2955. 旧教予告の書『フーレソロ』一部解説・『黒い扉、黒い太陽』推察・風の強い日
魔物製品。材料を一瞬で消したイーアンの後ろ姿を、皆は見つめる。
ヨーマイテスが思ったのは、精霊サミヘニの指示か情報。
女龍は、サミヘニに会った話をしない。ドルドレンには話したかもしれないが、他の者たちには一切、欠片も伝えずに朝の行事を済ませたところを見ると、よほど重い内容を話し合った気がする。
だが、首は突っ込まない。注意されたばかりだからではなく・・・自分の左腕に巻き付いた白銀の蔓が、詮索を威圧で制限するから。
複雑な面持ちの息子に何か話してやりたいが、精霊と女龍の時間に何が起きたかの推測は避けた。
女龍は仔牛に視線を流すこともなく、積んであった魔物の系統を消し、ハイザンジェル馬車の車輪に巻いてあった魔物皮(※1723話参照)まで完了すると、馬車を出してとドルドレンに言った。だが。
「うむ、出発だが、もう少し待ってほしい」
女龍は、伴侶の返事に顔を上げる。ドルドレンはタンクラッドを振り返り、民家に用事があると答えた。
イーアンは昨晩、自分の報告だけで眠ってしまった。昨日も今日も心が悲しみに囚われて、明かりの灯らない民家に気を向けなかったのだが・・・言われてみれば。
獅子がサミヘニに『勇者は民家で人助けしている』と話していたのを思い出し、ぽつんと建つ小さな家を見た。人の気配はとても小さく、今更『大丈夫だろうか』とイーアンも気にする。
「ちょっと様子を見るのもある。だが、話も聞きたいのだ」
ドルドレンは間を置いてから向こうを指差し、イーアンは頷く。助けたなら回復の様子を見たいだろう。そうだった、魔物退治もしたと言っていた・・・ 今の今まで、全然気に留めていなかったことを恥ずかしく思う。
「分かりました。どうぞ、行ってらして下さい。治ったなら私は行くまでもありません」
「うむ。シャンガマックの薬で回復したから大丈夫だ。イーアンは馬車で待っていて」
心を取り乱している態度ではなくても、イーアンが不安定な状態にあるのをドルドレンは理解している。早めに戻るからと伝え、タンクラッドとレムネアクを連れて民家へ行き、シャンガマックは仔牛に呼ばれて、早々と仔牛に戻った。
*****
荷馬車の荷台にぼんやりと腰かけていた女龍に、ルオロフとロゼールが雑談を持ちかけ、この地域の名称や、昨日の魔物退治の話をして過ごす間。
昨日救った民家の住人は、出発前に訪れた三人を迎え、今日の体調と生活の状態を先に話してから、『予告の書』について教えた。
最初は、騎士修道会総長と同じくらい背が高い男に、『黒い呑みこむ光』を急に訊かれて驚いた住人だが、レムネアクがヨライデ語で軽く何か伝えると納得して頷き、すぐに話し出した。
今日はもうずいぶん体が楽になった。精霊が畑を実らせてくれるから、食べるものはある。井戸水を清めてもらえて助かった・・・ 家畜はおらず、自給自足の生活で、この先の村まで続く道を通る行商から肉や魚を買っていたが、それが無くても問題はない、と手短に話し、微笑んだ総長に改めて礼を言う。
そして、自分のことは前置きのように流し、旧教の予言を聞きたいと頼んだ男に『フーレソロ』を読むともっと分かるだろうと、一先ず情報を出した。
「フーレソロ?」
「フーレソロは旧教の書物の一つです。村に教会があって、フーレソロがあるそうなので」
すかさずレムネアクが付け足し、住人は頷く。だが書物を読めと丸投げにしたわけでもなく、タンクラッドの知りたい箇所である、呑み込む扉の解釈もきちんと教える。
「黒さは、扉です。扉は光の先と、この世界を分けています。開く前に、こちらの意向と心を確かめられるのです。会話を通して扉が開くかどうかは、正しい目的と認められることにかかっている、と考えられています。
そもそも、扉が開く手前で起きる出来事がないと、『黒い呑みこむ扉』は現れません。出来事の流れが揃ってから出現し、扉の前に立つ人間も条件があります」
「少し質問したい。出来事の流れ、というと、一つの出来事じゃないんだな?いくつかの条件をかなえた現象が続けて起きたら、と。そういう意味か」
話を遮ったタンクラッドに、住人は首肯して『連続して起きることであり、進む先が見える』と答える。また話を頼むと、住人はレムネアクを見て『新教も似ていると思いますが』と言った。
「光が弾け、世界が揺れ、大きな衝撃によって、これまでが終わる時。前世を知る人間が行方を示し、扉と会話をする。問答で扉が開き始め、未知を教えられ、集う者たちに未知の知恵を別の世界で活かすよう、扉は開く」
昨日聞いたことと一緒、と思うドルドレンは、未知の知恵とは具体的に何か推察はあるかを尋ねた。
