2944. 脱出・反省・後悔
※明日から数日お休みします。どうぞよろしくお願いいたします。
イーアンが吼える、少し前――― 『あれが気になって』ともう一度、ルオロフが呟いた。
自分たちの居場所の赤黒さが、段々と暗がりに追い込まれている印象を持ち、それが思い過ごしではないと気づいた時には、振り返りざまで背中が当たる狭さにいた。
前につま先を出してみたが、足元の距離は変えられない。直径2mもない舞台に取り残された具合で他は闇に染まり、まずい、と顔を見合わせる。
何が何だか分からない中、不安と焦燥感が嫌でも心を占め始めた時、ルオロフは先ほども言いかけた『気になるもの』を総長に示した。
「あれ、総長は『似たようなものを見た』と」
「あれが・・・脱出の鍵に?」
ルオロフへの返事ではなく、自問自答のドルドレン。
こういう時、イーアンやタンクラッド、シャンガマックなら!と思う。彼らは真っ先に『異物』を見つけ出し、切り口と可能性を探るが、自分には薄い感覚。ルオロフもそっち系ではない。
ドルドレンの視線が止まった呟きに、不安に駆られるルオロフも『もしかすると突破口では』と、無責任な気がしても意見を言ってみる。
「どこかで見た、とは思うのだが、はっきり・・・」
「もう、あの位置まで動けませんが、剣を投げたら当たるかもしれないです」
「剣を?」
『私の剣はまた作れるはず』とルオロフは剣を当ててみる案を出す。そうしている内にも足場は狭まり、この間も死霊は来る。薄緑の目は真下を見て『ここがなくなったら私たちは』と絞り出すような声で呻き、ドルドレンも緊迫に顔をぎゅっと手で拭った。
「剣が仮に、跳ね返っても。私が受け止めます」
「ルオロフ、一か八かだが、お前が危険なのも・・・ あ。あ!思い出した、あれは黒い仮面の模様」
ドルドレンの脳裏に過った、精霊の祭殿。その後、イーアンを攫ったアソーネメシーの遣いが持っていた面。あの、黒い下地が抜けたら、この模様だけが残ると気づいて叫んだ―― と同時。
パンッ―――
バシッ ビキ、ビキビキ。 バキンッ
破裂音と罅の走る音が響き、ハッとしたドルドレンたちの目に、おかしな角度で震えて傾いた風景が映る。
ビキビキと裂ける音を鳴らした真上から真下まで、地面も無視して一直線に亀裂が走り、バンッと弾けた。弾けた隙間から雨のにおいが流れ込む。『総長!』と腕を掴んだルオロフの叫びに被せて、周囲はガラガラと崩れ出した。
「ルオロフ!」
腕を掴んだ貴族が、崩れた足場を蹴って跳んだ体を引っ張り、ドルドレンは彼を片腕にしっかり抱えて、上から差し込んだ真っ白な光に叫んだ。
「ここだ、イーアン!!」
同時に、ぐわっと龍の頭が現れ、宙から落とされる二人の下に白い鬣が滑り込む。
夜の霧雨は龍の光を反射し、鬣の上に降りた二人は一瞬、周囲が見えなかったが、体半分を埋める鬣の草原に、どっと力が抜ける。そして壊れて行く前方の奇妙に、自分たちのいた場所は浮いていたのだと知った。
龍は二人を乗せた頭を擡げ、もう一度吼える。声はヨライデの森を震撼させ、崩れた異時空にへらりと残ったあの模様も、龍には耐えられず消失した。
イーアンは感じ取る。あの精霊と近い、微弱な気配もなくなったのを。
そして、消えた小さな世界の端々に、黒く焦げた人間が代わる代わるもんどりうって現れるのも見た。倒れては消え、消えては現れ、その影もすっかり消えるまでほんの二~三秒の出来事だったが、何だったのか。ここに居た何者かと疑問が残った。
ドルドレンの腕から降ろされたルオロフは、龍の怒りの咆哮に肌が粟立つ。ドルドレンも唾を飲み、『イーアンが怒ったということは』と、思い出す精霊の模様を重ねた。
その精霊はと言うと・・・
*****
イーアンの破壊は、膠着状態の苛立つ精霊に伝わる。
石像の動かない顔が、ぐにゃッと歪みを見せた。
これをきっかけに、解かれる頃・・・『原初の悪』と拗れるなどイーアンは思わなかったが、『原初の悪』からすれば、龍に壊された自分の持ち場はここで二ヶ所目。憎たらしくないわけがない。
男龍がぶっ壊した、アイエラダハッドの持ち場(※2816話参照)。
そして、女龍が壊したヨライデの死者の間。
許してやれると思うな。 今は、手も足も出ない封じの内側で苛立ちは怒りに変わる。見た目に何も変わらない石像は、今日の怒りを抱え込んだまま戒めの静けさに戻った。
*****
森の上に白い龍が現れたのを見たタンクラッドたちは、馬車から成り行きを見守るだけだったが、仔牛とシャンガマックは何かに気づいていたらしく、交わす言葉も少なめで、タンクラッドが『あれはどう思う』と聞いても、返事は曖昧に濁された。
