2952. 『仕組まれた約束』が為・疑問・助言『女龍の仕事』・ケルストラの旧教民家
歪み――― 間違いの約束。
どきんと心臓が揺れた。脳裏に、始祖の龍が過る。彼女の魂が反応した気がして、サミヘニの語る『約束』を一言一句洩らすまいと聞いた。
サミヘニが知るのは、歪みの元になってしまった間違いの約束、その一部で全部ではない。だがイーアンの怪訝『なぜ人間に飴鞭?』への返事も含んでいた。
創世で、やり直しをした話は、ロデュフォルデンの空の子に聞いた(※2826話参照)。
その前にも、太陽エウスキ・ゴリスカから、『何度もやり直している』と教えてもらっている(※2811話参照)。
意表を突くどころか、思いもしなかった『時代のやり直し行為』は、口で言うほど単純ではない。そこには生きている命があり、無かったことにされる時間があるのだ。
始祖の龍がそうしなければいけなかった理由に、『原初の悪』が絡んでいたのを、空の子から聞いて飽和しそうだった。詳しくは空の子も伝えないけれど、サミヘニから別の視点で新たな側面を聞き、はめられた気がした。
『原初の悪』は、女龍を元の世界に戻す―― つまり、この世界から追い出すために、邪魔や面倒を持ち込むようだが、規模が広くえげつない。
魔物の参入も、ここに原因がある。広い規模は、こいつらも込み。
やり直した創世で、多くの人間が消えた。逃がされたこともあれば、死んだこともある。時を逆行して呼びこまれる人々が毎回同じだったかは不明だけれど、同じでも違うにしても、命が強制的に止められて消えることに変わりない。
ある時。
中間の地に、また人間が来た時のこと。
彼らはそれまでも、この世界に入ったことがある人間たちだった。
彼らは、人間ではない存在も連れていた。
それらは中間の地に適さないので、地下の国を与えた。
迎えた人間に、これまでのことと、知らせておくことを精霊が教え、人間は歌に繋いだ。
始まった世界の出だしで、魔物が来て、約束を持ち出した。
人間と中間の地を競う話はどうなったのか。次の人間が呼びこまれたら、魔物も入る話だった、と。そのために、古い人間を違う世界へ持って行った、と。
この世界が目標を得た暁には、中間の地に残った種族も世界を動かす権利あり。こちらに人間の駒があれば、競っても良いと言っただろう――
誰が、『人間の駒を用意したら、中間の地を競っても良い』と約束したの・・・?
サミヘニの沈む声が聞き取りづらい。
話の終わりまで、彼は『特定する名』を言わなかった。
彼の言いたいことは、歪められた約束のために魔物が入る経緯が生まれ、人間が中間の地を治めても、約束をした者は、外から魔物を入れた責任を取ること。
「始祖の龍は、知らないのですよね」
少し引き攣った喉で、掠れ声の質問が落ちた。愕然とする女龍を見つめた精霊は、首を少し横に傾け『知らなかっただろう』と答えたが、サミヘニが知るのは話だけ。サミヘニも真実まで分からない。
でも、始祖の龍がこの大問題の責任者だったのは間違いない。
魔物に約束紛いの言葉を交わした者。『原初の悪』なのか。
約束を引き換えに『人間逃し』を実行したそれは、始祖の龍が知らない内の出来事だったのでは。
彼女が、繰り返す消滅の苦しみに、『まただわ』と呻く時間。
誰かが、『人間を逃がしておいてやろう』と引き受けた。
信頼に値しない相手でも、嘘はつかない者同士・・・それにしても、始祖の龍が確かめるより早く、約束紛いの橋は架かってしまったのかもしれない。
「魔物に、頼んだのですね」
『歪みは、その後から』
サミヘニが、夜空を背景にする二代目女龍の微笑みを見上げる。イーアンも視線を追って、微笑みの人を辛く悲しく見つめた。私たち女龍は、なぜにこれほどの荷を背負わされるのか。
