352. パッカルハンの遺跡
「イーアン。ドラガに挨拶してくれて有難う」
ドルドレンが龍の背で言う。イーアンは振り向いてニッコリ笑った。『会わせて下さって有難う』伴侶にちょっと腕を伸ばす。体の向きが難しいのでほんの少しだけ、手を伸ばすと、ドルドレンは愛妻(※未婚)の手を握った。
「行ってみませんか」
「パッカルハンか」
場所が分からないけど探してみたいとイーアンは言う。ドルドレンも同じことを思っていた。『ミンティンが知ってるかどうか分からないが』それが気になると伴侶は答えた。
「ミンティン。お前はパッカルハンと呼ばれる島を知っていますか」
いいえーみたいな感じで頭が揺れる龍。イーアンはそうだろうなと思う。7年前じゃ新し過ぎる。ミンティンは昔からの呼び名には強そうだけど、最近、地名が付いた場所などは分からないかもしれない。
「うーんと。どうしましょう。ええっとね、ミンティンにお願いがあります。ヨライデが見えるくらいの、ティヤーで一番端っこの、なんだっけ。岬を繋いでいくと通る場所よ。その線で先まで行ってくれる?」
「逆だ。イーアン。岬を繋ぐようにして、ティヤーの一番ヨライデ側の島まで飛ぶんだ」
ですって、とイーアンは伴侶の言葉をミンティンに確認。
ミンティンは頭をゆらゆらさせて、金色の目でちょっとだけ二人を見た。それから大きな島々の先端の岬を目安に、ヨライデに向けて飛んだ。
「お前は目が良いですから、もしも遺跡とか。私に似た石像が見える島があったら、そこに寄って下さい。良い?」
ミンティンは少しじっと考えているらしかった。飛ぶ速度が落ちて、止まりかける。あれ?と思った二人がミンティンの顔を見ようとすると、また動き出した。
その動き方が急で、二人は背鰭にがっちり抱きつく。『どうした』ドルドレンがイーアンに訊く。『分かりません。でもこういう時は大抵、何かあります』経験上、ミンティンが速度を増したり勝手に動くのは、絶対大事な時だけ。
青い龍はぐんぐん速度を上げて、いきなりぐるーっと旋回した。わああとかきゃああとか乗員が叫ぶ中(※遊園地でいう『コーヒーカップ』空中最速版)ミンティンはグルグル回りながら突如、滑空した。
わぁぎゃぁ煩い、背中の乗員を無視して、真下に突っ込んでいく龍。速度がデジタルで見えたら、カンカン上がって振り切りそうな怖い早さ。
慣れているはずのイーアンでさえ、あまりにアクションが小刻みで付いていけなく、悲鳴を上げた(※『ぎゃあー』)。ドルドレンは叫びっぱなし(※『わあああぁぁぁぁ・・・』)。
滑空した後、どかっとミンティンが降り立ったのは、砂浜。
ミンティンは振り向く。『どうだ』と言わんばかりの、堂々とした龍のふんぞり返り方に、両腕で背鰭にしがみついていたイーアンはようやく体を起こし、『お前って仔は。もうちょっと安全に』と注意しかけて止まった。
「ドルドレン」
「え」
息切れする絶叫後の伴侶は、名前を呼ばれて、瞑っていた目を開け顔を上げる。そして、広がる砂浜の光景に目を見開いた。
「ここは」
「そうです。多分」
二人は龍の背を降りて、波打ち際の砂浜に立つ。足元に寄せる波に、踵の砂が減るのも気が付かず、呆然として目の前を見つめる。
ど真ん前に。ディアンタの神殿の石像とよく似た像があった。その石像は、砂浜に座っていて。片手に綱を持ち、背中に。
「あれは龍です」
「龍だな。海の龍か」
石像は、背後の巨大な龍の顔に寄りかかっている。大きな龍の頭が、この島の岸壁を削って彫刻されていた。そこに、女の石像が寄りかかるように座る姿。