龍が現れた・・・と見ていたのも十秒未満。突然龍は吼え、馬も皆もびっくりしてタンクラッドは急いで馬を宥め、レムネアクは龍に釘付けで放心。シャンガマックも嘶く馬に慌てて駆け寄り、大丈夫と落ち着かせたが、吼えた後に空の一部が壊れたのを見て『あれは』と異時空崩壊を過らせた。
最初の驚きが覚めやらぬ間に、第二弾の咆哮が轟く。完全に消すつもりだ、と察した褐色の騎士に、仔牛が来て『まずかったかもな』と小声で案じた。
ハッとしたシャンガマックが、横で見上げる仔牛の目に『まずいって』と急いで尋ねると、『喧嘩を売ったってことだ』と仔牛は呟き・・・空をこちらに戻る白い龍を眺めた。
龍は霧雨の黒い夜をうねり、すぐ側の野営地へ来て頭を下げる。大きな頭からドルドレンとルオロフが飛び降り、イーアンも白い光を放って人の姿に戻った。
「何があったんだ」
開口一番、タンクラッドが心配して近寄り、ドルドレンとルオロフを頭から足の先まで見て『怪我はないな』と確認。ドルドレンは、ルオロフの背中をそっと押して『焚火に』と温まるよう促し、横に並んだイーアンにまずは感謝を伝える。
「助かった。見つけてくれてありがとう」
「なんとなくですよ、あなた方がいるとまで確信ありませんでした」
女龍の返事に、『俺は君を呼んだから聴こえたかと』とドルドレンが驚いて目を瞬かせ、イーアンは首を横に振り、森を見て『手の打ちようがなかったからああした』と言った。
シャンガマック、仔牛も来て、ドルドレンたちは起きた出来事を伝える時間に流れ込む。
夕食は鍋一個に汁物を作り、後はテイワグナの平焼き生地を食べるだけにしておいたレムネアクが、焚火上に鍋を掛け直して温め、皆も焚火を囲んで腰を下ろしたので、まずはドルドレンが調査に行った後のことを話した。
―――祠からおかしな川が流れており、それが動いて自分たちの足元に来たので、攻撃しかけた矢先。
別の時空に閉じ込められた。そこでは死霊が引っ切り無しに現れ、二人で切り続けていたが、逃げ出そうにも制限で進めず、一定の場から動けないまま、気づけば追い込まれ足元も危うくなった。
一つ気になっていたものがあり、奇異な模様が離れたところにあった。最終的に出口に繋がるのは、あれではと焦ったところで、イーアンに救われた・・・
「奇異な模様とは、もしかして『原初の悪』の」
「イーアンも見たのか?そうだ、俺たちは思い出すまで時間が掛かってしまった」
話終わりで訝しんだ女龍の質問は当たり、ドルドレンもルオロフも彼女に『さすが』と褒めたが、シャンガマックはこれがホーミットの懸念した『まずいこと』と勘づく。だが、まだ何も言わずにおく。
話はルオロフが続け、『死霊が来るだけで他には何もない場所だったけれど』と、ずっともやもやする違和感について報告。
見た目が黒ずみ、切っている感触も薄い。しかし、たまに重い手応えがあり、不自然さも・・・と濁すと、察したタンクラッドが頷いた。
「意味の分からん空間で、本物の人間や死体を切ったかもしれない、とそうか?」
「はい。その通りです。見た目はどれも黒ずんだものですが、明らかに違う感触が」
これを聞いたイーアンは目を閉じ、もしや最後に見たあれか?と考える。ドルドレンはイーアンの様子に気付き、どう思うかをすぐ聞いた。うーんと唸った女龍は思い当たるものがある感じ。
「私の話に移っても良いでしょうか?最後にそれを」
「分かった。話してほしい。俺たちの報告はこのくらいだ。情報量が少ない場所にいたし」
「そのようですね・・・うーん、しかしうーん」
「どうした?」
一つ横から覗き込んだシャンガマックは、女龍の思うところが知りたい。一緒に仮面の集落へ入った時を重ねていそうで、共有できる情報をと思ったら、鳶色の目がちらっと見て『危なかったかもです』とまさに過去の集落と被せた反省を口にする。
「危なかった?」
「ええ。私はドルドレンたちがいるとは確定しなかったのですが、以前、バサンダを救出した時のような壊れ方を・・・あの、空間が割れるような状態を見ました。もし、バサンダのいた集落同様だったら、ドルドレンたちも危なかったな、と」
「それも運命だろ」
口を挟む仔牛を困った目でシャンガマックが見て、仔牛は『そうだろ?』と。イーアンも苦い顔で『運命かもですが、とても軽率な行為だったと反省しています』と言った。シャンガマックも分かる。確かに一部的な時間崩壊なども発生していたと考えたら、中にいた総長とルオロフは危険どころではない。
「だが。イーアン、助かったのだ。これが全てで、そして俺はとりあえず勇者だから、ここで倒れはしないと思う」
反省する女龍を慰めるドルドレンに、イーアンは『ごめんなさい』と謝り、ルオロフの困惑表情にも『今後は気を付ける』と約束した。それからドルドレンに促され、イーアン版の一部始終を報告。
