥からイーアンが苦笑しつつドルドレンの差し出す手に向かう。ドルドレンはイーアンの腕を掴んで引き寄せ、彼女と馬車から降りて振り向いた。
「なぜなら、お前らは俺ではないからだ」
後ろで不満や非難めいた言葉が聞こえるが、ドルドレンは無視してイーアンをウィアドに乗せ、自分も後ろに乗って出発した。イーアンは『そんなに心配することでもないですよ』と言ったが、ドルドレンは首を横に振って聞き入れなかった。
部隊は川沿いに進み、イオライセオダの町へ向かう。道中に魔物は現れず、この日は穏やかな旅路だった。遠ざかるイオライの岩山を振り返り、イーアンはまた何かを考え込んでいる。
「気になるのか。倒した魔物が」
ドルドレンの質問に、表情を変えないままイーアンは小さく溜息をついて頷いた。ふむ、とドルドレンは黒い髪の毛をかき上げた。そしてウィアドの左側の袋に手を突っ込んで何かを取り出した。
「実は昨日、色々あって言いそびれていたが、イーアンにちょっと土産があったのだ」
差し出された手の平には、金属の小さな容器が2つ乗っている。どちらも直径5cm程度の缶状で、同じ金属で作られた蓋がしっかり中身を守っている。
イーアンがその容器を一つ手に取り、ドルドレンを見上げる。ドルドレンは鳶色の瞳の好奇心に満足げに頷いて『開けてごらん』と促した。イーアンが注意しながら蓋を開けると、すぐ鼻をつく臭いがして、中に黒い粘着性の液体が見えた。イーアンは急いで蓋を閉めてドルドレンを仰ぐ。
「いつこれを」
「昨日だ。イーアンが戦場に戻ってくる前に、一昨日の魔物が2頭近くにいたからそれを倒した後に採取した。もう一つも開けてごらん」
イーアンが嬉しそうな顔をしてもう一つの容器の蓋を開けると、中には奇妙な形の石が3つ入っていた。
「それは昨日の飛んでいたやつのだ。何頭かの首を斬り落とした時に、喉の奥からそれが転がり出た」
妙な形の石を見つめた後、イーアンは蓋を閉じて、自分の反応を楽しそうに見つめる男に笑顔を向けた。そしてその容器を再びウィアドの袋に戻してから、体を横にねじってドルドレンに抱きついた。
「ありがとう。あんなに危なかった時に本当にありがとう」
思ってもなかった嬉しい反応に、ドルドレンは赤くなって『いや、ほら、約束したから』とたどたどしく答えてイーアンの体に片手を添えた。どよめく自分の周囲は無視する。気にしてもいいが邪魔するな。
「それにドルドレンはちゃんと覚えていてくれたんですね。剣と同じ金属であれば大丈夫って」
「以前、イオライセオダで購入した薬入れが食糧馬車にあるのを思い出した。朝、イーアンが負傷者の手当をしている間に食糧馬車の騎士に聞いてみたら、その二つだけ中が空だと言って渡してくれた。今回はそれだけだが、イオライセオダに着いたら同じような容器があるから購入してみるか」
イーアンは嬉しくて嬉しくて、抱きついたまま大喜びした。
――これで支部に戻ってから試せる。採取してもらった検体がもしかしたら本当に使えるかもしれない。上手く使い道を考えて、ドルドレンや他の騎士に役に立つ何かが作れるかも。それにイオライセオダで容器が手に入れば、今後は採取の可能性が広がる。
あんなに大変な戦闘中、彼は自分のために採取してくれた。何度お礼を言っても足りない、とイーアンはぎゅっとドルドレンを抱き締めた。『もうこのままで良いかも』と笑い声が上から降ってきて、イーアンも笑った。
「何をするとそういう報酬が受け取れるんだ」
横に馬を並べた、苦笑いのクローハルが茶化した。『他のやつの士気が上がったり下がったりするから見えないところで』と言われ、イーアンはハッとして慌てて腕を解いて謝った。
「思いやりのない奴め。彼女が何でここまで喜んでいるのかを最初に聞くべきだ」
邪魔された黒髪の騎士が、クローハルの安易な注意を指摘する。クローハルは面白そうに『是非』と答えた。
ドルドレンは、彼女が自分の知識をもとに魔物から得た物質を役立てるつもりで試すことを話した。そのためには魔物から採取する必要があり、自分は彼女に教えてもらった知識から検体を得ることが出来たので、それを今渡したところだ、とぶっきらぼうに伝えた。
「面白い」
クローハルが目を丸くして笑顔で頷く。そして黒髪の騎士の腕の内でにこやかに微笑むイーアンに視線を向け、笑顔のまま首をゆっくり横に振った。
「君は実に面白い。なるほど。それでドルドレンがご褒美に、無邪気な抱擁を受け取れたわけか」
不服そうな灰色の瞳を一瞥したクローハルは、それでは、と馬の手綱を引いた。
「俺も異国の女神に献上する僕になろう。イオライセオダで容器を先に買い占めてくるか」
