325. 白い山脈~1日目前半
早朝は寒い。
早起きしたイーアンは、雪で真っ白の高山へ行くのだからとフル装備。
厚いズボンを2枚重ねて穿く。シャツも厚そうな生地のものを3枚くらい着て、腰に青い布を対角線に半分に折って巻きつけ、それをベルトで留めた。首元に青灰色の狼系の魔物の毛皮を巻いて、その毛皮で作った足筒を履く。
急いで寝室を出て、厨房へ行き、お弁当を容器に詰める。自分用とタンクラッド用、とした弁当箱スタイルではなく、主食とおかずで分けて、2つの容器に入れた。
ドルドレンの分を、焼き釜用の金属容器に移して、ちょっと肉も量も多めにしておく。ドルドレンのお弁当を、一晩おかずを置いた場所に戻してから、自分たちのお弁当を持って工房へ行った。
工房へ行ってから、荷物にお弁当を入れて⇒剣と腰袋を下げて⇒青い布を羽織って⇒上着を着て完成。すぐドルドレンに止められる。
「ダメ。着替えなさい」
「ちゃんと着ました」
ダメ、と言われる理由が分からないイーアン。ドルドレンはイーアンの鎧を取って渡した。
「危ないから。鎧にしなさい」
「寒いと思って」
「結構温かいから。ちゃんと下に着てれば。風も通さないし。脛当はないの」
「脛当までは持っていません」
「じゃあ鎧だけでも良いから。鎧を着て行きなさい」
鎧を着けても、ピンク玉虫上着は大きめで大丈夫、とドルドレンに命令されて、イーアンはシャツを減らして鎧を着けた。青い布は上着と鎧の間で肩にかけることにして、改めてベルトと腰袋と剣を持つ。
「これは、首に巻いておいたほうが良いかも知れない」
ドルドレンはイーアンの首に、狼的魔物の毛皮をくるっとかけて、鎧の首元に押し込んだ。その灰色の目はとても悲しそうで、辛そうだった。
「気をつけて行くんだ。天候が悪くなったらすぐに帰るように。日数制限があっても、連日じゃなくたって良いのだから」
裏庭に出て、イーアンとドルドレンはぎゅっと抱き合う。『本当に気をつけて』黒髪の騎士は、心配でならない。イーアンもドルドレンを抱き締めて『気をつけます。大丈夫、精霊に守られています』と答えた。
ミンティンを呼んでイーアンが乗る前に、ドルドレンはちゅーっとキスをした。『夜。早めに帰るんだ。いいね』頬を撫でて愛妻(※未婚)に約束させ、イーアンも頷いて『ドルドレンもお仕事頑張って』と励ました。龍はまだ空も暗い中を浮上し、西の空に向かって飛んだ。
イオライセオダに到着して、イーアンがタンクラッドの工房の裏庭に降りると、タンクラッドがすぐに出てきて『一度地図を確認する』と言った。イーアンは龍を戻して、中に入った。
「朝も早い。寒くないか」
部屋に入ったイーアンを振り返ったタンクラッドは、言いながら笑顔が真顔に戻る。じっとイーアンを見つめて、そっと上着をずらした。イーアンは、彼が鎧を見て驚いていると分かった。
「鎧を。お前の鎧か。何て美しいんだ」
「オークロイ親子が作ってくれました。マスクもありますが、戦闘ではないから。今日はドルドレンがこれを着ていくようにと」
タンクラッドはフフフと笑って、イーアンを引き寄せる。間近で眺めてから『お前は魔物尽くしだな』と頭を撫でた。『毛皮も鎧も剣も魔物か。イーアンほど似合う女はいないだろう』独特な誉め方をしてくれた。
イーアンも笑いながら、タンクラッドに荷袋の中から渡すものを出す。『その魔物尽くしですが』と畳んだクロークを渡す。剣職人の顔が『げっ』の表情に変わるのを見て、イーアンは笑った。
「山脈は寒いですから。これはクロークです。あちらで着て頂いても良いので、お貸ししますので羽織って下さい」
一生懸命縫ったんですよ、と押し付ける。剣職人はとても困った顔をして、仕方なし受け取る。
『お前は俺に、これが似合うと思っているのか』イヤそうに呟くタンクラッドだが、優しいので、その場で羽織ってくれた。
うきゃーっカッチョイイ~っっ!!! 夜の帝王降臨状態・・・でも何か。人となりが出るのか、邪気が全くない分、長者番付高位の金持ちみたいになってる。とにかくカッコイイ。こりゃ是非、目の保養に。違った。是非、毎日温かく着てもらおう。似合ってるんだし。彼でこんなじゃ、きっとドルドレンも規格外で似合うわね。
