329. 白い山脈~2日目後半・アオファ
「あれが。あれがアオファか」
「だと思います。ザッカリアが話していた姿と似ています」
ミンティンはそーっと下に行く。穴はそこで終わっており、アオファの体には、ミンティンが壊し落とした礫や岩がどっさり乗っている。が。アオファは全く起きる気配がない。呼吸をしているようでゆっくりと動いているのは分かる。
「信じられない大きさだ」
「どうやって出るつもりなんでしょうね」
穴はまるで、ホールのようになっている。イーアンの想像するに、この場所の断面図は、丸いフラスコみたいな形に思えた。細い口が伸びていて、つながる膨らんだ場所にアオファが入っている。アオファの大きさはミンティンの何百倍もあるようで、暗いのもあって全体は見えない。
何百倍?倍率に疎いイーアンは、ちょっと考えた(←数字に弱い)。簡単に言うと。330mlの缶ビールと、樽ビール・・・ホグスヘッド1つくらい。この差だ(※洋酒の工場によく通っていた人)。何百倍で済むかどうか、それは考えないことにした。印象である。
ミンティンは静かに、アオファの頭の一つに向かって降りる。ドキドキする二人は、声を立てないように気をつけて近づいた大きな頭を見つめた。
ミンティンの頭でさえ、部屋一つ分くらいの大きさがあると言うのに、この龍の額は、ミンティン4~5頭乗っても充分な広さがある。
瞼を閉じる目をイーアンはじっと見た。その目はどんな色だろうと思う。これほど巨大なのに、なぜか怖さを感じない自分がいる。ミンティンはイーアンの気持ちを察したのか、つるる~っと大きな瞼の側に寄った。
そーっとそーっと、イーアンは腕を伸ばして、アオファの瞼を撫でた。タンクラッドは魂消て目を丸くし、頼むから起こすなと祈る。
「待っていてね。迎えに来ますからね」
小さな声で、眠るアオファに囁くイーアン。深い青が紫色の鱗にマーブル模様を飾る、美しい体を見て、イーアンはアオファの瞼をもう一度撫でてから、腕を戻した。肝の冷えたタンクラッドは、巨大な龍が起きなかったことに心から感謝した。
ミンティンは用が済んだとばかり、すぐに浮上して穴の上まで飛び、それから、ちゃんとタンクラッドの採石した居場所まで戻った。二人は暫くの間、何も会話をせずにいた。
「イーアン。アオファは」
「ミンティンは教えたかったのですね。私たちに」
白い鉱石をタンクラッドが切り出している間。二人は、アオファを見た衝撃を、ぽつりぽつりと口にし始める。何て体験だろう、とタンクラッドは驚き過ぎて言葉に表せなかった。
イーアンもまた、感動や感激が心を鷲づかみにしていたのと、運命の壮大さに言葉が消えてしまっていた。
「タンクラッド。私は思うのです。冠のことなのですが」
「言ってみてくれ。聞きたい」
「はい。試しもせずに言うのもと思っていたのです。でも試してもらいたいことがあります。ミンティンの歯を、炉で焼いてみてほしいのです」
「龍の歯を?まさか」
「そうです。もしかすると、ミンティンの体の一部も、金属になるかもしれません。有難いことに、私はこの仔の歯を後5本持っています。それを焼いてみて確認できたらって」
タンクラッドはイーアンを見つめながら、採石した白い石を袋に入れて頷く。『やってみよう』承諾して、とりあえず今日は午後もここで採石して帰ろうと伝える。イーアンもそれを了解して、二人は昼過ぎまで採石を続けた。
休憩時間にして、岩棚に戻ると、二人を降ろしたミンティンは丸くなって眠った。イーアンはミンティンの顔に頬ずりしてキスをして、お礼を言った。ミンティンは無反応で眠る。
「お昼にしましょう」
イーアンは微笑んで、昨日と同様に容器を出してから、雪を両手に持って融かして崩し、容器に入れる。そこに骨の粉をかけてすぐに、蓋をしたままの弁当の容器を重ねた。
「おいで」
タンクラッドがクロークを広げて左に入るように示す。ちょっと笑って、イーアンは素直にその場所へ寄って座った。クロークに入れてもらって、職人を見上げると、焦げ茶色の瞳が優しい光を向けていた。
「手を出せ」
イーアンが片手を出すと『両手だ』と言われ、両手を差し出す。タンクラッドは大きな手でイーアンの両手を包んだ。『雪が冷たかったな』昨日は気がつかなかったと謝った。
「大したことでは」
「いや。お前は寒がりだから」
朝の話を思い出してくれているのか、タンクラッドは両手でイーアンの手を包んで温めていた。ちょっと恥ずかしいイーアンは、断りにくい状況に困る。タンクラッドは自然体なので、とりあえず気にしないことにした。
アオファの印象が強烈で、どうにも口数が少ない二人。静かな時間が5分ほど過ぎて、お弁当が温まった頃。
