298. 殻材料で槍の柄作り
執務室でのドルドレン。
やること一杯。回ってくる報告一杯。判待ち書類一杯。集中力が切れると空回りするので、どうにか意識を集中するが。
――ハイルがイーアンを好きなのは知っている。しかしハイルの『好き』は、男女のそれとは違うような気もする、最近。お友達が男女でした・・・とそんなふうにも思える。タンクラッドへの焼きもちは、『自分にもしてほしい』というくらいではないだろうか。菓子で笑顔が出るくらいだし。それはまぁ良かろう(※心の広い旦那)。
今回、問題なのはオカマではない。無関心男だ。
何があったのか知らんが、なぜイーアンを怒らせるまで絡んだのだろう。いつから?ボジェナとくっつける作戦を実行する前は・・・・・ 普通だったな。二人でハイタッチとかしていたし。
ん?そうだ。イーアンと戻ってきたその日だ。ダビが怒らせて、イーアンが龍からダビを振り落とした(※正確には龍の意志で振り落としてる)あの時。
あれから何かおかしい。その後しばらく見ないと思っていたら、なぜかクローハルに連れられてダビが夜に謝りに来たのだ。そうだそうだ、人が愛妻(※未婚)と今から突入という時にだっ。あいつめっ。ぬっ、違った。そっちじゃない。
ふぅむ。あれ以降、情緒不安定なのだな。しかし無関心にも程があると有名なダビが。なぜイーアンに絡むのだ。イーアンを怒らせたら、やつの大好きな仕事がしにくくなるくらい分からないのだろうか・・・・・
「聞いてますか、総長。ここに書かないでって、さっき教えましたよね」
ハッとすると、部屋から動かない職務でぽっちゃりした執務の騎士が、自分を蔑んだ目つきで見下ろしている。ぽっちゃりしてるのに可愛げの欠片もなく、目つきが悪い。何やら自分がやらかしたらしいことは理解する。
「何だ。聞いている」
「聞いてるなら、ちゃんとやって下さいよ。ここに総長の名前書いたら、宛名になっちゃうでしょう。総長が総長にお金支払ってどうするんですか。あなたの名前はこっち。支払い項目の上は相手様。覚えました?」
ぐぬうぅ。呻いて睨みつけると、蔑んだ目つきの騎士は、二重顎をぷくっとさせて『注意されるのが嫌なら、間違えないで下さい』と畳み掛けた。そして同じ種類の書類を10cmくらいの厚さでどさっと置く。
「もう。総長が書き間違えると、また作り直さないといけないから。仕事が増えるよ」
立ち去りザマに、他の騎士に嫌味丸出しでぼやく。他の騎士も胡散臭そうな目で総長をちらっと見て、頭を振って溜め息をついた。
子供でも分かるのに、と囁き声が耳に届く。子供にわかるかっ、と言い返そうとしたら、ザッカリアに書かせた時、一発でちゃんと出来たと会話が続いて黙った。悔しさを通り越して悲しみしかない。
ドルドレンは嫌々仕事に専念し、早く終わらせて、早く愛妻を抱き締めにいこうとそれを励みに頑張った。 ――ダビのことは一先ず忘れなければ。あいつが妙な感じだからな~ もしや、ボジェナと上手く行かなかったのか・・・・・
そして再び間違え、怒られて、これを繰り返すドルドレンだった。
工房では、立てかけた殻を相手にイーアンは作業していた。霜で濡れた表面に、土や草が付いたので汚れを拭き取る。谷に落ちていた魔物の死骸や、生きていた体に見えた保護粘膜のようなものはない。凍って落ちたのかもしれない。
「何か塗っておきましょう」
とりあえず油で良いかな、と思って、乾拭きした後に油を取って表面に摺り込む。色は特に変化しない。これで良いのかも知れないので、全ての殻に油入れを施した。
切り分けた殻は、2m四方の物自体は少なく、殆どは2m×1m~数十cmくらい。大きい部分が2m四方取れただけで、その部分は背中でとても厚い。他は腹側に向かって薄く狭くなる。
「背を鎧に使ってみて、どうなるかしらね。薄い部分は、手袋や武器の握りに使えるかしら」
イーアンが見ただけでも、背の部分だけで鎧が30は作れそうだった。実際は、どのくらいの量をどんな切り出しで使うか、それによって数は変動するため、オークロイ親子に見せてからだなと思った。
「その前に。ちゃんと試作を作って、状態を知らないといけないわ」
殻の薄い部分の板を取り出して作業机に乗せる。槍もあるので、膠を暖炉の側に置いて温め始めた。柄の部分をじっと見つめ、この殻の板を切り出して型のように使えないかと思いつく。
とりあえず、暖炉に殻の板の端をかざす。炎に縮むことはない。変色もない。表面が焼けて少し剥けたが、それは薄皮で、皮下は影響がないと知った。