ほわーっと魂が抜けている、ボケッとしたイーアンに、タンクラッドは溜め息をつく。『似合わないと言っただろ』やれやれ、と(※でも着ていてくれる)頭を掻きながら、地図を広げた。ハッとしてイーアンは意識を取り戻す。
「違います。大変お似合いです。作って良かったと心から感動しました。歩きながら家を購入できるくらいの、すごいお金持ちに見えます」
イーアンの誉め方もおかしいので、タンクラッドは苦笑いした。『俺が、歩きながら家を買う金持ち』参ったな、と笑う。見惚れから意識を回復したイーアンが喜んでいるので、実際に金持ちに見えているんだろう、と剣職人は思った。
それからイーアンは、ディアンタの僧院で描いた絵を渡す。タンクラッドはそれを見て、イーアンを見つめる。
「これをお前が描いたのか」
「必要だと仰ったので、金属の量を見当付けるのかと思って」
賢いイーアンに微笑む剣職人。頭を撫でて『お前は本当に良く出来た弟子だ(※愛犬)』と誉めた。ナデナデされながら、イーアンは自分の字で書き込んだことを説明した。タンクラッドはそれを聞きながら、大体の必要な金属の量を計算した。
「よし。俺が一度融かした時の分量は大体覚えている。含有量によるが、採れるだけ採ってこよう。大量ではなくても良さそうだが。失敗する可能性もある」
そう言ってニコッと笑う職人は、次に地図を指差して、自分が若い時に見つけた川をイーアンに教える。
「ここだ。この辺りからもう少し奥に入れる隙間がある。地図には載っていないが、実際には幅2mくらいで山脈の壁に亀裂がある。最初はここからだ」
「白い棒には。馬車歌には、こうした情報はないでしょうか」
「俺もそう思って暫く探したが。直にこれを指し示す言葉がない。憶測なら幾らでも出せるが、それらはどうとでも取れる」
とりあえず、今日はその川から上へ向かおう、とタンクラッドに言われて、二人は山脈をすり抜けるように流れる川へ向かうことにした。地図を畳んでからタンクラッドが荷物を担ぐ。
重そうなので、イーアンはそれを龍に乗せるかと訊くと、『採石したら、それは乗せる』と彼は答えた。道具は自分で持つと言うことで、鶴嘴やシャベルなどは背負い荷にくくり付けられていた。
「行くぞ」
「はい」
龍に乗る際、クロークが邪魔で荷物が背負えないとぼやくタンクラッド。寒くないなら、あちらで着てもとイーアンは笑った。苦笑いしながら職人はクロークを一旦脱いで、荷袋を背負った。クロークはイーアンが再び荷物にしまった。
「ミンティン。山脈の・・・・・ 西の壁の向こうへ行きます。気をつけて」
言葉にすると、一瞬怖くなる『西の壁』。でもミンティンもいるしと思って、お願いすると、龍は何も気にしないように、すんなり二人を乗せて飛び立った。
太陽が上がる前の時間に、龍は冷たい冬の空を飛ぶ。防寒が効いているので寒くはないが、ちょっとずつ出ているところが冷たくなる。首に巻いた毛皮を引き上げて鼻まで覆うイーアン。足先等はカイロが欲しい・・・・・ これは早めに対処すべきだと感じた。『寒くないですか』後ろのタンクラッドに訊く。
「それなりにはな。だが大丈夫だ」
タンクラッドは鳥肌も立っていない様子。冷たい風に、亜麻色の髪のこぼれ毛がなびいている。
うっすらと、背の方から茜射す光に包まれる空の中。焦げ茶色の瞳が明るく煌く。イーアンは彼の雰囲気もまた、彼の格好良さを作っているのだろうと思った。
「イーアン。あれがハイザンジェルの『西の壁』だ。リーヤンカイ山脈のヘイガッドという山だ。だが、『西の壁』の方が今は誰もが知る名前だ」
龍が近づいていく、その場所は。間近で見たのは初めてだったが、真っ黒い大きな穴が山の中腹に開いていた。
「あの穴から、魔物が出てきたのが始まりだ。もうあれから2年過ぎたな」
イーアンは見つめた。あの奥は。どこへ。山の向こうへ飛んだ時になにがあるのか。それとも貫通ではなくて、どこかに通じる道があるのか。