イーアンはタンクラッドの親切にお礼を言って手を引っこ抜いて(※がっつり掴まれていた)、突き匙とお手拭を渡してから、お弁当の蓋を開けて、蓋をお皿代わりにして料理をよそった。
嬉しそうな表情の剣職人は、手渡される食事とイーアンを見つめて『有難う』と微笑んだ。甘い微笑にクラつくが、イーアンも微笑み返して料理を食べる。
「イーアン。どうしてお前はこんなに、俺を喜ばせるのだろう」
「美味しいと仰ってるのですね」
「そうだ。それ以上の言葉も含んでいるが、それは言えない。言うと怒られる」
「怒っていません。でも有難う」
笑うイーアンは、お弁当でこんなに喜んでもらえて幸せ、と職人に伝えた。お弁当のゆで玉子だけは、タンクラッドは説明されてもピンと来なかったようなので。イーアンは玉子を割って、ロゼールの時のようにペーストを付けた匙で玉子を掬った。
「はい」
差し出された匙を見つめてから、タンクラッドはイーアンを見る。『どうぞ』と言われて、口を開けると匙を入れるイーアン。大人なのでそこまで緊張もないし、興奮することもないが。でもちょっと嬉しかったタンクラッド。すぐに口の中に広がる、炒った木の実の香りとキノコの深い味わいに楽しくなった。
「こんな玉子の食べ方があるのか。美味しいな」
揚げた肉も香味野菜の焼き物も美味しいが、と職人は喜ぶ。少し温まった料理が、香りをふんわり漂わせて味わいを増す。『イーアン。俺は本当に幸せだ』素の気持ちを伝え、タンクラッドはニコッと笑った。
ちょびっとドキッとするけれど。イーアンもニッコリ笑う。『そんなに喜ばれたら、しょっちゅう作ります』タンクラッドが太るかも、と笑った。
「願ってもない。作ってくれ。太っても構わない」
イーアンは笑う。太ったタンクラッドの想像がつかない。タンクラッドも笑っていた。
「お前は怒っていないと言うが。睨まれたら怒られたと思う」
「睨んでいません。そう見えるような目つきでしょうか。私は確かに顔が」
「顔ではないぞ、そんな言い方するな。俺はお前の顔は綺麗だと言ったはずだ。お前は確かに睨んでる」
「 ・・・・・私。目つきが悪いのかも」
「違う。お前は優しい。でも俺がお前を好きだというと、必ず俺を睨む。俺に発言の自由がない」
リベラル重視のイーアンには厳しい一言。だって。ダメではないの、と思う。好きって言われたら、そりゃ嬉しいけど・・・でもダメです、と。どう言や良いのよ。だからちょっと視線で止めてるだけ。
「イーアン。俺はお前が好きなんだ。分かるな」
黙るイーアン。分かりますが種類に寄る、と言葉に出さずに心で呟く。タンクラッドは直結型なので、遠慮も何も想定外。直結型だけど、言い回しが分かりにくい。誤解も生じる。それも分かる。
「な。だから。それを言うと、お前は『言うな』と目で訴えるだろう?だけど辛いぞ。お前が好きなのに、ちゃんとそれを伝えられないんだ。お前が好きなんだ。お前の料理も好きだし、お前の賢さも好きだ。もちろんそれは、お前を女として見ている。人間として好きなのもあるが」
「タンクラッド」
「発言の自由がない」
ぐぬうぅっ。イーアンは唸る。
発言くらいは誰でも自由にせねば。人として狭量が問われかねない。騙し騙し続けていた理解を総崩れにするから苦しいけれど(※一応その可能性も理解はある)これは一般市民の言葉を聞くと思って(※どんなえらい立場)耐えようと覚悟。
「俺はな。お前がとても好きなんだ。総長の伴侶と知っていても。それでも好きなんだ。それをいつ言えるのかと思っていた。お前に俺を好きになれとは言えない。でも、俺は。俺はお前が本当に好きなんだ。お前を守るなら、死んでも良いほどだ」
「そう。極端なことを言ってはいけません。死んでも良いなんて。決して言わないで下さい」
最後の一言は聞くに堪えないイーアン。あってはならない言葉である。過去、実際に知人の相手で死んだ人を見ている。思いが募るとどんなに危険か。
「タンクラッド。あなたの命は生きるためにあります。誰のためでもない、あなたのためです。とても大きな言葉をもらいましたが、以後決して言ってはなりません。想いは受け取りました。それでね」
イーアンは覚悟の末に少し笑った。剣職人の肩に手を置いて、焦げ茶色の瞳で自分を見つめる男に、静かに語りかける。
「私が。あなたを守りましょう。あなたの食事の喜び。あなたの剣への情熱。あなたの冒険心。あなたの少年のような純粋な精神への抱擁。あなたの。・・・・・あなたを。一生、私の命が尽きるまで」
限られた時間しか出来ないけれど、どうぞ呼んで下さい。
