321. タンクラッドと買い物
さて翌日の朝。ドルドレンの機嫌は再び悪くなる。
忘れていたが、今日の愛妻(※未婚)は、剣職人と龍で南へお買い物と来たもんだ。素っ裸の自分は愛妻(←これも同様)をぎゅうぎゅう抱き締めて、やらしい方向を手段に、思い出させないようにしたつもりだった。が。
「もうすぐ支度をしないと」
記憶力の良い愛妻はしっかり覚えていて、お店は何時からかしらとか、同じ工具があるかなぁとか、そんなどうでも良いことを言いつつ起きる。
あっさり腕を解かれ、『あー寒い』と自分の体を布団でくるっと包んで、着替えのある自分の部屋に行ってしまった。俺は裸で放置されて。俺は良いのか。寒くないけど。
全く面白くないので『とにかくさっさと買って、さっさと戻りなさい』と重力を増やして伝える。
隣の部屋から着替えて出てきた愛妻は、やけに華やかな格好。ドレープもフリルもたくさん付いている、前重ねの深紅のスカートに、金糸の刺繍が飾る真紫のブラウス。大きな革のコルセットと長い編み上げの革靴。
とても綺麗なので、裸でも立ち上がって抱き締めるドルドレン。素っ裸の男に抱きつかれ、頬ずりされるイーアンは、恥ずかしそうに目を瞑る。
布団を戻され、ドルドレンは前を隠され、イーアンはベッドに腰掛ける。『何でスカートなの』ちょっと疑問に思って訊ねてみると『今日は買い物ですから』と答える愛妻。
「寒いとズボンだっただろう。最近ずっとズボンなのに、どうして今日に限ってその」
「あの定番は楽で私も好きなのだけれど。傷も治ってきたし、そろそろまた、こういうの着ておかないと春になってしまうでしょ」
『お買い物だし、たまにはね』とか。どうやら春服に切り替わる前に、着ておかなければという感覚と理解する。
だがしかし。どう考えても、他の男と買い物に出かけるためのお洒落にしか思えないドルドレン。
「その格好だと。タンクラッドが心配だ」
「あの方。私の羽毛にはさすがに驚いていましたけれど、そんなに衣服とか。そもそも見た目は気にされていませんよ」
愛妻からすると、『タンクラッドの印象=誤解されやすい言動をする純朴な男』・・・・・んなわけ、ないだろう。『以前、傷に似合う服を選ぶから、物の使い方が上手って』そういう誉められ方はありましたよと。ケロッとして言う。
ドルドレンはこの後、朝食時も、一々小さいことを持ち出しては、ちくちくとケチをつけてみたが、一向に聞いてもらえなかった。
愛妻は工房へ行き、しっかりと現金を財布に入れ(いつの間にか作ってた)ピンクの玉虫羽毛を羽織って外へ出る。龍を呼び、『早めに戻りますけれど、お昼は食べてきちゃうかも』と言い切る。止めようと思ったらミンティンが来て、イーアンを眩しそうにしながら摘み上げて、背中に乗せてしまった。
朝日にぎらぎらする、愛妻のど派手な羽毛の上着に目をやられながら、ドルドレンは必死に愛妻を見送った。『早く帰んなさいっ』どうにか叫ぶが、朝陽をまともに受けた愛妻は、もう全く姿が見えなかった。
そしてイーアンはタンクラッドの家の裏庭へ降りる。直に降りるのも・・・とは思うが、上着はぎらっぎらなので、今や国内公認の龍が目立ってもらった方が気が楽である。
到着するなり、タンクラッドが裏庭の戸を開けて、眩しそうに目を細め、笑顔を向けた。あなたの朝日を受ける笑顔の方が眩しいっ イーアンは心の中で、世の中の美へ賛辞を贈りつつ、龍を降りて一旦空に帰した。
「おはよう。しかしそれは眩しいな」
「おはようございます。着ていると感じませんけれど、そうかもしれませんね」
家に入れてもらって、出発の時間を確認する。店は9時ぐらいからだろうからと、タンクラッドは、1時間くらいゆっくりするように椅子を勧めた。座る前にイーアンはお茶を淹れて、職人と一緒に食卓に着く。
上着を脱ぐと、職人は目を細めて『お前はスカートも良いな』と誉めてくれた。深い色が上着と似合っていることで、『お前は素材の使い方が上手い』そっち方向で株が上がる。
「お食事は」
「これからだ」
待っていましたといった具合の笑顔を向けられて、確信犯に笑うイーアン。何でも良いのかと訊くと『好きにしてくれ』と微笑まれた。
時間もかけられないので。
酸味の強い野菜と豆を香辛料で煮て、先に汁物を作る。脂身の多い部分の塩漬け肉を、6枚ほど薄切りにしたのを、高温の鍋で焼いた。