―――川は見なかった。祠まで行き、血が垂れている様子に、それは供物のものではないと思い、祠に問いかけた。すると祠は一瞬だけ『だれかの血』と答え、それきり。祠に存在はない気がして、森の上からドルドレンたちを探したが、龍気にも引っかからず、隠された前提でまやかしを解こうと吼えた結果が――
ザックリと抜粋した話に、タンクラッドたちは質問したいことがたくさんあるが。イーアンは区切ってから大きく息を吐いて首を傾げ、『最後の』と続きを話し始め、それも聞く。
「吼えたら、一部が壊れました。その段階ではドルドレンたちがいることに気づかなかったです。でもすぐ、ドルドレンの声がして粉砕する幻影の中に二人を見つけ、急いで彼らを乗せました。
完全に消し去るつもりで、私はもう一度吼えました。『原初の悪』の印らしきものが見えたのもあり・・・この時、印が消えた時ですが、黒い人影も見えました」
黒い、人影? はたと、目を見合わせるドルドレンとルオロフ。その視線の交わし方を見つめるイーアン。それは?と先を頼んだシャンガマックに、『その人影は、苦し気に倒れて消えることを繰り返し、数秒で全て消え去った』と話した。
場はしばしの沈黙を挟む。龍の頭の上にいたドルドレンたちは角度的に見ていない。でも、と想像する。それは人間で、自分たちが切っていたあれも人間だったのか。
「無実の人だったかもしれないのを・・・ 」
「それはそれですよ」
ルオロフの、ぼそっと呟いた後悔。即、打ち消すように遮ったのはレムネアク。若干、非難めいた目つきを向けた貴族に、レムネアクは目を逸らさず『それはそれ、と思った方が自然です』と強めた。
「レムネアクはそう言いますが」
「人の所業ではないものに対し、人が関わったところで左右される意味がないですよ」
上から目線ではないが、独特の死生観・世界観を持つ男は、巻き込まれた場所での行動に、善悪や自分を省みる感覚は不要だと伝える。意味は分かるのでルオロフは目を逸らし『簡単には思えない』と返した。
でも、とどのつまりレムネアクの感覚の方が正しいかもな、とイーアンも思う。それはドルドレンも同じで、迷い込んだ先での行為は、自分たちに可能な抵抗でしかない。
無実の人を切り殺していたとしても、目の前にいたのは死霊の姿でこちらを襲う。あれが人間の姿であっても・・・襲い掛かるのであれば、やはり剣を抜いただろう。
「悔やむのは無駄だ。いまさら何言ってんだ」
仔牛は遠慮なしで、沈みかけたルオロフに冷めた目を投げ、ルオロフは仔牛に溜息を吐くと頷いた。
「お前らの価値観は、いつまでも温いな。一人殺そうが百人殺そうが、やったら同じだろうが。同族殺しがダメで、お前らの腹を満たす殺しはありってのも、一々凹むならその辺の矛盾から考え直せよ」
「ヨー・・・ホーミット・・・!」
無遠慮な父に、自身も痛みを覚えるシャンガマックは、呼び名を間違えながら注意し、仔牛を黙らせる。そういうこと言わないでくれ!と、耳元で叱られて仔牛は不機嫌になった。ぐっさり来る皆も言葉が減り、夕食にしましょうとレムネアクに流されて食事を摂る。
森は静かで何も聞こえず、あれきり。焚火を囲った龍気は、霧雨も終わったので解かれ、レムネアクの『祠がどう動くか』の話が再び話題に持ち上がり、ドルドレンたちは『自分たちは邪魔したように映ったのか』と理解をした。
仔牛はぶすっとしていたが、結局のところ・・・イーアンに『行け』と命じた、歌の影響については触れていない。歌どころではなかった事態にこうなるか、と呆れた。
ただ、もう広がっているだろうから、この先の魔物や敵の行動が変わるのは予想し、それは皆にではなく、息子にだけ伝えた。
この後、ロゼールが戻り、コルステインに伝えたと報告し、コルステインがまた煙のサブパメントゥを探し始めるのも教える。
不可解な出来事に、解決したとはいえ素直に喜べないイーアンたちは、次にああした祠を見つけた時の対処なども話し合う必要があるのだが、今夜はそれを避けた。
それと。ドルドレンは、ルオロフに『剣の許可』を頼んだことについて、ヂクチホスが断った正当な理由を伝えられたが・・・ これへの良い切り返しは思いつかず、宿題となる。
ルオロフも自分の身を左右する神様の提案に悩む。だが、言えないまま―― 詰まるに詰まった一日は、夜が更けてゆく。
お読みいただき有難うございます。
明日28日から少しの間、投稿をお休みします。
月末までにこなさないといけない絵が詰まっていまして(;´Д`)、それが完了したらすぐ投稿しようと思います。
絵と文字の両立が出来ない脳みそで、どちらかに傾くとどちらかが使えなくなるため、こんなことでご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
冷えていますので、お体を温かくしてお過ごしください。
いつもいらして下さる皆さんに心から感謝します。有難うございます。
Ichen.