始祖の龍は、隙を衝かれたのだ。
逃がしてやりたかったんだろう?とばかりに、口端を吊り上げるあの精霊の顔を思う。
繰り返しで再び迎えた人間には、サブパメントゥとなる『悪神』が一緒だったのも。
何度も追い出したのに、何度も戻って来たことも。
魔物が人間の駒を用意したら中間の地を賭けて争って良いと、誰かが唆したことも。それを約束としても、咎められない立ち位置にいた何者かの―――
「仕組まれた」
『イーアン。私は知識を与えることは出来る』
苦し気な女龍に、大きな精霊は協力を申し出た。
『私が知っているのは全体ではなく、今教えたことだけ。真実はまだある。だが私のこれから伝える知識が、お前の進む力を支えるのも確かだ。知れば、少しでも荷を軽く出来る。知らないよりも』
知らないよりも・・・ 始祖の龍の人生が、可哀想でならない。知らされなかった可能性もある。ぐっと唾を飲みこみ、目を瞑った。
外から来て、一心不乱にイヌァエル・テレンを創り、男龍を増やし、龍の民を置き、龍を守り、地上の人間にかつての自分を重ねて愛し、『連れてきたからには今度こそは』と、手出しの利く範囲で守っていた彼女の裏側に、いつでも彼女の裏を掻く者がいた。
そもそも、明確にならない点がある。この点こそが、残酷極まりない運命の始まりだったはず。
なぜ、世界の時間を戻してまで、作り直さねばならない事情になったのか。
人間が来たことも。サブパメントゥが現れたことも。魔物が登場したことも。創世の約束の、何かが掛け違えられたために・・・ 起きたのだ。
『イーアン。衝撃を受けているのが伝わるが、話を』
「あ・・・はい」
黙りこくって息をするのもしんどそうな女龍に、精霊は聞くよう言い、イーアンは力なく頷いた。
『世界が一つになる日は、魔物との区切りが終了してからと思うが、確実ではない』
「違うのですか?」
魔物退治が終わったら、世界統一に移るものでは・・・ 瞬きした女龍に、サミヘニは『明言されていない』と教える。確実でないものは、他に可能性があるわけで。
『勇者が中間の地を賭けて魔物の王と戦う前に、世界が一つとなる日が来ないとも限らない。だからイーアンは、勇者の補佐もしながら、統一に臨む準備も進めた方が良いのだ』
「サミヘニは、龍の味方でいて下さるんですね」
『私の善しと判断した者に、力を貸すだけ』
小さく何度か相槌を打ったイーアンは、彼が以前の世界の龍そのもの、と思う。
正しさとは何かを話し合う気もないが、少なくとも『世に命に正しい道』を彼は知っているし、イーアンや始祖の龍にも理解を寄せてくれる。
『備えなさい。この世の悪を終わらせるために』
「はい。それは、魔物のことだけではなく」
『どう捉えてもいい。私が答えを持つわけではない』
決定権のない弁えた姿勢、正確に言わなくても伝わる。感謝して、是非、知識を分けてほしいとお願いした。
*****
魔物の王が去る条件を、完璧に押さえること。
女龍が片付けておく課題を片付けること。
統一の前に問われ追い詰められる際、あの精霊の要求を全て聞き出してから、龍を下ろし、混沌の精霊を消し去ること。
しかし、龍だから実行を許されると、明言して行うこと。
これは、女龍を守るみたいに―― イーアンは、サミヘニの知識として話される芯に、擁護を感じる。
正しいものの足を引っ張り、常に混乱を引き起こす存在は世界に必要、と精霊の誰もが認めているが、サミヘニは大きな声でこそ言わないにしろ、それを支持しないのが伝わった。
始祖の龍が散々だったのを、陰から見て心を痛めていたのかもしれない。
別の世界から呼ばれた者同士、そんな共通点はささやかなだろうが、あの手この手で追い詰められては、真っ向から立ち向かい、挑戦を受け続けた女龍に、同情を寄せても変ではない気がした。
