2958. キダドの町 ~①死霊の群れと鉈の箱
「遠い」
「ですね」
村から飛んで一分。ゆっくり飛んでいるからだが、遮るものがない空の道は、地上を行くよりずっと遠くまで進む、のに。
一分後に町の端が見えてきて、ぽつぽつ家が増え、道が目立ち、放牧地が視界に入り、そして町の塀―― 気持ち程度の ――が薄っすらと影を落とす地面上まで来て、結構あるなとイーアンは後ろを見た。
塀の内側から奥は、集合する建物も多く、町と言われたらそう思う。道も均された、広い田舎町である。ゆったりした丘の先には水平線が見え、海は近かったのかどうか少し考えた。
町の上を少し飛んでから、どこかに降りようと決めて、東西南北に通じる大通り端に着陸する。降りてすぐにイーアンは海の方を示した。
「海が近い?」
「地図では、そうでしたね。ヨライデは海岸がこう、ぐっと入って奥まっている形もあるから」
宙に指で海岸の湾曲を描くレムネアクは、話しながら建物の看板を眺める。村と違い、看板も道しるべも豊富。そこかしこ色とりどりは、どこもヨライデらしい風景で、けばけばしい独自の色使いは田舎町のここもそうだった。
レムネアクは並ぶ店を左右交互に眺め『キダドという町ですね』と教える。
「キダド」
「はい。キダド産、と名打つものがあるんでしょう。ケルストラの地名も書いていますが、村々から運ばれるものも『キダド』で統一している方が、買いやすいのかな」
突風は受けるが、建物が多いために、村のようなふきっ晒しの風は食らわないで済む。路面も石が敷かれているので、砂埃も少なく歩いていて苦はない。少し歩いたら、路地から隣通りへ移動する。
どこの町も似たような機能と効率を求めるもので、古くからある店や工場は別として、関連性のある業種は近隣に揃うような。
飲食なら、市場から飯屋まで近所にあるし、事務なら、文具から写本・配送まで、近い。配送は運輸団体で敷地を持つものだから、仕事を受けやすい町中と、馬車置き場が確保できる町外れによく見られる。警備・病院・教会も、コミュニティや福祉施設・役場の類も、流れがある仕事は離れていない。必ずしもそうではないけれど、だから馬車工房もそうかなと・・・
「この道じゃないね。次、行こう」
「・・・そうですね。先は学校で、手前は普通の商店街です」
誰も歩かない大通り。点々と置かれたままの荷車や馬車が、少し前までの風景を想像させた。
荷車用に繋がれていた家畜は、人間が消える前に回収されていたため、放置の荷車の形がその影響でやや不自然。馬用の轅とは違うサイズの棒が括られている。
「人力車状態ですね。そう長い期間じゃないでしょうけれど」
「人間が、牛馬の如く」
ぼそりと落としたイーアンに、横目を流したレムネアク。何?と聞いた女龍に『あなたは龍だから、人間が愚かに見えるかなと』と少々卑屈な言い方で苦笑した。
「私は人間の時から、こんな感じだった。馬たちの世話になるけれど、『重労働は当然家畜がするべきだ』とは思わない性質だし」
「・・・分かる気がします。あなたはどんな相手にも、同じ高さに揃えて見ているような」
「そんな大層なもんじゃねえよ」
ばすっと遮ったイーアンに、レムネアクは少し笑って『失礼しました』と頷き・・・ イーアンがピタッと止まる。鳶色の目がゆっくりと宙を探り、何かあるのかとレムネアクも緊張。女龍は数回瞬きし、風の強い曇天を見上げて『上から見た時、何も感じなかった』と呟いた。
「変なものがあるんですか」
「ちょっと待ってて・・・って、危ないか。いいや、あんたも来い」
待たせてすぐ飛び立とうとしたものの、イーアンは6翼を広げてレムネアクに腕を伸ばす。嬉しい!と思うもそんな場合じゃないので、レムネアクもイーアンの腕の前へ。背中から龍の腕で抱えられた途端、まるで逃げるように一気に空へ上がった。
