2953. 旅の四四百八十二日目 ~魔物製品取り組みの終わりを
言う気になれなかったが。
言わないわけにもいかない、と気づくまで、そうかからかなかった。
魔物を倒せば、これが使えないか・あれが使えないかと考える習慣が出来た仲間に、イーアンはやはり話さねばならない。悶々としながら浅い眠りを終え、夜明けに起きて、外へ出る。
ふと、自分の腰に下げた白い剣に目を落とし、同時に溜息が漏れた。剣帯を腰に巻く癖は、着替えの一環に落ち着いて長い。悩んでいても、腰に下げる動作を気にしていなかった。
ドルドレンの剣も、私の剣も。鎧も―――
シャンガマックは大顎の剣だから問題ないけれど、ルオロフの鞘は魔物製。ロゼールはミレイオに作ってもらった盾と上着・・・他、確かイオライセオダのサージさんから魔物製の短剣を貰っていた。
馬車に視線を流す。荷台は、魔物製品だらけ。魔物材料だら・・・け。
はー、と重い溜息がもう一度落ちた。
「どうしようかな。頼んできた工房には、魔物材料がたくさんあるだろうし・・・ 今の内に消してしまうべきなのかもだけど。そうは言っても責任や保証が。機構が稼働していないから、保証が利かないと」
そして、過ったのは、タンクラッドがこの前話していた『新しく民間を守る道具の制作』。ああ、これも言わなきゃと項垂れる。今後、普通の材料に頼るしかない。
ふーふー溜息を吐き続けて、どこへ行くともなく朝靄の中を歩く女龍。
目で追っていたのはレムネアクで、朝食準備の早起き癖で起きたすぐ、物音に気付き、荷台の小窓向こうに女龍の背中を見つけ・・・ 彼女が悩んでいそうな様子に、バサッとシャツに腕を通し表へ出た。
下草は長く、歩けば音がする。近づく分だけ朝靄は薄くなるし、すぐ気づきそうなものが。
ちっとも気付かない女龍は、何を悩んでいるのか。とぼとぼと俯きながら進んでおり、レムネアクは5mほど後ろをついて行ったものの、自分の行為が怪しく感じて声をかけることにした。
「イーアン」
「あっ」
名を呼んで振り向いた女龍に、レムネアクは少し微笑み、まずはおはようございますの挨拶。うん、おはよう、と答えながら目を逸らして立ち止まった彼女の側へ行った。
「どうかしましたか」
単刀直入のレムネアクに、女龍は『何でもない』と呟いたが、抱え込んでいる表情は分かりやすく、レムネアクは間を置いてから『一緒に歩いても?』と前方を指差した。
「あ・・・うん。でも別に、すぐ戻るけど」
「はい。一緒に歩かせて下さい」
「あんた、なんでこんな早いの」
「朝の食事を作ろうと思って。最近は、目覚める時間が早くなりました」
そうなんだ、と気の抜けた返事をし、女龍はまた前を見る。横顔が寂しそう。悲しそうにも見え、龍に余計な感情を抱いては失礼と分かりつつ、レムネアクは彼女の肩に手を乗せた。顔を向けたイーアンは、皮膚の色が人と違うし、角も生えているけれど、今はただ、悩めるきれいな女に見えた。
「私が聞けることじゃないでしょうけれど。話して気が楽になるなら、役立てませんか」
「あんた・・・」
「はい。失礼と図に乗っているのは承知で」
「優しいね」
「はい?あ、そ、んな、ことは」
意表を衝かれたレムネアクはぎこちなくなり、イーアンはちょっと笑って巻き毛をかき上げた。
「少し話したけど・・・私たちは魔物製品を作って、各国で紹介していたの」
急に仕事の話になり、レムネアクは照れたのも束の間、切り替えて少し頭を下げ『はい』と聞き漏らさないよう、歩き出した女龍に歩調を合わせる。歩きながらイーアンは、魔物製品不要の展開を簡単に説明した。世界がそれを望む大きな理由に基づくから・・・要は、従う一択のみだった。
「じゃ、これからもう。未来は欠片すらない状態にしないといけないんですか」
「そういうことだね」
「それでイーアンは考え込んでいたんですね。依頼した工房に責任もあるから?」
「うーん。うん、そういうのもある。もちろん、ある」
歯切れ悪い女龍に、レムネアクがもう少し詳しく聞こうとすると、イーアンは大きく息を吸い込んで吐き出すと同時、彼をまっすぐ見て『私が始めたの』と胸の内を伝えた。
驚くレムネアクだが、彼女がきっかけではと思っていたのもあり、頷いて先を促す。
「私は、多くの人たちが戦えるように、魔物を恐れるだけではなくて、使い倒して勝とうって気持ちで推し進めてきた。でも、それは世界にとって、ダメな行為だったんだなぁって」
吐露するイーアンは、複雑な胸中。世界を前に、それもこの変化の渦に乗りかかった今からすれば、ちっぽけなことだし、と自嘲する女龍は、それでも名残惜しそうで微笑む。