イーアンは微笑む。気持ちを全部受け入れた上で、有難く感謝しながら、自分に出来る全てを全力で行うと約束する。タンクラッドの焦げ茶色の瞳にすーっと涙が浮かぶ。
ゆっくり抱き寄せて、イーアンを撫でる。
「お前は。お前は何て優しいんだ。俺はお前に何が出来るのだろう。総長のようにお前を満たせない自分が苦しい。でも」
「身に余る光栄です。有難うタンクラッド。そんなに思って頂いて。私は果報者です」
タンクラッドの静かな涙の時間に、イーアンは寄り添う。ぎゅっと抱き締めはしないけれど、抱き寄せられている隙間を保ったまま。そっと亜麻色の髪の毛を撫でる。いつも自分が撫でてもらうように、優しく思いやりをこめて撫でる。
「私はこの年ですから。守ると言ったって、後何年か高が知れていますけれど」
ちょっと笑うイーアンを、タンクラッドの涙に濡れた睫が上がって見つめる。イケメンは泣いてはいけない、とイーアンは困る。タンクラッドはじっと焦げ茶の瞳で、大好きな女を見つめ、ゆっくりとその背中を抱き寄せて、抱き締めて、ぴったりとくっ付いて、温度を顔につけて人心地ついた。
「今だけだ。本当に、今だけだ。これ以上がないから、許してくれ」
断りにくーい言葉を添えられて、ちょっとだけ体を離しつつ、イーアンは我慢。ドルドレンごめんねと謝罪しつつ、多分これで終わりますからと思う。
イーアンは自分が綺麗だと思ったことは、ほぼなかった。何かの要素で(化粧・服装・雰囲気等)合わさって綺麗だと思えたことはあっても、標準の日本人の『綺麗可愛い』基準には入っていないくらいの認識はちゃんとある。現に、以前の世界では、付き合う相手にいつでも浮気されていたし、その浮気相手は大体日本人の言う『可愛い』顔で体形だった。自分が間に合わせ程度だと自覚はあった。
無論。世界基準でもナシ。だからこそ、ここで誉められてもちっともピンと来ない自分がいる。
ただ、何となく分かったのは。元の世界で、民族的な風貌の人物のアイデンティティを認める、パ○コレとかのファッションショーと、何だかこの世界は近いのかなと感じる。好き好きは分かれるから、全員ではないにしても、そうした感覚で、自分が受け入れられたり、差別をされたりしているのかもと思っている。
タンクラッドもそうだし、ドルドレンも勿論だし。民宿のおばさんも、ツィーレインの服屋の奥さんも。クローハルももしかすると、そうした感性で自分を見てくれてるような気がする(多分パパも)。
こんな理由で、イーアンはどんなに誉めてくれる人がいても、刷り込まれている自覚を越えることは難しく、ひたすら有難いと思うのみだった。
「タンクラッド。あなたの想いに感謝します。私などに、本当に勿体ないばかりです。有難う」
イーアンはゆっくり体を離して、純粋な剣職人に微笑んだ。それからすぐに、剣に視線が動いたイーアンは、大きな剣の話をしてほしいとタンクラッドに頼んだ。
タンクラッドも頷いて、剣を取って鞘から出し、イーアンを左に座らせクロークに入れてから、剣の話をした。
素晴らしい工芸的な剣を見つめながら、イーアンは御伽噺のようなタンクラッドの話を聞いていた。自分がいる世界は、まさにその御伽噺の中。そして自分は大役を背負ってここに居るんだと。それを思いながら。イーアンはうとうとして眠ってしまった。
眠ったイーアンをみて、タンクラッドはちょっとだけ笑う。袋を見て、もう大体は集めたから良いかと、今日の採石を諦めた。眠ってしまったイーアンをそっと抱き寄せて、膝に乗せて両腕に抱え、ちょっとなら良いかなと、頬に唇を付けた。
柔らかな頬に唇を沈めて、続きでイーアンの口に動かしたくなる衝動を抑えつつ、どうにか唇を引き離して大きな溜め息をついた。それからしっかりと腕に抱いて膝に乗せたまま、頬と髪を撫で続けた。
寒くないように。冷えないように。気をつけながら、優しい剣職人はイーアンを1時間くらい眠らせた。
イーアンが目を覚ました時、タンクラッドが自分を優しく見下ろしていた。彼は微笑みながら、自分を抱いて見ていることに気がつき慌てる。それに採石の時間が、と焦るイーアン。
「大丈夫だ。集めた分で良いんだ。もう今日は帰ろう。そして明日な。明日も朝から来てくれ。
でも採石ではなく、お前は龍の歯を持ってくるんだ。明日工房で、牙が融けるか、試す。一緒に見よう」
タンクラッドはそう言って、膝の上からイーアンをそっと下ろした。『寒くなかったか』声をかけて確認すると、イーアンは恥ずかしそうに『とても温かでした』と返事をした。
この日。2日目は早めに帰り支度をして、二人は夕方の光が差す空の中を帰った。