「どうしたんです。魔物ですか?」
「違う。何か分からないけど私の龍気に気づかれると逃げられるから。もしかすると、近くに」
「・・・ん?死霊の気配がします」
「レムネアクは死霊使いだもんね。やっぱそうか、でも死霊にしては薄いっていうか」
「いえ。死霊の臭いがします」
イーアンは死霊の気配を乗せた風上へ、地上に目を凝らしながら速度を落として進み、自分の龍気も控えめにする。レムネアクは『臭い』と表現したが、実際に臭いはしない・・・言葉にしづらいけれど、墓や湿った地下の空気に近い。独特で、肌にまとわりつく湿度や温度。
でもイーアンにはこれまでの死霊と少し違う気がして、限定できなかった。レムネアクは確定しているらしいのが意外。
「あれですね。あれだ、森の(※2941話参照)」
僧兵が腕を伸ばし、最初に降りた道と反対へ続く道を特定。一見して、風景の異変は視認できないが、イーアンも感覚で理解した。よく見るとある場所だけ、色がややくすんでいる。形は何もないが・・・
「死霊の、カス?」
カス?と頭の上で尋ねられて、レムネアクは一瞬笑う。すぐ咳払いして肩越しに、『カスでも良いです』と可笑しそうに頷いた。
「え、だって。死霊って体があるでしょ。死体のくっついた」
「はい。でも下にいるのも死霊です。死霊使いが呼び出す時は、ああいった状態が普通なので」
「・・・倒していた、体のあるやつは?ティヤーは全部そうだったし、ヨライデに入ってからも」
見下ろしているわけにもいかないと、レムネアクはイーアンを急かす。
集りは危険な状態であり、何かが起きたのかもしれないと言い、女龍は了解して僧兵を片腕に持ち換えた。
「悪いんだけど、落ちないで」
「あなたの脇から落ちる気は毛頭ありません」
その言い方よせ!と注意して、イーアンは首を白い龍に変える。真横の龍の頭にレムネアクはぞくぞくするが、今は緊急事態(※自覚)。
『集合している死霊の霞だけ、取り払えますか』と急いで伝え、ちらっと見た鳶色の瞳が瞬きすると同時、牙の並ぶ口が開く。その口が向いた地上は、くすんでいた霞が瞬時に消えた。
イーアンは目を走らせて、残りを捜す。
死霊の気配はもうないけれど、あんなモヤモヤで大群になっているなんて思わなかった。モヤモヤのちぎれたのが逃げていないかと、龍の首を左右に動かすと、左に抱えたレムネアクの手が鱗の顎に触れて止めた。
何だ?と見下ろす龍に、顎に触って目つきが幸福そうなレムネアクが、『いません』と言う(※触る必要はない)。
彼の判断材料が不明と思いつつ・・・死霊使いを信用し、人の首に戻したイーアンは『本当にいないの?』と怪訝そうに地上を見た。
「いないです。ああいうのは数珠繋がりみたいなもので・・・消えたばかりだから、まだ理由が残っているかもしれない。降りましょう」
理由?よく分からないイーアンだが、この場合は死霊使いの経験に従う。
町の中心から北側、そこは住居系の一画で、死霊がこぞって屯していたのも、ある民家の裏だった。イーアンは降りてすぐ、おかしなものに気づく。
「これ・・・ 」
庭の草に紛れる、異物。黒っぽい艶を放つ人工的な物、角っこの部分と思しきそれは、埋もれていたものが出現した様子。レムネアクは近づきかけたイーアンの前に腕を伸ばして止め、自分が引き受ける。
「危ないんじゃ」
「私は死霊も仕事ですから」
それに龍相手では消えるかもしれないと続けられて、女龍は待機。
死霊使いだからと言え、無事な保証もないけれど、レムネアクは子供の頃から学んだ熟練―――