イーアンは波に沈む砂から足を引っこ抜いて、吸い寄せられるように石像に近づいた。ディアンタの僧院よりもずっと大きな女性の像。静かな表情にほんの少しの微笑が見える。
「これを船から見た人たちは、龍の話をしていませんでしたね」
「大き過ぎたんじゃないのか。角度にもよるだろうが。岸壁には木もあるし、女の石像だけは人間だから目に入ったとか」
二人は巨大な石像を前に、呼吸が止まりそうになる。大振りに直線でカットされているようなのに、実に繊細で、遠目から見ると直角に見える部分は、近くによると、計算された動きの柔らかさだと理解する。イーアンは昔、美術館で見たクリムトの絵のような、人物の不思議な角度とぼんやりした感じ。そして妙な輝きを感じる。
「なんて素晴らしい。なんて美しい彫刻をする人がいたのでしょう」
うっとりと見つめ、息を呑むイーアン。石像に触れて、その石の硬さを指先に覚える。『斜めの島』と、漁師の息子のお嫁さんが話していたが。この石像は、揺り椅子の背に凭れているように見えた。
「イーアン。おいで」
ドルドレンは何かを見つけたらしく、イーアンを手招きする。急いでドルドレンの側によると、砂浜から三角形の石が出ている。
砂を分けて、三角の石を持ち上げようとするが、動かない。砂を払って、捻ってみたりする。『動かない』『待って』ドルドレンの両手を止めるイーアン。
砂に顔を近づけて、三角形の石の角度を考える。暫く考えて、砂から出ている四面を見つめた。それから腰袋から紙を一枚取り出して、四面に押し付け、紙の上から指で擦った。
「何をしてる、イーアン」
「これを持ち帰るの」
「外れない」
「そうです。だから情報を持ち帰ります」
イーアンがぐりぐりしていた紙を見せる。凹んだ部分が幾つかあり、紙にも少しずつ切れ目が付いていた。それからイーアンは、荷袋に入れておいた軽食の加工ブレズ(←サンドイッチ)を出した。
「食べるの」
この状況で突然食事を出した愛妻(※未婚)に、ドルドレンは戸惑う。イーアンはちょっと笑って首を振り『いいえ』と答える。
ブレズを開いて、付いている脂を指に塗り、紙の凹んだ部分を少しずつ細く、その脂の付いた指でなぞった。ブレズを持たされたドルドレンは、ちょっと食べる。『美味しい』『有難う』微笑み合う二人。
でもイーアンはすぐに紙に目を向けて、残りの凹みも同じ事を行う。脂が足りなくなると、ドルドレンの齧りかけのブレズから少し脂をもらって、またなぞることを繰り返した。
「もう食べて良い?」
「良いですよ」
最後の一口を待っていたドルドレンに笑顔を向けて、伴侶が全部口に入れたのを見て頷く。『宿で清書します』何か見えてくるかも、とイーアンは紙をそっと、潰さないように腰袋に戻した。
「イーアン。遺跡がある。奥に見えるか」
「はい。行ってみましょう」
ミンティンに声をかけて、戻っても良いし、待っていても良い、と任せる。ミンティンは砂浜に腰を下ろして尻尾を体に添わせ、眠り始めた。
「この仔は待つみたい。では行きましょう」
ドルドレンと手を繋いで、イーアンは屋根が斜めに傾いた遺跡に歩く。砂地はずっと続き、ちっとも土にはならなかった。
島は砂地に岩が突出し、木々は、丈の短いささくれた樹皮のものがたくさん生えている。草も生えているが僅かだった。まばらな薮のように低木が重なる中を通り、二人は古い石の遺跡に着いた。振り返ると、ミンティンから200mほどの場所だった。
傾いた遺跡の崩れた階段が所々に見える。崩れ方が気になるイーアン。海から出てきた遺跡だからだろうか。角があまり感じられない。
壊れた階段部分を歩いて中へ入ると、床は傾斜して下る状態。これは戻ってくるのが難しいかなと見つめると、ドルドレンはイーアンを抱きかかえ、床に踏み出した。
