343. タンクラッドと食材市場へ
「では行って来ますね。お仕事頑張って」
「気分悪い。今日だったの忘れてた」
早朝に起きて、慌しく支度をしたイーアンに驚いて、ドルドレンは、昨日に続いて今日は何だと訊くと『今日?タンクラッドのところですよ』朝一番で聞きたくない名前が出てきた。
時間が早過ぎることや、何しに行くのか、何時に戻るのかを立て続けに質問したが、質問攻めでも愛妻(※未婚)は返事をしながら、ちゃくちゃくと準備を終えて、今や目の前で龍に跨って自分を見下ろしている。そして先の会話だ。
「気分悪いなんて言わないで。お祖父さんのおかげで金属の比率も分かりました。それも伝えないといけません。午後になるかもしれませんけれど、帰ったら挨拶に行きます。じゃあね。愛してますよ」
ぶすっとむくれた顔の伴侶に微笑みながら、イーアンは手を振って空へ旅立つ。『午後には帰る』と言うのだけは理解したドルドレン。
――・・・・・ってことは、朝も昼も、タンクラッドに食事作ってくるってことかと思うと、ムシャクシャする。
質問攻めで答えを咀嚼しなかったけれど、『市場』がどうとか言っていた気がする。まさか一緒に食品の買出しじゃないだろうな(当)。
うちの奥さんに何やらせてんだっ。くそっ! タンクラッドめ。いくら天然でも、今度会ったら説教しないと(←説教で済む)。う~イーアンもイーアンだ。早く家建てなきゃ今後どうなるやら。
毎度、同じことにイライラするドルドレン。食堂で一人食事を食べる姿を、ギアッチとザッカリアに見つけられた。
総長の仏頂面と一人朝食から、勘の良い先生は察しをつけたらしく、またここで『あなた。この前のお説教の意味を』と。呼んでもない先生が同じ机で食事を始めて、食べてる間はくどくど叱られた。
分かってるけど。先生みたいに達観できないよと、ドルドレンは項垂れながらの朝食時間を過ごす。横に座るザッカリアは、食事の速度が遅くなる総長の皿から、残っていた肉を取って(←最後に食べるつもりだった)食べていた。
イオライセオダに着いたイーアンは、タンクラッドの工房裏に降りた。6時に支部を出たので、半より少し前に到着。すぐにタンクラッドが扉を開けて笑顔で出迎えてくれる。
「おはよう」
「おはようございます。このまま行きますか?」
そうしようと頷いた職人は、上着をすでに着用済み。龍を返してから、二人は屋内を通過して表へ出る。市場は町の中心ではなく、馬車宿が集まる壁沿いで開いているから、とそこまで歩いた。
「最近だ。お前が龍でうちによく来るだろう?」
「はい。お困りの出来事が起こりましたか」
「そうでもない。お前がなぜ俺の家に来るのかで、お前と俺の仲が噂になっていてね」
「あらやだ。言われてみれば、そういう噂も立ちそうな」
「やだって言うな。良いじゃないか。別に。聞きに来る者もいる」
「あなたは何て仰ってるんですか」
職人は、見上げるイーアンに少し冗談っぽく笑って、片方の眉を吊り上げる。イーアンは嫌な予感がするので顔をしかめた。
「そんな顔するんじゃない。ちゃんと仕事だと伝えてある。お前の仕事は魔物尽くしだ。魔物の持込が頻繁なのは、騎士修道会絡みなら周知の事実で、その一言でそれ以上は疑わなくなる。お前もそういった上着を着て歩いているし、この前、一人で魔物も倒したし。説得力は充分だ」
「そうですか。それなら良いのですけれど。でも、じゃあ。私が今日、あなたと食材を購入しに行きますと、あまり・・・見た目に宜しくありませんね」
考え込むイーアンの背中を撫でて、職人はちょっと背を屈め、鳶色の瞳を覗く。
「騎士修道会は慈愛の会だ。民間を守り、保護し、必要なら施しもする。北西支部のイーアンは、孤独な剣職人に賄いを作ってくれるんだ。それで通じそうか?」
「まあ。あなたって人は。次々に上手いこと思いつきますね」
ちょっと呆れたように笑うイーアンに、タンクラッドも笑う。『あの手この手で、お前といる時間を守るのも大事な仕事だ』そう言ってイーアンの頭を撫でた。
こんな話をしているうちに、市場へ到着する。人が溢れかえっていて、活気が満ちていた。朝の静かな通りを抜けたところに、行商や近隣の農家がテントが並ぶので、突然、町が変わったように思える。
タンクラッドは自分と離れないようにと注意し、イーアンの背中に手を添え続ける。タンクラッドに導かれるまま、イーアンは人混みを縫って進む。通り過ぎるどのテントも、人が屯す。山積みの野菜や果実、入れ物に入った加工肉、笊に高く積まれた木の実やお菓子、変わったところで調理器具や衣服が見えた。