地面から出ている部分に屈み、この物体をすぐ見抜いた男は首を傾げる。
「なんで、土に埋まっているんだ」
「それ、何なの?」
「・・・これが呼びつけたのか?死霊が集まっていた理由は」
「何?触らないの?」
何なの、どうしたの、と気になるイーアンは彼の足元と顔を交互に見て、『私が手伝う?』と言ってみたが、レムネアクは、気が進まなさそうに首を横に一振り。断られた。
「イーアンが触れたら、浄化しますよね?水や土もそうだし」
「だと思うけど。浄化した方がいいじゃん」
「謎を知っておいた方が良くありませんか。なぜこんなところに埋もれていて、死霊を集めたのか」
だからそれは何なの!と、正体不明の物品に焦れる女龍。こんな時、おかしそうに笑うのがレムネアクの常なのに、今は片手を顔に当てて地面を見つめた。
「剣の範囲、ではないかな・・・鉈入れです」
「鉈」
「死体を分断するための。そして旧教の封印だから、神殿のですね」
*****
死体分断用の鉈。
ドン引きイーアンの様子に、顔下半分を手で覆ったまま、ちらっと見たレムネアクは、『そういう反応になると思いました』と呟く。
「神殿の、って。神殿で、死体を」
「分けるんですよ。死体は使うから」
箱の一部が露出しているだけでも、鉈入れと見抜いたのは、『新旧関係なく通用する木箱』の形だからで、儀式用の鉈は箱入りで保管するもの・・・とレムネアクが教える。
神具売りの店にはあるもので、神殿の術師が使う。新旧関係ない道具の一つであり、買ってからそれぞれの処置を施すため、鉈や刃物を卸す業者は変わらない話。
「私は旧教の道具類に詳しくないけれど、鉈そのものも箱入りも、売り場では見ています。一般は箱付きなんか買わないですけれどね。箱代もあるし、用があるのは鉈なので」
これは旧教の樹脂で封蝋しているから、旧教の神殿の鉈、と決定。
その手の内容は耳にしているイーアンだが、不意打ちで詳しく知るとやはり嫌悪反応は出る。うえ~と思うが、レムネアクも気を遣ってくれるので、『そうなの』の返しに留めた。
「下手に手を出せないようだけど、置いといたら、死霊がまた集まるんじゃないの」
「それはありますね。死霊はなんでこれを・・・ここで魔術を使うわけにいかないので、確認しませんが」
―――死霊に聞き出す方法も過ったが、群がる数を見た後でそんな真似は出来ない。そもそもイーアンが側にいると死霊は来ないし、聞き出す案は却下。
自分が触れても問題はないはず。旧教神殿のガイダナ樹脂が塗られた箱なので、呪われている鉈ではないのも分かる。だが、死霊が来た理由が不明なので、もう少し確認しておきたい。イーアンが浄化したら、不明理由も消し飛ぶから、その前に(※強力)。
思いつきだが、この鉈を俺の武器に使えたら・・・
イーアン並びに馬車には、死霊が逃げ出す仲間が揃っていて、この鉈が死霊を集めた秘密を知るには不向きな環境。持ち帰る前、この場で分かれば助かるのだ。
森の祠の供物(※血塊)は、恐らく先ほどの死霊が原因。
ヤイオス村に違和感を感じなかったから、同じ地区のどこかだろうと考えていたが、この町だった。
人が消える前に死霊が出ていたなら、町の死霊使いが供物を置きに行ったかもしれない。
人が消えた以降であれば、『生き残り』の人物がこの状況に困り、供物を捧げに出たのか―――
「レムネアク。掘り出す?」
待たされているだけの女龍は、真剣に悩む僧兵に痺れを切らして声をかける。
「え。ああ、はい。今、扱いに悩んでいます」
「もしかして森の祠に血塊を捧げたのは、この町の人?」
「そうだろうと思います。で、私は疑問が二つあります。一つは、血塊を置いた状況です。人が消える前の『大群死霊』で願掛けしたのか。
