333. 人付き合いの仕方
時刻は4時前で夕方入りかけ。今日は早めに戻ってきたイーアン。
工房に入って荷物袋を下ろし、暖炉に火を入れる。久しぶりに暖炉に火が燃えているのを見た気がする。
ドルドレンは執務室かと思って、戻ってきた挨拶をしようかと少し考えたが、どうせもうすぐ業務も終わる頃だろうからと、イーアンはそのまま工房の掃除をすることにした。羽毛や皮の切れ端がちょこちょこ落ちていたので、箒ではいて塵取にとって窓から表に出した。
それを何度か繰り返していると、窓の向こうから声をかけられる。振り向くと、ロゼールが窓辺に立って笑っていた。
「今日。早かったですね」
「ロゼール。あなたはもう、今日から料理担当じゃないのね。良かった、昨日までいてもらえて」
ロゼールは窓越しにイーアンを見て『ちょっとお邪魔して良いですか』と言う。どうぞと答えると、窓枠に手も付かずに飛び越えた。惚れ惚れする曲芸師。
「イーアンにね。俺、ちゃんとお礼を言いたかったんです。今日の昼」
嬉しそうに話してくれた内容は、昼になって総長の弁当と自分のを焼き釜に入れていたら、厨房に総長が来て『堂々と食べて宜しい』と一言伝えて、出て行ったという。薮蛇になるのもイヤだったから、追いかけて聞いたら『お前もイーアンに作ってもらったんだろう』と言われたそうで。
「イーアンが朝、それを総長に伝えたと聞きました。総長は自分も反省したとかで、顔はむすっとしていましたが、許可してくれたんです。だから、俺は料理担当の皆と弁当を分けて食べました。
皆、凄く喜んでいましたよ。分け合うと、あれも美味しかった・これも美味しかったで、イーアン絶賛開催中でした」
凄く美味しかった、あんなに美味しいなら、食材費を捻出してブゾーやキノコをもっと購入しても良いと思うと、ふわふわしたオレンジ色の髪の毛を揺らして笑顔で頷いていた。
イーアン絶賛開催中・・・・・ 本人がそこにいないのに、絶賛開催とは。食事は素晴らしい仲間意識を生むものだと、イーアンはその効果に感謝して、ロゼールに自分も嬉しいと伝えた。
「それでね。イーアンが時々厨房で料理を作ってくれるかも、って総長が話してたので。俺は昨日まででしたが、担当の引継ぎの時、イーアンの注文をお願いしました。多分、明日辺りに入ってきますよ」
「そんなに早いの。買出しなんでしょう?」
「買出しなんですけど、近くの店と行商がいるんで。行商は量は少ないけど、結構各地のもの持ってますから、イーアンの欲しい物は買えると思います。いつもの食材は近くの村の店ですから、そっちはそこそこ量が来ます」
「あら。そうでしたか。じゃ、ドルドレンにお金をもらっておきます」
「買ってからで良いですよ。それにどれだけ総長用になるか分からないから」
この言い方からすると、ロゼールは『自分たちの分も』と言いたそうな気がした。イーアンも頷いて『そうしましょう』と答えた。
ロゼールは、イーアンのいた地域はブゾーをよく使う料理が多そうだから、豊かな地域だったのかなと訊いたが、それについてはイーアンは『しょっちゅう使っていたわけではない』とだけ伝えた。
実際に、日本でチーズが安いかと言うとそうでもなかったし、選べば、店舗ブランドの安め&大量チーズが買えるくらいで、自分用に輸入チーズを常備していたなんて贅沢を、イーアンはしなかった。この世界は大量生産がないから、どれも手作りで、安く出回る食材とそうではない食材がはっきり分かれている。
イーアンもチーズを作ったことはあるが、自宅で家畜を飼育していないと、乳が足りな過ぎて、とても作れやしないと諦めた。乳からチーズになるのは、ほぼ10分の1。固くするのを待つともっと小さくなる。これは購入、と決めた食材の一つだった。
「イーアン。あの。今週からブローガンが入っていますから、ブローガンに手伝ってもらってまた、料理して下さい。話しておきました」
用意周到なロゼールに、イーアンは少し笑ってお礼を伝え、出来るだけまた早く食事を作ると約束した。ロゼールはそばかすのある顔で朗らかに笑って、楽しみにしてますと帰って行った。
