34. 御伽噺の夜
(※長いのが連続しています。お時間のある時にどうぞ)
逃げようとするノーシュにあっさり追いついたドルドレンは、襟首を掴んで地面に引きずり倒した。
倒したノーシュを仰向けにひっくり返し、ノーシュの首に前腕を置いて押さえつける。
「ノーシュ。貴様は凝りもせずに」
低く煮え滾る声を怒りに震えて搾り出すドルドレン。ノーシュは目をきょろきょろ動かし、息も荒く自分の状況に焦る。『ちょっと借りただけだろ・・・・・ 』と言いかけて、ドルドレンの豪腕が喉に食い込む。
「借りて何するつもりだった。変態かお前は」
後方から追いかけてきたその他大勢の声が段々と近づく。ノーシュはドルドレンの腕を外そうと掴むが、びくともしない。
「彼女は・・・・・ 俺が探していた女だ」
カッと目を見開くドルドレンの気迫に目を瞑り、消え入りそうな掠れ声でノーシュは訴える。
「ドルドレンは知らないのか・・・・・ 魔封師の伝説・・・」
そこまで言うと食い込む腕に咳き込むノーシュ。ドルドレンの怒りに燃えた目が細められ、腕の力が僅かに緩んだ。
「お前は何の話をしている」
「離せよ・・・・・ 死んじまうだろ」
ドルドレンは若干、力を緩めたが、腕はそのままにして話を続けるように小突く。
「突然、現れた彼女の容姿を見て、俺はすぐ気が付いた。 彼女が魔封師だ。彼女にそれを伝えるために着替えを盗って、探しにきたところで教えてやろうと思っただけだ。 ――あの日も追い出されたし、普段はお前が離れないから」
ドルドレンはノーシュに腹が立って仕方なかったが、もう一度小突いて話をさせる。
「伝説あるだろ。すごい昔にヨライデで魔王を討ち取って封じた旅人の男の話が。あれだよ。
その男はその後、自分の力を二つに分けたんだ。一つはこの世界に、もう一つは別の世界に。」
「何?」
「やっぱり知らないのか。 魔物が次に現れた時。そいつらの頂点を倒せる、かつての男の二つに分けた力が出会う。魔封師と勇者だ。・・・・・次ってのは今だ。で、彼女は別世界からか送り込まれた。 魔物に追い込まれたこの世界に」
ニヤッと笑ったノーシュに、思いっきり拳骨を食らわせて気絶させ、ドルドレンは立ち上がった。
「だからって下着は必要ないだろ」
のびたノーシュに、けっと吐き捨てて、周囲に集まってきた騎士たちに『ノーシュの制裁は終わったから』と引き渡した。立ち去る総長の背中を少し見つめた後、ブラスケッドは『やれやれ。こっちが焦った』と倒れたノーシュを担いだ。
「ついでにお前じゃ、イーアンに釣り合うわけないくらいのことも分からんのか」
歩きながら不快そうに大きく息を吐き出して、ドルドレンはイーアンの待つテントに戻った。
テントに戻ると、イーアンとディドンが話していた。 『どいつもこいつも』と不機嫌さを体中から発してドルドレンは足早に近づく。イーアンが気がついてニコッと笑うと、ディドンが振り向いて会釈し、さっさと去っていった。
「イーアン。どうかしたか」
「ディドンから質問でした」
今度は何だ、とドルドレンが渋い顔を向けるとイーアンは笑って腕を組んだ。イーアンが腕を組んできたので一瞬で機嫌が上向く。ちょっとドキドキしながら、イーアンに『??』の視線を送る。
「食事をしながら話しましょう」
何だか有耶無耶になった気がしたが、もうどうでも良い。嬉しいので、そのまま焚き火の側へ行って、配給の夕食を受け取り食べた。イーアンの話では、ディドンが戦闘の助言について聞きたがったという。
「さっき、ドルドレンが言っていたでしょう。皆も不思議に思っているのでは、って」
イーアンは経緯をまず話した。ディドンがイーアンを連れて避難する時に、イーアンが戦場に戻りたいと頼んだこと。 それは魔物の動きで気が付いたことがあったから、それを知らせないといけないと思ったこと。 そして引き止めるディドンを振り払ったこと。
「ディドンを置いてきたのか」 「だってドルドレンが危ないから急がないと」
