31. 野営2日目
(※止め所が掴めなくて普段より長いです)
夕方、野営地へ到着した部隊は手際よくテントを張り始め、焚き火を熾した。
昼食を摂ることなく戦闘に入ったので、騎士たちは早めの夕食準備にとりかかる。イーアンが負傷者の包帯を交換したい旨を伝えると、ドルドレンは彼女を連れて先日負傷した3名の手当に付き添った。
交換後、テントに戻りながら『彼らの包帯を洗う場所があればいいのに』とイーアンは呟いた。
野営地近くに川が流れる場所があったことを思い出したドルドレンは、それをイーアンに伝えるとイーアンは行きたがった。テントに戻って自分の荷物を持ち、交換後に洗濯待ちだった包帯を抱えて、イーアンはドルドレンと一緒に川へ向かった。
川は野営地から馬で5分程度の場所にあり、焚き火の煙が立ち上っているのが見える距離。丈の高い草がまばらに生えている、草原の終わり部分のようなところに幅3mほどの川が流れていた。
「この川沿いにイオライセオダの街がある。剣の工房があるところだ」
イーアンは指差された先を見た。『帰りはイオライセオダに寄って報告するから、その時工房も見れば良い』とドルドレンが提案したので、イーアンは嬉しそうにお礼を言った。
それから川で包帯を濯ぎ、持ってきた自分の服(下着)をそっと見えないように洗った。水は澄んでいて透明。気候が暖かいから水温も高い。深さは、場所によって膝上くらいまでありそうに見える。
チュニックとズボンも洗おうと荷物に手を伸ばした時。ふと、袖をまくった腕に砂埃がついているのに気がついたイーアンは、少し体を洗えないかと考えた。
「ドルドレン。あの、ここで少し水浴びしても大丈夫でしょうか」
ドルドレンの目が見開く。
やっぱり一人だけ水浴びなんて駄目かも―― とイーアンが思った時、ドルドレンが口ごもりながら『うん。そうだな、イーアンは女性だから気になるんだな』と独り言のように呟いた。
そしてドルドレンは眉を下げて丁寧に言葉を選びながらイーアンに了承を伝える。
「俺は臭わないと思うけれど、イーアンが気になるなら。見張っているから水で体を流すと良い」
魔物の件で体臭の話をしていたことを忘れていたイーアンは、恥ずかしさが蘇りつつも、了解を得たことにお礼を言って水浴びをすることにした。
周囲は草の丈がそこそこあるので、そそくさ衣服を脱いで水に入る。最初だけ冷たいものの、入ってしまえば体が慣れて気持ちが良い。泉に落ちた日を思い出したが、ほんの4日前でもずいぶん前のような気がした。
しゃがむと肩くらいまでは水の中なので裸でも大丈夫・・・と分かったイーアンは、髪の毛を指で丁寧に梳かし、体に汗で張り付いていた砂を落とした。ある程度すっきりしてから、洗うつもりだったチュニックを裏返して体を拭き、急いで衣服を着た。体を拭いたチュニックも濯いで絞り、洗濯も済んだ。
この間ドルドレンは後ろを向いていたが、純粋な欲望と保護者の理性が戦い続けていた。 ――見たい。でもそんなことは絶対出来ない。彼女を守ると言った男が欲望に負けてはいけない。だが見たい。
「もう大丈夫ですよ」
濡れた髪の毛を一まとめにしたイーアンが後ろから声をかけた。時間にして5~6分。長かった、とドルドレンは今日一番の疲労に深呼吸をした。草を食むウィアドと目が合い『ウィアドは見ていたのか』と羨んだ。ドルドレンの心の声に答えるようにウィアドは鼻を鳴らし、近づいてきたイーアンに頭を撫でてもらって満足そうだった。
二人が野営地に戻ると、食事はもう始まっていた。ウィアドを馬のテントに預け、自分たちのテントに荷物を置いたイーアンとドルドレンは、焚き火の場所へ行って食事を受け取り、火の側で食べることにした。
「この肉って何の肉なのですか」
配られた汁物の中に入っている肉を匙で持ち上げ、イーアンは訊ねる。ドルドレンは『ああそうか』と気が付いた様子でイーアンの容器を覗き込み、一つ一つ説明した。