買ってあった平焼き生地3枚を、皿に並べて、焼いた肉を2枚ずつ乗せる。鍋に残った肉の脂をかんかんに熱し、溶いた卵1つを一気に入れて、ある程度固まるまで揺すって丸める。固めに仕上げないと、齧った時に落ちやすい。
それを3枚分繰り返し、平焼き生地に肉と玉子が乗り、硬い乳製品のスライスを玉子に乗せる。熱いうちに皿に料理を乗せて食卓へ運んだ。
タンクラッドはとても嬉しそう。白い歯を見せて笑う剣職人は、机に置かれた朝食に感謝を捧げて食べ始める。肉と卵の平焼き生地を二つ折りにして齧りつき、目をすっと開いて微笑んだ。汁物も一口飲んでから『ふうん』と感嘆の声を漏らす。
「香ばしい強い肉の美味しさと、この酸味のある豆の汁物が似合うな」
こんなに美味しいとは、と毎度喜んでくれる職人に、イーアンも作り甲斐があるので嬉しくなる。今日は伴侶にも夕食を作るので、料理時間が増えるなぁとしみじみ思った。
美味しがって食べてくれたタンクラッド。あっという間に食べ終わり、洗い物を済ませてからお茶を飲む。ドルドレンに、今日の買い物と鉱石のことを伝えたと話し、少しずつ、職人とイーアンは出かける支度を始めた。
「嫌がり方が子供のようだ」
上着に袖を通して出かける準備を整えたタンクラッドが言う。ピンク玉虫を羽織ったイーアンもちょっと笑い『彼はとても素直です』と頷いた。
裏に出て龍を呼び、二人はさっさと跨る。早くしないと近所に来られそうなので、すぐに浮上させた。『やっぱり、直に裏庭だと目立ちすぎますか』下方を見やるイーアンは、人が数人、こちらを見上げているのを見て呟く。
「それはまぁ。龍が来たり飛んだりするんだから。驚かないわけないと思うが」
でもイーアンが町を歩いて、人々の目を眩ませるよりは安全だろうとタンクラッドは笑う。苦笑いのイーアンも、とりあえず自覚はあるので、赤い毛皮に早く変えようと思った。
デナハ・バスに向かう間。どこに龍を降ろそうとイーアンは悩む。町が大きいし、周囲は牧地ばかりだから、人目につきやすい。タンクラッドに相談してみると、川の手前はどうかと言われた。
「町に入る前に、大きな川があるだろう。あれの手前はまだ町ではない。橋がかかる向こうには、低いなりに、工場の壁も一応あるから、すぐに降りれば、町の人間にはそう見られないと思うが」
そこに降りることにしたイーアンは、上空からデナハ・バスを探して、言われた所を見つけた。『信じられないくらい早いな』あっという間に到着したことにタンクラッドが笑う。イーアンも同意しながら、壁の外側の川沿いにミンティンを降下させた。
急いでミンティンから降りて、急いで空に戻す。『また後で呼びますよ』声をかけると、龍は首を振り振り、ひゅーっと雲に消えていった。
二人は川にかかる橋を通り、町の中に入る。
イーアンは目立つ。ピンクの玉虫が爽やかな朝の日光をびしばし跳ね返すからだ。だが、真横を歩くタンクラッドも目立つ。こちらは正統派(?)で顔が良すぎる。
上着や服装は普通なのだが、如何せん背が高い上に、顔が極上。道行く女性がホワホワして、頼んでもいない笑顔を浮かべる、町の女性の花道を歩く。
「タンクラッドはいつも。買い物はどうしているのでしょうか」
「ん。買い物。なぜだ。普通に買う」
「こうして町に出て、購入されるのですか」
「何が聞きたいのか・・・・・ 普通だ。誰が届けてくれるわけでもない。自分で買いに出て戻るだけだ」
ここにAm○zonはない。楽○もない。ネットがない以上、自分で買いに行くしかない環境で、この極上のイケメンは、毎回すれ違う女性を虜にしながら、町を練り歩くのか(※当人は普通)。
「何を思っているのか知らないが、普段は馬車だ。早々買いに行ける仕事ではないから。何でもまとめて買っている。食糧は近所に頼むから新鮮だけどな」
イーアンの質問の背景が分からないタンクラッドは、自分でも少し考えたらしいが、とにかく買い物について、きちんと教えてくれた。
イーアンは詮索したつもりはないことを伝える。『あなたへの視線が、私が生きていて見たことのない数で。それで普段はどうされてるのかと思いました』正直に理由を伝えると、職人は少し面食らった顔をして首を傾げた。
「視線。視線ってなんだ。イーアンが見たことない数とは、視線は数えるものなのか」