その内の一つのテントには人がとても多く、タンクラッドはそこへ、イーアンの手を握って連れて行く。『はぐれると危ない』しっかりと手を掴んで、テントの中へ入って行った。
大型のテントの中には、品定めしながら大量に購入する人が溢れている。案内された一角を見て、イーアンが嬉しそうな顔をした。
「こういうものか?お前が話していた、酸味の強い果物は」
見てすぐに分かる、ぎゅっと引き締まった小さな黄色い果実。ふんわりした毛が皮を覆い、カラタチそっくり。
イーアンはタンクラッドに笑顔で『多分そう』と頷いて、お店の人にこれは苦かったり酸っぱかったりするか、と質問した。お店の人はイーアンを見て『どこから来たの?知ってるの』と驚いていた。
「そうです。お姉さんは見たことない雰囲気だから、きっとこれが生えてる所から来たのかな。私もね、アイエラダハッドの北方から来た、果物売りの行商から山で買ったんだけど。最初は教わったとおりにしても大変でね。刃物は洗いにくいし、種だらけでしょう。食べる部分も少ないし」
「お酒に浸けませんか。お酢とか。皮を干して保存したりしませんか」
「そうなんですよ、それくらいしか使い道ないんですけど。でもね。アイエラダハッドの果物売りは、これが重宝らしくって。いつも時期になると持ってくるんですよね。やっぱり香りが好きな人がいるんだろうね。それで私も、イオライで売ってみようかなと思って持ってきたんだけど」
あっちの出身って顔でもないよねと、店の人はイーアンに笑った。イーアンも笑顔で『違います。でもこれと似たものは知ってるの』と答えた。
イーアンはこの『ティッティリャ』と呼ばれる小さな柑橘類を2kg、買っても良いかとタンクラッドに訊いた。
面白そうな目で見ていたタンクラッドはすぐに了解し、これを2kg購入する。お店の人は安くしてくれて、さらにオマケで、黄緑の小さなシマシマ果実を500gも付けてくれた。
「お姉さん。イオライセオダにいるの?また買いにおいでよ。うちはね、北の国の生り物が中心だから」
「この緑色のは、お肉に使いますか。焼き生地にも使いますか?」
そうそう、とお店の人は笑う。美味しく食べてと挨拶されて、イーアンはお礼を言ってテントを離れる。ホクホクしながら、果実の袋を抱え、袋の中を覗きこんでは嬉しそうしていた。そんなイーアンを、タンクラッドも微笑んで見つめる。
この後、タンクラッドは『最近よく食べるから』とイーアンを肉売りのテントに連れて行き、イーアンにも選ばせて肉をいくらか買った。
イーアンに選ばせたら、途中から、普段の塩漬け肉以外の売り場へ吸い寄せられるように行って、お店の人と話しながら『これを買いたい』とタンクラッドを見上げて『これ』を指差した。
「これか?こんなの料理できるのか」
驚くタンクラッド。ちょっと眉根を寄せてイーアンに確認する。お店の人も、背の高い男の反応に苦笑い。一言、イーアンの援護をしてくれる。『見た目はアレですけど、美味しいですよ。彼女は料理したことありそうだし』大丈夫、と。
「でも。でもな、イーアン。これ。舌だろう。牛か何かの。舌だよな?」
「はい」
はいって言うけど。タンクラッドは目の前にある、でろんとした、ぶっとい舌の塩漬けに目が釘付け。これを食わせる気かと思うと・・・とりあえず値段を聞いてみる(※優しい)。安かった。肉の6分の一くらいの金額だった。
「食べれる人も限られてますけれど、主流は南のものだし、調理できる人もねぇ。限られてるものなんで。だから安いっちゃ安いんです。彼女はこれ10本欲しいって言ってますけど。お兄さんはムリかな」
「う・・・・・ いや。10本か。そうか。うん、分かった。ではな、10本包んでくれ」
「良かったね、お姉さん。故郷の味なのかな。鮮度は良いからさ。美味しく食べてね。なかなかこれを10本買う人いないから、嬉しいから安くしてあげようね」
躊躇う職人の横で、喜ぶイーアン。お店のおじさんも喜んでいる。
イーアンは臓物を好んで食べていたので、本当は臓物は一杯ほしい。でも早く食べないといけないし、冷蔵庫もないし、保存が難しく、好き嫌いが分かれるから遠慮していた。舌ならきっと大丈夫、と思って是非タンクラッドに食べさせたかった。
この後、果物と塩漬け肉の袋はタンクラッドが持ち、舌の入った袋はイーアンが抱えた。
お酒がほしいと言うので、タンクラッドは酒も買ってやった。安くて強い酒が良いと言うので、希望通り、漬け込み用のろ過する前の濃度の高い酒を買った。これも強烈なアルコール臭で、イーアンは何てことなさそうな顔をして喜んでいた。
