339. 東の町マブスパール
龍は飛ぶ。王都で食事でもとドルドレンは最初に言ったが、二人ともそれをすっかり忘れていた。それよりも、フェイドリッドに直談判したことを頭の中で反芻していた。
途中、ドルドレンが食事のことを思い出す。
「あ。イーアン、忘れていた。何か食べようか」
「いいですよ、私も忘れていましたもの。支部に帰りましょう」
でもな、とドルドレンは思う。路銀ももらったし、食事はしても良いような。それをイーアンに伝えると、イーアンはいつもの優しい微笑で振り向いて『ではちょっと違う場所へ』と頷いた。
「イーアン。北西と逆方向へ飛べるか。王都を越えて東へ」
ニコッと笑ったイーアンは、ミンティンに東へ飛んでもらう。『具体的な場所はありますか』どこか分かればと訊ねると、東の町で一番王都側にある『マブスパール』へ行くと言う。
「ちょっと驚くかもしれない。遠いが、ここからならミンティンで30分くらいか」
マブスパールの先には東の支部があるという。東の支部は遠いので、馬で行く時は年3度程度。マブスパールは王都に近いが影響はほとんどなくて、完全に独立した町だとか。
「その言い方ですと。楽しみがありそう」
「あるよ」
ドルドレンは微笑んで、後ろから腕を伸ばしてイーアンの顔を撫でる。『イーアンが嫌なことを忘れるには良い』意味深な言葉を言う伴侶に、イーアンは嬉しくなった。
それから二人は龍の背で、何が食べたいとか、春服がどうとか、気楽な話題を続けた。話しているとあっという間に前方に町が見えてきて、イーアンは指差してドルドレンに教えた。
「あれでしょうか」
「そうだ。上から見るのは初めてだが、あれだ」
大きさはイオライセオダくらいで、それほど大きな町ではない。ただ、見た目がちょっと。丸いものが町の壁の中に幾つもある。近づいてそれらが建物だと分かり、驚いたイーアン。もっと近づくと、丸いものの間に色とりどりの捻った三角錐や、テントみたいなものがたくさんあるの見えた。
イーアンはそれらを知りたがったが、ドルドレンはニコニコしながら『着いてからな』と教えてくれなかった。
ミンティンを町の外に降ろしてから、ドルドレンとイーアンは壁に沿って入り口まで歩く。壁もまるで遊んでいるような煉瓦の並べ方で、手前に波打つような視覚効果でも狙った気がする積み方だった。
「こっちから見てご覧」
ドルドレンがイーアンの背中をちょっと壁際に押して、今歩いてきた方の壁を見せる。『あ』イーアンは目を丸くする。立体の絵が見える。大きなネズミが自分の方を見ているみたいだった。
嬉しくなって笑顔で伴侶に振り向くと、伴侶も笑顔で頷く。『中はもっと面白い』そう言うと、ドルドレンはイーアンに腕を組まれて、早く早くと引っ張られた。
壁の入り口も、色がたくさん塗られた彫刻が飾られていた。入って気がついたのは、大きなおもちゃの家のようだということ。通りも黄色いし、動物や御伽噺の生き物の彫刻が、そこかしこに飾られている。いたる壁に絵が描かれていて、模様もあれば、紋章みたいなものもある。
上から見た丸いのは全てドーム型の建物で、色とりどりの三角錐やテントも家屋と分かった。庭木ではない木々まで形が可愛らしく、丸く刈り込まれていたり、大きな生き物のように剪定されていた。
行きかう人々はどこかウィブエアハを思い出す、雑多な人種の印象で、でも。もっと奔放のようにも見える。
ドルドレンは、好奇心旺盛ではしゃぐイーアンに笑いながら、暫く通りを歩いて一軒の店に入った。お店の中は明るくて、よく見ると丸い天井は薄い白い壁で、光を通すようだった。
黄緑色や水色の不定形な食卓があり、椅子も真っ赤や黄色で塗られている。床は焦げ茶色の木なのに、壁は真っ白だし、花の飾り方も動きがあって壁の横一列を取り巻くふうに並んでいた。
ドルドレンがカウンターで注文して代金を支払い、二人は食卓に着く。
「ここはとても可愛いです。それにとても素敵」
「イーアンが好きそうだと思った。この町は、馬車の連中が降りて作った町だ」
イーアンは驚く。動いている生活の人たちが、降りて・・・作った町。定住用の町。そうなの?と訊ねると、伴侶は灰色の瞳を輝かせる。『ハイルもベルも、ここが好きだ』俺も好きだったと答えた。
「それで。何だか馬車の色に似ていると思いました。遊び心があって、美しいだけではなくて、変幻自在のような」
くるくるした黒い螺旋の髪を揺らしながら、喜ぶイーアンは店内を見回し、窓の外を見てと忙しく観察する。
「馬車で生きてきた連中が、地に足つけて生活なんて大変だった。最初はここで降りたわけではなくて、別の所にいたのだが、町を作るのに都合が良いとなったのがこの場所だった。
もっと東へ行くと、穀物の畑や水田がたくさんある。東地域一帯の、川魚や貿易の海産物が多い町から、王都へ売りに来るだろう? 途中にマブスパールがあると、ここにも穀物や海産物を売ってから、王都へ行くわけだ。それで、王都からの帰りにまたここで、王都でそろえた品物を売って、東へ帰る行商がいる。そうすると、ここが通過地点で、自分たちが買いに行かなくても、あっちこっちの食べ物が食べれるわけだ。馬車の時と同じように。