ブレズをかじりながらイーアンは微笑む。ドルドレンは食事の皿を落しそうになった。身も心も溶けそうだった。 もうなんだろう・・・・・ 俺は今なら死んでもいいかも知れない。 いや駄目だ、嘘。 彼女を守るんだから死んでる場合ではない。
「そうだったのか」
「ディドンは、私が勝手にウィアドを駆けさせて戦場に戻ったことも困っていましたが、その後の魔物の対処の方が気になって仕方なかったようで、それを知りたくてテントを訪ねたのです」
それで、と少し続けて
「簡単に説明しました。魔物の出す声の振動を跳ね返すことで魔物が壊れたことを。さらに詳しく説明を求められた時、ドルドレンが戻って来ました」
イーアンは一通り話し終えると、汁物の皿に目を戻して笑顔のまま食事を続けた。焚き火の明かりに照らされた目の前の女性を見つめ、ドルドレンはノーシュの言葉を思い出した。
『 ――彼女が魔封師だ』
微妙な気持ちだった。本当かもしれない、と思った。
もし本当にそうなら、彼女と対の人物がこの世界にいることになる。ノーシュは伝説にあると話していたが、その話はドルドレンが御伽噺の絵物語で知っている程度の話だ。そんな話が実際にあったなどとも、また、起こるとも・・・・・ 思いもしなかった。
だが、魔物は現れた。 そして目の前にいる、ドルドレンの想う女性も――
俺の夢に現れた翌日に、イーアンは俺に出会ったんだな。
ぼんやりしているとイーアンが鳶色の瞳に炎の明かりを映して覗き込んできた。ずっと黙っていたから気にしたんだな、と思い、ドルドレンは笑顔で返す。
「ちょっと今日の洗い物は担当に任せて、このままテントに戻るか」
イーアンは不思議そうな顔をしたが、すぐ『はい』と答えた。食器を戻す時に食事担当に挨拶をし、二人はテントへ戻った。
テントに入って、毛皮に腰を下ろし、ドルドレンは話し始めた。
イーアンの服を盗んだノーシュ。なぜノーシュがイーアンに付きまとっていたか。 イーアンは困惑している表情だったが、静かに話を最後まで聞いていた。
「その伝説というのは、どこかで書になっているのですか」
「書庫にあるかもしれない。絵物語であれば、隊の誰かに聞けば実家に置いている者もいるだろう」
「両方見てみたいです。私、ここで文字はまだ読めないのでドルドレンと一緒に」
ドルドレンは小さく溜息をついて、そっとイーアンの頬に手を伸ばした。イーアンはちょっと固まって薄っすら赤くなる。 ドルドレンは微笑んで、触れた頬をそっと優しく撫でる。
「イーアンが望むことは何でも叶えたい」
イーアンは胸がドクンと動くのを感じた。誤解してはいけない、と言い聞かせながらも続きを待つ。
「俺は、思うんだ。 イーアンが特別な役割でここへ来たのだとしたら、その対になっている人物が――他の誰でもなく、俺だったら良いのにと」
ランタンの明かりに煌く灰色の目が寂しそうに細められる。自分を見つめるイーアンの頬を撫でる手を止め、そのまま耳から後ろ、髪の中へ滑り込ませてイーアンの後頭部に優しく沿える。その手は少しずつイーアンとドルドレンの顔の距離を縮める。
「イーアン・・・・・ 」
「失礼します。 お邪魔ですがお邪魔します」
テントの外から大きな声で呼ばれ、激しく舌打ちするドルドレンに、イーアンが笑い出しそうになるのをこらえる。
ドルドレンがイーアンを見て苦笑し、立ち上がってテントの入り口を開けると、クローハルの部下(犠牲者B)が不機嫌な総長と目を合わせないように必死に目を逸らして頑張りながら立っていた。
「クローハル隊長がお二人に相談があるという報告です」
「クローハル? 何で今だ」
「そう凄まないでやってくれ」
部下(犠牲者B)の背後から、青灰色の髪の男が声をかける。自分の部下に『ご苦労』と背中を押して帰らせ、苦笑いしながらテントの中を覗く。
「入っていいか?」
「嫌だ」「嫌だ、って子供みたいなこと言うな」「嫌だ。入るな」
「ドルドレン、駄々こねないで下さい」「だって」
イーアンが後ろから笑いながら近づいてきて、テントの外のクローハルに『どうぞ』と促した。
「こんばんは。遅くに失礼してすまないな」
