2919. 悪鬼外見・理解 ~女龍の辛い過去話・『バックボーン』・ミレイオの記憶、死霊の印象違い
※長いので、お時間のある時にでも。
ヨライデ北部―――
朝から昼まで、動物探し。空から群れを見つけてまとめては、ルオロフがヂクチホスの世界へ逃がす。
群れていても、上から発見できるばかりでもなく、林や森や段差の地形にいると分かりにくいため、高度を落として探す方が多くなった。
最初こそ、平原にいる群ればかり集めていたが、そもそも平らが少ない地形で、生息域が平原の動物以外になると、途端に探す手間が増える。肉食獣も草食獣も関係ないのは、悪鬼自体と何度も遭遇して知った。
―――ある程度、体の大きささえあれば、元がどんな動物でも『悪鬼』として似たり寄ったりの見かけに変わる。
ハイエナみたいな雰囲気とイーアンは思う。ルオロフは『狼などの大きさだが形容し難い風貌』と言った。
ハイエナってデカいんだよな~・・・ 悪鬼を見るたびに記憶が重なるイーアンだが、悪鬼はあんなに可愛くもない。
口の開き方や腰を落とした姿勢が似ているけれど、悪鬼は毛がほぼ無い。毛がない上に、どこかしら崩れている身体で、大怪我をしたまま動いているみたいな異様さがある。
ひっくり返った時に見た、喉元にある模様(※2863話参照)もまた、『どこかで見た』気がするのだが、これが否応なしに危険を感じさせる。
ハイエナのような姿勢と開口の仕方・無毛の体は大怪我を負ったように崩れている部分があり・威圧するおかしな模様付き=『悪鬼』認識となった―――
「鬼と呼ぶのも、日本の鬼のイメージとはずいぶん違うけれど。ってそこは関係ないわね」
イーアンは直訳悪鬼に、ずれも感じないではないが、それはさておき。動物たちも身を潜めているらしくて見つけにくく、ルオロフを一ヶ所で待たせ、イーアンは単独で探し回る方法も取る。
ルオロフ連れの方が即応には楽だが、移動時の速度に気遣う。一人だと急上昇・急降下・急旋回が自由なので、動物を見つけたら龍気で囲い、待たせるルオロフを迎えに行く方法に変えた。
そうこうしている内に昼。イーアンはまた動物の群れを発見し、ルオロフを連れて来て、神様の世界へ送ったところで――
「休憩しますか。馬車へ戻りますか」
ここで休憩して午後も少し続けたら馬車、の選択肢と。このまま馬車、の選択肢をイーアンは尋ねた。剣を鞘に戻したルオロフはちらっと見て『ここで休憩します』と短く答える。
笑わない貴族に、イーアンも会話が続かない。朝、連れて来た時から、彼はずっと無口。ふてくされているのではなく、何も言えないような顔。
ドルドレンとシャンガマックが説教したと聞いているので、イーアンは言わないが、ルオロフは沈んでいる。レムネアクを連れて来る直前、意を決したような態度で『承認』と微笑んでいたのに、来るや否や、あっという間に裏返ってしまった失敗を、プライドの高い彼は気にしているのか。
「龍気を流しますので、動かないで下さい」
「結構です。疲れていません」
エネルギーチャージ必要でしょーと、イーアンの目が据わるが、ルオロフは素っ気なく背中を向けた。かくいうイーアン本人も、そろそろ補充に空へ上がりたいけれど、レムネアクの一件が落ち着いたら行こうと考える。
ちょっと空を見ていたら、ふと振り向いたルオロフに『空へ行くなら』と察しを付けられ、どうぞと言われた。
「休憩しているのに、私が空へ行ったらあなたどうやって帰るのです」
「え?あ・・・ 」
思い付き発言だったようで、指摘されてルオロフは顔を背ける。
イーアンは彼が思っている以上にやられていると分かり、少し心配になった。行きたければ行けよ、と置いて行かれて困るのは自分なのに・・・それを言うくらい参っているなんて。
昼の北部は涼しい風が吹き、足元の雑草は背が低いものばかり。段差の丘陵地帯は、小さい崖山を東部に据えて、そこかしこに背丈ほどの黒い岩石が点々とある風景。
座って休もうとルオロフに言うと、彼は無言で頷き、こちらを見ずにその場に腰を下ろす・・・ 岩、すぐそこに椅子くらいのがあるんだから、そこ座れば?と言いたくなるが、じっと見てしまう。
「なんですか」
じーっと見ている女龍に鬱陶しそうな一言が飛び、イーアンが答えるより早く、溜息がくっついた。
