348. クズネツォワ兄弟との料理時間
翌朝。まだ伴侶が眠る時間。イーアンは早めに厨房へ行って、朝の食事の準備をする料理担当に、午前中に厨房を借りたいと話した。
快く了解をもらえたので、一度寝室へ戻り、書置き準備。魚と料理、調理する人に自分とベルを簡単に絵に描いた。とりあえず名前が書けるようになったので、自分の名前も下に書いておいた。
その紙を持って、ベルの部屋まで足音を立てないように走っていって、そーっと扉の隙間に差し込んだ。
急いで今度は工房へ行って、暖炉の火を熾しておく。ザッカリアの上着を紙に包み、綺麗な毛皮を細く切った紐で結んで贈り物の用意は完了。
地下室から塩漬けの腸を持ってきて、盥に入れておく。塩抜きしないといけないので、後ですぐに取り掛かれるよう、扉近くに寄せておいた。
ここでハッとする。さっき、ベルの部屋だと思い込んで届けたのは。『ハルテッドだった』しまった!イーアンは慌ててハルテッドの部屋へ向かう。
一度お菓子を届けた時、ハルテッドの部屋が、最初に自分が借りた部屋と同じだったから記憶していた。つい、ハルテッド=ベルの兄弟像でまとめてしまっていた。
ハルテッドの部屋の前に着いて、扉の隙間を見ると。もう紙がない・・・・・ どうしよう。
あれじゃラブレターだよ、とイーアンは悩む。ベルと魚の料理を一緒に作ろうと先日話したから、それを今日にでもと思ったのに。この話と関係ないハルテッドがあの紙を見たら『2人で料理食べましょうね』って思われる。『イーアン』って書いちゃったし。
うーんうーん、扉の前で悩むイーアン。でも紙はないし、これは仕方ないので、後で事情を話すことにした。その時、目の前の扉が『かちゃ』と鳴る。
「おはよう」
扉の隙間から、嬉しそうなハルテッドが小さい声で挨拶。イーアンは固まる。が、固まってる場合ではないので、挨拶もおいて大急ぎで説明した。
「そうなんだ。でもそうかなって思ったから大丈夫だよ」
ハルテッドはちょっと可笑しそうに、慌てるイーアンに頷く。紙を見て、自分を描いた絵ではなく、ベルじゃないかと思った、と話した。
「ごめんなさい。この前、ベルにタタナラ粉を頂きました。それで料理した後、魚料理の話になって。今日だったら作れるかと思ったので」
「そうか。ベルは料理が好きだから。でも俺も出来るよ。一緒に作ろうか?」
二人とも料理が出来るのかとイーアンは驚く。でもそう言えば、馬車は、皆が手伝うようなことをドルドレンも話していた。ハルテッドは、朝にでも、ベルに伝えておいてくれると約束してくれた。
「イーアンの絵は可愛いね。今度俺も描いてね」
可愛い絵と誉められて、イーアンも嬉しいので頷いた。ハルテッドは余計なことを言わない。字ではない手紙のことも、絵の所以も、何も訊かなかった。
最初の頃だけは質問があったけれど、以降はほとんど何も訊かれないのが、イーアンには付き合いやすい気がする。
イーアンはハルテッドにお礼を言って、寝室に戻った。
戻って、伴侶が寝惚け眼で慌てふためいているのを見て、急いで抱き締める(※子供・老人と同じ)。『おはようございます』『イーアンはすぐいなくなる』会話が成立しないので、大丈夫よと伴侶を撫でて落ち着かせた。
「最近、朝がゆっくりじゃない。全然一緒にいられる気がしない」
「ごめんなさい。今日することの準備をしようと思って動きました」
「料理とか?作業か」
そうだと答えるイーアンに、ドルドレンの灰色の瞳は戸惑い気味。『イーアン。大丈夫なのか』腕に抱えたイーアンをちょっと強めに抱き締めてから、顔を見つめた。何だか少し痩せた気がする。
「大丈夫ですよ。大丈夫」
「俺も料理を作ってもらうから、言いにくいが。だけど自分の仕事もあって、頼まれ仕事もやって、毎日料理して、部下の連中の分もザッカリアの分も増えるだろう?
