326. 白い山脈~1日目後半
「タンクラッド」
龍で降りた場所から、暫く進んだ場所で剣職人を見つけて、イーアンは叫ぶ。タンクラッドが気がついて歩いてきた。
「イーアン。どうだった」
「見てもらわないと分からないのです。何とも」
分かったとタンクラッドは、イーアンの背中に手を添えて、龍までを歩く。二人とも荷物を背負っている状態で歩き続けているので、タンクラッドは少し気にした。
「重くないのか。持とうか」
「大丈夫です。私は力持ちなのです」
フフッと笑ったイーアンに、タンクラッドはついその頭を撫でる。さっきのイーアンも、今ここにいるイーアンも同じ人物。不思議な感じがするほどに、別人のようだと思っていた。
二人は龍に乗り、龍はちゃんとさっきの場所まで飛んだ。迷わずに飛ぶと、タンクラッドのいた場所から、ゆっくり飛んでもほんの3分くらいだと知った。岩棚を見つけて、そこに龍は入った。
「ここなのですけれど。ただ、この窪みの中ではなくて」
「そうだな。外側のことを言っていたんだな」
タンクラッドは荷物を下ろして、岩棚の入り口付近を調べ始めた。周囲を見渡して、声に出さないものの顔が笑っていた。
「イーアン」
「はい。どうでしょう」
タンクラッドはイーアンに歩み寄って、腕を広げて抱き寄せる。それからイーアンが丁寧に抵抗するのを押さえ、ぎゅーっと抱き締めてから、イーアンの額にかかる髪の毛をずらしてキスをした。
結構長く、ちゅーっとされて、イーアンは一生懸命頭をずらそうと頑張った。タンクラッドに後頭部を押さえられていたため、無駄な抵抗に終わる。
「これは困ります。いけません」
「困らない。お前は大したものだと思ったから、賛辞と思え」
賛辞と思えって言われたら。でもこれ、ドルドレンに何て言や良いのよ。イーアンは顔をしかめる。
「言わなくても大丈夫だ。隠し事ではない。親方の賛辞だと思えば良い」
「私が男だったら、弟子にこれ、しないでしょう」
「する。賛辞は賛辞だ」
うそだ~と思うイーアンに、タンクラッドは抱き締める腕をそのままに笑う。可笑しそうに笑って、イーアンの額にもう一度唇を付けて『男でもな。お前ならする』と笑いながら頷いた。
この人なら男でもやられる気がする、とイーアンは思った。私が男でもくらくらするだろうと見越す。ぐいっと大きな胸を押しやって『ダメです』と剣職人に睨む。タンクラッドは大したことなさそうに笑顔で首を振る。
「怒るな。賛辞だと言っただろう」
何を言っても無駄と理解して、咳払いをしたイーアンは『どうですか。白い鉱石ですか』と無表情で尋ねた。
ちょっと笑うタンクラッドは頷く。荷物から鑿とハンマーを出して、窪みの入り口に近づき、しゃがんで壁脇の石を打った。少しずつ叩いて、ゴトッと取れた石の塊を手に、イーアンに見せる。
「この部分の結晶。見えるか」
手袋をした手に石を持って、ハンマーで周囲を叩くと、規則のある結晶の形が見えた。『見えます』イーアンはその白い結晶を見つめて答える。
「これが、大なり小なりあるんだ。結晶の塊なら、石を切り出すのは少なくて済むが、大方そうではない。母岩に挟まっているし、混ざってもいる。だがこの白い鉱石は、あまり混ざらないようだから、母岩さえ崩せば、量は目安が分かる」
ここからは彼の仕事なんだと理解したイーアンは、頷いてタンクラッドの作業を手伝うことにした。
それから4時間ほどの間。タンクラッドに言われるように、イーアンは動いた。ミンティンには居てもらったので、壁に沿って採石する要望には、ミンティンに浮いてもらったまま、背鰭を巻いた命綱でその背に乗って、タンクラッドは石を採った。
タンクラッドは『含有量は少ないが、満遍なくある』と話していた。如何せん、含有量の少なさは問題だったようだが、それでも根気よく職人は石を採り続けた。
渡される石を受け取りながら、イーアンはそれを窪みの地面に置く際、場所ごとに分けておいた。
気がつけば日も午後の位置に入り、峡谷に差し込む光が真上を過ぎて暫く経っていた。
「休憩にするか」
タンクラッドに言われて、イーアンもそうしようと答える。ミンティンはタンクラッドを乗せたまま、つるる~っと窪みに入って座った。タンクラッドが背中から降り、龍をぽんぽん叩いて『有難う』と言うと、ミンティンは金色の目をちらっと向け、何度か瞬きしてから眠った。
「寒くないですか」
「お前はあの上着を着せたいんだな」
そうじゃないけれどとイーアンは笑って答える。でも引っ張り出して、羽毛のクロークをタンクラッドの背中に回って肩にかけた。
「ここなら誰も見ないから良いか」