「イーアンが作っていたんですね」
「そう。工房を用意してもらった。この話を提案したら、ドルドレンはすぐ協力してくれて。
彼は真っ先に信じて、誰かが意見しても全部はねのけて、私にやらせてくれた。そうして始まった魔物製のものづくりは、少しずつ理解も得て、支部の皆さんも、遠征や魔物退治で一緒に材料を集めてくれたり、作った武器や防具を使ってくれて、たくさん協力してもらったんだよ」
振り返る過去。ほんの一年と少し前の日々。
今は、五つの国しかない世界の最後の国にいて、ここまで進んできた歩みが走馬灯のように記憶を抜ける。
夜明けの薄い明るさを、イーアンとレムネアクは靄に包まれながら歩き、静寂に時折挟まる鳥の囀りを聞きながら、イーアンは感情の押し上げる心を整理し、レムネアクは彼女の様子を見ながら話しかける言葉を考えた。
「あなたが・・・人間だった頃、それはその時ですか?」
「そう。ただの人間のおばさん。戦うほどの筋力もないし、女だし馬に乗れないし。でも魔物に追い詰められても立ち向かう皆さんの力になりたくて・・・魔物を使えるんじゃないかと」
「素晴らしい人です」
フフッと笑ったイーアンは、嬉しそうな、悲しそうな。切なくなるレムネアクは、こんな女がいたんだなと微笑み返す。
そりゃ協力してやるだろう・・・まさか後々、龍になるとは思わないし、女一人が魔物相手に何とか努力して使おうとするんだもの、と思ったら、イーアンが振り向いた。その鳶色の瞳はいつもの快活な元気さを潜め、愁いを帯びる。
「言い出したからには責任がある、といつも思っていた。何をするにしても、自分が試してからだった。ドルドレンや騎士の皆さんが支えてくれたから育った製作で、ハイザンジェル王も動いてくれた。私一人では、絶対に出来なかったこと。旅に出ても、各国で職人たちが手を貸してくれたし、多くの人の命を守るために」
一気に喋ってピタリと止まったイーアンは、ぎゅっと唇を引き、さっと顔を逸らした。涙が浮かんだのを見たレムネアクは、イーアンの背中に手を添えて『辛いですね』と想いを汲む。熱い情熱で命を守ろうと突き進んできた、それを無かったことにしなければいけない状況に同情し・・・ はた、とそれだけではないと気づいた。
「もしかして、イーアンが消すんですか」
責任を取ってきた、そう話したということは。そして世界が望む撤廃を、イーアンが告げられたとなれば。
すぐに気付いたレムネアクの質問に、イーアンはちょっとだけ肩を震わせて答えなかった。代わりに、俯いた黒い巻き毛が隠す顔から、雫がぽたりと落ちる。
草に落ちて消えた涙を見つめ、レムネアクが迷う。龍だ、彼女は、と思う。龍に人間が同情などバカげているとも分かっていた。だけどイーアンは、レムネアクの添えた手を逃げず、レムネアクは躊躇いながらイーアンを引き寄せて、そっと抱きしめた。
女龍は白い角をレムネアクの肩に持たせかけ、ぽたぽたと涙を落とす。
すすり泣く音が、レムネアクの同情をますます強める。こんな感情は失礼だと思うものの、腕の内で泣く龍をしっかり抱きしめ、彼女の悲しみを共有した。
えっ、えっ、と泣く声が本当に可哀想。どれほど頑張って来たのか知らないが・・・育てた思い入れや、多くの協力の影には、語り尽くせない思い出があるもの。
両腕に包んだ、角のある女は小さくて、角の頭は自分の顎のすぐ下。つい、撫でたくなる衝動は抑え、彼女は龍だから失礼はいけない!と分相応の態度を保つ。
この状態でどれくらい経ったか。数分は経過した。もしかすると十分以上だったかもしれない。
何かうまいことでも言えたら別だが、そんな言葉は思いつかず、レムネアクはただ寄り添う。
少しずつ、しゃくりあげる声に間隔が開き、泣き止みそうな気配で腕を解こうとしたら、女龍が見上げた。涙でびっしょりの、白紫の頬。金粉をまぶしたような、半透明の皮膚は、涙で一層幻想的に見え、美しさに言葉を失った。
「ごめん」
泣いたことを突然謝られ、ハッとしたレムネアクは急いで首を横に振り、『謝らないで下さい』としっかり伝える。イーアンが俯いたので、ありったけの思い付きでて励ました。
「こうして一緒に旅する時間を貰ったのも運命です。私に教えてくれますか。あなたが何を作って来たか」
イーアンの濡れてまとまった睫がパタパタと動き、きょろっと鳶色の瞳が向けられる。口約束はすまい、と即座に覚悟を決める。
「書きます。ヨライデの国が続く確約も、私が生かされる時間の確約もありませんが、この国に伝説が遺されるよう」
