2937. 深夜~不自然な消失・勇者古代剣の要・『方舟の香炉』・旅の四百八十日目~『煙』の報告
海で濡れた服を脱いで体の砂を拭き、レムネアクは食料馬車の寝台に横になった。
そう疲れていないはずが、意識を取られたり何なりで、頭痛も伴い体はだるい。着替えを持たないため、イーアンに相談しようと思いながら、寒くもない荷台の中、腰に上掛け一枚乗せて裸で眠りに就く。
ロゼールも似たようなものだが、こっちは着替えの一つ二つ持ち込んでおり、塩水でべたつく体は朝にでも洗うことにして、とりあえず着替えた。眠る前に、レムネアクの荷物は道具の包み一つだったのを思い出し、彼の衣服を明日渡そうと考えて寝落ちした。
奇妙な消え方で『終わった』、煙のサブパメントゥ。
イーアンもコルステインも終わった瞬間まで見届けたが、どこへ逃げた気もしなかった。だが、呆気なくて信じにくいのも確かだった。
捜そうにも確かめようにも、煙一筋すら消えた後。何の気配もなく、イーアンもコルステインも今夜はここで終わりにし、イーアンは荷馬車の荷台に戻る。
戻ると、ドルドレンが目を覚ましたので、何があったかを話した。ドルドレンはとても驚いていたが、彼もまた、納得いかない消失の様子に言葉を探し『まだいるような気がする』と呟く。イーアンも調べるにどうすると良いか、すぐ思いつかない。
「コルステインも探す手段が浮かばないようです」
「それはそうだろう。龍の君が触って終わると思っていたものが、しこりを残したとなったら、存在の確認が果たして可能かも分からない。イーアンもコルステインもそれぞれ、各種族の最高位にいて、自分たちを超えるものがない状態で、消滅を免れた可能性を探るのは」
「難しいです。でも気になります」
「精霊に聞いてみたらどうだろう?」
「・・・ポルトカリフティグ?」
「む。いや、彼ではなくて。彼も気にしてくれるだろうが、存在の有無を確認するのは彼でもない。こうなると、いや、しかし。そうだな、ポルトカリフティグにまず伝えよう。消えたと思ってどこからか出て来ても困る」
「ドルドレンはそうして下さい。まだ他に勇者を狙うサブパメントゥはいますし」
そうだね、とやや話が逸れながらも、ドルドレンは明日あたりにポルトカリフティグと会おうと決める。
消滅したはずが、もし・・・何かの形で生き延びていたら。油断していつ隙を衝かれるか、却って厄介だとイーアンも唸った。
「こう言っては何ですが。いそうなんですよね」
「分かるのだ。警戒に越したことはない。とにかく警戒しておく」
うん、と頷く女龍をベッドに寝かせ、ドルドレンも横になる。おやすみなさいと共にイーアンは眠り、ドルドレンも目を閉じたが、自分の防御を上げるべきかと―― ルオロフの剣の必要を思った。
彼の持つ剣は、煙のサブパメントゥを切った。そして、煙のサブパメントゥは、今も後遺症らしき不調を抱えていたという・・・・・
ポルトカリフティグに剣の相談もすることにし、胸騒ぎが落ち着かないままドルドレンも眠った。
*****
タンクラッドの眠る寝台横。ほんの少しの音を立てた荷物は、それきり。
入手後に度々、茶葉を焚いた煙で遥かな過去を眺めた香炉(※610話参照)は、一度だけ息継ぎして、また息を潜めるように黙る。
サブパメントゥたちと、始祖の龍。時の剣を持つ男。勇者、方舟が映し出される道具は・・・ 暫く使っていないのに、ささやかな幻に似た煙のにおいを緩く纏わせ、そのにおいも空気に消える。
まるで、逃げ込むように。
いつか、約束でもしたかのように。
万が一、その時へ用意した逃げ道。
タンクラッドはこの香炉を、ドルドレンの祖父から購入した(※438話参照)。
ドルドレンの祖父エンディミオンは、香炉をどこかの遺跡から持ってきた(※614話参照)。
どこの遺跡だとは、タンクラッドも知らないし、エンディミオンも話していない。
香炉には龍と船が彫刻され、タンクラッドが使うまで、不思議な絵の映る『煙』は出なかった。
―――――『煙』は。 旅の仲間の手に渡るまで、映らなかったのだ。
*****
アネィヨーハンを出て、出発日含め、今日で五日目。
昨日は買い出しに行けたのもあり、食料は安心な量を得た。サンキーに分けても何ともない。穀物、肉、魚、豆、野菜、加工品が揃い、水は浄化しっ放し。イーアンが浄化できるようになったことは、皆の安全に大きい。
