328. 白い山脈~2日目前半
ぐっすり眠って、まだ眠いと思いながらも起きる時間。冬の早朝は厳しい。
昨日とほぼ同じ格好に着替えたイーアンは、はたと気が付く。足が寒いのだ。そう。昨日空中にいる時、足が冷たくて仕方なかったことを思い出した。
一瞬で考え付くのは、すぐ出来る中敷くらい。ピンク玉虫の羽毛を引っこ抜いて、中敷を作ろうと決める。羽軸が残っていると、足が痛いだろう。表面を靴底側に、肉面を足に向けるようにして、中敷を使うことにした。
伴侶がまだ眠る中、荷物一式全部持って、大急ぎで工房へ行く。
ピンク玉虫羽毛の、おおよその中底分の範囲で羽毛を抜くことから始めて、それからざっくり切り出し、さらに羽軸の残りがないか確認した後。靴に合わせて、小さめに切り出した。
ここの靴は、以前の世界と作りが違う。踵は作られているが、まだ中世の名残がある15世紀後半くらいの靴が主流。場所によっては踵をつけない靴も見た。イーアンの靴は踵があるが、アッパーはまだ、中世期の状態で作られていた。中底がない靴は、靴の中に返りがあるので、その内側に敷かないとならない。
とりあえず、中敷調整に気を遣うイーアンは、時間を見ながら、出来るだけきちんと形を整えて切り出し、靴に敷き込んだ。
『中敷だけって簡単そうなのにね~』本職じゃないと、細かい部分無理だわよとぼやきながら、中敷を入れてようやく靴を履く。
靴を履いたら、次は厨房へ。自分とタンクラッドのお弁当を容器に詰めて、再び工房へ戻り、骨の粉を容器に入れて。荷物の袋にしっかりしまう。
時間を見ると、既に出発時間になっていると知り、急いで寝室へ行くイーアン。
ドルドレンは、息切れして駆け込んできた愛妻(※未婚)を抱き締めて、すりすりしながら『行かせたくない』と嫌がる。もうちょっといて、とか、服脱いでとか。
そんな時間はないのよ~と本音が出そうなものの、イーアンは、起き立てポカポカ伴侶を抱き締め『行ってきます』ときっちり挨拶した。
「今日も、お昼をロゼールに温めてもらって下さい。お仕事頑張ってね」
「起きたと思ったら、奥さんが旅立つ」
ヤダヤダ駄々を捏ねる伴侶に『ごめんね、夜ね』と宥めてキスをして、扉を閉める。イーアンは暗い廊下を走って裏庭へ行き、龍を呼んだ。
大急ぎで龍に乗り、ようやくイオライセオダへ飛ぶ。中敷はカイロのように大当たりな温かさを発揮した。
「おはようイーアン」
「おはようございます。タンクラッド」
「朝から疲れているように見える。大丈夫か」
「問題ありません。ちょっと朝からいろいろありまして」
総長かと訊かれ(※理由が限定)たので、否定して足の寒さの話をした。イーアンが思うに、この世界の人たちは寒さに強い。それを話すとタンクラッドは『ふうん』と首を傾げた。
「そうか。お前は確かにいつも。よく暑くないなと思うくらい着込んでいる。そういうことだったのか」
これからはちょっと気を遣おうと、決めるタンクラッド。昨日もきっと寒かったに違いない。体を動かしているタンクラッドはそこまで寒くなかったが、イーアンは袋持ちだったし、動かないと体も温まらない。
「もしかして。寒いのを我慢していたのか」
「いいえ。飛んでいる移動時だけです。朝も夜も陽射しがありませんから、それで冷たくて。でも靴には防寒を施しましたから(※そんな対した施し方ではない)今日は大丈夫でしょう」
とりあえず、イーアンは女だし気をつけることにして。タンクラッドは荷物を背負う。ピンク玉虫のクロークもちゃんと荷袋からはみ出ていた。それを目に留めたイーアンは、職人をちょっと見て笑う。
「着ないとお前が悲しむ」
「強引で申し訳ないです」
笑いながら二人は表へ出て、裏庭から今日も龍で出発した。