とにかくその、暗く光を飲み込む穴は、イーアンに恐れではなく決意を与えた。あの穴が開いたから、ドルドレンは。多くの人たちが。多くの命が。そう思っているとミンティンが大声で吼えた。
大鐘が何度も鳴るような、空の全てに響き渡るような声で、ミンティンは吼えた。その聖なる声の揺れにイーアンは鳥肌が立った。ミンティンが何かを知らしめている気がして、背鰭を抱き締めるだけだった。
「イーアン。これは。大丈夫なのか」
ミンティンの声に驚いたタンクラッドが、西の壁の穴間近の危険を心配する。振り返って、顔を覆う毛皮を下げ、『大丈夫です。この仔は分かっています』と聞こえるようにイーアンは伝えた。
西の壁の穴からは、何の反応も見えなかった。ミンティンが吼え続けながら、リーヤンカイ山脈の向こうへ飛ぶ。ぞくぞくする武者震いがイーアンを包み、イーアンの顔に、例えようのない昂ぶりが笑みとなって浮かんだ。
その横顔を、背中から射す金色の太陽が照らす。タンクラッドは、見たことのないイーアンの笑みに見惚れた。
いつも優しく微笑んで、楽しそうに笑うイーアン。
それが、向かう所敵なしのような挑戦的な笑みで染まっている。くるくるした螺旋を描く黒い髪の毛が風に遊び、賢い光を湛える鳶色の瞳は、遥か彼方の魔王を見つけて笑っている。
高揚したイーアンは笑った。『待っていろ。オリチェルザム』何かに憑かれたように呟いた、イーアンの低い声に、タンクラッドの腹の底が冷たくなった。
その名前は誰なのか。その笑い声は何に向けたのか。
イーアンの体を包む羽毛は、風にはためいて光を含み宝石のように煌き、首を包む毛皮はイーアンを女王のように見せた。あまりにも遠く、あまりにも美しく、巧みの技を愛するタンクラッドの心が賛美に躍る。
声をかけることは出来ず、その圧倒的な雰囲気と魅力に、タンクラッドは魅入るだけだった。ただ、見ていたかった。
とんでもなく強い女が、宿命の星の巡りで自分の人生に現れたことに、剣職人は感動する。自分が脇役でも、この人と会えて、一緒にいられる運命に感謝した。
暫くそのまま飛んで、イーアンはすっと目を閉じた。それから我に返ったように、タンクラッドを振り向く。
「下の。どの辺りが目安に出来そうか。分かるでしょうか」
いつもの声で、いつもの柔らかい口調でイーアンは微笑む。タンクラッドの幻が消えて、頭を振った剣職人は咳払いしてから、地図で確認した距離を頭の中に置いて確認し始めた。
「まだ先だ。俺は陸からしか行ったことはないから、一度、その入り道まで飛んだほうが良いだろう。それはテイワグナの国境から山脈に分け入る道だ。まだ先だが、もう少し南に向けるか。方角はそっちだ」
地図を頭に入れている剣職人は、歩いて旅をした陸路を思い出しながら、山脈を越える様子を見つめる。
どれくらい飛んだのか。ゆっくり気味で2時間近く進み、その間に何度も山脈で思い出せる形や雰囲気、時期的なものなどをタンクラッドは口にしていた。イーアンも話を遮らないように、質問し、彼の記憶を引き出しながら、会話を深める。朝焼けの空には既に太陽が輝き、2時間を越えるくらい飛んだ頃。
「あ。あれ。その道だ。俺はあの道の向こうから、馬車に乗せてもらって途中まで来て。道向こうには、馬車を貸し出す鉱業の店があった。今もあるか分からないが」
「ということは。この道が入っていく山脈沿いの谷間まで進むのでしょうか。狭い谷があるとか」
「そうだ。この道の続きを戻るぞ。ゆっくり、少し高度を下げて確かめながら行こう」
ミンティンにお願いして、イーアンは向きを変える。道を下方に確認しながら、高度を下げて、数十年前のタンクラッドの記憶の道を辿る。下を見つめる剣職人が時々、『こっちだ』『右へ』と教えてくれるの頼りに、ミンティンは方向を調整して飛ぶ。
向きを変えてから少しして、『イーアン。ここで降りよう』とタンクラッドが腕を触った。イーアンはすぐにミンティンに下降するようにお願いした。
降りた場所は川原で、上流のさらに上のような細く狭い川の横だった。そそり立つ岸壁は空を窄めるように頭上に被さる。