「ドルドレン。戻る時はどうしますか」
「跳ぶ」
そうなの?イーアンは周りを見る。既に床を滑り降りている滑り台状況で、流れる周囲は柱も見える。柱は彫刻されているようで、何かがキラキラと光るのが見える。かつては立派だっただろうこれを。帰りの足場にするのかしらと思いつつ、とりあえず伴侶の人間離れした運動能力に期待する。
「ですけれど。ちょっと暗くありませんか」
「そうだな。トゥートリクスでもいれば良かったか」
「暢気ですねえ。何かいたらどうするの。仕掛けがあるとか」
「俺と君なら大丈夫だろう。外に龍もいるんだし」
そうかもしれないけど、とイーアンは真っ暗な周囲に不安を持つ。まだ反対側の壁につかないのも気になる。どこまで続くのかと思っていると、ドルドレンが止まった。『着いた?』イーアンが聞くと、ドルドレンは首を振る。僅かな明かりで、伴侶の動きは分かる。なぜ喋らないのと嫌な予感がする。
ドルドレンはそっと、抱えたイーアンを自分の顔の側に寄せて耳打ちする。『踏んだ』――
その一言で、静かに目を足元に向ける。じーっと目を凝らしてみていると、何か柔らかそうなものがあるのを理解する。 ――それは動いた。二人は目を見合わせる。イーアンの目に映る光が、ドルドレンに瞬きで合図になった。
ドルドレンは一番近い柱を見つけて、一度ぐっと屈めて目一杯跳び上がる。柱まで跳んでその柱を足場に、上にある次の柱に跳ぶ。真下で音がして、暗い中で何かが大きく動き始める。
「動いてます」
「大丈夫だ」
イーアンを抱き締める力が強くなり、ドルドレンは柱から柱へ跳び続ける。何本目かの柱まで上がった時、下から勢いよく何かが弾けて伸びた。
それは跳躍しようとした寸前、ドルドレンの目の前に突き抜ける。慌ててドルドレンが体を反らし、イーアンの髪にその何かが触れる。伸びたものは、黒い影を見せただけでまた戻り、別の位置から再び何かが伸びた。ドルドレンは急いで跳び、柱の間隔が狭い場所から地上へ上がる。
最後の跳躍で、柱から崩れた階段まで出てきて、砂浜に二人で着地。急いで振り返ると、3度目の何かがスパンと伸びたのを見た。
「あれは」
ドルドレンが驚く。イーアンはそれが何かすぐ分かった。ただ、水中でもないのにどうしてだろうとは思った。伸びたものは、また素早く戻っていった。
「掴まったら食べられていたかもしれません」
ぼそっと呟くイーアンに、ドルドレンは答えを求める。『ドルドレン。ここにタコいますか』イーアンは訊ねた。『タコ』聞き返す伴侶に、イーアンは頷く。二人はとにかく遺跡から離れて、ミンティンの眠る砂浜まで戻る。
「こうした生き物です」
砂地に絵に描くと、ドルドレンは首を捻って考えてから『知らない』と悩んで答えた。ドルドレンは海で育っていないから、知らないだけかもしれない。だけど、さっきの漁師の家でも、タコイカ系は出なかった。エビ&貝はあったけれどと、イーアンは思い出す。
「いると思うのです。この世界にも。ただ私の世界にいたタコは、大きくなっても、あんなに巨大化しません。せいぜい育って3mくらいかしらね。そして食べれるし」
「食べるのか。3mを」
「3mはなかなか会いません。しかしタコは大変美味しいです。ちょっと高価ですけど。
それこそ正月にはタコは茹でたり刺身・・・ええっとね。生で削ぎ切りにして頂きますよ。美味しいです。頭もワタも食べちゃいます。だって美味しいですからね」
美味しいからを強調する愛妻(※未婚)に、ドルドレンはちょっと固まる。何でも食べるとは思っていたが・・・化け物も食べかねない(←美味しそうとか言いそう)と思うと、自分はいつまで生きれるのだろうかと不安も過ぎった(※手料理の不安)。
