2943. 血の歌、血の川、黒ずむ死霊・『まやかしの死者の郷』、血の精霊
だれかのち ――誰かの血。
誰だよと龍気で威圧しかけたイーアンは、面の目に浮かんだ瞳孔がすぐに消えたので、さっと左右を見た。
ここを壊しても何もないかも。それに気づき、返事をした祠の面が『媒体』と解釈。大元はどこに・・・ 確か、身動き取れないはず(※2876話参照)。もう停止期間を終えたのかもしれないが、それにしては『原初の悪』の漲る気がほぼ感じられないため、理由について考えるのはやめた。
祠で思い出したのは、サブパメントゥの仕掛け罠。あれと近いような。
設定された条件をきっかけに動き出すと考えたら、そちらの方がこの状況で自然に思える。レムネアクは、『生贄を祠に捧げて死霊たちを追い払ってもらう』と話していたし、生贄でスイッチが入った祠の仕掛けは、死霊を追い払う際に誰ぞの血でも序で啜っている可能性だってある。
「生贄一つ二つで、この系統が良心的に動きそうな感じはないしね」
近い距離にドルドレンたちはいない。暗い森で霧雨に反射する龍の光は、周囲を一層暗くする。
イーアンには彼らが巻き込まれたとは信じ難いので、『誰かの危機に気づいて助けに行ったかも』と考え直し、翼を出した。
女龍の翼を出しても祠に変化なし。タラタラと落ち続ける血も変わらずで、イーアンは嫌味を含んだ溜息を一つ落として、浮上。上からでは木々の葉で全く見えないが、今は視覚に頼らない。彼らが出発した時間から人の足で行ける範囲を想像し、速度を落として探すことにした。
「ドルドレン、ルオロフ。大丈夫と信じていますが、ご無事で」
龍の去った祠は、龍がいた時もいなくなっても、細い川を流し続けている。そして川は、ドルドレンたちを運んだ後―――
*****
「これはどういう事態なのでしょうね」
「俺も、皆目見当がつかない」
剣を一振りした貴族はドルドレンの傍らで、『あれが先ほどから気になりますが』と横へ視線を向ける。ドルドレンは彼の赤毛がちょっと動いた方を見て、似たようなものを見たことがあると答えた。そして、右腕が風のように動き、襲い掛かった敵を切る。あれ・似たようなものについては、後回し。
「死霊、死霊と呼んでいるが。多様だな。しみじみ思う」
「私も関心がないもので、特に気にしませんでした。でもこれらはまた、今までのと・・・総長、そちらに」
振り返ったルオロフに『そちら』と方向を示され、ドルドレンの剣が近寄った死霊を切る。
この死霊、本当に死霊なのか・・・どうも引っ掛かるのだが、襲ってくるからには倒すだけ。ドルドレンもルオロフも『運び込まれた先』で死霊を切り続け・・・時間が随分過ぎた。
「イーアンに連絡してみたが、通じない。別の時空かもしれないし」
「何者かの手の内かもしれないし、ですね」
やれやれと、ルオロフも宝剣を横に薙いで不意打ちの死霊を切り払い、返す手で壊れた体の軸を切り離す。死霊は、ドルドレンの剣だと切りつけるだけで倒せるが、ルオロフの剣は『弱点』と思しき部分を切らないとまだ動くので一手間多め。ちらっと見たドルドレンは、それが不思議そう。
「その剣、無敵に思えたが」
「得手不得手があるかもしれません。総長の剣は、特別ではないと仰っていましたが、万能です」
「仮にも勇者の力が働いているものだから」
遠慮がちな総長に、そういう意味では、と失礼を詫びる赤毛の貴族。ドルドレンもちょっと笑って・・・
二人は、ここから出られない。
切った感触すら薄い死霊相手だが、たまに現実味ある重さも手に伝う。この違いは気になっていた。
「死霊・・・ですよね?」
「ルオロフ。今は、疑わない方が良い」
もしかしたら、人間ではないか。死霊の幻影を伴った人間の可能性を二人は案ずる。