クローハルはイーアンの手を自然な動作で取り、挨拶をしながら手の甲に唇をつけ―― る寸前で、イーアンの手を引っこ抜かれて空振りした。イーアンの手を握りしめ、不快度全開に眉を寄せるドルドレンを見て、クローハルも笑った。
「わかったよ。お前の守り神に礼儀を欠くと思うが、今日はやめておこう。」「今後もやめろ」
気の毒そうな視線を向けるイーアンに、クローハルが笑いながら会釈してテントの中に入る。毛皮の上に3人とも座ったところで、クローハルが『さて』と話し始めた。
「こんな時間に二人の中を邪魔したのは、目の前の異国の女神を口説くためではなく」――自分を睨むドルドレンをわざとからかいながら。
「昨日に続き、今日の機転が実に我々の仕事に功を奏したことによるものだ」
イーアンが瞬きする。ドルドレンはその言葉に灰色の瞳を光らせた。
「イーアン。君の機転は実に素晴らしいよ。おかげで戦闘は滞りなく、形勢が崩れそうでも立て直せた」
クローハルは自分を見つめる鳶色の瞳にしっかり目を合わせて微笑んだ。
「簡潔に言おうか。 そこにいる君の騎士以外の我々隊長同士で先ほどまで話し合ったのだが、今後、君には戦闘の最初から一緒にいてほしいと全員所望している」
「私が?」 「そう。君だ、イーアン。 君の数多の知識で紡がれる黄金の助言は・・・戦う我々に与えられる辛くも気高い傷や死から、いとも簡単に我々を守ってくれる」
詩的なクローハルの言葉に、ドルドレンは本気で驚いて口がぱかんと開いた。お前にこんなこと言えるんだ、と。
――目を細めて微笑むクローハルは、見た目こそ、その髪の色でドルドレンよりも上に見えるが、実は少し年下で力強く鋭気漲る30代前半。
風貌が落ち着いていることと、性格が穏やかで紳士的であることが年齢よりも上に見られる理由だ。
「どうだろう。 戦場は危険を伴うのに、君を崇拝する若者に連れ去られても、彼を振り払ってまで戦場へ勇敢に戻ってくる君だ。その慈しみの知恵を、戦闘開始から我々の命を守るために注いではくれないだろうか。 君の無事は全力で守ると誓うよ」
熱っぽい視線を惜しみなく注ぐクローハル。 普段の硬い表情がふわりと解けて、驚くほど男の魅力を全開に溢れさせる。 イーアンの胸中は、この世界はモデル並みの男前が多いのね、と感心しているくらいだったが、阻害されている黒髪の騎士が仏頂面で睨んでいるので、顔を自然体に保った。
「おい。口説くな」
ドルドレンが低い声で注意するが、クローハルは静かに笑って『隊の願いだぞ』と軽く交わす。イーアンに向き直って『駄目かい?』と胡桃色の瞳を優しく細めて甘い笑顔で訊ねる。
若い女の子だったら気絶するかもしれないと、イーアンはしみじみ擦れた自分の年齢に感謝した。
「私もこの身の限りを尽くすとお約束します。どうぞ私を皆様のお側に置いて、お心のままにお役に立てて下さい」
クローハルの申し出にイーアンは有難く了承を述べると、二人の騎士は一瞬きょとんとした。
それからクローハルが先に我に返って、何度か髪の毛を撫で付けながら少し赤面し、しどろもどろにお礼を返したと思うと、あっという間にテントから出て行った。
立ち去り方が不自然で、イーアンは自分がおかしなことを言ったのかどうか疑問に思った。ドルドレンは赤面のまま固まっていたので、突いて正気に戻し、何か変だった?と訊ねた。
ドルドレンも、うん、いや、と誤魔化すように頷き、『もう寝よう』とテントの入り口に串を刺して閉じ、そそくさランタンを消してしまった。
イーアンは何だかよく分からないままだが、とりあえず毛布の中でズボンを脱いで楽にし、毛布に包まって『おやすみなさい』と言うに留めた。
ドルドレンも『おやすみ』と返したが、先ほどのイーアンの言葉と、今日一日のイーアンとのアレコレも並びに思い出しつつ、悶々として一生懸命眠りに付いた。
イーアンが知るわけなかった。
彼女が騎士二人に伝えた言葉は、ここの世界では結婚した初夜に身を預ける女性が使うことを。
お読み頂きありがとうございます。