「前世の記憶を持つ人間たちが『未知の知恵』を受け取って、この世界を離れるのだな?未知の知恵は、それまで誰も知らなかったものだろうが、なぜ土壇場で開示されて、それもこの世界では活用できないのだろう。そこは推察されているか?」
「選ばれた人々は、この世界で多くの学びを経験します。この世界は修練の場所であり、経験が成長を促して、別の世界へ旅立つ出発に備えるのです。知恵を扱うには、強い心がないといけません。知恵自体の解釈はいくらもありますが、未だに正解は知れず、不明です。言えることは、大変高度な知恵、とそれだけです。
私たちのいる世界で、魂と精神、肉体の血についてしっかりと理解し、準備が整った特別な人々が、知恵を受け取り、次へ進むという予言です。彼らは戻りませんが、輩出することが大事なのです」
なるほど・・・ タンクラッドの眉が上がる。『優れた人材をよそへ送り出す、育ての巣である世界』その価値を暗に示す。
つい、秘匿の知恵に意識が向きがちだが、精神と魂重視の教えに基づけば、『ここは素晴らしい世界で、他の世界で学べない崇高な教えが息づく場所だ』と言いたいのだ。
宗教なんてそんなもんか、と頭を掻いたタンクラッドは、『あとはフーレソロを読むと分かるか』を話しを締め、住人は『読んで感じる個人の想いが大切』と答えた。
朝の短いやり取りは終わり、ドルドレンが挨拶し、住人は感謝と共に送る。
小さな家を出る時、レムネアクは部屋の棚に、『光の石』を見た。ここは・・・間接的な魔物の被害がなければ、守られている。煙のサブパメントゥはもう遠のいたようだし、俺も持っておくかと思う。
タンクラッドは外へ出て、『黒い太陽の話はなさそうだな』とやや残念そうに呟いた。彼があまり突っ込んで質問しなかった様子に、ドルドレンは彼の欲しい情報が薄いことも気付いていた。
「宗教の教えだけに、不思議な対象の詳細よりも、その対象が何を齎し、何を与えようとしているか、その意味を問うのだ」
「フーレソロとやら。ドルドレン、村に寄るだろ?」
「寄ってみよう。レムネアク、書物を読んでくれるか」
「もちろん。いつでも」
家にはないんだなと首を傾げた親方に、一冊持つのは貴重なのでとレムネアクが返す。
書物は手書きで、写本もあるが、一冊は高価な存在。写しは自由だから、教会で写させてもらうくらいで、書として持っている人は少ないことを教えると、ハイザンジェル人二人は『それもそうだ』と納得した。
*****
馬車は、戻ってきた三人が乗り込んで出発する。自宅裏の畑に出た住人が手を振り、手を振り返して道を進む。この先にある村の教会へ立ち寄るが、もしかすると書物も大したことは書いていないかも知れない、とタンクラッドは思った。
ドルドレンは横に座らせたイーアンに、旧教の予言の一部を話す。気落ちして口数が減ったイーアンだが、『黒い太陽の比喩では』との話に・・・ 少し興味を向けた。
サミヘニがはっきり教えてくれた、『念憑きが黒い太陽に連れて行かれる(※2952話参照)』こと―――
旧教の予言は、黒い太陽と念憑きのことかもと思える。
ティヤーの創世物語では、私とエサイとラファルという『前世の記憶持ち』があの大陸の扉を開ける流れを示唆したが・・・ ティヤー創世物語は、ヨライデ宗教の派生なのかちょっと分からなくなる。
ただ、ヨライデ旧教は『黒い』とある以上、また別物と捉えて良さそうで、同じ前世の記憶持ちが集う件があれど、生じる未来も意味も全く異なる気がした。
びゅっと、風が吹き抜ける。林が途切れ、木々を渡る風が強く感じる。馬車の側面を押す風の勢いに、御者は手綱を握り直し、ロゼールも風を受ける反対側に馬を移動させた。
前方の空にひらっと影が舞い、何羽かの鳥が煽られている。顔にかかる髪を手で止めたイーアンは、じっと空の鳥を見つめ、話を止めたドルドレンに・・・少し間を開けてから『行ってきます』と徐に伝えた。
「ん?どこへ」
「村を視察に」
「ふむ。そうか、分かった」
心ここに非ず―― かな、とドルドレンは了解する。旧教の話で少し目に光が戻ったものの束の間。イーアンは元気がなく、了解した側から翼を出して逃げるように飛んだ。
「君が悩んだり、苦しかったりする時。飛べるようになってから、いつも空ヘ飛ぶね」
伴侶の自分にも打ち明けない時間は、一人で空を動くイーアンに、ドルドレンは少し寂しく呟く。気持ちの整理がついてしばらくすれば、ぽつりぽつり胸の内を話してくれるが、落ち着くまで離れるのがイーアン。
「当たり前か・・・ 君が先駆者で、皆と馴染んだのも魔物製品が繋いだようなもの。イーアンが俺たちの世界に来てから、ずっと・・・皮肉なものだ。魔物が君と俺たちを繋いでいたと思うと」
だがそうなのだな、と呟く黒髪の騎士は、もう見えない女龍の飛んだ空を眺めた。
