350. ティヤーの思い出~フーシャ・エ・ディット
早々起きた二人は、どちらともなく笑顔で楽しみが募る。今日から連休。
いそいそと支度を始めるが、ドルドレンは服の着替えはなくて良いと言う。『下に着るものは持って行っても良い』上着などは最小限でというので、悩みながらもイーアンは下着だけにした。
臭わないと良いけれどと、加齢臭を気にするイーアンに、ドルドレンは笑いながら『ちゃんと毎日風呂に入る宿だ』・・・と、教えた。
軽食を持って、剣と腰袋などは連れて。ミンティンを呼んでいざ出発。
まだ暗い中を冷たい風を切って、二人は連休の旅行へ飛んだ。『いくら何でも早くありませんでしたか』まだ星も見える夜明けの空に、イーアンは振り返って訊ねる。
「そうでもないと思う。イーアン、山脈まで1時間半と言っていたな」
「はい。最初は場所を探して、2時間ほど経ったと思いますが」
「じゃ大丈夫だ。1時間は飛ぶから。飛んでる間に朝になる。反対側だけど」
「どこですか。ミンティンに言いましょう」
「俺が言っても聞くかなぁ?ミンティン、フーシャ・エ・ディットだ」
青い龍はぐーっと体を反らしてから、太陽の昇るほうへ向かった。ドルドレンの瞳に、最初の太陽の光が入り込んで銀色に光る。微笑みを浮かべる美丈夫は、イーアンの腕を撫でた。『行けそうだ』フフと笑って、振り向くイーアンを見つめる。
「内緒なのね。分かりました。楽しみにします」
ドルドレンが連れて行ってくれると分かると、大体は楽しみな場所。イーアンはそう思っているので、明るくなる地平線を目指す龍の背中で微笑んだ。
ドルドレンの言ったとおり。雑談をしているうちに、空はすっかり明るくなり、目指す方向にきらめきが広がる。
「あれは。水。海でしょうか」
イーアンは水平線を見た。海だと思うが、島がたくさん入っている気もする。海なのか。陸に水辺が多いのか。
「正確には海だ。島がこう、なんというかな。縦縞みたいに並んでいる。地図を思い出せるか」
「はい。思い出しています。あの、でも。あの大きな縞状の島はもう」
「そうだ。隣の国のティヤーだ」
手前にもずっと川があったねとドルドレンは言う。無数の川が通路のように、陸に入り込んでいる上を通った。そこはハイザンジェルの東地域だったと、イーアンに教えた。
「そうだったのですか。私もそうかと思いましたが、だけどこれでは、どこからどこまでがハイザンジェルで隣国か。私にはよく分かりません」
「上から見ると余計に思うかな。陸から見てもピンと来ないが、一応、陸には旗が立っている。川岸に棒と旗があって、そこからは水の上でも中でも国境だ」
「うっかり行き過ぎてしまいそう。ハイザンジェルの漁師は、川上ということですものね。流れが」
「うん。だけど漁業権があるから。行き過ぎると面倒臭い。ちょっと出るくらいなら、どっちも気にしないだろうが、投網は場所を守っておかないと、網元にも迷惑がかかる。結構、厳しく守っているらしいぞ」
そんな話を聞きながら、龍は東の国のティヤーへ入る。どこまでも、海と島が交互に並ぶ不思議な風景を見下ろし、イーアンは元の世界のノルウェー沿岸を思い出す。出かけたことはなくても、写真やテレビで見た航空写真と似ていた。ただ、ティヤーは何となく暖かそうな感じだった。
「もう着くよ」
ドルドレンがミンティンの高度が下がったのを感じて、声をかける。『フーシャ・エ・ディットだ』指差された小さな漁師町。本当に漁師しかいなさそうな、細長い島。イーアンはじっとその場所を見つめる。
龍はドルドレンの指示に従って、島の海辺の砂浜に降りた。漁師が騒いでる・・・・・
騒ぐだろうなぁとイーアンも不安を抱えながら、伴侶を見ると、伴侶はちょっと笑顔。なぜ?なぜなの、と困惑するイーアンを、ちらっと見たドルドレンはニコッと笑った。
「大丈夫だ」