ここまでとは・・・逆に驚いた。こんなに気にしないで済むのか。イーアンは、この話題を続ける気が起きず、気にしないでほしいと言った。彼はどこまでも純粋なのだ。それで良いじゃないですか、と自分に言う。
不思議な話に、タンクラッドは分からない様子で少し笑って、イーアンの背中に手を添えて歩いた。その職人の手の動きを羨ましがって、声をかけようか悩む女性の声があちこちで聞こえる。タンクラッドは気にしていなかった。
ゆっくり店を見ながら20分ほど歩いていると、イーアンが以前、嫌な思いをした通りに出た。デナハ・デアラの工房のある通りだった。
「この通りだと思う。前に何回か立ち寄ったが、店は老舗が多いから店舗の場所は変わっていないだろう。問屋が多いし、鎧工房もあるから、工具の取り扱いをしている店もあるだろう」
はい、と返事をし、デナハ・デアラの人に会わないように祈った。二人は通りに入った。
店が開いたばかりの時間なので、まだ客足も少なく、業者が結構多い通りだった。ピンクの玉虫と長身イケメンが歩いていく様子は目立ちはするものの、業者に男が多いので、それほど二度見されることはなかった。
タンクラッドはすぐに工具の取扱店を見つけ、イーアンにそこの店に入ろうと誘った。有難いことに鎧工房の誰にも会わなかった。
工具店で、タンクラッドは店内を見回す。工具のない場所は天井と床だけ。びっしり並んだ工具の中で、棚を見て壁の段を見て、オークロイに渡された紙と比べる。
店主を呼んで、用件を手短に伝えると、店主はもう一つの棚を案内した。
「これじゃないかな。この、ちょっと失礼。この絵の工具だと・・・これは古い型なので、合う刃がこれだと思いますよ。もう少し詳しく分かります?」
タンクラッドよりも年が上に見える店主は、背の高い男を見上げながら訊ねる。タンクラッドはもう一枚の紙を見せて『これはもしかすると、加工されているかもしれないが』と前置きして、詳細の紙を渡す。
「うーん。あのう。これはオークロイさんではないですか。オークロイさんの特注で資料もらったことあるんだよな」
おっ、と思ったイーアンは口を挟んで『そうです。オークロイさんの』と伝える。タンクラッドを見上げ、話してみるか目で確認。焦げ茶色の瞳を細めるので、店主に事の成り行きを掻い摘んで話した。
「ああ。そうなんですか。金属代えた刃で、この形をこちらの職人さんが製作されると。じゃあね、要は見本品で良いんだよね?オークロイさんが使っている形で、安いのか。あっちに安いのあったなぁ。ちょっと待ってて」
気の好い店主が店の入り口側に走っていって、イーアンとタンクラッドは目を見合わせて微笑む。『話して良かったです』『そうだな。間違いなさそうだ』二人が一安心していると、店主はいくつか工具を持って戻った。
カウンターの上に並べて、資料の名前と詳細を指で追いながら確認。うん、と頷いてから眉毛を掻いて『これで。大丈夫だと思います。刃の角度や厚さは同じのと、そうじゃないのがあって』こっちは違うな、と呟きながら柄に糸を結ぶ。
「この糸の付いている工具は、資料より太さがあるので研いで、ここの辺まで細くしたほうが良いかも。オークロイさんは古代の鎧だから、突きが狭いんだよね。太いので突くと割れちゃうから」
タンクラッドが関心を示し、店主に質問し始めた。イーアンも横で聞いていて、やっぱり工具は、分野で全然違うと思いながら、勉強になる時間を楽しんだ。店主が紙に書いてくれ、タンクラッドがペンを借りて自分の必要なことを細かく訊ねながら全部書き込む。
「これで良いだろう。ここからはまあ。運任せだ」
ハハハと笑って、タンクラッドは店主に礼を言った。店主も『いや、剣職人か。ここは鎧はいるけど、剣は見ない。貴重な時間でした』有意義な時間だったと笑顔を浮かべて握手をした。
イーアンはお代を支払うので、額を聞く。聞いた額に頷いて、タンクラッドに持ってきたお金を見せる。『これで足りますか』タンクラッドはイーアンの手の硬貨を見て、ちょっと目を丸くしてから、イーアンを見つめる。それから頷いて、5枚の硬貨を取り出し、店主に渡した。
「領収書を下さい。騎士修道会の、北西の支部の、工房ディアンタ・ドーマンです」