現地に着くまでの間。イーアンは気になっていることを聞こうとして、振り向いた。同時にタンクラッドも何かを言いかけたので、先を譲った。
「大したことではないが。昨晩、来客があってな。ボジェナが来た」
「え?あなたの家にボジェナが一人で来たのですか」
イーアンがじっと見つめるので、タンクラッドは慌てて『誤解するな。そういうことじゃない』と説明した。イーアンは別に何も誤解していなかったが、焦る剣職人の話を黙って聞くことにした。
「あら。ではボジェナは、私がいると思ったのですか」
「ダビが来ないと。最近、うちに龍が降りるから、それを見てダビはどうしたかと訊かれた」
「残念ながら私ばかりですものね。来るのは。そうでしたか」
「イーアンが来るのはちっとも残念ではない。そんな言い方はするな。しかしボジェナは、ダビが来ていないことを寂しがっていた」
タンクラッドの話だと、ボジェナは心配し過ぎて食事が減り、お父さんとお母さんに『タンクラッドに事情を聞け』と背中を押されたようだった。
「可哀相なことをしました。明日にでも連れてきて、置いていきましょう(※扱いが雑)」
「お前の言い方が。しかしそうだな。また泊まりにさせておけば、ちょっとは収まるだろう(※これも雑)」
少し笑って、タンクラッドは賛成した。それから、イーアンは何を話そうとしていたのかを訊ねる。ああ、とイーアンは思い出して、タンクラッドの背負う剣のことを訊いた。
「これか。剣だ」
「はい。そうだろうと思います。でも初めて見る、何と言いましょうか。見慣れない剣で」
「遺跡にあった。忘れ去られて崩壊しかけている遺跡の迷路の中に、これがあるのを見つけてもらってきた。以来、これが俺の剣だ」
「とても素晴らしい細工をされています。豪華という意味ではなく、非常に心を砕いて作られたような」
「イーアンは目が良い。そのとおりだ。とても良い作品だと俺も思う。着いたら見せよう」
骨董品の剣を見てみたいイーアンは、見せてもらえると知って嬉しかった。タンクラッドは、彼女が自分も好きな剣に魅入られている様子が嬉しい。
こんなことを繰り返していたら、本当に離れられなくなりそうだと剣職人は心の中で悩んだ。好きになっても、好きだと伝えて抱き締めることが出来ない。これはかなり堪えるなと・・・こんな年で、恋に落ちるのかと苦笑いする。
気持ちを切り替えて、タンクラッドは昨日早速、融かした白い鉱石のことを話した。出来るだけ白い石を選んだが、思ったよりも金属として使える量は少なかった。冠を作るには、純度の高い状態で作ろうと思うから、今日もう少し探したいと伝えた。
「私、そう言えば気がついたことがあります」
タンクラッドの『純度』の言葉で、イーアンはあることを話した。それは、白いナイフと白い棒、そしてミンティンを呼ぶ笛の中身の共通点だった。
「この3つは、とても良く似ています。材質が同じなのではないかと思いました。触り心地も色も。どうでしょう」
「お前の言いたい意味を当てても良いか」
もちろんですとイーアンは微笑む。こうしたやり取りが楽しいタンクラッドは、イーアンの謎かけに答える。
「冠もまた、同じ素材を使うのではないかと、言いたいんじゃないのか」
「タンクラッドは話が早くて頼もしいです。ではその続きを言いますとね」
「白い鉱石の金属とだけ、言いきれないとか。そうしたことか」
ニッコリ笑うイーアン。朝陽を受けるその顔を見つめて、タンクラッドは本当に、彼女が自分の妻にならないことを悲しく思った。
こんなに賢くて、こんなに面白い時間をくれて、こんなに惹きつけて止まない女性が、今自分の目の前にいるのに。決して自分のものにはならない。