イーアンが欲しがったものの金額の合計は、実のところは、信じられないくらい安くついた。全部合わせて、1日分の食材費の半分くらいしか使っていない。それなのに、相当な量を買い込んだ気がした。
嵩張るし、総重量も重いので、とにかくこれで二人は家に戻った。
台所に荷物を下ろしてから、イーアンはせっせと分け始める。タンクラッドは手伝うことがあれば、と声をかけ、イーアンに『大きい容器を幾つか用意してほしい』と頼まれた。容器の形と大きさを訊いて、使っていない容器を渡した。
ここからは見てるだけ。イーアンは、最初に買ったティッティリャの実を、ナイフで二つに割って、器用に中身を刳り貫き、2つの容器に分けて入れて、一つには酒を注いだ。もう一つの容器には実を並べて、白くなるまで塩をまぶした。皮は袋に戻し、外でこれを乾かすという。
緑のシマシマは鍋に入れて火にかけ、煮込んでドロドロにしてしまった。それも熱いまま容器に入れる。
舌については。タンクラッドはこの作業はあまり見たくなかった。
イーアンは、塩漬けの舌の皮をばんばん剥いて、脂肪や筋をナイフで粗方取り除き、取ったものから水に浸していた。この作業だけで1時間かかっていた。水から引き上げて拭き、香辛料と別ニンニクをすり込んで、大きな容器にこれを並べて買ってきた酒を注ぎ、蓋をした。
「このまま10日ほど。寒い場所に置きましょう」
それまでに箱を作らなきゃと独り言を呟いて、洗い物をしていた。タンクラッドは10日間放置で良いのかと恐る恐る訊ねる。イーアンは笑顔で、自分が見に来ると伝えた。
「終わりか?今日、どれかを食べるのか」
作業が終了したと分かったタンクラッドは、イーアンを見つめる。気がつけば。時間は8時半を過ぎていて、二人とも朝食を食べていなかった。そうでしたとイーアンは頷いて、急いで朝食を作り始める。
千切りにした香味野菜とスライスした乳製品を用意して、肉の薄切りを強い火でささっと焼いて。平焼き生地を炙った。『今日は手抜きです』笑いながらイーアンはお茶を入れ、食卓へ運んだ。
「いつも美味そうだ。だが。これは」
見慣れない形の肉も、一緒に焼かれて皿にあるのを、タンクラッドはじっと見つめる。まさかこれは。
イーアンをちらっと見ると、ニコニコしながら彼女は平焼き生地を取った。そこに緑シマシマのジャムを乗せ、野菜と乳製品と、舌のスライスを置いてくるっと巻いて出来上がり・・・・・
『はいどうぞ』イーアンが手に持ったまま、タンクラッドの口にそれを差し出した。
覚悟を決めて、タンクラッドは口を開け、突っ込まれた生地をがぶっと齧った(※ちょっと自棄)。もぐもぐしながら、ぎゅーっと寄せていた眉が少しずつ戻っていく。イーアンは笑顔のまま変化を見ていた。
「意外と。美味しい」
「そうです。これはね。見た目が見た目なのですけれど。でも美味しいのです」
「何だ。歯ざわりも普通の肉と違うな。ザクザクしている気がする。硬いわけではないが、歯ごたえは良いんだな。味も思ったより、臭いや癖がない。あの、何だろう。お前が煮込んだ、果物の酸味と香りの良さが合うな」
タンクラッドは一度食べて気に入ると、そればかり食べる。美味しいと言いながら、平焼き生地に、焼いた舌の切り身を多めに乗せて、ジャムもたっぷり付けて、ムシャムシャ食べていた。
「後は?さっきのはどうなるのだ。舌を酒に浸けていただろう」
「あれは10日後に洗って加熱して。その後に燻します。そうすれば暫く食べられますよ」
ふうん、とタンクラッドは感心した。すぐ食べるつもりではなかったと知り、それはそれで楽しみになった(←牛タンお気に召した)。
普通の肉も良いけれど、これはとても美味しいと、タンクラッドはイーアンに微笑んだ。最初はびっくりしたし、まさかこれを食べさせるのかと悩んだ、と笑いながら胸中を打ち明けた。
朝食も美味しく食べ終わった頃。洗い物をして、イーアンとタンクラッドは工房へ移る。
タンクラッドは作っておいた、魔物の殻で出来たナイフと工具を机に並べ、製作状況の説明を簡単にしてくれた。
「これを渡したら。暫くまたお前と会えないな」
製作品を革に包み、タンクラッドは寂しそうに呟いた。イーアンはちょっと微笑んで、『そうかもしれないですが』とお楽しみの話を出す。
「お土産があるのです。お伝えすると、私よりもそちらに夢中になりますよ」
ニコッと笑ったイーアンに、剣職人は何のことかと探るような焦げ茶色の瞳を向け、続きを待った。
 