決して、負けなかった始祖の龍。絶対に責任から逃げなかった初代の龍の女は、多くの精霊の心を動かした。時を越えて、今も猶、サミヘニは女龍に協力を申し出て、助言することを選んでくれた。
『魔物の王が、完璧に去る手筈を』
「はい。覚えました。実は少し前に、掠める程度でそれを耳にしたばかりです。サミヘニほど詳しくありませんから、何とも危なっかしく感じましたが。やらないよりは、可能性を信じてやっておこうかと思えたくらいのもので」
『そうなのか。古い記録がどこかにあるだろうから・・・ 』
ホーミットに教わりましたと言うのを少し躊躇ったイーアンだが、考えを読むサミヘニがちらっと見た。目が合って、ちょっと顎を引いた女龍に『あの獅子が?』と尋ねる。
「えーと。はい。女龍なら入れるだろう、壊せるだろうと。彼も遺跡で読んだそうで」
『魔物の王を完全に出す手筈』とは、まさに獅子が話した内容だった。だが抜けている情報は多く、獅子らしい大雑把な把握。サミヘニに貰った情報で穴埋めしないといけない、と分かった。
『なるほど』
「サミヘニほど、情報量はないのです」
頷いた精霊は、太く長い尾を前に寄せて片腕を乗せ、立てた尾に寄り掛かると星空に顔を向けた。
『本来、女龍が交わした約束ではないと、恐らく精霊の中心も判断しているはずだが。直に聞いたこともない。魔物を引き入れ、門を開けた経緯は、女龍の責任の流れにある以上、お前の手で始末をつけたら完了するだろう。何者かが力を貸したなどは、問われない。獅子だろうが私だろうが、情報を得たに過ぎないから』
「はい」
『お前が片付ける課題、これを原因に散った余波も』
「教えて頂いたことを片付けます。魔物の齎した影響も、放浪に出された人々が戻る場所を整えるのも」
『外の念が、この世界の似た者に憑いたが。あれはその内まとめて消されるだろう。先ほど教えたように、この世界に残った精霊の一人が引き取るはずだ』
この助言に、イーアンは確信して安堵もした。
『あぶれた者はこの手に』と言い続ける、黒い太陽がそうだったとは。彼に、悪人をまとめて差し出せるように、悪人を追い込めば良いと理解した。
力強く首肯する女龍に、精霊がもう一つ大切なことを加える。
『だが、遺されるものがあってはならない。それも』
「大丈夫です。了解しました」
持ち込まれる危険な知恵の残留物は、片っ端から片付ける。そして、イーアンは途中から気になっていたことも・・・ここで尋ねた。
「外からの知恵、危険な名残を消すにあたり、一つ違うことを思いました。魔物の齎した物・・・例えば、亡骸の欠片も同じ扱いでしょうか」
『いかにも』
イーアンは、頷いた。
この後、サミヘニは統一の日を前に審判が下される時、女龍がすべきことを済ませた報告や、『原初の悪』と対峙することなどをもう一度話して聞かせ、イーアンは彼と決別を意識する。古来の精霊を消す未来予告に、自分もどうなるか。だが、サミヘニの意見・助言はイーアンにも正しく響き、自分もそれを選びたいと思った。
吹き荒ぶ凍てつく風の山脈へ戻り、サミヘニはイーアンを帰す。また会おうと約束し、イーアンも『ロデュフォルデンへ行ったらこちらにも寄る』と伝え、多くの協力に感謝し、馬車へ戻った。
もう真夜中。精霊と過ごすと、時間が不安定になる。
星の下を、急ぐわけでもなく・・・イーアンは白い翼を広げて速度を落とし、暗い地上に何を見るでもなく視線を渡して、胸の痞えを呟く。
「魔物製品も終わり」
―――『いかにも』
サミヘニのすんなりした答えが、頭に浮かぶ。私は間違えていたのだろうか、と少し思いもする。