「あ・・・それは多分。ダメだと思う。作り方とかは、使い道で危険にもなるし」
降って来たレムネアクの提案に、女龍は残念そうに断る。だが彼は小さく首を振り『書ける分だけ』と絞った。書ける分?と聞き返した女龍に、『伝説ですから正直に書かなくても脚色はあるでしょう』と。
「脚色したら違うものじゃん」
「言葉を知らないので間違えました。言いたいのは、伏せる部分は濁す、とそれだけです」
「・・・この国が、人間がいなくなるかもしれないのに、あんたは書くの」
「はい。ついでに、書く前に私が死ぬ可能性もありますが」
笑えない可能性にイーアンが固まる。その顔にちょっと笑ったレムネアクは、包んでいた両腕を緩めて、イーアンの腰あたりに組んだ手を落とし、『生きていたら書くということで』そう言い直し、単なる思い付きではない気持ちも続けた。
「私はティヤーで、魔物資源活用機構が来た情報を知った日、見てみたいと思いました。制作や加工が好きなので、魔物を材料に装備を作る噂はとても魅力でした」
「そうなの。ティヤーで、僧兵の仕事の」
「はい。だから国境警備隊に配った情報を聞き、行ける距離だと見に行きました」
意外な話にイーアンは目を丸くする。レムネアクは冷える夜明けの光をちらと見て、イーアンの頬の涙を『失礼します』と一言添え、指で拭った。
「魔物製品見れた?警備隊は、僧兵を」
「それはいくらでも、バレないようしますから。民間人の振りで倉庫近くまで行きましたし」
そこまでして見たかったの?と驚くイーアンに、レムネアクは笑って『そうです』と肯定。
「でも一瞬ですよ。好奇心で足がついても困るので。製品を作る職人も同行していると聞いていたし、興味は尽きませんでした。
あの雨の崖であなたに救われて、人型動力を壊す手伝いをした日も、あなたの言葉で驚かされ(※2772話参照)・・・変かもしれないけれど、夢中になりました。『龍だから全知』と納得したけれど、納得したらもっと好奇心は募るでしょう?」
レムネアクの、ささやかな告白。そんな風に捉えていた人がいたこと、僧兵の一人が、と思うイーアンは感動する。本心で言ってくれているのが嬉しくてニコッと笑ったら、レムネアクは解いた手を彼女の両肩に載せ『本当です』と答える。
「だから、私が書けるなら。少しですし、ちょっと的外れかもしれないが、あなたの偉業・・・いや、あなた方の偉業を遺せると」
「有難う」
イーアンがお礼で遮った、その時。ガッとレムネアクの肩が掴まれ、激痛が走り、飛ばされ、驚いた一秒後、イーアンに受け止められた。何が何だか――
「ルオロフ!」
怒鳴ったのはイーアンの声。
「お前は何をしてるんだ!」
怒り心頭で戦慄く赤毛の貴族。吹っ飛ばされたと同時、即飛んだイーアンがレムネアクを抱き留めた、それだけは分かった。
*****
馬車の朝は、謝ったり言い訳したりで始まる。
腑に落ちなさそうな顔でもルオロフは状況を知って、とりあえず謝罪。怒ったのはイーアンで、レムネアクは右肩を軽く怪我した(※力加減問われるところ)。
焚火を熾して調理するロゼールは聞き耳を立てる。ロゼールにとっても、朝一で深刻な問題・・・
イーアンは近くに座らせたルオロフに、怪我をさせた突発的攻撃の説教しながら、レムネアクの肩に龍気を注いで治し、ルオロフが掴んで破った服の肩口に『彼は服が少ないのに』とそれも怒っていた。
レムネアクは大して気にしないので、イーアンを守ろうと過剰反応した貴族に『誤解される状況だった』と大人の擦り合わせ。ルオロフは顔を上げず、申し訳ない・つい・早とちりした、を繰り返し、そうしている内にドルドレンが起きてきた。
「何事かと思えば」
馬車の荷台にも聞こえたよと、イーアン・ルオロフを交互に見た総長は、服を破かれたレムネアクと目が合って『ルオロフの攻撃にそれで済んで良かった』と変な慰め方をした。
「彼はイーアンを母親と認識して以来、非常に律儀な守りを貫く(※番犬)」
「そうなんですね。気を付けま」
「レムネアクは悪くありませんっ。ドルドレン、注意はルオロフにして下さい」
注意というか警戒を促したつもりのドルドレンだが、ルオロフはしょげていて、これ以上注意は要らなさそうなので、怒っているイーアンに頷き(※逆立てない)むすっとした顔の横へ行き、聞こえていた・・・重要な話に変える。
「魔物製品を片付けるのか」
ドルドレンの一言に、斜向かいの馬車から出てきたタンクラッドが、『魔物素材も?』と溜息まじりで続けた。
お読みいただき有難うございます。