「ルオロフ、あなたは」
「言わないで下さい。どうせあの男の話になるでしょう」
「気持ちが落ち着くまで、離れましょうか?」
「そんなことは言っていません。はー・・・ どうするのが良いか、私にも」
イーアンは、こっちを見ない貴族に近寄らず、立ったまま『どうしたいのか』を尋ねる。直球の質問はルオロフに届くわけもなく、他の人にも聞かれ答えた繰り返しで、ルオロフは『今は返答が難しい』と濁した。
「私に言いたいことはありますか?彼を連れて来たのは私です」
「ありません。世界が掛かってますので」
「・・・ルオロフ、私もあの男と同じような過去を持っていると話したら、あなたは私も嫌うのですか」
薄緑の目が瞬きしてイーアンを見る。少し怪訝そうな微動で眉が動き、イーアンは『ラサンとレムネアクの違いがある』と続ける。怪訝な貴族の表情がさらに強まり、そうなるのを承知で『私の過去を知りたいか』とイーアンは尋ねた。
「あなたの過去ですか?いろいろおありでしょうが、女性に聞くのは」
「そうです。いろいろあります。普通の人間で、何のとりえもない中年女性だったと話しましたが(※2674話参照)、あなたと違う世界に生きていた私は、元の世界で仮にあなたに出会っていても、きっと見向きもされなかったと思う」
「何を言っているんですか」
「私は低い教育しか受けておらず、独学に励む勤勉さも持ち合わせない、血の気の多い若い時期を過ごし、刑務所手前の犯罪ならほとんど行った気がします」
「なんですって?」
「善悪の見境がないわけではなく、自分の置かれた運命を悲しみに暮れて扱いに悩み、暴力と勢いで生きていたと思います。そんな自分を改めようと決めたら、加減が分からないバカですから、今度は力を一切封じた、臆病な我慢を通す羽目になりました。自分が怒ったら人を傷つけ、多くを傷つける。だから怒ることを恐れ、ひたすら我慢です。
そうすると、周囲は態度が変わる。私に何をしても怒らないから、利用し、命じ、道具のように使う人が増えました」
唐突に語られる過去。驚くも直視していいかルオロフは気にし、イーアンを見ては目を逸らし、驚く言葉を聞いては彼女を見る。女龍は彼を見据えたまま、表情も硬く話す。
「ドルドレンに話したことがあります(※223話参照)。態度を変えた私は、無理な結婚をすることになり、子を産み、相手の家族にいびられ、体を悪くした折に離婚し、子もその際、相手の家族に引き取られました。子を産むだけしか必要なかったのでしょう。子も私より、相手の家族を好いていました。
その後、再婚はしませんでしたが、同居する関係になった男性にも利用され、私は我慢し続けました。怒るか、我慢するか、両極端の私は何が問題を解決するのか知らなかったから」
「でも。間違えていると常識で分かるでしょう。あなたの過去への自責の念と、他人への我慢は別のもので」
「常識?ルオロフの常識があの時の私に使われたなら、私は救われたかもしれませんが、口で言う常識は大体が効力を持ちません。言って、終わり。正論という横暴を武器にする人と過ごすと、徐々に常識が分からなくなるものです」
「誰か・・・友達や家族に、相談は」
「友達はいましたが、皆も家庭で忙しいので重い相談をする気になれませんでした。家族は搾取と虐待の家ですから、頼るなど無縁です」
ルオロフは察しを付ける。彼女に学ぶ時間がなかったのは家庭環境に理由があったと気づいたら、女龍の鳶色の視線と合い、頷かれた。
「もう。人生に期待もしていませんでした。私は怒りを解放したら事件を起こしかねない、と自覚していましたし、我慢するよりないと決めつけて希望もありません。ですから、私の収入を湯水のように使う浮気者の同居人に利用され続けるのを知っていて、耐えながら老いていくのだと」
「なんて男ですか」
「そう怒ってくれる人は、周囲にいません。男尊女卑は残っている国でしたし、言わない方が悪いと責める人も少なくない。弱い方の肩を持たない国でね・・・どこにも持って行けない押し殺した気持ちを抱えたまま、ある日、この世界に転移しました」
良かった、と話に引き込まれた貴族はホッとしたが、イーアンは少し微笑んでから『話を戻しますよ』と緊張を切らさない。
「私は、暴力と危険を繰り返したために、罰で悲惨な人生になったのかも、と思いもしました」