龍は早いけれど、イオライセオダにもデナハ・バスにも、週に何度も出かける。その上で謎ときにも悩んだり、旅立ちの日に備えたり。自分勝手な王に呼び出されて神経使ったり。大丈夫に思えない」
ふーっと大きく息を吐き出して、ドルドレンは愛妻の細い体を包み直す。
『イーアン。痩せた』言いながら、背中を撫でる大きな手は、もともと肉厚ではないイーアンの背に肋骨の段を感じる。頬を撫でて上を向かせ、じっと鳶色の瞳を見つめ、『痩せた』ともう一度言った。
――最近、やらしいことをしていても思うが。筋肉はついているけれど、骨が分かりやすくなっている気がする。本人は、尻や腿の肉がどうとか困ってるが、そんなもの、肉が付いてるうちに入らない。健康を考えるなら、もっと付いたって良いくらいだ。これ以上、忙しくなったら。イーアンは倒れてしまうかもしれない――
心配そうなドルドレンの眼差しを受けて、イーアンは微笑む。広い胸に少し頭を凭れかけさせて『どこかで休みを取ります』と囁いた。黒い螺旋を描く髪そっと撫でて、ドルドレンも『それが良い』と答えた。
「早めに休もう。いろいろと済んでからと思ったが。今日はムリでも、明日とか明後日とか。な」
「はい。私も実は、今日出来るだけ早く、用事を終わらせようと思っていました。午後にゆっくり、一人で考えたかったのです。最近、自分の周囲の環境や人物の入れ替わりを感じるので、それを整理しようと思っていました」
それを聞いて、伴侶は提案する。明日から暫く、出かけてみてはどうだろうと。出向でもなく、ただの連休で。龍や武器は合った方がいいかもしれないけれど、と濁しながら、ドルドレンはイーアンの意見を待った。
「ドルドレンのお仕事はどうなのですか。年末からずっと執務室にいる時間が増えています」
「そうしたことは、俺も考えた。何かするべきことの前に来ていて、それで日常が変化しているような。でもまあ、執務の件については、どうにでもなる。執務の連中は、俺が不在時でも仕事はするのだから」
二人は、暫く抱き合っていた。自分たちがどこへ向かうために、何をするのか。それは日常が変化していく中、手に入れていかないといけない。一日一日が慌しいし、気持ちも逸る。準備が整っているかそうではないのか、それを判断する基準もない。
ある時、『今日から出発ですよ』と運命に背中を押される日。残していく人々の生活や安全に、未練はないか。自分たちの状況や準備に遅れはないか。それをいつでも気にしている。
「イーアン。急だが、明日からでも行こうか。この2週間以内で休もうと思っていたから、明日でも大丈夫ならそうしよう。2週間後にイオライの全体遠征がある。その前に」
イーアンは忘れていたが、そう言えば。最初に来た時に、イオライセオダからは定期的に遠征の申請があると聞いた。もうそんなに経ったのかと思う。ドルドレンは愛妻(※未婚)を見て頷く。『あれからもう3ヶ月くらいだろう。3~4ヶ月に一回は出ているから』ぎゅっと愛妻の頭を抱き締めて、この一言で思い出した気持ちを伝えた。
「イーアンと出会って良かった」
イーアンもドルドレンを抱き締めて『ドルドレンに出会って良かった』と答えた。二人は今日は仕事をして、明日から連休を取ることに決めた。
午前中。ドルドレンは休暇の届けを作る。緊急の遠征がないことを調べて、小さな調査や確認は隊長に振り分けた。
執務の騎士たちは、総長の休暇にぶつぶつ言うが『イーアンが疲れている』と言うと、あっさり許可が出された。『よく動くから』『大変そうだ』『いっそ一人で休めば良いのに』ぴくっと来るような言葉も混じるが、どうも同情されているのは分かった。
イーアンも午前中は、ハルテッドとベルの兄弟と共に、お魚料理。彼らの午前業務は、昼食料理に変更。
行商で購入した食材と、マブスパールで購入した食材を紹介すると、彼らはとても喜んで、嬉しそうにそれらを手に持っては、あれが良い、これ作ろうと話し合っていた。
「どんぐらい使って良いの?買ったの、イーアンのお金でしょ」
気を遣うハルテッドに、イーアンは気にしないで使いましょうと微笑む。自分の給料は、こうして使おうと決めてると話した。兄弟二人は目を見合わせて、同じことを考えたらしく、購入食材をたくさん使わないでも作れる料理を教えてくれた。