「そうなのですか」
伴侶が大丈夫って言ってるんだから、まあ大丈夫なんでしょう、とイーアンは眉根を寄せたまま頷く。疑わしそうな愛妻(※未婚)に笑うドルドレンは、肩を抱き寄せて頭にキスをし『本当だ』と念を押した。
龍を帰して良いと言われ、イーアンは素直にミンティンを一度帰す。袋叩きにでもされそうな騒ぎになってるけれど、本当に無事なんだろうかと思いつつ。
ドルドレンはイーアンの肩を抱いたまま、普通に漁師たちに向かって歩き出す。漁師たちが戸惑いながら大声で何かを言うと、ドルドレンはいつもの言葉で『ドルドレン・ダヴァートだ』と突然、自己紹介。
ウソーっ イーアンは時々、伴侶の行動が堂々とし過ぎてぶっ魂消るが、今日はちょっと、国が違うんだから!と慌てた。『言葉通じてるんですか?大丈夫なの』『大丈夫だと言った。大丈夫だよ』笑うドルドレン。
「ドルドレン。ダヴァート。ダヴァート?おお、もしかしてエンディミオンの家族か」
驚くイーアン。驚き過ぎて半年分くらい、年食った気がする。ドルドレンは笑って『そうだ。エンディミオンは祖父だ』そう言い、漁師の一人を見ながら歩み寄った。
「そっくりだな。孫か。待てよ、小さい時。ここに来ただろう、お前。こんな小さい時」
漁師が片手を腰あたりに動かして、子供の背を示すと、ドルドレンは笑顔で頷く。『助けてもらったな。あれから30年近く経ったのに、思い出してもらえて何よりだ』満足そうに微笑む長身の美丈夫に、海焼けした赤毛の漁師は、深いシワの刻まれた顔を一気に笑顔にして、大きく頷いた。
「先にここを助けてくれたのは、お前の祖父さんだ。お前はその後、勝手に海でおぼれて」
ドルドレンがちょっと真顔になると、漁師は笑い出した。そして後ろにいる何人かの漁師に、昔話で目の前の男が子供の頃の話を少し説明した。後ろの漁師も『ああ~』と手を打って『親父が言ってたな』と理解したらしかった。
「ドルドレンは小さい時に、ここへいらしたことがあるのですか」
そうだと伴侶は笑顔で頷く。ジジイに連れられてこの町へ来たとかで、その続きを聞こうとした時、漁師がイーアンを見て『奥さん?』と訊ねた。ドルドレンは、ぐっとイーアンを抱き寄せて『そうだ』と笑う。
「いやぁ。孫が大人になった上に、奥さんまで連れてくるとは。こりゃ祝いだな」
「ドラガは。ドラガはまだ」
漁師はドルドレンに訊ねられた名前を聞いて、ちょっと止まった。それからすぐに『この前』と言い淀んだ。ドルドレンは笑顔が消えて、漁師をじっと見つめた。淡い緑色の目の漁師は唾を飲んで、言いにくそうに頷いて『本当につい一ヶ月前だ』と目を反らした。
「そうか。祖父にも伝えよう。あとで何か・・・ドラガのいた場所にでも連れて行ってもらいたい」
「ああ。いや、大丈夫だ。墓に入るとずっと言っていたから。ちゃんと墓はあるよ」
イーアンは気が付く。ドラガという人がいて、その人はドルドレンの知り合いだったのだろうと。だけどその人はこの島で生きて、そのまま亡くなったのかも知れないことも。
ドルドレンの、イーアンの肩を掴む手の力が少し強くなった。ドルドレンがごくっと唾を飲んだのを見て、彼がショックを抑えているのが分かった。
何十年も会っていなくても、知り合いの死を悼む姿。馬車の民、皆に共通している。その情の深さがとても心に響く。伴侶の背中に手を当ててそっと撫でたイーアンに、ドルドレンは寂しそうに微笑んだ。
「とにかく、せっかく来てくれたんだ。家に入れ。後は網を片付けるだけだから」
漁師は自宅へ招いてくれて、二人は彼の後について行った。空気は冷たく、潮風も強いが、少し生暖かい感じがして、イーアンは自分の故郷を思い出す。懐かしい海の匂いが、風が。打ち寄せる波の音が。海鳥の姿が。全く違う世界なのに、久しぶりのような気がした。