ロゼールと話し終わったと引き換えに、扉をノックされて向こうから『ドルドレンだ』と聞こえた。イーアンはすぐに扉を開けて、抱き締めてただいまの挨拶をした。
「すぐ来なかったから。工房に居たのか。その・・・ん。その上着は、イーアンのじゃないな」
荷袋から出してかけたピンク玉虫色クロークを見つけて、ドルドレンが眉を寄せる。自分が着せられるのかと不安が過ぎった様子なので、イーアンはこれはタンクラッドに使わせたと話した(←何でも話す)。
「ぬぅ。タンクラッドが着たのか。それをもしや、俺にお下がりで着させると言う気では」
「折角作ったし、同じような体格の人が使えるほうが、良いからと思うのですが。もう山脈も行かないでしょうしね。でもお嫌なら、分解して別の何かにします。無理は言いません」
眉間にシワを寄せる伴侶に、イーアンは自分はそのつもりで作っていると説明した。あそこは寒かったし、これが必要であったこともちゃんと話す。
ドルドレンは仏頂面だが、タンクラッドが着用するためだけに存在したような、そんな分解をされるのも気に入らなかった。暫く悩んで『ちょっと考える』だから待ってて、と答えた。
「明日はどうするの。また行くのか」
明日からは、また日数が開くことをイーアンは伝える。
ダビを迎えに行くが、タンクラッドの工房へは3日後で、工具の受け取りがあるからその日は朝から行くこと。牙は金属だったから、タンクラッドはその後、冠を作り始めること。それから請負の仕事があるから、行く日が減ると話すと。
「請負の間は、行かなくていいんじゃないの」
と言われた。約束したから3日置きに行くとイーアンが言うと、伴侶はぶーぶー文句を言っていた。『うちの奥さん何だと思ってるんだ』とか『天然だからって』とか文句が止まらないので、イーアンは話を変えた。
ロゼールに聞いた話をして、自分の給料で食材を買いたいと伝える。ドルドレンはちょっと気が紛れたようで、お昼が大変美味しかったと感想を言い、自分がロゼールにも許可したことを少し自慢げに話した。
「ドルドレンはとても良い上司です。とても思いやり深くて、温かな素敵な総長です」
微笑むイーアンにちゅーっとされて誉めれられ、ドルドレンはすっかり機嫌が直った(※単純)。二人は工房を出て、寝室へ着替えを取りに行き、イーアンはお風呂。ドルドレンは番。出てきて交代して、ザッカリアが側にいないので、ドルドレンは一人で風呂に入って、それから食堂へ行った。
二人の姿を見つけたブローガンが来て『ロゼールに話を聞いていますから』と嬉しそうに、イーアンと総長を見た。総長はとりあえず何も言わないで黙っていたが、許可は出たと確信した。
「明日。食材買うんですよ。だからもし明日留守でしたら、夕方でも良いから見に来てください」
「ありがとうございます。明日は朝はいませんが、午前中に戻って工房にいます。声をかけて頂けたらすぐ行きます」
楽しみ楽しみと、イーアンもブローガンも話している。ドルドレンは、自分だけの特別感が減るのを否めないものの、これも大事な総長の勤めであろうと意識を高めた。
この後、夕食を済ませて二人は寝室へ戻る。寝室で酒を飲みたいとドルドレンが言うので、お酒付き。
「そうだ。言い忘れていたが。ショーリが来る」
「あら。本当に。早いですね」
「ショーリはせっかちだから。それに威圧が凄いだろう、あいつは。隊長に異動を迫ったようで、許可を得た」
「本部とか。そうした所ともやり取りするでしょう。それでもこんなに早いのですか。あれから何日?」
ええっとね、とドルドレンは指折り数える。『1週間か。もうちょっと経つな』言われてみれば早いとドルドレンも頷いた。でも本部もよく分かっていないから、人数があれば異動はすぐとイーアンに教えた。
「誰の隊ですか。ドルドレンじゃないでしょう?」
「クローハルが騎士が足りないから。ショーリはクローハルのところだな」
後1人呼ぶけれど、とドルドレンは言う。クローハル隊は少ないから、もう一人必要らしかった。『そのうち、ベルとハイルも東へ行く』その時は遠くないから、入れ替わりが起こる話だった。
「そうでしたね。彼らも東へ戻るのですね。寂しいです」