複雑な夜を越えたのもあって、朝から少しごたついたが、和やかなもの。
調理前に水浴びをしたくて、ロゼールがイーアンを起こしに行き、夜明け前に目覚めるイーアンはすぐに了解して、レムネアクも川へ誘おうと・・・ 食料馬車の扉を開けかけたがロゼールは慌てて閉め、中でびっくりしたレムネアクの声とガタついた音。
イーアンは見ていなかったので、何がどうしたの?とロゼールに聞いたが、彼は答えなかった(※僧兵裸)。
三十秒程度で『開けても』と内側から聞こえ、ロゼールが謝りながら扉を開けた。
レムネアクは砂の付いた服を下半身だけに着て、上半身は裸。目の合った女龍に『昨日、服が濡れたままで』と気恥ずかしそうで、言い訳しているみたいに感じた女龍は、ここでようやく彼が全裸で寝ていたと気付き、うん、と頷く(※他に言いようがない)。
で、ちょっとだけロゼールの視線が、レムネアクの胴体に止まる。絵を描いた両腕と胸・・・ではなく、傷跡だらけ・・・古い傷と見抜いたが、ロゼールはイーアンも何も言わないから、これは聞かないでおいた。見られているレムネアクも気にしていない。
「あの。川へ、水浴びしに誘いました」
「そうか、助かります。それでイーアンが一緒なんですね。毒があるのかも分からないし」
「それと、レムネアクは服がないと思ったから、俺の服で良かったら着替えて下さい」
ロゼールは細身で小柄だが、レムネアクもそんなに高身長ではない。頭一つ分ほどイーアンより大きいのは、どちらも同じ。似たような体格だし、用意した半袖とズボンは問題ない。気づかいに感謝し、レムネアクは着替えを受け取って、三人で川へ移動。
ロゼールがレムネアクを背中から支え、お皿ちゃん初乗りのレムネアクは、短い距離とはいえ、川までの飛行を楽しむ。イーアンは先に行って川の水を浄化・・・野営前にも龍気は使ったが、もう一回念のため行う。
曇り空の朝。すこし冷える川辺に男二人を川に放し、イーアンは朝食準備で馬車へ戻る。
火を熾し、煙を見て、手が止まった。気になり続けていて、放っておくと心配は現実味を帯びそう。
調理器具を荷台から出す時、早起きしたドルドレンも着替えており、彼も朝食作りを手伝ってくれた。作っている間、『煙のサブパメントゥ』話は途切れない。ドルドレンが、昼休憩中でもポルトカリフティグを呼びたいと話していると、ロゼールたちが戻った。
「総長が作ってくれてるんですか」
ロゼールはお皿ちゃんを小脇、もう片腕に洗った衣服を持ち、レムネアクも濡れた服片手に側へ来る。
「おはよう、ロゼール。レムネアク。さっぱりしたか」
「総長たちも風呂が・・・俺たちは昨日海に入ったんで、水浴びをしたけど。総長やタンクラッドさんたちも。ルオロフも清潔じゃないと嫌ですよね?」
抜け駆けで戸惑ったロゼールに、ドルドレンは『出来る時に浴びるから、服を乾かせ』と軽く促した。二人は火の側に濯いだ衣服を広げ、どれくらいで乾くだろうと話す。これを見ていたイーアンは、焚火より早い龍気で乾かしてやった。
「はい、どうぞ」
「うわ、イーアン。何でもできますね!」
「応用範囲はこの程度ですよ。龍は攻撃向きですから、家庭向けの用途は少な目」
さらっとした女龍に、レムネアクは『こんなこともしてもらって、本当に嬉しい』と有難がる。イーアンはちょっと笑い、服があれば困らないよねと呟き、ドルドレンも近い町で彼の服を買わねばと思う。
「しかし。こんな状況だから、両替もしていない。タダで貰うわけにもいかないから、どこかで両替しておきたいものだ」
「うーん。じゃ、衣服もテイワグナで買ってきましょうか」
話は衣服購入先に変わり、調理の途中からロゼールが続きを引き取る。話している内に、タンクラッドやシャンガマック、ルオロフも最後に起きてきて、朝食が始まった。
一時的にサブパメントゥの悩みが切れて和んだが、また全員共有として改めて昨晩の出来事を考える時間。
シャンガマック親子は別で戻ったので、昨夜の一件は何も知らない。仔牛は褐色の騎士の横に座り、報告一部始終を聞いた。
ルオロフも蚊帳の外だが、総長似のサブパメントゥ退治劇は興味深く―― そしてそれが真実ではない気がして、意識に留める。
タンクラッドもこの一件に絡んでいないため聞くのみで、直感が働くこともなく情報として捉えるだけ。
レムネアクと、二夜連続で現れたサブパメントゥとの会話は、見張っていたロゼールも知っているが、内容はレムネアク本人の口から話してもらった。