それとも、人が消えてからの出来事で、死霊使いもいない町に残った誰かが、手に余って森へ行ったのか。近くに生き残りがいるなら、これに手を付ける前に事情を聞きたいです。
二つめの疑問はそこに付随します。鉈が、死霊を引き寄せていた理由が見えません。普通はそこまで力を宿す刃物じゃない。箱は神殿の管理物だから、呪いの封印はないでしょうが・・・ 何か、強力な秘密でもありそうで」
「死霊は、これを自分たちで引っ張り出していたってこと?」
よく分からないイーアンが聞き返すと、レムネアクはピンと来たように顔から手を離して目を丸くした。
「あの数なら、それもやるか。忘れていた。死霊が体を持たない幽体で引っ張り出すにも、大群だから」
盲点でしたとレムネアクはイーアンに向き直る。そうであればますます、放っておくのは良くない。イーアンは自分がヒントを出したらしきで頷き(※分かってない)、気配のない民家の周囲に目を走らせた。
「血塊を捧げた事情がこれとしたら、近くに人がいるのか探すけれど。まず、鉈の扱いを決めて」
破壊もしない、放置もしない、でも持ち帰るのも悩んでいるしで動きが悪い。車輪も探さないといけないんだ、と急かす。レムネアクは『人を探す間、私はここに居ます』と考える時間を含む返答をしたけれど、イーアンは賛成できない。
「危ない。お前さんは人間で、魔術をこの場で使う気になれない、って言ったばかりだ。私の龍気も鉈に差し障りがあるから控えて、離れてる間、どうやって身を護るの」
「・・・心配してくれるんですね」
「じゃなくて(※怒)!当たり前のこと言ってんだよ!」
照れ笑いされて苛つくイーアンは、こいつの癖が嫌いだが、話が進まないのはもっと嫌い。鉈に拘る理由はないでしょと、面倒で声を荒げた。すると。
「あります。死霊をおびき寄せた理由を知ること」
「だからーっ。それ、そんな重要?壊せば終わるでしょ?死霊は丸ごと消したのに、なんで鉈に」
「私が使うことも出来るじゃありませんか」
「・・・お前さんが?」
「そうです。ヨライデは死霊や人外の多い国。事情が知れてこの鉈を使えるなら、毒しか役に立たない私も武器が得られます。旧教のでも、鉈は鉈ですし。何やら秘密付きの予感もします」
レムネアクは、思いがけず発見した武器の箱を指差した。
*****
埒が明かない上に、レムネアクが鉈を武器に迎えようと考えているのを知り、イーアンは唸った。
まー、彼の状況ならそうも思うか、と理解はする。
腰に短剣は持つが、剣を帯びない死霊使い。僧兵で毒殺担当であれ、それは相手が人間の場合。現状、人外だらけの旅に同行して、丸腰に等しい男が武器を求めるのも無理はない。魔物製品が使えたら・・・と掠めたが、一気に心が重くなったので今は振り払う。それはさておき。
「私が触れたらダメかもしれないのに、仮に持って帰ることになったら、あんたどうやって帰るの?私が運べない」
「あ・・・そうですね。どうするかな」
少し悩みが増えたものの―― 問題は解決まで時間が掛からない。
イーアンはとりあえず車輪を探すのが目的。人もいる可能性を聞いたので、レムネアクを裏庭から少し離した。木箱を気にする男に尻尾の鱗を数枚持たせ、『ここで待て』と言いつける。
「この距離なら、鱗の影響ないでしょ。魔物が来たら、これ投げて」
「イーアン」
聞き入れてくれた女龍の心配りに感動するレムネアクの笑顔は、とりあえず無視。イーアンはさっさと翼を出して『見回ってくる』と空へ上がり・・・ 界隈に人の気配を探し、住居系一画が寂しくなったあたりで、目端に奇妙な黒さを見つけた。
一軒、全焼している建物あり。
お読みいただき有難うございます。