肉は家畜で、牛と鳥が一般的。支部は家畜を飼育していないので、これらは配達で届く塩漬けの肉と乾燥肉であるという。野菜は食用植物のデンプンの多い根茎や肥大した根、葉物や実で、時期によって食べられるものが変わる。ブレズに使う穀物はもともとは雑草の種子を潰していたというが、栽培して種子の大きさと収穫量が増えた主要の品種改良2種類が使われる。
「イーアンは料理がしたいと思っているのか?」「できれば何か作りたいと思います」
イーアンの作る料理を食べてみたい・・・とドルドレンは思った。『支部に帰ったら、調理場を使っていない時間に作ってみたら』と言うと、イーアンは喜んで楽しみだとはしゃいだ。
食べ終わって食事の片づけを手伝い、その後テントへ戻る。騎士たちは早い就寝の者もいて、既にランタンを消したテントもあった。この日もなぜか、周囲にテントが立ち並ぶ中に二人のテントはこじんまりと張られていた。ドルドレンは不愉快だったが、イーアンは気にもしていなかった。
イーアンは枝を3本拾ってきていたので、早速テント内に簡易的な物干し竿を作って洗濯物をかけた。
「ちょっと私物で申し訳ないのですけど、気にしないで下さいね」
ドルドレンが鎧を脱いでいると、背中から声がかかった。振り向いてみれば、包帯とチュニックで少し隠したような存在が嫌でも目に付く。
『イーアンに遠征前に渡した布がこんな形に・・・・・ 』とチラチラ見るのが止められない。チラ見に気付かれたら変態だと思われる。ドルドレンは悩ましい夜に、嬉しさと苦しさが同時に発生することを知った。
そんな男の気苦労も知らず、イーアンはドルドレンの真横に来て座った。
『もしかして』と期待に胸が高鳴ったのも束の間。鎧と剣をまた見せてほしいと言う・・・・・ 『君は俺より鎧と剣か』残念さが止まらない寂しげなドルドレンを見もせずに、イーアンは鎧の作りを一生懸命こねくり回して調べ上げている。
会話もない寂しさを払拭するように、ドルドレンはイーアンに質問はないかと訊ねた。
「たくさんあります。だけど書き留めたいから支部に帰ってからの方が良いかもしれないです」
・・・・・このままでは会話にならない。
ふと、黒い螺旋の髪の毛を垂らして鎧に張り付く彼女が関心を持つかもと、ドルドレンは今日の戦闘の話をした。
「イーアン。今日の戦闘時に教えてくれた、イーアンの観察眼は大したものだった。魔物を相手によくあれほど短い時間で仮定を出せるものだと感心した」
ぱっと身を起こして照れて笑ったイーアンに、『よし、掴んだ!』とばかり続けて話をする。
「金属の話を思い出したのだが、イーアンは、酸性の液体に対して一定の条件を持った金属なら無事と言っていたな。そんなことを考えたことはなかったが、他の金属と何が違うのだろう」
「不動態皮膜を持っている金属は、全部の酸に対してではないですが、酸の腐食に強いと聞いています」
返答内容がよく分からないドルドレンは、ちょっと動きが止まり目が瞬く。
「酸化性の酸と思われる今回の魔物の液体に、ドルドレンたちの使う剣は耐食性があるようです。それで不動態皮膜を持っている金属ではと仮定して話しました。
ですが、剣に使われた金属以外の金属や、もしくは剣素材に使った金属が複数である場合に使用割合が変わると、その耐食性が持たない場合もあると思います。だから、他の金属は無事ではないと言いました」
「イーアン」「はい」「もう少し簡単に言うとどうなる?」
「はい。ここに来て日が浅いから情報を知らず、今話していることは全て推測です。
イオライで作る刃物には表面に膜があるとして、それは刃物の表面が傷ついてもすぐに再生するものだから、強い酸にも全体を壊されない」「ふむ」
「だけどその膜は、どの金属にもあるものではないため、違う質の金属は」「壊されるということか」「そう思います」
