2923. ヨライデの民の一人として・出発・元僧兵と貴族
食後の木の実で腹をごまかす時間。
タンクラッド経由で、ヨライデ旧教と馬車の民の関係・近年の宗教の状況が皆に伝わる。
旧教の創世物語で、遠くから承った『声』を、旅の民族が各地へ運ぶ役目とされている。ここから始まり・・・
馬車の民が、旧教の信者かは分からないが、一般的な解釈は『馬車の民=旧教』の繋がりであり、旧教の神殿に馬車の民がいるのは自然な認識、と話した。旧教についても、親方は受けた印象を続ける。
原始的な要素が濃い旧教は、どうとも取れる単語が多く、死語を用いた古い歴史の宗教で、正確に解読もされていない。
意訳・翻訳は早くから行われていたため、宗派は多く、新教もその一つ。
大きく二つに分かれたのが、旧教派と新教派で、現在は新教が国の宗教。
旧教の派生を制限するため、新教は旧教団体を解体し、研究や信仰は自由でも資金は与えられていない。
そのため、資金欲しさで旧教が長く管理していた土地や公共物を手放し、買い上げた国―― つまり新教が、土地・公共物の『遺跡』を使用する。これが、古代剣を使う遺跡。
思いがけず知りたかったことを聞き、イーアンは『彼が知っていたのは、それで全部ですか』と尋ね、タンクラッドが『そうらしい』と頷いたので了解。大まかにでもポイントが掴めた。
ドルドレンも意外な『旧教』の在り方に、馬車歌を関連させて黙り込む。
イーアンはふと、話題からずれるが『神殿と剣』を思い、タンクラッドに『サンキーさんですが』と話を変えた。
龍の護りも強化し、大丈夫とは言えるのだけど・・・心配性のイーアンに、タンクラッドも彼が気になっていたことから、『俺が行けるなら今日見てくる』と言いかけたが、御者の問題あり。
ロゼールかルオロフを御者に頼むかと呟いたところで、荷台からルオロフが出てきた。視線を集めた彼は、遠慮がちに微笑み『少しだるくて寝坊した』と、疲れを口にした。
「今日は動物の保護を休みたいと思います。勝手なことを言って申し訳ないですが、馬車で休めたらと思いまして」
イーアンを見た薄緑の目に、勿論イーアンも了解する。レムネアクへの理解を説いた昨日、午後の彼は一心不乱に動物集めをしていたので、体も心も疲労しただろう。
休んでとイーアンが促すと、すぐにタンクラッドが『御者を代わってほしい』と持ち掛け、ルオロフは二つ返事で引き受けた。
この時、タンクラッドは『サンキーに会いに行く』目的、イーアンは『レムネアクにもう少し聞きたい』ことありの意識で気づかなかったが。
ルオロフの御者引き受けには別の理由があり、『レムネアクと話してみよう』とした決意もあった。
朝食の皿を受け取る彼の薄緑の瞳は、食料馬車にそっと向けられる。謝るなどではないが、強めた誤解は緩めておくべきと、それは思った。
こうなるとレムネアクの背景も正確に知りたいので、本人と会話する必要を感じ、今日は馬車にいようと考えた。のだが。
「あっ」
パッと後ろを見たイーアンが声を上げる。ドルドレンたちもつられて後ろの馬車を振り向いたので、ルオロフも顔を傾けた。目に映ったものに、口へ運びかけた匙を持つ手が止まる。
「おはようございます」
「おお、そうなるんだな。ヨライデ人、といった感じだ」
へぇと側に行ったシャンガマックが、レムネアクの横に並んでしげしげと眺める。イーアンもじーっと見て、半袖から出る前腕の絵とその顔に無言で頷いた。
ドルドレンも数秒止まっていたが、『なるほど』と。何がなるほどなの、とイーアンが見上げて目が合う。『ミレイオのようだね』と囁いた伴侶に、イーアンはそういう意味じゃなかったと思ったが、伴侶はそう感じたらしかった。
レムネアクは唇に赤い顔料を付け、目元に黒の線を引き、前腕は―― おそらく二の腕も ――特徴的な絵模様がぐるりと覆っていた。垂れた前髪の幾筋かは白く固められて、非常に民族的な雰囲気。男なのに女のようだし、女に見えるかどうかより、性別を紛らわすことが目的に感じる。そう、伝わるのだ。