魔物被害を被害で終わらせず、その死体を使って戦って倒してやれ・・・ ドルドレンにそう話した最初の日が・・・ すごく前に感じた。
*****
戻されたヨーマイテスは、あの後、シャンガマックたちが民家の住人を無事に救った様子に・・・何も言わなかった(※精霊にもっとやれと叱られた後)。
とりあえず、井戸水の毒は消えたそうだが、獅子は息子に頼まれる前に、自分から井戸水に働きかけて魔性消滅を完了。息子に喜ばれて、これはこれで良しとする。
井戸横の窓から見えた、寝床に横になる人間と、その枕元に椅子を引いて座るドルドレン、レムネアク。
民家の人間の話を聞いている最中で、獅子は表から耳を欹て内容を聞いた。
「・・・一度に多く消えた後も、少しずつ人が減るのかもしれませんが。こういうことですから、間もなく、全ての人間が地上から消えるのだろうと思います」
何の話か知らないが、弱気なのか伝説なのか、暗い未来を聞かせる相手に、ドルドレンたちは神妙な面持ちで耳を傾け、少しの質問を最後に話を終える。
「教えてくれてありがとう。話すのも疲れたろう。休んでくれ。食事はどうする」
「・・・食欲がないので」
気遣うドルドレンの囁く声より、更にか細い声で返事をする人。レムネアクもゆっくり、はっきり聞き取れるように尋ねる。
「馬車は、外に停めておいて良いかい?今夜はここで休ませてほしいんだ」
「もちろんですよ。心強いです」
野営地を探す時間でもなし、このまま馬車はここで夜明かしが決まり、ドルドレンたちは表へ出る。
獅子とシャンガマックは扉外で待っており、ロゼール、タンクラッド、ルオロフは、開け放した荷台に座っていた。
「弱っていたのが、喋れる程度に回復したか」
「シャンガマックとレムネアクが尽力し、毒消しが利いたのだ。声が出るようになったらすぐ、旧教の予言録を俺たちに教えてくれた」
旧教?獅子の目がちらと息子を見て、息子は視線に頷き返す。
「この状況が、旧教の予言の書にあるそうなんだ。それで、続きを俺たちにも教えた・・・というところだ」
「似たような話はどこでもあるからな。信者は、良かれと他人にも話すもんだ」
ドルドレンもレムネアクも頷いたが、ドルドレンはちょっと引っかかったのもあって、真剣に聞いた内容。
『黒い呑みこむ扉が話しかける』―――
前世の記憶を持つ人間が扉に語ると、扉は返事をする。会話を続けると、閉じていた扉が開き始め、未知の知恵の先を与える。
未知の知恵故に、活かすのは別の世界。集う者たちを扉の先へ誘う。
この『黒い呑みこむ扉』が、ドルドレンに思い当たった。
イーアンが教えてくれた、『古い・焦げた太陽(※2946話参照)』かと勘が告げ、旧教の予言を記憶に留める。
皆へ話すつもりはなかったが、タンクラッドには教えておきたくて、遅い夕食の準備を始めた焚火側、ドルドレンは彼を呼んで『扉』について話した。
タンクラッドは、一室のみ薄暗く灯す民家を見て『出発前に、俺も聞いてみたい』と言い、明日、住人に頼むことにする。
レムネアクは旧教について大まかに知るが、書物一冊分の知識ではない。話に相槌を打っていた彼はどう思うか尋ねると、『原典の解釈に違いがある程度の認識』だとか。
ロゼールとレムネアクが簡単な汁物を用意する間、タンクラッドたちの魔物退治報告、ドルドレンたちの被害者救出報告も済み、『イーアンが戻らない』とちらほら話が上がり、獅子は沈黙を通す。
夕食も済み、時間も遅いのでドルドレンたちは就寝。
イーアンは夜更け過ぎに戻り、今日一日のことをドルドレンに伝えた。でも、サミヘニの存在は言わず、ただ『精霊と会った』ことにし・・・
そして、魔物製品全て。この手で消滅させるのも、すぐには言えなかった。
お読みいただき有難うございます。