「どうしますか。ミンティンにいてもらいましょうか」
タンクラッドは『すぐ移動するから、そうしよう』と答えて、龍に待っていてもらう少しの間、二人は川原を歩いて白い石を探した。
イーアンには見分けはつかない。ただの白い石は見えるが、どれがそうなのかも分からない。念入りに見てから、タンクラッドが戻ってきて手の平に乗せた欠片を見せた。
「これがそうだ。しかし大きな物はない。もう少し奥へ歩いてみるか」
先を見ると、ミンティンが入れる幅ではない。イーアンはちょっと考えてから提案する。
「私は一度、この先を空から見てきましょう。もしかすると、ミンティンがもう一度降りれそうな場所があるかもしれません」
タンクラッドは了解して、自分はこの川沿いを進むと教えてくれた。上着は要らないかとイーアンが訊くと『寒くない』と笑顔で断られた。
ということで。別行動するイーアンは空から様子を見る。
狭い谷とタンクラッドが話していたが、確かに上空から見るに、ミンティンが降りれそうな気がしない狭さ。ちょっと進みすぎてしまったので、高度を下げてもう一度向きを変えて戻ろう、とイーアンは龍に言う。
「白い鉱石ねぇ。どの山から落ちてきたのかしら。雪も被ってるから、上からじゃ分からないのかな」
どうすればヒントが見えるだろうとイーアンが呟いていると。ミンティンはぐっと顔をイーアンに向けた。
「どうしたの。お前、何か知ってるの」
ミンティンがそれには答えている様子はなく、また違う方を向いたので、イーアンもそれ以上聞かなかった。だがそれから10秒くらいで、急にミンティンは急降下した。
「んまー。何か知ってたのね」
イーアンは背びれに抱きついて、自分がどこに降りているのか見回しながら降下する。
雪を被った山の頂を尾根が青白く美しい光を放つ中、龍はイーアンを乗せて一気に峡谷へ突っ込んだ。この仔に翼がなくて良かったと思うイーアン。大型の肉食獣のような体をしているミンティンだから、ぐーっと体を伸ばすと3m幅くらいで通れる。
「細いって大事ね」
意味の分からない感心をしながら、意外と細かった龍の体の幅に有難く思いつつ、凄い勢いで両脇に滑っていく岩壁のギザギザにイーアンは怖がる。
そして着地するかと思えば、細い川の真上まで来て、ミンティンは真上にまた急上昇する。
「お前、何をしてるの。何があるの」
ひえーっと叫びつつ、イーアンは龍の行動に何があるのかを探した。動いていく壁に、一瞬煌く輝きが。 見えたっ。
「見えた!ミンティン、見えたわ」
龍はぴたっと止まる。体ギリギリの幅で、空中で止まる龍から身を乗り出して、左の壁を見ると。
「これ。これよ、きっとそうだわ。あら、この辺皆そうじゃないの。よく分からないけれど。多分そうよ」
やったー!!とイーアンは喜ぶ。早く見つかった・・・と思うが。こんな場所では採石出来ないことも気付く。足場はミンティンのみ。無理だ。
「あったけど。これじゃ採れないわね。ミンティン有難う、なんだけど。もう少しこの先に進んでみましょうか」
ミンティンは首をゆらゆら振って、そのまま上下に幅調節しながらゆっくり進む。じっくり両岸壁を見ながらイーアンは白い鉱石を探す。
「あれ。ちょっと待って。あれそうじゃないの」
先のほうに岩棚があり、地上からずっと上に窪んだ場所が見える。その岩壁が。白い。ミンティンに言って近づいてもらって確認する。
岩棚にはミンティンも降りれる広さがあり、一見洞窟のように見えるが、天井の傾斜が急で、奥はすぐそこだった。
岩棚の丈は7mほど。奥までは10m程度。まずはこの岩棚の壁を見ると。
「あれ?表面だけかな」
窪みの中は白い輝きはない雰囲気。外側はかなり白く見える。岸壁に埋まっているのだろうかと思いつつ、真向かいの向こう側も見ると、やはり岸壁には白いキラキラが見える。
「どうか分からないから。とりあえず彼を連れてきましょう」
うん、と頷いてイーアンはミンティンに跨る。『ここ覚えておいて』そう言って、タンクラッドのいる川へ向かった。
お読み頂き有難うございます。
 