暫くそのままにしておいたら、殻の板は若干光沢に揺らぎが出て、ギラギラした黄茶色は艶やかな赤銅色に変わった。直に触れると危険なので、両手にヤットコを持って板を少し曲げると、力は要るが少しずつ曲がる。
ゆっくりゆっくり力を入れて、端の方を槍の柄と同じくらいの角度まで曲げる。それを少しずつ距離を伸ばして行き、掴んでは折り曲げを繰り返し、2m分の巻き返しが出来た。もの凄く疲れるし、時間もかかるが、端まで終わったところで、板を暖炉から取り出して金属台に乗せて冷ました。
色が少しずつ落ち着いてきて、赤銅色は深い黒緋色に変わった。渋い色で艶が走ると何とも言えない魅力がある。イーアンの工房に船はないので、窓から表へそっとそれを持ち出して、水場で水に打たせた。色はまた少し変わり、黒緋色に不思議な青と緑の波紋が生まれる。光に当たる時それははっきり見えて、艶の中に真珠のような細かい輝きが青と緑の波紋を見せた。
「こんなに。こんな色になるなんて。なんて美しいの」
驚きながらも見惚れるイーアン。丁寧に水気を拭いてから、強度を確認する。そして後悔する。
「先に切り出しておけば良かった」
ひえ~とか何とか、時々情けない声を上げ、切り出してみる。が、硬くて一向に進まない。白いナイフでどうにか傷は付くが、それでも全部切り離すなんて日が暮れると判断し、仕方ないのでこれを諦めて、別の板を切り出した。
今度は思い付きではなく(※最初からこうすれば良いだけ)槍の柄の径を測って、白いナイフで殻板を切る。柄の長さは3600mm。直径は30mmくらい。ブレードが付く部分だけ少し直径が減る。これに足りるように切り出す。図を描いて、細かい部分を設定して。いざ切り出し。でも。
「うむ。焼かないほうが良いのかしら」
ベルの目的はしなる槍。火入れしない殻の状態でも充分硬いし、充分熱にも凍結にも強いと分かっている。少なくとも、木製よりは硬いのも確かである。ということは、曲がりゃしないほどの金属的硬化を狙っては用途が変わる。
「これはオークロイにと思っていたけれど。タンクラッドにも見せたら、良い素材かも知れない」
この質の変化は、黒い角と似ている。本当に金属化するのかどうかはイーアンの工房では分からない。火の温度がそこまで上げられないからだ。タンクラッドにお願いして、加熱を試してもらうことにした。
柄の加工は。思い直して、今回はこのままの殻を使って作ることにした。もう膠は用意してあるし、中身を、膠と白い皮の破片で埋めれば相当硬い。仮に使用中に熱を受け、中から膠が柔らかくなって溶けるだ何だとあったとしたって、そんな場面なら木製の柄だって、とっくに壊れるだろうから問題ナシとする。
「良い良い。ではこれで作ってみましょう。合わせの部分だけ気をつけて、形が出来たら上から巻いちゃえばね」
そうと決まれば話は早い。イーアンはせっせと槍の柄を作り始めた。
お昼休みはドルドレンが迎えに来て、なぜかイーアンを見るなりひしっと抱きつき、非常に困憊しているようだった。可哀相にと思い、黒髪の美丈夫をいつもより一層優しく撫でてイーアンは慰める。
「会いたかった。死ぬかと思った」
「何を仰ってるの。執務室にいたのでしょう」
「だから死にそうだったんだよ」
きっと事務作業が厳しかったのね(←散々にいびられてる)と同情し、一生懸命慰めて、ちゅーっとしてあげた。ドルドレンは回復し(※単純)一緒に昼を食べに行った。
「イーアン。悪いけれど、今日は親父の話をする時間がないかもしれない」
「忙しいのですね」
「うん。やることが多くてね。でも明日なら時間を作れると思う。俺も忘れていないと良いけど」
仕事が入るとどうしても、とドルドレンは食べながら言う。彼を労いながら、イーアンは今日中にスコープも作り終えてしまおうと決める。今日終わらせてしまえば、明日自分にも時間のゆとりが出来るから、頑張ることにした。
食事をしている最中に。朝、フェイドリッドに指輪を差し出され、受け取ったことを話すと、ドルドレンがかなり衰弱した。何かを決定的に勘違いしていると気が付き、イーアンはさらに詳しく話した。
「ということですので、ご心配に及びません。・・・って、当たり前じゃないですか。ご加護用の指輪ですよ」
「そうか。一瞬呼吸が消えたから、心臓が破裂したかと思った。もしくは脳の血管が80本くらい切れたか」