「そんなことありません。イーアンは被害者です。家庭環境の劣悪さに、成す術ない子供が頼り処もなく世に出たら、導いてくれる存在もなく、無理ない・・・ こと・・・」
苦しい女龍の過去に、あなたは悪くないと正義感が擡げた貴族は、励ましながら声がすぼむ。朝、エサイに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。戸惑う表情で止まったルオロフは、分からなかった部分を呟く。
「バックボーン・・・ とは」
「ん?」
「あの、いえ。エサイが。バックボーンという言葉を。何のことかと思いまして」
「背骨・・・?使う話で意味も少し変わりますが、それ何の話か聞いて良い?エサイ?」
急にバックボーンを呟いた理由はエサイにあり、と知り、イーアンは尋ねる。ルオロフは少しまごついてから、朝食時の会話を伝えた。
「話の流れで、貴族生まれは世間知らずと言われた気がし、生まれ育ちは決められないと言い返したら、『決められなかった現実が誰ものバックボーンだ』と、彼が」
「エサイらしいです」
レムネアクへの理解を促したのではなく、エサイは自分を肯定したと感じるイーアンは頷く。私たちが・・・エサイも私も、レムネアクも。似ている気がするのは、社会的弱者の位置に生きた時間が共通しているからだろうと思う。
「背骨、の意味なのですね。あなたはエサイの言葉を知っているのか」
「そんなに知りません。ルオロフには、彼が言いたかったこと分かりますか?」
「イーアンは、エサイにご自身のことを話された経験は」
「ないですよ。あなたがそう感じるのは、偶然の繋がりでしょう。でも、何となく伝わったのでは」
「はい・・・ レムネアクも、動かせない家庭環境など、理由があるかもしれない、とは」
「あるかもね。私は、環境が悪かったから犯罪も仕方ないなんて甘い感覚はありませんが、精神的成長への影響は、少なからず爪痕として残るのも事実だと思っています。構築されてはいけない方向へ歪む。
大人になったら、改心して選べる、と人は言います。簡単に言う。でもそれは簡単ではありません。単純な『生まれ育ちの違い』を頭で理解し合うだけでも、人は拒むものなのに、人生丸ごと変換するなんて楽に出来ることではないです」
叱られていないのに、ルオロフは黙る。頭で他人を理解するのすら難しいのが人間なのだ、とイーアンは言う。それなのに、他者には生き方も考え方も変えろと、さも正論のように言ってのける。
「だから。間違えた道を正す時、混乱しながら、少しずつ自分が思う正しさへ進むのです。他人から見たら急激ではない変化に何も変わっていないと思われ、過去は変えられないために、そこばかり突かれるのも、『相応のことをしたのだから我慢して受け入れろ』といびられますが」
「その・・・ 」
「私もそうやって、あなたの人生と同じくらいの年月を我慢で通したから、レムネアクが今、役に立とうとする誠意を感じることが出来ます」
「彼を知らなくても、通じるのですね」
「最初は私だって『あんた僧兵でしょ』の警戒心でしたよ。レムネアクの態度も疑いました。でも話すほどに、彼が悪人には思えなかったです。警戒を緩めないよう、意識していないと」
「強く意識しなければ、僧兵でも良い人物と思ってしまいそうだった、と言うのですか」
「はい」
女龍の、清々しいくらいはっきりした返事に、ルオロフは大きな溜息を吐いて肩を落とす。ごくりと唾を飲み込み、ちょっと掠れた声で『僧兵じゃなかったら、ここまで思わないかもしれませんが』と呟いた。
「僧兵ラサンの衝撃が、ルオロフに強すぎるのは分かりますよ。私も話したので」
「その通りです」
「レムネアクのことで、知っていることを教えます。彼は、スヴァウティヤッシュにも試されました」
ルオロフの前で腰を下ろしたイーアンは、ダルナから聞いた話をする。スヴァウティヤッシュが鎌をかけた際、レムネアクがどう返事をしたか(※2764話参照)。
サブパメントゥに使われていたレムネアクは、体調を崩して民間に頼り、ある老人から魔物対抗道具を譲られた。その道具を手にした彼に対し、サブパメントゥは近寄れずに離れたのだが、レムネアクはこの道具を老人へ返しに行った(※2759話参照)。道具がサブパメントゥ除けになる、とダルナに聞かされた後も、『要らない』と言い張った。