「それが、お前さんの言う『他国の服と同じ』?(※2911話参照)」
前で立ち止まったヨライデ人にイーアンが尋ねると、レムネアクはニコッと笑って『そうです。私の服です』と答えた。
当たり前のように、普段着のように。
派手な化粧と絵模様を描き込んで変化した僧兵は、ぽかーんとして焚火側で見ているロゼールに笑いかけ、『遅くなったけれど、それは私の分ですか』と彼の手にある皿を遠慮がちに指差す。
「あ、そう、そうです。どうぞ、食料が少ないから朝も少しだけど」
我に返ったロゼールが腕を伸ばし、レムネアクは笑顔で受け取る。描かれた模様付きの腕を、紺色の瞳で見つめるロゼールに『これはお守りです』と簡単に教え、聞きたそうな彼の横に腰を下ろした。
後ろに立つシャンガマックも、顔が笑っている。ドルドレンと目が合った騎士は総長に近寄って『昨日、顔料を持ち帰ると話していた』と教えた。
レムネアクは自分が自分らしくあるために、顔料で体に絵を描くと言われ、シャンガマック親子は『好きにすると良い』と持ち帰ることを促し、そしてこの状態―― 大きくゆっくり頷いた総長が、ロゼールと喋りながら食事をする僧兵を見つめる。
「今まで寝ていたのではなく、描いていたのだな。彼らしく戻るために。分かる気がする」
タンクラッドは特に驚かなかったが、それは『ヨライデ人=ミレイオ=派手』の固定観念があるからで、頭の中はサンキー宅でいっぱい。
風変わりな殺人者に、皆が好奇心と不思議感を持つ中。赤毛の貴族は自問自答で『私は彼と話し合えるだろうか?』と、新たな驚きを前に悩んでいた。
*****
イーアンは、レムネアクに聞きたいことがまだあるけれど――
タンクラッドが教えてくれたのもあり、出発直前の意外な光景に踏み込みはしなかった。つまり、自分の用事は後回しにした。その光景とは。
皆も意外そうだが・・・ 誰一人、余計なことは言わない。今、冗談であっても言ってはいけない気がした。
「無理は言いませんが、良ければ」
「私は別に。どこでも」
「では、どうぞ隣にお座り下さい。タンクラッドさんの横に、座られていた話ですので」
――赤毛の貴族は、タンクラッドが龍のバーハラーで飛び立った直後、皆が馬車に歩くより早く寝台馬車の御者台へ座り、イーアンが話しかけたばかりのレムネアクに『こちらへ』と片腕を挙げて示した。
呼ばれたレムネアクも一瞬、驚いた反応を見せたけれど、少し頷いて受け入れる。ガン見するイーアンに『またあとで』と軽く断り、ヨライデ人は寝台馬車の前へ移動――
シャンガマックもドルドレンも、赤毛の貴族の心変わりかと気になるものの、黙ってそれぞれ馬車に乗り、イーアンもドルドレンの横へ。ロゼールは、ブルーラに跨って興味深そうな視線を隠さず、寝台馬車近くをうろついたが、ドルドレンに呼ばれて前へ行った(※引き離される)。仔牛は基本、息子の傍を離れないので、三台目の馬車横が定位置。
「出発」
前から号令が掛かり、いつもの並び順―― 荷馬車を先頭に、馬車の列は動き出した。
赤毛の貴族と相乗り(?)状態になったレムネアクは、呼ばれた割に会話があるのでもなく、相手が話すのを待って視線を逸らして過ごす。
旧街道を進む先に何があるとも知らないが、出発地点から王城までの道で早いのは、大雑把なテイワグナ製の地図で見る限り、旧街道で途中まで進み、主要道へ移る方法。
こんな道だったか?と、これまで母国の地図を何度も見ているレムネアクは、若干心配になったが、旧街道自体はまぁまぁ間違えていないし、主要道の引かれている位置は違う気がしても、そこへ着く頃には、どこかで地図も見つけられる気がしたので、指摘はしなかった。
北部、王城まで何ヶ月使うやら。
ヨライデは狭いが、かといってハイザンジェルほど国土が小さくもない。湾が多いヨライデなので、途中は船で距離を稼ぐ手段もある。
南から北部は、沿岸の出方が極端なところもあるし、船に慣れていないと難しい。だから、船を使う提案を出すのであれば、中部へ入った後が良いと考える。そして、これは船があれば、の話だ・・・