「イーアンは仲良くなったからな。あいつらも寂しいだろうな」
酒をぐっと飲んだドルドレンに、イーアンはお酒を注ぐ。何かベルとハルテッドに、してあげられないかなと考える。ショーリが来るならショーリにも何か。
「また何かしようかとか。思ってるだろう」
「思っています。あなたはよく私を分かって下さるので嬉しいです」
そうかもしれないけど、そういう意味じゃないの、とドルドレンの目が据わる。
『そんなね。何でもかんでもお祝いしなくていいんだよ。記念も要らないし』よくあることなんだから・・・ドルドレンはイーアンにもお酒を入れた。
「でも。私がそうしたいのですね。あちらが望んでいないと押し付けになるけれど。ささやかで良いから」
「イーアンはやっぱりそういう部分が女性だな」
「女です」
しまったとドルドレンは焦る。ちょっと怒ってるイーアンを見て、慌てて『違う違う』と言い足す。この手の言い方は危険だとうっかり忘れていた。
「普通の会話の流れだ。だから。男だとそうした感覚がないから。ほら、女の人は何かこう、細かいことをしたがるだろう。そういうつもりで言った」
イーアンが少しふてくされているので、ドルドレンは急いでイーアンを引っ張って膝に乗せ、抱き締めて『イーアンはとても綺麗で、とても可愛いから怒ってはいけない』とすりすりした。頬ずりされてイーアンも頷く(※これも単純)。
「はい。分かりました。では、その女性らしい部分でちょっと動きますので。良いですね」
ちらっと鳶色の瞳に見られて、ドルドレンは了解するしかなかった。別にそれほど反対ではないけれど、いつも誰か他の人間に気を遣うので、それを少し抑えたかっただけなのだ。
「何するの」
「ショーリはいつ来るのです」
「明日」
「明日?」
あらやだ、とイーアンは驚いて、伴侶の膝を下りて時間を見た。『急がないといけないですよ』寝巻きになる前だったので、イーアンはチュニックに着替えてそそくさと用意する。
「どこ行くの。イーアンはもう眠るだろう」
「厨房です。何か作っておかなきゃ」
せっかく来るんだものとか何とか慌てながら、イーアンはあっという間に部屋を出て行ってしまった。
一人で酒を飲んでもつまらない、残されたドルドレンは。暫く考えてから、仕方なし、自分も厨房でイーアンを見ていることにして、酒を持って部屋を出た。
厨房で、せっせとイーアンが何かを作っている。ドルドレンは食堂のカウンターに肘を着いて、酒を飲みながら彼女を見つめる。
きっと家を建てても、こんな感じで騎士の異動があると、何かしたがるんだろうなと。異動のたびにこれかとも思うが。それ以外でも何かしらしたがる気がする。
これがイーアンなんだな・・・ドルドレンはちょっと笑って、粉を付けたイーアンを見て酒を飲んだ。
ブローガンが側で手伝っていたので、イーアンはちゃかちゃか動きながらも、作業の効率は良さそうだった。
何かを炒めてそれを混ぜて、生地を作って焼いて、焼いたらすぐ出して中に何か入れて、また焼いていた。
待っていると、15分くらいで良い香りが漂ってきた。ドルドレンは灰色の瞳で、楽しみな気持ちを愛妻(※未婚)に伝える。こちらを見たイーアンはニコッと笑って『味見しましょうね』と頷いた。
この後、焼き上がって少し待ってから、イーアンは切り分けた。3つの焼きものを作っていて、一つをボジェナに持っていくと話した。もう一つはショーリ。もう一つは味見しましょう、と。
味見には大きすぎるものだったので、残りはまた明日とイーアンは取り置いた。
ブローガンとイーアンとドルドレンは、焼き立ての料理を味わった。イーアンは平たい小さな豆と荒く刻んだ塩漬け肉を炒めて、粉と牛乳と卵でまとめた中身をキッシュにしていた。
深い型のキッシュで、丈が10cmある。タルトの生地はザクザクして、しっかり焼けて、中身の濃厚な強い味は、まさしくショーリに良さそうな美味しいものだった。
ブローガンは、これをもっと食べたいから、材料もこれなら安いし明日も作って、と話していた。ドルドレンもとても美味しいと思った。イーアンが嬉しそうなので、そうしてやってくれと総長も微笑んだ。