はいはい、と店主はお釣を用意して、工具を包み終えると領収書を書いてくれた。『騎士修道会の人なんだね』ディアンタ・ドーマン・・・と書いてから、『つづり、これで合ってます?』とイーアンに訊く。
すかさずタンクラッドが『大丈夫だ』と答えた。イーアンは彼を振り向いてニコッと笑った。職人はイーアンの頭を撫でて、笑い返した。
工具を買ったイーアンとタンクラッドは、荷物の袋に工具を入れる。時間を見ると11時近かった。『そんなにいたのか』と職人が驚いているので、イーアンは『楽しかったから』と理由を教える。
「そうだな。楽しい時間はあっという間に過ぎる気がする。お前といるといつもだ」
「工具もですよ」
二人が笑いながら歩いていると、デナハ・デアラの前を通った。タンクラッドはちらっと華美な鎧の飾られた工房を見たが、すぐに視線をイーアンに戻す。
「ここが騎士修道会から、ふんだくった工房か」
あの話だな、と気がついたイーアンは頷く。『私は知りませんが、以前の総長も大変そうでしたね』ひっそりした声で答える。デナハ・デアラの店の中の誰かは、こっちを見ていたような気がした。
でもピンクの羽毛の上着だから、とイーアンは仕方ないと思うことにした。通り過ぎてしまえば良いこと。
タンクラッドと話しながら、イーアンは隣の通りに歩いた。『イーアン』タンクラッドがイーアンの背中をちょっと押した。
「はい」
「何か。食べるか」
職人が指差した所に、表で食事の出来るお菓子屋さんがあった。あ・・・とイーアンの顔がほころぶ。モイラと年末にお菓子屋さんに行ったのを思い出した。
タンクラッドはイーアンの顔が嬉しそうに変わるのを見て、鳶色の瞳を覗き込み『ちょっと食べてくか』と優しく聞いてくれた。イーアンも思い出して嬉しくなったので、そうしたいと答えた。
甘い香りの漂うツヤツヤした丸い菓子が自慢らしく、二人はそれを頼んでお茶をもらった。お金を出そうとすると、タンクラッドがイーアンを止めて、二人分を支払ってくれた。
従業員の女性は、タンクラッドに見惚れて、お釣を多く渡していたが気がついていなかった。気付いた職人に釣りを戻されて、その従業員は『指が触った』『微笑まれた』と奥の従業員に飛び跳ねて報告していた。
菓子とお茶の盆を持って、表の椅子に座る。陽射しが当たると、イーアンは道行く人の目に悪い(事実)ので、庇の影に座った。タンクラッドも道行く人の目を奪うが、こちらは健康的なので日向。
「美味しいです。思い出すなぁ」
「美味しいな。何を思ってる?」
自分の初めての友達が、ウィブエアハにいることを話し、彼女は宿を営んでいて、年末は空き時間があるからと、一緒にお菓子を食べに連れて行ってくれた。その話をイーアンはずっと嬉しそうに喋っていた。タンクラッドはそんなイーアンをじっと見つめていた。
「お前は。金の数え方を知らないのか」
「そうです。覚えても、すぐ忘れます。自分で買い物をする環境ではないので」
「そうだな。その、友達はそれを知っているのか」
「はい。モイラには自然体でと思って。分からなかったから、お金を選んでもらいました。絵の具を買った時も、彼女は支払いに付き添ってくれました。私が違う世界から来たと気がついても、そのまま話をしてくれました」
タンクラッドは微笑んだ。イーアンの頭を撫でて、頬に親指を置いてなぞる。『お前の友達は良い友達だ』良かったなと、剣職人も喜んでくれた。
剣職人の甘い行動に、店の従業員女性が窓際に殺到していた。羨ましいと聞こえるくらいの音量で、黄色い悲鳴が窓の向こうから聞こえるイーアンは、そーっとタンクラッドの手から頭を離して、笑顔でお菓子の続きを食べた。
「何だか騒がしい気がする。そろそろ行くか」
タンクラッドは耳が良くないので、黄色い悲鳴は分かっていなかった。それに気がついて、イーアンは、そういうのもあったのかと理解。関心がない上に、耳に入らないなら、気にもしないのかも。
行きましょうか、と席を立って二人は店を出た。イーアンが後ろを振り向くと、従業員の女性が4人くらい、タンクラッドの座っていた椅子を取り合っていた。女子高生のような元気に、イーアンは感心した。
二人は、工具や魔物の話しをしながら町を出て、ミンティンを呼んで背中に乗った。
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