「ヨライデの人を知らないのですが」
「ん。はい?」
徐に、隣から声が掛かる。さっと振り返ったら、アイエラダハッド人の若者が自分をしっかり見ていた。
その視線はレムネアクの目に固定されており、思わせぶりな動きもしないが、レムネアクには彼が自分を観察しているのが分かる。それは次の言葉でも。
「誰もがあなたのように、化粧をしますか?腕の絵なども」
「ああ、これですか。はい。私は少ない方ですよ」
「伝統的なのでしょうか?根掘り葉掘り聞いて失礼ですが、初めて見たもので」
話の切り口としては自然。彼は特に興味もないだろうにとレムネアクには伝わるが、何か言い出そうとして、見た目の話題を選んだらしいから、まずは顔の化粧と体の絵について意味を教える。
化粧に見えても化粧している意識もなく、男女を超える存在を敬うからこうすること。体の絵は永久的ではなく、必要な伝達や書信と似ている役目であること。相手は精霊であり、その数は多いのも話した。
真剣に聞く貴族は、説明される箇所へ視線を動かしたが、じろじろ見ることはなく、レムネアクの顔に視線をまた戻す。
「では、女性が顔に着色する場合は、男性のように見せるのですね」
「そうですね。中間の状態というか・・・ 」
ふと、ミレイオを思い出したレムネアクだが、彼の名前は言わず。『自分たちが男女の性に悩まされることがない状態を、常に保つ』と強めて、ルオロフも大きく頷いた。
・・・レムネアクが本当に言いたいことは、裏を返せば『男女の性問題に悩まされる方が多い』なのだが、ルオロフはそこまで感じ取れないのも分かる。貴族は尊重を前に出して『なるほど』と相槌。
「良い考え方に思います。考えたことがないだけに、不思議な感触もありますが」
「貴族社会だと、女性や男性の別を意識していそうですよね」
「ええ、そうです。男は女性を守らねばいけません。女性も男に対し、守られるべき主張をするものです。日常でも、財産分与でも、強弱ではなく対等な主張があります。でも」
ルオロフは声を落とす。エサイに言われ、イーアンに言われ、『バックボーン』を頭に浮かべた。急に話を変えるのは不自然だなと置いた間に、話を続けようとして、レムネアクに遮られた。
「聞きたいことは、他にあるんじゃないですか?」
「・・・そう、思いますか?」
「はい。抵抗があるから話しを持つ、それだけには思えませんね」
構えさせたか、と貴族はちょっと戸惑ったが、レムネアクは誤魔化しが聞きそうにない目つきを向ける。単刀直入を決め、ルオロフも口を開いた。
「話したくなければ断って下さい。私はあなたに、過去を聞きたいと思いました」
「私の過去。僧兵以前の話という意味でしょうか」
「レムネアクは、訊かれると気づいているみたいな反応をしますね。私はなぜあなたが、僧兵になったかを」
ルオロフが極力言葉を選んで言いかけた途中、レムネアクは御者台の背板に寄り掛かり、両腕を軽く膝に置き、寛ぐ姿勢に変わる。こちらに身を入れて聞く姿勢からの動きで、何かと思えば、レムネアクの大きな目がちらっと見た。
「大体で良ければ話します。あなたも話して下さい。引き換えにしたい」
「・・・それは、必要があるから?」
「そう思って下さったら結構です。あなたは私を嫌った最初があります。でも理解を試み、殺人業に落ちた人間的事情を知ろうとしている。あなたの理解の範囲に私がいるとは限らないので、私の話が終わったらルオロフさんの背景も教えてほしいと思います。すり合わせて、何が理解に届かないか、見つけられるかもしれません」
不意打ちのようなレムネアクの洞察に、ルオロフは眉根を寄せた。最初にやり返された時も、何を言い出すんだと思った最後で呆気なく丸め込まれ、今もそれを感じる。
だが、ルオロフは『話します』と即答で切り返し、抵抗するより目的を優先した。レムネアクは頷いて『私の生まれは』から始める。
しかしそれは、聞かなければ良かったと・・・ 思う話。
お読み頂き有難うございます。