「そう思います。温かいので羽織っていらして下さい」
タンクラッドはクロークを肩にかけてから、荷袋の上に座った。イーアンをちらっと見て『お前は何か持ってきたのか』と訊いたので、イーアンは頷いた。
「俺は採石の間は、ほとんど食べたり飲んだりしない。忘れていると言った方が近い」
「実は私も同じです。作るとか採集する間、一人だとほぼ食べたり飲んだりありません。誰かに言われないと気がつきません」
二人は顔を見合わせて笑う。でもね、とイーアンは自分の荷袋から骨の粉と容器を出した。それから、お弁当の入った容器2つを出して、地面に置く。どれも蓋がしてあるので、タンクラッドには何か分からない。
「今日はちゃんと持ってきました。あなたに仕事をお願いしているのですから」
イーアンは笑顔のまま、岸壁についた雪を、手袋を外した手に一掬い取って、冷たい冷たい言いながら、それを2つの空の容器の上に崩して置いた。少し水気が出た雪を、容器の上で潰して小さくする。
「何をしている。融かしたいのか」
「そうです。でもすぐ終わりますから、ちょっと待っていて下さい」
不思議そうに眉を寄せながら、面白そうなことをしていると理解した職人は、笑顔でイーアンを見ている。
イーアンは、2つの容器に入った崩れた雪の上に、それぞれ骨の粉を出してかけ、すぐにお弁当を蓋をしたまま乗せた。
「ここから少しお待ちになって下さい」
そう言うと、イーアンはタンクラッドの左横に行って、しゃがむ。タンクラッドは、側に座ったイーアンの肩を引き寄せてクロークに包んだ。『私も温かいから大丈夫ですよ』『もっと温かいだろう』抵抗が無駄そうなので、笑って済ませてそのままクロークの内側に入れてもらったイーアン。
見ている前で、容器の下からシューシュー音がして、タンクラッドの眉根が寄る。『あれ大丈夫なのか』と訊かれ『あれで良いの』とイーアンは笑顔で答える。
雪山の気温は零下なので、長めに5分間待つ。タンクラッドは『仕掛け』を聞きたがったので、ちょっとずつ小出しにイーアンは教えて、時間を持たせた。『そろそろ良いかもしれません』タンクラッドのクロークから出て、突き匙2本と、お手拭を荷物から出して、タンクラッドにも渡す。
蓋にお手拭を置いて持ち上げると。やんわり湯気の出るお弁当が2つ。
「お前は最高だな」
驚いて満面の笑みで喜ぶタンクラッドは、お弁当の乗った容器の前に来て、イーアンを誉めた(※料理の出来るワンコ)。イーアンも嬉しそうに笑って『ちょっと温かいだけなんですけれど』と前置きし、蓋を一つタンクラッドに渡して、そこにおかず2種類と主食を2つ置いた。主食はまだあるので、温めておく。弁当に入れると白く固まる肉の脂は、ちゃんと融けていた。これが大事。
笑顔出しっぱなしのタンクラッドは、イーアンのよそった食事を食べて、目を閉じて満足そうな顔をした。
「こんな雪山で。こんなに温かな食事を食べられるなんて。お前は一体、俺にどうしろと言うんだ」
「少しでも温かさのある食事が出来ると嬉しいかなって思ったのです。この原理で魔物退治もしたんですよ」
えへへと笑うイーアンは、ロゼールが怯えた先日を思い出して、ちょっと暴露。暴露も魔物も気にしないタンクラッドは、首を振りながら、イーアンの肩にそっと寄りかかって『お前は本当に俺を困らせる』とイーアンの顔を覗き込んで囁いた。ニコッと笑みを浮かべたイーアンは、屈託なく聞き返した。
「困らせていますか。何かがいけませんでしたか」
「うー・・・実に困難だ。お前に話を理解させるのは骨が折れる。いけないわけないだろう。最高だと言った」
「タンクラッドの表現が少々遠回りで、私も理解が追いつきません」
「言うに言えない言葉があるんだ。分かってくれ。言ったら最後。お前と一緒にいられなくなる。でも言いたくなる。それを分かってくれ」
イーアンはハハハと笑いながら、『お弁当にそこまで誉められると嬉しい』と喜んでいた。そうだけど、そうではないと剣職人は悩みながらも、美味しい温まった弁当に身も心も委ねる。
「イーアン。お前と二人でこうしていてな。絶対にここから外に出さないとか。絶対にここだけの話としてくれるなら、俺はお前に言いたいことがある」
「内容によります」
「それじゃ言えないだろう。お前がどう思うか分からないんだから」
甘辛い野菜で炒めた肉の薄切りで、辛味のある潰した芋を器用に巻いて、タンクラッドは口に運ぶ。揚げ焼きした包み巻きも、歯ざわりも良く、中から柔らかい乳製品と薫り高い香辛料が豊かに舌を喜ばせる。
「美味しいですね」
「美味しい。本当に美味しい。お前が妻のようだ」