ふーん、とドルドレンは感心した。イーアンはいろいろ知っているみたいだ。
「思い出したことがあるのだが、以前、似たような毒というか体液を飛ばす魔物がいた。その魔物にもこの剣を使ったが、少し剣が痛んだ気がしたことがある。研ぎ直してもらって戻ったが」
イーアンはじっと鞘に納まった剣を見つめた。
「その時はどんな・・・環境というか、どんな場所でしたか」
ドルドレンが思い出せる範囲で伝える。そうだ、あの時の魔物は飛ぶやつで、火山帯だった。それを伝えると、『もしかして剣に砂というか、そうしたものが付いたりしませんでしたか』と言う。言われてみれば、と回想する。
「そう言えば付いていたな。魔物が飛ぶので最初の数回は空振りした。その時に剣が一度下に落ちて、黒っぽい粉が剣に付いた」
「本当に推測で申し訳ないのですが、場所が火山帯という話ですから磁気の影響かもしれません。剣自体が元から僅かな磁気を帯びている金属の場合もあるでしょうが、そうした場合は耐食性がちょっと劣るようです。だけどさっきもお話したように、その魔物の体液が今回の酸と同種ではない可能性もあります。でも」
一呼吸置き、ちょっと鳶色の瞳に睫を伏せて、自信がなさそうに続ける。
「 ・・・・・さっきから知識にあることだけを繋ぎ合せて話していますが、実際私は金属や酸についてあまり詳しくは知らないのです。この世界でもっと詳しい人に伺うことができれば、今後魔物との戦闘に適切で有利な状態を作れる可能性はあると思います」
イーアンの話は、想像以上に面白いとドルドレンは思った。展開も良い。戦闘に有利な状態か。
イーアンは以前の世界で何を仕事にしていたのか。ふと気になって聞いてみると、返事は『ものづくりです』だった。『素材から手作りで作る古典的な方法が好きで』と。そして何かを考えたのか質問してきた。
「ドルドレン。今日思ったのですが、倒した魔物はあの後どうなるのでしょう」
「うん? 魔物か。大体は死んだ後に崩れて消えていくから我々はそのまま置いていく」
「どれくらいの期間で崩れるのですか。固体によりますか」
「これまで見たものは、およそ一週間くらいで崩れている。 一週間後に同じ場所に行った時、魔物の形のまま大きな灰のように変化していて、風が吹くと壊れていた」
なぜだ?と問うと、イーアン曰く『魔物の体が何かに使えるのでは』と、とんでもないことを言う。
「でも崩れるんだぞ。長持ちしない様子だから使えないだろう」
「もしかしたら死にたてくらいだと、一部くらいは使えるかもしれませんよ。負傷者の鎧に付いていた固着物はおそらく魔物の体液が乾燥したものです。あれが一週間後に灰になったら諦めます」
「イーアン。あの魔物の一部を使うと想像して気持ち悪くないのか」
イーアンはニコッと笑った。『皆が命懸けで倒すんですから、魔物が何かに役立つといいと思う』と。
ドルドレンは呆気に取られて目の前のくるくるした髪の毛の女性を見つめたが、急に笑い出してイーアンの肩を抱き寄せた。イーアンが驚いて見上げる。
「大した人だ、と思ってな」
一しきり笑って、息を吐き出したドルドレンはイーアンに微笑んだ。そして明日も早いからと就寝を勧めた。
昨日同様。イーアンは毛布の中でズボンを脱ぎ、それを気にしないように集中したドルドレンはランタンをささっと消し、二人はお休みの挨拶を交わして眠りに付く。
今日。 ドルドレンは昼の戦いが嫌ではなかったことを思い出し、理由はイーアンが戦いに参加した ――状況把握の助言―― からだと思った。それに負傷者が今日は出なかった。全員無事だったことが何よりだ。
これからも彼女が横にいてくれると思うと嬉しかった。だからイーアンが危なくないように常に注意を払おう。 瞼の重くなるドルドレンは、久しぶりに穏やかな眠りについた。
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