干し魚の丸棒を5本水で戻して、これ切り分け、大鍋で野菜と穀物の実と一緒に煮こむ。
イーアンの『貝のクロケット』が気に入った二人は、あれを大きい耐熱容器でと提案し、スコップグラタン状態で作る。
マブスパールでドルドレンに選んでもらった、川魚の発酵漬けは、刻んで別ニンニク(辛い)と香辛料で和えて大きな生地にソースで塗って焼いた。
「結構使っちゃったけど。でも皆で食べれるよ」
大鍋の世話をするベルが、イーアンに微笑む。ハルテッドも焼き釜を覗いては『美味そう』と笑ってる。イーアンはとても幸せだった。彼らの料理を作ってもらえるのも、自分が一緒にそれが出来るのも、とても嬉しかった。
肉もやっとこう、とハルテッドが肉を出してナイフで叩き始めた。イーアンは、詰め物が良いかなと思って、マブスパールで買った油漬けのタタナラ(でかいピーマン的な)を用意した。半分に切ったタタナラに穀物と肉と香辛料を詰めて、ハルテッドはこれも焼き釜へ入れた。
「そうか。イーアンはマブスパールで食べてきたのか。すんなり用意したから、ちょっと驚いたけど。もう、ちゃんと俺たちの家族だ」
ハルテッドを手伝ったイーアンに、ベルは笑った。この楽しい午前の料理時間が過ぎる頃。少し早めに全部が出来上がる。
味見をして、美味しいと跳ねて喜ぶ3人。イーアンは執務室へ走って、伴侶を連れて帰ってきて、ドルドレンにも食べさせる。『懐かしいな、ここでこれを食べるとは』灰色の宝石が郷愁の味に煌く。兄弟も嬉しそう。
「私。時々教わって覚えます。旅に出ても作れるように」
美味しい舌鼓を打つ伴侶を見て、イーアンは約束しようと思ってそう言った。ベルとハイルがその言葉に振り向く。ドルドレンも動きが止まる。ハッと気が付いたイーアンに、ベルがオレンジ色の瞳で見つめる。
「イーアン。行くのか。イーアンがそうだったのか」
「やっぱそうかなって思ってたんだけど。ああ・・・」
イーアンは兄弟を見て黙る。じっと見たまま、言葉を探して、何と言おうか考えていると、ドルドレンが腕を伸ばしてイーアンの肩を抱き寄せ、二人に向かって頷く。『だから馬車歌だった』旧友の言葉に、兄弟も神妙な顔で理解したようだった。
だよね、とベルが呟く。『俺さ。龍に乗る人って歌にあったなぁって。よく思ってたんだけどね』どこまで本当なのか、分からないじゃんと肩をすくめた。ハルテッドも壁に寄りかかって、イーアンを見つめて『行っちゃうんだね』とちょっと寂しそうに言う。
昼食までの間。ドルドレンは、兄弟に自分たちのことを話して聞かせた。ドルドレンは何も包まず、何も隠さなかった。聞かれる質問には全て丁寧に答え、イーアンがどこから来たのかも教えた。
「イーアンはここへ来てから。呼ばれたからだろうが、ずっと忙しい。たまに休んでも、動く日数の方が圧倒的に多いし、気苦労も増えていく。明日から3日~4日休ませるから、その間に」
「いいよ。馬車歌のあれな。数え歌か。ちょっと分かる範囲で書いてみるよ。何か手伝えるかも」
ベルはドルドレンに手伝うと申し出た。やり取りを聞いていて、ハルテッドは言わなかったが、イーアンと風呂場でうっかり合った時、彼女の左の肩に、黒い龍の絵があったのを思い出していた。
4人は少し話し合った後、昼食準備でやってきた料理担当たちによって、話を終わらせた。料理担当たちと話す兄弟は、普段どおりの、ちょっとふざけた感じで料理を説明していた。料理担当の騎士たちは驚いたり喜んだりで、早めに昼食の支度を始めた。
イーアンとドルドレンは後を任せて、厨房から出て工房へ。イーアンは腸の入った盥に水を入れて、午後にこれだけは作業してしまおうと思った。
「昼を食べ終わったら。俺も出来る仕事は済ませてしまう。今日は早めに休んで、明日の朝早く、龍で行こう」
「はい。ザッカリアにも言っておかないと。私も午後はちょっと動きます。急に取れた休みですから、伝える用のある人には伝えておきます」
すぐに昼食になり、とても美味しい馬車の料理を食べる。他の騎士たちが食べなれない料理に楽しんで、雑談が方々で弾むのを聞いた。
お読み頂き有難うございます。