レムネアクがこちらの情報を一切漏らさずに通し切った結果は、イーアンやドルドレンも驚く。サブパメントゥ相手に大したものだと褒め、レムネアクは『相手が疲れていて良かった』と謙遜した。
仔牛もそこは感心。ふん、と鼻を鳴らした仔牛が彼を認めたので、シャンガマックは『すごいね』と代わりに褒めた。
サブパメントゥとの会話後、操られた彼を追跡したロゼールは、『剣鍵遺跡を通った』それも伝え、その内使えるかもと、皆は忘れないように意識する。
そして行先はやはりサンキーの島で、龍気で遮断された煙サブパメントゥを追い込み、レムネアクが解放され、逃げかけた相手をマースが対応し、コルステインが来て・・・ ここまで10分程度の短さ。
だがこの10分は、これまでとの違いへ進む、一区切りの境目を思わせる。
「勇者を追い回してきたあいつが。あっさり消える気はしないよな」
剣職人の一言に、ドルドレンもイーアンもゆっくり頷く。シャンガマックは大きく息を吸い込んで、『つまりどこかにいるんですね』と可能性を肯定した。
レムネアクとロゼールは、煙のサブパメントゥ対ドルドレンの話を知らないに等しい。何かしら耳にしても繋がっていないため、通じている者同士の話題に黙っていたが、ドルドレンは彼らにも説明した。
「総長も追い回されていたんですか?」
「途中からな。別のサブパメントゥにも追われていたが」
「私を使ったサブパメントゥが、勇者を唆すために付きまとった因縁があるとは」
「その通りである。しつこいったらない・・・む、レムネアクはそういえば、勇者伝説を知っているのだったか?因縁と解釈したのは、繰り返す歴史を知っていて」
「図書館の蔵書にあります。ヨライデは神話や伝説に困らない国でして、勇者と魔物の伝説も、誰もが知っています。ええと、ヨライデ人の多くが知っているのは、あの城があるので分かりますよね?」
最後の舞台ヨライデ。繰り返す魔物の到来で、確実に終着点となる、ヨライデ王城の存在。
イーアンたちは揃って首肯し、レムネアクが『繰り返す魔物到来と勇者対決』をすぐ受け入れたのも理解した。
ただ、伝説に『煙のサブパメントゥ』などは出てこないので、レムネアクは生きた伝説を味わっている気分。事情へ食い込んでゆく立場に感動しており・・・話題もひと段落付いたので、とりあえずここまで。
この後、片付けを済ませ、昼に勇者専属の精霊と会う予定も知らされ、馬車は曇天の下を出発する。
イーアンは、煙サブパメントゥの行方を確認したい。
ドルドレンは、いつまた現れても倒せるよう、剣を確保したい。
ルオロフも、身を隠したサブパメントゥの急襲に懸念し、総長に剣があればと考える。
シャンガマックとホーミットは、それはともかくで、イーアンに記号文字の勉強を再開しようと話し合う。
今日の馬車の席は――
ドルドレンの横にルオロフが座り、シャンガマックに呼ばれたイーアンは彼の横に座る。タンクラッドはレムネアクに古い伝説を聞きたがり、いつものように彼を自分の御者台へ呼んだ。ロゼールは先頭の荷馬車横が定位置だが、総長に下がるよう言われて内緒の話らしき様子に、馬を下げる。
レムネアクと剣職人の話を横で聞かせてもらいながら、しばらく過ごしたが、何となし、周囲が気になり・・・
ロゼールの大きな紺色の目が、寝台馬車の荷台を見る。変わったところはないのに、どうしてか、歌のようなものが聞こえる気がして。正確には、自分の頭の中に流れ込む、誰かの声が歌を。
『ロゼール』
脳の中で、遮った太い声。ハッとして振り向いた騎士に、後ろを歩く仔牛が、ちらっと前の馬車の荷台―― 寝台馬車 ――を目で示し、『調べろ』と頭に呼びかけ命じた。
『はい』
お父さんも気づいたんだと分かったロゼールは、すぐさま馬を荷台の扉に寄せ、後ろの足板に飛び乗る。突然の動きに驚いたイーアンとシャンガマックが何か言うより早く、ロゼールは片方の扉をばんと引き開け、中へ滑り込み―――
「お父さん!これ!」
「放れ」
その手は、一階のタンクラッドの荷物に伸ばされ、何かを掴んだと同時に振り返ったロゼールが仔牛を呼ぶ。仔牛は首を自分へ傾けて投げろと示し、ロゼールが瞬間で放ったその時。
イーアンは目を丸くする。シャンガマックも頭上に驚嘆。
馬車の荷台から投げられた小さな金属は、しゅーっと黄色い煙を噴き出し、曇天にあの映像が―――
お読みいただき有難うございます。