悲しそうな表情に変わったタンクラッドを見たイーアンは、ちょっと戸惑った。もしかして、求めていた金属だけではないことが、彼には悲しいのかもしれないと思った。
「タンクラッド。実際の所はわかりません。でも、試してみる価値はあるかもしれないので、他の金属も探してみたいと思ったのです。もっとタンクラッドの求めに近いものが、見つかるかもしれないし」
気落ちしては気の毒なので、イーアンは純朴な職人を気遣って伝える。タンクラッドは、ちょっとだけ口元に微笑を浮かべて目を伏せ、首を振ってイーアンを見つめた。
「そうだな。そうしたことも可能性にはある。他にないか気を配ってみよう」
何だか少し、その様子が可哀相に感じてしまうイーアンだったが、作ってみて『これじゃない』とした結果を見る時。次の手も、既に考えてある方が良い気がした。
試せる可能性は、片っ端から片付ける必要がある。試したことが失敗でも、それはよく理解を進めて動けば、確実に成功に近づく消去法なのだ。
成功を知らない段階では、遠回りに見えても、どんなに見当違いでも、一縷の可能性は常にあるはずだとイーアンは思う。
「もしかすると。金属ではない場合もあるかも知れませんが」
いろんなことを思いながら、イーアンはぼそっと呟いた。イーアンの頭の中に『鉱石=金属』の他が思い浮かんでいた。『魔物の角も殻も=金属』に変わったのを見たからだった。
「イーアン。それはどういう意味だ。金属以外の別素材で作られていると思うのか」
「そうではなくて。私も『金属』ではないかと思います。ただこの世界は。ほら、魔物も金属化したでしょう」
タンクラッドは眉根を寄せた。『だが。魔物だぞ。聖獣を呼ぶのに、いくら何でも魔物はないだろう』イーアンにそう言ってから、タンクラッドもちょっと考える。
自分も昨晩、同じようなことを一瞬過ぎらせたが、やはり魔物を使うとは思えなかった。イーアンの目の付け所は悪くないが・・・・・
そう思いながら、タンクラッドはイーアンを見た。イーアンは黙って、何かを思い出そうとしているようだった。暫く眉を寄せたり、瞬きの回数が増えたりしながら、時々ぶつぶつ呟いている。
イーアンが一人黙想時間に入ってしまったので、タンクラッドもそれから何も言うことなく、二人はこのまま現地へ到着した。
現地へ着いて、一度岩棚に降りて荷物を下ろす。タンクラッドは岩棚の窪みの入り口から左を見て、昨日採石した場所を思い出していた。まだ朝は始まったばかりで、もう少し範囲を広げて、この川一帯を見ることも出来そうだと考えた。
イーアンにそれを話すと、イーアンは同意したので、ゆっくり飛んで調べることになった。ミンティンに乗って、昨日に採石した場所まで動き、そこから先を少しずつ見ながら移動。
最初こそ何やら感動している様子のタンクラッドは、進むほどにどんどん無口になってゆく。殆どが。信じられないことに、山脈の山を作る石の殆どが、あの白い鉱石だと分かり、驚きが連続していた。
頭の中に地図を広げて、自分たちがいる位置を重ねると、東西南北に山脈が並ぶ地帯である。ど真ん中に等しい場所に来ているのかもしれない。
テイワグナの東は、ほぼ山しかない。ハイザンジェルからテイワグナに行く道は、南西方面から続く山の低い場所から入るか、山道を抜けて北の方から向かうのが普通だ。この山脈だけが占める一帯は、誰も入れないまま。これまで前人未到の地だった。今、自分がそこにいるのかとタンクラッドは高揚していた。
黙りこくる職人の目の色が、少年のように好奇心に満ちているので、それを見たイーアンも黙っていた。彼はとても感動しているのだと分かる。ミンティンにゆっくり飛んでもらいながら、時々、タンクラッドに方向を指示されるまま動いた。