そこでタンクラッドはぴたっと止まる。イーアンもぴたっと止まる。ちらっとイーアンがタンクラッドを見ると、職人は濁りのない焦げ茶色の瞳を、じっとイーアンに向けて『料理の上手い。妻のような。弟子だ』と言い直した。
「そうですね。料理の上手い弟子は、親方の仕事を奥さんみたいに労えますもの。それは大事でしょう」
そうそう、と解説してから頷くイーアン。タンクラッドはそれ以上は何も言わなかった。言ったら最後のような気がして、悶々としながら食事を終えた。
「しばらくは熱がありますので、熱が引くまではこのままにしましょう」
食べ終わったお弁当の容器と突き匙を、雪で洗って、お手拭で拭ったイーアンは、骨の粉が入った容器を放置すると伝える。タンクラッドも了解して『お前はいろんなことを知っている』と微笑んだ。
イーアンとしては、タンクラッドくらい博識だと、こうしたことは知っていそうにも思えた。オークロイは知っていた。生石灰と水、そこにアルミニウムを加えて、水素が引火することを。言葉や理論ではなく、彼はその現象を知っていた。
オークロイの場合は材料として手持ちにあったのもあるかもしれない。でもやはり。ディアンタの僧院のような知識を、この世界の人が今も知らないでいるのは違和感を感じた。
食事を終えてから、二人は再び鉱石を取りにかかる。今度はミンティンに乗せてもらったまま、袋付きで岸壁に沿いながら集める方法に変わった。
「もう少し奥も見てみたい」
タンクラッドに言われて、岩棚の窪みから先へ向かう。尾根が変わる辺りまで飛んだ時、タンクラッドが『ここだ』と叫んだ。真横を見ると、雪がどっさり被った壁が見えた。よく見ると、それは雪ではなく。
「全部。全部じゃありませんか」
「そうだ。イーアン、下を見ろ。川がある。岸壁の尾根から落ちる滝もだ。ここから、俺が若い頃に拾った、あの白さが際立つ石が落ちたのかも知れない」
ミンティンにお願いして、岸壁に寄り添って浮いていてもらう。タンクラッドは岸壁の石の隙間に、鑿を入れて採り始めた。
『これは相当だぞ。さっきのと比べ物にならない』タンクラッドは少し高揚している状態で、どんどん石を切り出して集めた。イーアンは龍の背に袋を置いたまま、袋の口を職人に向けて、石を入れてもらうに徹する。
「一度戻ろう。別の袋に変えよう」
袋の半分に石が入ったのを見て、タンクラッドが袋の交換を促す。龍と二人は岩棚に戻り、別の袋にしてから、再びさっきの場所へ向かった。
「今日。採れるだけ採って帰れば、明日も同じようにここへ来た時、それほど集めなくても、少しで済むだろう」
早く終わるかもしれないな、とタンクラッドは笑う。それは実際には寂しいにしても、長年求めていた金属を目の前に与えられた、そのことへの自分の務めは理解していた。
もしかすると、冠を作った後にも剣が作れるかもしれない。30年近く前に諦めた、あの剣を作れるかもしれない。それを思うと、早く工房に入りたかった。
喜々として石を夢中で採る、真剣なのにどこか笑みを見せる剣職人を、横から見ているイーアンは、彼が今、とても幸せであることが伝わっていた。
きっと早く金属を見たいだろうな、と思う。早く自分の作りたかったものを、その手でこなしたいだろうな、と。
気持ちが良く分かるイーアンは、出来るだけ、彼にこの白い鉱石を集めてほしかった。冠に使う金属はどれくらいか知らなくても、彼が求めるものが・・・見たいものが実現するくらいの量を集めてほしいと思った。
何度か袋を交換し、暗くなるまで採石を続けて、辺りに午後の光が見えなくなる頃。タンクラッドは切り上げようと言った。
薄暮の迫る真冬の雪山で、岩棚に戻った二人は帰り支度をする。今日の後半に集めた質の良い石を先に運ぶことにして、紐で全体をしっかり結わえてから、ミンティンの背の両側にかけた。
「午前中に採った石。あれも最後に運ぼう。お前が取った場所ごとに並べていてくれたから、この続きにもっと、純度の高い石がありそうな気がした。イーアン。有難う」
タンクラッドはイーアンを抱き寄せて、背中を撫でてお礼を言った。イーアンは石のことは分からないが、役に立てて良かったと思った。
支度を終えた二人は龍に乗り、今日は引き上げることにした。方角と距離と時間を意識しながら、夜の空中飛行を進む。
寒さがとても・・・防寒していない部分の身に堪えるイーアン。明日はどうにか対処しなければと最優先事項にした。
支部に戻って、どのくらいの時間があるのか。お弁当も作りたいし、時間を効率よく使う必要がある。あれこれ考えながら山脈の上を飛び続けた。
お読み頂き有難うございます。
 