―――足に触れた、川。あの時、触れる前に後ずさったはずなのだが、どういうわけか水は触れていたらしく、靴の裏が『ぴちゃ』と小さな音を立てた途端、目の前がガラリと変化した。
ルオロフよりドルドレンに近寄った、川。間違いなくこちらを狙って来た、と分かったので一歩下がった、その時だった。
霧雨の森に、真上から別の風景がどすんと落ちてきた具合で、壁に遮断された!と思った二人は剣を構えたが、死霊が出てきて、遮断ではなく場所が違うと気づいた―――
死霊は、腐ったり放置された死体などが複数体集まって癒着している認識で、個体差がかなりある。頭だらけで手足が動いているのもいるし、頭が埋まっている胴体に、いくつもの足や腕が向きも適当に生えているのもある。二足歩行以外で這う・多数足もあり、3mほどのもいれば小柄な人間くらいのもいる。共通する条件は『複数癒着の死体』だけ。
移動先に現れた死霊もまた、条件は適っているけれど・・・悪臭・怪力・しぶとさといった能力は低く、どれもが妙に黒ずんでいて、頭は特に黒く、目鼻を判別しづらいほど。
ここではふらっと奥から出てきて、急に飛び掛かる・倒れ込む・掴みかかるの単純な動きで、ドルドレンとルオロフに難しい相手でもないが、切れば『う』『ぐわ』と声を上げ、今までの印象と違う。そしてたまに、やけに生身的な者もいる。
二人のいるところだけがぼんやりと明るく、足元も地面の感触。だかそれだけであり、移動は利かない。
ルオロフが跳躍を試したが、全ての方向に進めない。跳び上がっても、至近距離で着地した最初、振り返って総長の驚く顔に『先へ行けません』とルオロフも怪訝を伝えた。押し戻されるのとも違い、単に『距離がない』、歩いても同じ場所から動かない、その状態と理解したドルドレンは、テイワグナのアルアの町を思い出した(※1688話参照)。
見上げる空と前後左右は何もなく、ぼやけた同色。足場から続く赤黒いぼんやりした薄暗さは、数m先程度までで、その奥は真っ暗。その暗がりから死霊たちは出ていた。
「総長」
「うむ。なんだ」
「いつ。出られると思いますか?」
「俺も聞きたい」
閉じ込められたのは分かった――― そして死霊がひたすら出てくるのも、終わらないのは、ここが『それらしかいない場所』だからかと、あたりを付けた。
となれば、脱出にはここの事情を理解して方法を考えるか、外からの開放だけ。外、とは即ち。
「異時空とは、これほど多く存在しているのか」
「・・・私も詳しくはありませんが、狼男で時空移動をこなした時は、通過するたびに様々な道を抜けました」
元狼男のルオロフが言う『様々』は、そこかしこにあって、それらは同じではない。ドルドレンは軽く溜息。黒ずんだ死霊をどれくらい切ったか、段々と腕も重くなる・・・この程度で疲れる自分ではないが、とこれも疑問に思った。
するとルオロフが察したように、ドルドレンの下げた腕と顔を交互に見て『私はまだ大丈夫ですが』と心配そうな目を向ける。
「外の世界で使うより、力が漏れている可能性もあります。例えば、勇者の力が・・・剣に帯びているなら」
「俺が意識的に使う場合、ルオロフも見ていると思うが、光を帯びるのだ。ここでは使っていない」
「ええ。存じています。ですが、先ほど総長も仰ったように・・・私は剣自体に特殊な力を移すことは出来ませんが、総長は微弱でも無意識で剣に力を流しているとも思えます」
「む。それもそうか」
可能性あり、と力の漏れを止めたくても、勇者の冠を外したらそれもどうなるか(※弱くなる懸念)。しかし、腕が重いのは漏れ出す力が多いから、となるとこれは困る。
「イーアン・・・ 」