風は緩むことなく吹き、枯れ葉や千切れた葉が道を横切る。ヨライデの南部は涼しいだけで暑くもなく、湿気も乾燥も適度。ハイザンジェルの過ごしやすい秋始めを思い出させる午前―――
*****
記号の勉強はまだ待ってあげようと、シャンガマックは父に話した。
いつもならこうした気遣いに反対するヨーマイテスだが、昨日の今日。自分も借りがあるため何も言わず、イーアンを放っておく。
「記号の覚えは良いしね」
「・・・俺が選んだんだ。そうなる」
フフッと笑ったシャンガマックは、隣を歩く仔牛に『ヨーマイテスが手伝うと何でも解決するね』と褒めるが、昨日えらい目に遭ったヨーマイテスは『手伝う=解決するどころか問題視される』体験から、素直に喜べず、息子の優しさに『たまにな』と控えめに受け入れた。
―――昨日の出来事は話すに難しく、結局少し濁して『精霊を見かけた』程度で終わらせている。
シャンガマックは、どんな精霊?と日常会話状態で聞き返したけれど、獅子は『よく分からなかった。精霊はあまり喋らなかった』と往なした。
実際、喋ったのはヨーマイテスで(※言い訳)、精霊サミヘニの問いかけは短かったから嘘でもないこと(※ここ大事)。
下手に状況を説明して息子に不安を抱かせるのは馬鹿げているので、単に俺が口出ししなければいいとして、だんまりを貫く―――
「そうだ。話は変わるんだが、道は海岸から逸れていると思っていたのだけど」
シャンガマックが御者台の背板を少し外して、背板裏の物入れから、後ろ手で地図を引っ張り出す。
「ちょ・・・っと見てくれるか?この方向、入江の奥に出そうじゃないか?」
「ふむ。そうだな。ヨライデは海岸線が入り組んでる。奥に引っ込んでるところが、これから通過する近くかもな。なんかあるのか」
「少し考えたんだ。最近、ファニバスクワンに会っていないだろう?だから状況報告だけでもしておこうかと」
余計な配慮も息子の魅力――― 御者台足元に置かれた地図を見ていた仔牛は、据わった半目で息子を見上げる。ニコッと笑う褐色の笑顔は、いつも真面目で忠誠心に溢れ、心に隠しものがあるヨーマイテスに眩しい。
仮にこれで、いろいろバレて咎められたらどうすんだ、と喉まで出かかるが言えるわけがない。褐色の騎士は来た方向を肩越しに見る。
「川でも良いかと思ったけれど、広い川じゃないとファニバスクワンは来ないかもしれないから・・・海の近くまで行ったら」
「別に呼ばれてないんだから、わざわざ呼び出すもんでもないだろ」
「ハハハ、そうだけれど。しかし俺たちは拘束期間がどうなっているかも知りたいし」
一々、胸に刺さるヨーマイテスは、降り注ぐ笑顔から目を逸らして『必要ないと思うぞ』と粘ってみたが、否定の理由を告げられないシャンガマックは、『俺がちょっと聞いておくから』と実行を宣言していた(※真面目)。
この時、和やかな会話は止まる。強風が何度となく車体を横殴りに押すのだが―――
がん。 鈍い音を立て、風に揺れた車体が下からぐらつく。
慌てて手綱を引いたシャンガマックと、さっと下を見た仔牛。平坦な道だが、乾いた地面に砂を被る大き目の石はぽつぽつある。避けて進んでいたが、砂が被ると見えない時もある。
ここはゆっくり曲線を描く道で、石の近くを通っているのに気づかず、ついでに風に揺れた少しの幅が、後輪を石に乗り上げさせた様子・・・それだけのことだが、問題発生。
「止めろ、バニザット」
「うん。おかしくなった?」
「車輪の向きが変だ」
シャンガマックは馬車を止めて下り、仔牛はすぐに前へ知らせに行く。寝台馬車と荷馬車も止まり、ドルドレンたちが側に来た。
しゃがんで車体下を見たドルドレンは、すぐに食料馬車の車輪の状態に気付き、心配そうに反対側から覗き込む部下に『動かすな』と言った。緊急事態発生・・・・・
「私が、馬に話します」
ルオロフが馬に話してくれる役を引き受け(※こんな時、生き物の頂点発揮)、アイエラダハッド産の雌馬二頭は、赤毛の貴族が質問することと、現状解説にふむふむ頷く。
そしてルオロフは、お馬からも情報を得る。
聞いて驚いたルオロフはバッと前を振り向き、隣にいたロゼールも何事かとつられて見た・・・寝台馬車。
「寝台馬車の車輪も?」
お読みいただき有難うございます。
15日、もしかすると16日もお休みかもしれませんが、土曜日はお休みします。
意識が飛びがちで頭が追い付かなくなってきて、時間を掛けて書きたいと思います。
16日もお休みする場合は、最新話前書きで追記のお知らせをしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
日暮れも早まり、日の出は遅くなりで、冷える時間が長くなりました。どうぞ皆さん、ご自愛ください。
Ichen.