「スヴァウティヤッシュは、『老人一人殺すぐらい、訳ないだろう』と意地悪で言ったそうです。サブパメントゥに雑巾みたいに使われ、死にかけたレムネアクは、それでも『俺のものではない』と答えたって」
じっと聞いているルオロフに、『本当に善悪の境目がなかったら、そうはしないと思いませんか』とイーアンが尋ね、ルオロフも小さく頷く。他に、イーアンが彼とのやり取りで気づいた点なども聴き、真面目に考えた。
「聞いていると、確かにあなた方がレムネアクを悪人扱いしないのも分かります。アイエラダハッド貴族は先住民を制圧した、と彼に言われ、腹は立ちましたが」
「あれは彼の背景へ理解を促すためだったでしょう。レムネアクは頭の回転が速い人です。関係ないことを話していそうですが、全体を把握して順序立てながら話をします。
『アイエラダハッド貴族』は変えられない歴史の罪を背負う、それを例えに出したのです。僧兵で殺人者という過去につり合い、しかしルオロフ本人とは関係ないことだから」
「バックボーン」
赤毛の貴族が膝を抱えて、草むらに呟く。イーアンも胡坐に両肘をついて『バックボーンとも言えますね』と肯定し、でも直接的な影響ではない歴史は、個人の背景として少し違うのも添えた。
「理解できます。私自身の背景に用いた方が、より正しい使い方ですね」
「そう思います。レムネアクの若い頃など、聞き出す気はありませんが、彼は背景にすら、自分で責任を持って生きていると思います。言い訳しないので」
言い訳しない、か。 繰り返した後、ルオロフは涼しい風を見上げて『一括りで差別しました』と吐露し、イーアンは『そういうこともある』と流した。
*****
一晩明け、アネィヨーハンに残ったミレイオの半日は―――
かちゃっと一人分の食器を片付けて、後ろの荷箱を見る。バイラが分けてくれた食料。
昨日の夕暮れに戻ったら、バイラが船の前に待っていて驚いた。『食料がないでしょうから、少しですが』と食べ物差し入れ。
治安部のでしょ?と尋ねたら、『自分の分だし明後日は行商が来る』と彼は言い、置いて帰ってしまった。
胴体幅の正方形の木箱を持って甲板に上がり、昇降口の鍵を開けて中へ入って、台所で蓋を開けたら、小さな水の樽と、二三日分の野菜と干物と平焼き生地入りの袋が、隙間なくみっちり。
思い遣りに感謝し、ミレイオは夕食を頂いて・・・ 朝も頂き物食材で食べさせてもらい、昼は抜いて掃除やら海水の真水化やら済ませ、午後は持ち金を計算。両替所は、バイラに聞かないと場所が分からない。私が戻ったからか、バイラは遠慮して今朝来なかった。
迷惑かけているな、と少し感じる。昨日も、今日も。ここに残っている間は、彼も気遣うだろうと思うと。
丸窓の向こうは晴れており、波は少々高め。シュンディーンはどうしているのか。
そして、ここにいる原因の男『レムネアク』は、想像よりまともだったことで、何となく後ろめたさを思わせる。
シュンディーンが帰ったら、どう話そうかなと・・・ミレイオは窓を開けてしばらく考えていた。
ぼーっとして、考えて、不意に皆は今頃どうしているかと思い、魔物退治か足止めされる人外退治かと想像したところで、ミレイオは窓枠に手を掛けたまま、瞬き数回。
「死霊って。あんな肉体っぽかったかしら?昔は死体風の印象じゃなかったんだけど(※2897話参照)。もっと透けてる・・・ 若い時の印象だから、ぼやけてる?」
それとも種類がいろいろあるのかなと、首を傾げる。
幽鬼の現れ方や状態の方が、昔の死霊の記憶と近い。だが幽鬼のような集団は組まないし、幽体は肉より骨が目立った。
「・・・レムネアクに聞いたら分かるかもね」
意外とまともそうだった男を、また思う。あまり第一印象で外さない自信がある分、レムネアクをどう捉えたらいいか、少し悩んだ。
シュンディーンが早く戻ってくればいい。戻って来てくれたら、話をして、彼の意見を聞いて、それから。
「私は、シュンディーンと―― 合わせよう」
合せるつもりで、ここに居るのだけど。なぜか、レムネアクへの反応に、若干後ろめたいものが残るのも感じていた。
お読みいただき有難うございます。