イーアンは笑いながら頭を振って、『すごい勘違いで死なないでほしい』とお願いした。困ったように笑みを浮かべるドルドレンに凭れかかって、イーアンは暫く笑っていた。
「この世界でも指輪は、結婚や繋がりの印なのですね。私の前にいた場所も、結婚の約束は指輪でした。違う約束の仕方をする民族もいたでしょうが」
「そうなのか。指輪を受け取るというのは、ハイザンジェルと、どこだったかな。ハイザンジェルでは、その者の愛と全てを受け取る意味だ。全ては全て。財産も存在に因むものもだ」
「すごい重さですね。それは結婚の時にも交わすのですか。指輪を交換とか」
「そうだな。結婚だけではないが、多くはその形で見られるのだ」
だからドルドレンは気絶しそうになったのねと、イーアンは納得した。結婚しなくても受け取ったりするのなら、そりゃ王様からもらったとなれば一大事。理解した様子のイーアンに、灰色の瞳の哀愁漂う視線がじっと注がれる。
「イーアン。その指輪をつけるのか」
「いいえ。あまり言いたいことではありませんけれど。私の指は男のようですから入りません。持つだけ」
ちょっと嬉しそうな顔になったドルドレンは、そうかと頷き、昼食の続きを食べて満足そうだった。イーアンは、貴重な指輪を失くすと困るし、これは紐を通して首に下げようと思った。
食器を下げ、工房に向かう時にそれを話すと、ドルドレンは再び凹んでいた。それを見て、その方法も宜しくないことを知ったので、問題のない案を思いつくまでの間、指輪を何か失くさない形でどうにか保管しようと考えるイーアンだった。
この後。槍の柄を作り続け、一晩乾燥の工程まで進んだので、次はスコープ仕上げの続きを始めた。ドルドレンは、最初にイーアンが呼んだ呼び名の『集光板』と記憶してくれているが、機能がどうも集光板と言い切り難いため、元の世界の呼び名の『スコープ』と言い直すようにしていた。
眼鏡レンズは『目円盤』と皆は呼んでいる。でも顔にかけっぱなしの使い方をせず、使用する時に手に持っている。道具と言うのは、場所によってはいろんな使い方があるんだな、とイーアンは思う。
黙々とスコープを作り続けていると、夕方になってドルドレンが来た。バリーの手紙が来たという。
「明後日か、その翌日はどうだと。バリーは急だな」
「急の用ではないでしょうけれど・・・・・ あまりザッカリアやギアッチに負担になるようなことがないと良いですね」
扉にきちんと鍵を掛けたドルドレンは、毛皮を持って窓にもそれをかけてから、ベッドに腰を下ろしてイーアンに手を広げる。イーアンはドルドレンの横に座り、一緒に手紙を見た。
所々読めるようになったが、難しい言い方は分からない。
全体的な感想では、バリーは流れるような字を書くことが印象的で、文自体はとても短い。必要なことだけしか書かない人で、文書のような見えない部分は、誤解を生まないようにしているのかなと思った。
ドルドレンの疲労(※頭)がひどい様子なので、イーアンは彼の頭を抱え込んで撫でてやった。ちょっと涙が出てそうな気がしたので、よほど執務室の仕事がきつい(※人間性を壊される)のか。
撫でるイーアンの膝の上で、ドルドレンは『イーアンは優しい』『ずっとここにいたい』と保健室の生徒のように、教室へ帰りたくないような駄々を捏ねていた。
その内、扉がノックされ『いるのは分かってる』と刑事のような物言いで執務の騎士が訪ねて来たので、已む無くドルドレンは立ち上がって工房を出て行った。
彼が連行(※不穏)された後、またスコープの続きを行う。結局この日は、風呂と夕食を済ませてからも工房でスコープを作り、夜9時頃までかかって全部を終えた。ドルドレンは工房のベッドで待っていた。
仕事が一つ終わったので、イーアンはホッとする。暖炉を消して、蝋燭を消し、鍵をかけて工房を後にした。寝室まで抱き上げて連れて行くと張り切る旦那に、笑いながらもイーアンは素直に運んでもらった。
寝室へ入って、蝋燭をとっとと消してから、ようやく本領発揮のドルドレン。頑張ったご褒美とか何とか言いつつ、さっさと服を脱いで、愛妻も脱がしてベッドに納まった。
「やっと生き返った気がする」
温かな素肌の温度に安心して、嬉しそうに呟く黒髪の美丈夫。頑張ったのを誉めてくれとねだるので、イーアンはちゃんと彼の満足するように応えた。ドルドレンはとても幸せで、とても快感で、早く家を建てたいと心から願った。
お読み頂き有難うございます。