ドルドレンの心が若干、焦る。ルオロフも彼の呟いた名を想うが、ルオロフのそれとは違い、こうした環境を打破するのが龍、と知っているドルドレンは、ここは彼女だとイーアンの助けを求める。悲しいかな、人間では手が出せない別の時空・別の空間。これを壊せるのは、龍の特権。
「龍、俺の龍よ。俺を見つけてくれ」
びゅっと振った長剣は、黒い死霊をのけぞらせて倒す。呻いた死霊は、切られたところから崩れて塵に変わり、塵は暗い赤の床に吸い込まれて消えた。
切った時。全く手応えのない場合と、現実味のある手応えの違い。
何体切ったか数えていないが、三回くらい、手応えを感じたこと。ルオロフも、おかしいと思った時、剣を握る手に視線を落としていた。
じわじわと、自分たちが誰か無実の人を殺しているのではないか、その懸念は強まる。また、これとは別に。
少しずつ、空間が狭まっていることに、二人は気づけない。
少しずつ、足元の地面が薄れていることも、当然気づかず―――
*****
空中で止まった女龍は、二人を見つけられず彼らの気配もない森を見下ろす。龍気を広げても何一つ拾えないので、いよいよおかしいと大きく吸った息を吐く。
「なんだっけ・・・レムネアクが話していたのは。精霊の動きを邪魔をすると、深刻な被害が人畜に及ぶ話だったけど。そもそも、祠は精霊の息が掛かっているだけで、地霊もいない。
もし、呪いの発動みたいな感じで、邪魔者を捕まえたとして、邪魔した人間を殺したり、他の人を巻き込んで殺すとして。現実の世界でやる?」
もしかして、引っ張り込まれた先があるのでは。精霊の呪いを直に受けて、くり抜かれたような異時空に閉ざされた場所と人々は何度も見た。
地霊もおらず、そこまでの力を発揮するか疑問であれ、『原初の悪』ルーツの祠なら、そもそも強大な力を持つ精霊だけに、放置した罠すら強力かもしれない。
「迷惑」
その線が濃い、とイーアンは眉根を寄せ・・・ 何をしてもまともには探し出せない二人が、このどこかからリンクする別時空にいると仮定し、体を龍に変えた。
霧雨は降り続ける。
濡れることすら感じないほど、細かな軽い雨が。
大きく空に雲を張る、静かな雨天の夜。祠から流れた歌声が、あちこちで幽鬼と魔物を重ね続けて残り少ない人間を探させ・・・ 祠から流れた血の川が、生贄を受けた仕組みで、『邪魔する者』をまやかしの死者の郷へ送る。
まやかしの死者の郷は、どこからか異時空に迷い込んだ人間を抱え、意識も心も止められた人間が彷徨う。
ヨライデで、血の精霊と呼ばれる『原初の悪』でも、『原初の悪』は生きた命に直接関わらない立場。
彼は直で手を出さないが、動きの影響と余波は多くの生命を狂わせ、死なせる。
まやかしの死者の郷も影響の一つで、祠の仕組み仕掛けの延長にあり、血を求める幽鬼や死霊の類に『与える餌』を担う。計画的ではないが、長い時間の末に定着した。紛れ込んだ人間が出られず、度々放出する時には、餌として出される。
この餌溜めにドルドレンたちはいて、切っているのも閉じ込められた人間であり、倒れた血は求める祠や他所へ回る。
祠は『原初の悪』の振動を受け、いたずらに注がれる血を増やそうともするが(※歌)、それとは別機能の『餌送り(※川)』もある。
幽鬼が伝った魔物は、人の血を求めて動き、殺すだけではなく、異時空へも追い込む。どのみち、血を捧げるために―――
そんなこと、イーアンが知る由もない。
ただ、イーアンの立場で、今の自分が出来ることをイーアンは実行する。白い巨大な龍は、森を真下に見据え、大地を揺する咆哮を落とした。
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