「イーアン。ここはまた今度調べよう。とりあえず、ミンティンも場所を理解したようだし」
話題を変えて、ドルドレンはハイザンジェルに戻る提案をした。今日は宿もあるしと促すと、イーアンも了解して、二人はミンティンに乗った。
「ハイザンジェルのどこへ向かいますか」
ティヤーの海の上をゆっくり飛びながら、イーアンは訊ねる。ドルドレンはニコッと笑って『イーアンの親戚の所だ』と答えた。
「私の親戚。あら。どなたかしら」
「ツィーレインに行こう」
ああ、と笑うイーアン。叔母さんの民宿ですかと笑顔を向けると、伴侶も笑顔で頷く。『喜ぶだろ』フフと笑う伴侶の優しさに、イーアンはメロッとする。
「あなたは優しい人ですね。いつも優しいけれど、こういう時は本当に。くらっ(メロッ)とします」
突然、愛妻(※未婚)に誉められた上に『くらっとする』と言われて、ドルドレンもちょっと赤くなる。うん、いや、あのそうか、もごもごしながら嬉しそうにしていた。
「そうでしたか。ではお土産が出来て良かったわ」
微笑むイーアンが、民宿の叔母さんのお土産を持っているらしいと知り、ドルドレンはメロる意識を戻して、何を持ってきたのか訊いた。『どうして。どこに行くか分からなかっただろう』そう訊く伴侶に。
「ほら。これならお土産に良いと思いませんか」
手をちょっと伸ばして、午後の光にそれを透かして見せるイーアン。彼女の親指と人差し指に挟まれた、大きな宝石・・・・・ 透明な緑色が、磨かれた美しい曲面に不思議な光を包み込んでいる。
「どうした。それ。そんなの持っていたのか」
「さっき持ってきました。もう誰も管理していませんから良いでしょう」
「え?何、何て?管理って」
「あなたが跳んで、逃げて下さってたでしょう。あの時に頂戴しました」
よく分からない発言に、ドルドレンはもう少し詳しく話すように言う。どうやら愛妻(※未婚)は、柱に飛び移る度に柱の石を本人曰く『拾った』らしい。
「拾う?拾うって言ったって。柱なんて一瞬蹴っただけだぞ。それくっ付いていただろう、俺は見てないけど」
「ちょっとこうして。ギュッて回すと取れました。だから集めました」
集めた?ドルドレンが驚く。まだあるのか、と訊くと、イーアンはニコッと笑って『10個くらい』と答えた。
「綺麗です。きっとお土産に渡したら喜びます。遺跡にずっと放置されていたものですから、誰も気にしませんでしょう」
――それは。掏りというのだ。妻よ。君は可愛い顔をして、ほんの一瞬で、命からがら逃げ出してる最中に、金目のものを熟練の手業で掠め取ってきたのだよ・・・・・ 『ちょっとこうして・ギュッと回す』指導者のようだ。いや、感心して良いのか。これは。
前も、確か。デナハ・バスの娘のことで怒っていた時(※209話前半)実に鮮やかな流れで、馬の荷袋から物を出したことがあった。あれを見た時も、あまりに自然で見事な動きに、彼女は掏りのようだと思ったが。
・・・・・どんな過去があるんだこの人。聞かないけど。聞かないほうが自分のためのような気がする。あんな一瞬で、どうして連続で宝石を集めるられるのか。明らかに目星を付けていたのだ――
ニコニコしながら、午後の光が暖かい~と喜ぶ愛妻を、複雑な気持ちで見つめる旦那。掏りだろうが、怖かろうが、豹変しようが。彼女は大事な大事な愛妻。それだけで良いか、と。ドルドレンは一人納得する。
龍はのんびりと、北の町・ツィーレインに向かって空を泳ぐように飛んでいた。友達の龍の遺跡を見つけた自分に満足しているようだった。