イーアンは午前の日差しを受ける、どこまでも続く山脈を眺めて心に感動を感じていた。ミンティンも何かを感じているように、一方を向いて静かに見つめている。
不意に、ミンティンが上昇した。タンクラッドもイーアンも驚いたが、ミンティンがそのまま速度を上げたので、慌ててしがみ付く。
「どうした」
「分かりません」
ミンティンは体をぐーっと伸ばして、腕を前に向けて駆け抜けるように空を走る。緊迫感はなく、ただ何か確かなものに動かされているようだった。
「止めないと」
「理由がありません」
イーアンの答えに、タンクラッドは戸惑う。目的は石だ。龍の動きは、採石する山から離れている。しかしイーアンは『止める理由はない』と即答している。
「イーアン」
「この仔は何かを見つけたのです。待っていて下さい、タンクラッド」
龍もイーアンも同じ感覚を共有しているようだった。イーアン自体は龍の行動を把握していないが、信じ切っているのは分かる。タンクラッドはそれ以上言えず、この急展開について行くだけしか出来なかった。
ある程度飛んだ後、龍は突然、真上に上昇した。『タンクラッド。しっかり背鰭に掴まっていて』イーアンが叫ぶ。さっきから掴まっている、と答えかけた時、龍が真下に向かって、向きを変え、一直線に急降下した。
これが初めてのタンクラッドは、さすがに叫ぶ。イーアンは何度かこれを食らってるので、タンクラッドの不安には同情するだけで、何も言わないでおいた。男の人だから言われたくないだろうなと思った。
「ぶつかります。手を離さないでっ」
ミンティンが突っ込む先を見たイーアンは、振り向かずに叫んだ。目を瞑って、背鰭を抱きかかえしがみ付く。龍は、黒く静まり返った火口に躊躇せずに突入し、何かを弾き飛ばしてぶち抜いた。
「イーアン!!」
「離さないで!」
ミンティンはぶち抜いた後も、がんがん礫を飛ばして岩を砕いて突っ込んでいく。体中に石が弾けて当たる中、必死になって背鰭を抱きしめ続ける二人は、生きた心地がしなかった。
いい加減ぶち抜いた後。ミンティンは止まった。ぜーはーぜーはー言いながら、二人は恐る恐る目を開ける。
「ここは。どこなんだ」
「タンクラッド。無事ですか」
お互いの顔を見て、とりあえずちょっと擦り傷はあるものの、どうにか無事を確認する。龍は浮いている。暗い穴の中で上を見れば、ミンティンがぶち抜いてきた穴がぽかっと開いて、小さな窓のように青い空が見える。
どのくらい下に来たのか分からないものの、どうやらミンティンは火山だった山の、いろいろ詰まっていた火口の中を突っ込んでいたらしかった。
ガラス片がなくて幸いだったと、イーアンはホッとした。火山なんか、ガラス片だらけだと思うが。大体、穴もこんなんで開いてしまうとは。元からそれほど詰まっていないまま冷えたのだろうか。そんなわけないよなぁと思いつつ、とりあえずここは何だろうと暗い中を見渡す。
龍は全く動かない。疲れたのか何なのか。じっと浮いているままだった。
「降りようとしません」
「ここの位置に何かあるんだろうな」
そう会話しながら、イーアンは気がついた。タンクラッドをゆっくり振り向いて、その腕に触る。タンクラッドはイーアンが緊張しているのに気がついて、声を潜めて『どうした』と訊ねると、イーアンは下を指差した。
タンクラッドが見ると、暗い穴の底に。
「何だあれは」
うっすらと。青紫色に見える、空の光を受けたそれが、そこに丸くなっていた。幾つもの頭が付いた長い首は交差して折り重なり、大きな体を守るように穴の中にぴたりとはまり込んで。
「眠っています。アオファでしょう」
イーアンの声が暗い空間に響くと、ミンティンが振り向いて首を揺らした。
お読み頂き有難うございます。
 