ハハハと軽快に笑い、クローハルは『一足先に失礼する』と自分の隊に声をかけて馬を走らせた。クローハルの部隊は隊長が急に駆けて行ってしまって驚いている。唖然としていたドルドレンが『あいつ!』と声を漏らした時、ポドリックが異変に気がついて馬を走らせて横に並んだ。
「ドルドレン。何があった」
「理由は後で話すが、クローハルが抜け駆けして町へ行った。止めなければ」
四六時中、見るたびにすまなそうにしているイーアンをさっと確認し、ああ、とポドリックは苦笑する。彼女絡みな、と。
「お前も行けばいい。馬車を走らせるわけにいかないから、後は俺が誘導する。早く行け」
魔物の退治も済んだ帰り道だ、とポドリックは笑ってドルドレンの背中を叩いた。大男を振り返ることなく、ドルドレンはウィアドを瞬間的に走らせ、あっという間に消えていった。
困った奴だ、と笑いながら大きく息をつくポドリック。 ――でも良かった、と心から思う。
これまでずっと、深刻で厳しい状況だった。
突如、総長の座に任命されたあいつは、一人で全体を背負う重圧に白髪まで増えて、気がつけば笑うことなど出来なくなっていた。遠征前はいつも無口で、遠征中に口を開けば『誰も死なせたくない』とそればかりを呟き、まるで自分が全ての敵を倒そうとばかりにひたすら戦っていた。
無敵にさえ見える強さだが、自分の指揮下で騎士が命を落すたびに、ドルドレンの中の魂も死に続けているようだった。魔物相手に絶望的な日々を送っていた自分たち。時に笑い合っても、いつまで笑えるだろうと怖れる中で生きていた。
「それが、彼女が来てからは笑ってばっかりだな・・・・・ 」
「総長はどこに行ったんですか」
ポドリックが呟いてすぐ、後ろからディドンが馬を寄せてきた。不満そうに顔をしかめる若い騎士が白金の髪の毛をかき上げる。『なんで総長とイーアンはいつも一緒なんでしょうか』とぼやく。こいつもか―― とポドリックはおかしくて仕方なかった。
「お前も行ったらどうだ。何やらクローハルが抜け駆けしたとかで、ドルドレンが追いかけたんだ」
フフ、とおかしそうに笑う大男に、ディドンは『抜け駆け?』と訝しげに首を傾げる。
「そういやクローハルが昨日の夜に言っていたよ。異国の女神に『身の限りを尽くすから、お側に置いてお役に立てて下さい』って言われたと。クローハル、その気になったのかね」
はぁ?!と素っ頓狂な一声上げて、舌打ちしたディドンは『失礼します』と町へ馬を走らせた。
どいつもこいつも、とポドリックは大笑いした。 ――やっと騎士に生気が戻ったな。ポドリックは笑う時間が嬉しいばかりだった。
馬を走らせて30分。 イオライセオダに到着したクローハル。その後少し送れて到着したドルドレンとイーアン。
低い塀に囲まれた町の中に入り、言い合いしていた騎士二人は自ずと用のある方向へ馬を向ける。ドルドレンは報告のために町長のいる町役場へ先に馬を向け、クローハルは剣の工房へ行こうとした。
「おい。彼女を町役場に連れて行く気か」
クローハルに呼びとめられて、ドルドレンの灰色の目が『当然だ』とばかりにぎらっと光る。
クローハルが馬を戻し、イーアンを見てから『旅の客ならまだしも、彼女はここでは目立つから町役場へ連れて行くのはやめとけ』と真面目な顔で忠告した。
さっと険しい表情に変わったドルドレンだが、その件については確かに思うところはある。イーアンはこの世界にいる人種ではない。見知らぬ場所で彼女について質問されたり探られる懸念は大いにあった。
イーアンは俯いている。彼女自身も自分と同じように心配があるのだろう。
――どこから来たのか、と聞かれる心配を。
「クローハル。お前に彼女を同行させるのは、本心では全く大反対だ」
「可愛くない奴だ」
口角を上げて『やれやれ』といったふうに笑うクローハルは、ドルドレンの言いたいことを察してイーアンに手を伸ばす。イーアンが心配そうにドルドレンを振り返る。仕方ない、と呟いた黒髪の騎士はイーアンをクローハルの馬に移動させた。
「剣の工房にいろよ。俺が戻るまでそこから動くな。そして必要時以外は彼女に決して触るな」
ドルドレンはイーアンに寂しそうな眼差しを投げ『すぐ戻るよ』と告げると、行き交う人々を避けながら町役場へ速歩で向かった。
「あんな速度で町の通りを走るなんて迷惑な奴だ」
見送るクローハルが笑う。『それに、人に物を頼む態度がなっていないよね』と後ろからイーアンを覗き込んで、うろたえるイーアンにカラカラ笑いながらゆっくりと剣の工房へ向かった。
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