漁師の家は平屋で広く、逆さになった船が一つ、表に出してある家だった。似たり寄ったりの白い壁に、どの家が誰のものか、あまり判別が付かない雰囲気。生垣が壁代わりで、ねじれた木の枝が特徴的な木々が家の周りを囲っている。前庭を通って玄関に通じ、家の中は広いホールから始まって、居間へ入った。
家の中に彼の家族が何人かいたので、漁師はドルドレンをまず紹介し、次にイーアンを紹介する。奥さんは年が高く、漁師よりも年上らしかった。二人とも60代で、ドルドレンをじっと見つめた奥さんは、思い出したように微笑んだ。
「子供の時も可愛い顔してたからね。こんなに立派になっちゃって。お祖父さんそっくり」
お祖父さんそっくり、の感想に顔をしかめるドルドレン。イーアンも同じ気持ちだが、顔には出さないで置いた。奥さんはドルドレンの腕に手を置いて『良い男になったわ』と笑った。
それからイーアンを見つめ、真顔でがっちり観察してから『どこか。神様の国から来たの』と訊いた。この言葉にびっくりしたイーアンは、普通の人間だと答えると、奥さんも漁師も笑っていた。
彼らの子供はイーアンとドルドレンの間くらいの年齢で、長男坊とその家族は一緒に住んでいた。
長男はイーアンを見て何か考えている様子で、長男のお嫁さんは5~6歳の子供をあやしながら、ドルドレンの異様なカッコ良さに肝を抜かれ、『いや。たまにはこういう男の人を見るのも、目のために大事だわ』と明け透けな言葉で笑っていた。
横にいる旦那さんの渋い顔を無視した、ざっくばらんなお嫁さんの言葉にイーアンは笑った。彼女はイーアンを見ても『お似合いよ。良い奥さんを見つけたわ』と笑みを浮かべながら頷いてくれた。
お祝いに食事を食べていけ、と漁師が強引に酒を出す。奥さんもお嫁さんに手伝わせて、即、台所へ入った。
「急にお邪魔して。大丈夫だったのでしょうか」
「問題ないと思う。どうせジジイはここまで来れない。いつか俺は来ようと思っていたから良かった」
漁師は名前をオジョルと言った。オジョルが若い頃に、ドルドレンはお祖父ちゃんに船でここまで連れて来られたことがある。その話を、伴侶とオジョルの二人で、イーアンに話してくれた。
お祖父ちゃんがまだ若かりし頃(※今も若い)。孫(※ドルドレン:8歳)と一緒に、馬車を降りた家族に会いに来たのが、このティヤーの島。ここは往復船を乗り次いで3回目で通る島だった。
お祖父ちゃんが会いたかったのは、自分の元奥さん(←何人目かは不明)で、馬車を停めた東の町に来ていた男と恋仲になって別れたそうだ。お祖父ちゃんが浮気者だったのもあるので、止めるに止められなかったという情けない話。
そういうよく分からない経緯なのに、お祖父ちゃんは会いたくなると会いに行く。相手に男がいようが家族がいようが、思い出して会いたくなると出かけてしまうので(※親子で似てる)次の周回で東の町に滞在した折、お祖父ちゃんは船に乗って、昔の女房に会いに行った。
しかし会いに行った先で、元女房に引かれては困ると思ったお祖父ちゃんは、孫連れて行けば、ちょっとは緩和するだろうと。不純を嫌がる孫(※ドルドレン)を無理やり小脇に抱えて、船に乗った。
「俺はそれを散々、船で説明された。俺がいることでドラガに会えるから、協力するのが家族だと」
ドラガは、ドルドレンが赤ちゃんの頃から世話を手伝ってくれていて、ドルドレンのお母さんが馬車を降りた後は率先して、ドラガがお母さんの一人として世話してくれたそうだ。
「だから。俺がいればドラガは断れない、とジジイは思ったんだろう。案の定、ドラガは懐かしんでくれたが、計算高いジジイには冷たい目を向けていたな」
漁師がゲラゲラ笑って『あれは驚いた。まさか子連れで女に会いに来ると思わない。そしたらドラガが孫だって言うから、余計に驚いた』昨日のことみたいに思い出せるくらい、強烈な日だったと話した。