でも問題もあった。穀物の馬車が何台も来るから、東の町はここへネズミまで連れてきてしまった。馬車が通った後に、穀物が落ちる。それをネズミが食べてついてくる。辿り着いたら、この町だ。ネズミも幾らでも隠れる場所がある。そこかしこ、こんな遊びみたいな作りだから、どこでも家族が増える。
で、町に付けた名前が『ネズミの道』だ。馬車の連中は、ネズミの大きい種類は食べるんだ。イーアンも食べたが、彼らにとって全てのネズミが迷惑ではない。もらうものはもらって、与えるものは与える。全部が冗談で、全部が楽しいんだ」
ドルドレンの教えてくれた町の話はとても素敵で、イーアンは聞きながらずっと笑顔だった。何て素敵な場所なんだろうと感動する。ハルテッドやベルが、東の町を守りたいと言った理由も、ここを見たら分かる気がした。
「料理がきたぞ」
ドルドレンは料理を分けて、イーアンに手で食べるものと、匙を使うものを教える。馬車の家族が食べていたものや、ベルが作ってくれた肉の料理があった。
「ドルドレン。すごいわ。とても嬉しい。何て美味しいのかしら」
「イーアンが笑っているのを見ているのが、俺の幸せだ。美味しいな」
「私。ここの料理と同じ物は作れないかもしれないけれど。でも食材を買えないかしら。私も馬車の家族だもの」
イーアンが嬉しそうに、手で蒸し焼きの肉を割いて食べ、独特な調味料や食材を欲しがる。それを聞いて、ドルドレンもとても心が温かくなった。灰色の宝石で愛する人を見つめ、『そうだ。イーアンも家族だ』と頷いた。
「だから。誰も私のことをジロジロ見なかったのね。とても気持ちが楽でした」
「派手なのは歓迎なんだ、ここは。イーアンはいつも歓迎だろう」
ハハハと二人は笑う。じゃあ、暖かい時期も派手じゃないと、とイーアンは困りながら笑う。ドルドレンとイーアンは、早めだけれど楽しい昼食を過ごし、昼前に店を出た。
「この町がとても好きです。これからも来たいです」
「そうしよう。イーアンなら好きになると分かっていた。だから連れてきた。元気になったか」
「はい。有難う、ドルドレン」
ドルドレンの袖を引っ張って顔を寄せてもらい、イーアンは伴侶の頬にちゅーっとキスをした。少し照れるドルドレンは、ちゃんとお返しにイーアンの頬にもちゅーっとキスをする。
ニコニコしながら通りを歩き、二人は食材屋に立ち寄って、ドルドレンが教えてくれた食材を購入した。他にも、ハルテッドが作ってくれた飴や、馬車の人たちが好んで食べるお菓子を少し買って食べた。
賑やかな往来の道を歩く中。ふと、並ぶテントの中にいる一人と、目が合ったイーアン。テントは影になっていて、ちゃんと顔が分からない。ドルドレンは次はどこに行こうかと見回していて、気が付いていない。
イーアンは歩く足が少し遅くなり、自分をじっと見ているテント奥の人が気になった。陰にいる上、白い布を全身に緩く巻いていて、目元だけを出したその布では顔がはっきり見えない。でも背の高い人というのは分かった。
そのテントは売り場らしく、通り側に布のかかった大きな机があり、その上に金属の道具がたくさん並んでいた。
その白い服の人は、目が合ったままのイーアンから決して目を反らさず、少しだけ暗がりから出てきて手招きした。
「え」
イーアンは手招きされて、思わず声を漏らす。立ち止まったので、ドルドレンも気が付いて振り返った。白い服の人が一瞬動いた。
ドルドレンは『あっ』と一声、叫んだ。『まさか』言いかけて、ドルドレンはイーアンを抱え込む。びっくりしたイーアンは伴侶を見上げて『何?』と訊いたが『離れるんだ』急ぐ返事に答えはない。
ドルドレンがイーアンを抱え、大急ぎで人混みを縫って走り出すと、白い服の人がテントから出てきた。
「ドルドレン、あの人はあなたを」
「だからまずいのだ」
何で?とイーアンが伴侶に聞いた途端、ドルドレンは急に立ち止まった。人混みの上を白い影が跳んで、二人の真ん前に降りた。
「ああっ」
ドルドレンの顔が悔しそうに歪んだ。イーアンを抱く力が強くなる。驚くイーアンが伴侶と、白い服の人を交互に見ると、白い服の人の目元が笑うのが分かった。その目。その色。イーアンは急いで伴侶の瞳を見つめた。伴侶も眉を寄せたまま愛妻を見る。
白い服の人は高い鼻にかかった布に指をかけて、すっと下げて笑った。頭を巻いていた布が首元に下がり、頭と顔を見せる。
「何で逃げるんだ。ドルドレン」
茶色く日焼けした肌、銀色に光る瞳を可笑しそうに細めた銀髪の男。目元にも口元にもシワが寄るものの、全く老いている雰囲気はなく、整った顔が浮かべる笑みは。『お父さんそっくり』イーアンが呟く。
「あんただと分かったから逃げたんだ」
ドルドレンは苦虫を噛み潰した顔を、さらに歪めて口惜しそうに舌打ちした。イーアンはもう分かっていた。この人は伴侶のお祖父ちゃんだと。彼はニヤッと笑い、不安そうなイーアンを見つめる。
「エンディミオンだ。お姉さん」
イーアンは溜め息をついた。パパと出会った時が脳裏に蘇った。