「でな。ドラガは嫌々、エンディミオンに会ったんだが、当然旦那が同席するだろう。エンディミオンが『自分たちは泊まっていくから一緒に夜話そう』ってな。だったような。だよなぁ?」
台所にいる奥さんは、顔を出してその話を聞くと『ああ、そうそう。ドラガは嫌がってたわ。ヨリも怒ってたけど、エンディミオンは気にもしなかった』と笑っていた。
だけど、とオジョルはそこで笑った顔を止める。笑みは残ったままだが、小さな溜め息をついた。
その晩。夜の漁に出た船が戻ってきたのが早すぎた。それも船が1つしか帰ってこなかった。
異常事態に驚いて戻った漁師に話を聞くと、沖で船が二隻、何かによって転覆したという。大しけの時は出ないし、そんな兆候もないのに海が荒れて、まだ他の船が残ってるという。
ドラガの旦那のヨリは、来客が不審過ぎて自宅に残っていたが、他の漁師は出ていた。ヨリは慌てて自分も行こうとしたが、お祖父ちゃんがそれを止めて、お前は俺の孫を見てろと言った。
ドルドレンが当時を思い出して呟く。
「今思えば。良いところを見せたいだけだったのか。それともドラガが腰を下ろした家族を守ろうとしたのか。それは分からないが。とにかくジジイは、戻ってきた漁師に『もう一度船を出せ』と突然命令して、自分が行くと押し切った」
「よく。見も知らない不審人物の命令を聞いてくれました」
イーアンはお祖父ちゃんの突破に心底驚く。オジョルも頷くが、逆らえる雰囲気ではなかったと言った。
それで、お祖父ちゃんは船を出してもらって、夜の海に出て行ったそうだ。
2時間以上待って、島に残った家族の不安がどんどん募る中。船は帰ってきた。最初に出た12隻の内、8隻だけ。オジョルは話を続ける。
「でも。エンディミオンは全員無事に連れて帰ってきたんだ。血まみれになって」
「血まみれ。何かあったのですか」
「沖で転覆した船は、でかい魚にひっくり返されたんだ。エンディミオンが到着するまでに、4隻が転覆していた。最初1頭しかいなかった魚が、4頭に増えていて、溺れる仲間を助けては海中から襲う魚を剣で突いたりして、仲間は魚を追い払うので必死だった。
エンディミオンはそれを見てすぐに、剣を持って海に飛び込んで、仲間を助けては魚を刺して攻撃した。魚が暴れると波の上に出てくる。その上に飛び乗ったり突き刺したり、そんなことをして倒してしまった」
んまー・・・・・ イーアンびっくり。お孫さんそっくり。ちらっと伴侶を見ると、イーアンの気持ちを見透かしたように嫌そうな顔をした。
そんな武勇伝を、浮気者の馬車の男が作ってしまい、噛みかけられた傷やら、転覆した船にぶつかった傷やらで、お祖父ちゃんは血まみれ。
海の中で血も出放題。(※文字通り出血大サービス)お祖父ちゃんは漁師を全員助けて、町に戻ってきたという。
「こんなことでな。ジジイは鬱陶しい不審者から、武勇伝の男になってしまった。翌日、俺は一人で海で遊んでいたところ、波に持ってかれてちょっと溺れてな。それをオジョルが助けてくれたというオマケ付だ」
苦笑するドルドレンに、オジョルも懐かしそうに微笑む。『ちょっとじゃなかったな』と付け足されて、ドルドレンは黙った。結構しっかり溺れたらしかった。
「馬車の家族も東に待たせていたから、俺とジジイはそのまま翌日の午後の船で戻った。ジジイは傷だらけ、俺はずぶ濡れだ」
ハハハと笑う伴侶に、オジョルが『ちゃんと拭いてやっただろ』と注意して、困った顔のイーアンを見た。『拭いたよ。子供だから』と言われて、イーアンも笑う。
思い出話を聞いている間に、食卓には料理が並び始めて、美味しそうな海の香りが漂う。魚や貝やエビ等が料理されている皿に、イーアンは感激した。
早くお食べと椅子を勧められ、遠慮なく席について、海辺の午前祝いの席を過ごした。
お読み頂き有難うございます。




