2911. 五ヵ国目の同行者
模型船の示す先へ直進したイーアンが見つけたのは、少し前にヨライデへ戻したヨライデ人僧兵レムネアクだった。
これのこと?違うよね? 一瞬、『こいつか』と思ったのを撤回してみたが、模型船はレムネアクの居場所を伝えたんだろうと・・・ 認めている自分がいる。
彼に何を聞き出すのか、多分レムネアクが次の鍵を握る人物だから、模型船が導いたのではないか。
大急ぎで回転させる頭に、イーアンはザッカリアのこれまでを引っ張り込む。
模型船はザッカリアの代わり。リチアリがお古を渡してくれた後、ザッカリアは模型船に後を任せる感じだった。そして彼は空へ上がった。
もし、ザッカリアなら何て言うだろう。予知に遭遇すると毎回、そう思う。
彼は意外なことも、受け入れにくいことも、予知で見えたものはちゃんと伝えた。近い記憶では、ザッカリアがクフムにだけ予知を話し、そのために立場の悪いクフムが粘ってついてこれたこと。
予知では途中で、ラサンと交代する仄めかしもあれ、クフムは残る意思を固めて一緒にいた。あれは誰のためだったのか、最後の最後まで分からなかったが、クフムの置き土産・辞書がここへきて私の力に変わるとは・・・
模型船の動き。ザッカリアならこれを―――
「イーアン、私がここに居ると分かったんですか」
ちょっと前に見た僧兵は、驚きで鈍った反応を戻し、数歩前に出てきて尋ね、イーアンは顎を引く。この男がまずいとは思わないが、緊張がある。予感が、こういう時に限って難しい方の予感が告げるから。
レムネアクについて、誰が知っているかというと、イーアンだけである。イングたちも知っているが、ダルナとイーアンだけが知った男であり、彼の存在は船の仲間に話していなかった。この流れ、この状況。
黙っているイーアンの表情は分かりやすく、戸惑っているのを見つめ、レムネアクも歓迎されていないのを感じ取る。
「・・・たまたま。でした?」
廃墟から出てきた僧兵は、数m置いた位置で立ち止まり、湿気を含む風に張り付く髪の毛を手の甲で拭う。少し残念そうな目元も汚れ、彼の背―― 海側 ――から吹く潮風に、人間の脂の臭いが混じる。
イーアンは彼の汚れた格好と、まとまった髪の洗っていない状態を見て、彼の指先に視線を走らせた。手だけはそう汚れていない。爪が黒くない。こいつ、海で食料を取っているんだなと見当をつける。いくら洗っても海水では髪の毛の脂まで取れないし、衣服もすすいだところで限界はある。
出会った最初のイメージより、『逞しく生き抜いていました』感が滲み出ていて、イーアンの溜息が落ちた。こいつなぁ・・・なんか、なんでだか。情を誘うんだよなぁと、不思議感に目を閉じて首を傾ける。
「あのう」
返事の戻らない女龍の態度は、レムネアクを認識して困っているのが丸出し。思わぬ再会で、女龍から来てくれたというのに。今にも手を握りたくなる衝動に、突き動かされたというのに。『迷惑』が漂う相手の表情で、レムネアクは喜ぶ顔すら出せない。
ちらっと彼を見たイーアン。仕方なさそうに顔を少し背けた僧兵は、自分が嫌がられていると受け取ったらしき感じ。うーん。溜息は控えめで。まず・・・
「無理しないで、帰って下さい。どこかに用事が」
「ちょっと動くな」
「はい」
レムネアクが下がろうとして、イーアンは止める。はい、と彼女を見たレムネアクの次に目にしたものは、白く輝く柔らかな帯で、女龍の腕を伝ってそれは自分に絡みつく。ハッとして女龍と白い空気を交互に見たレムネアクは、すぐに体に温もりと心地よさ、そして漲る力を得た。
「あなたは・・・!」
「まだそのままで。あんた、一回消えなかった?」
「え。はい、知ってるんですね。話せば長いですが、急に人がいなくなった日がありました。なぜか分からず、町を移動して調べたんですが。俺も、いや、私も何かに連れ去られ、思うに精霊です。また戻された時、精霊からこの先の助言を受けて」
やっぱりなーとイーアンは思うところ。レムネアクは善人側の判断を下されていた。で、ここでまだ気づかない経緯が、一つ・・・
龍気で、汚れるに汚れた彼の体を取り巻き、元気だけは戻せるが、汚れまでは落とせない。ミレイオなら消してくれるだろうにと思いつつ、とりあえず『頑張って生き延びていた善人』にエールを送る心で龍気を与え、充分行き渡ってから引っ込める。
僧兵は嬉しさを噛み締めて、ゆっくり胴体をさすり、ニコッと笑った。
「あなたの、力を与えて下さったんですね。前も怪我を治してくれました(※2771話参照)」
ここで、『あっ』と思い出す女龍。それか!あの時、怪我を治したから、こいつが善人で残っちゃったのか!忘れてた~・・・ この人もそうだった~
うっかり治癒を、今の今まで記憶から除外していたイーアンは、レムネアクへのささやかな責任を感じる。話を変えて、彼がどうしていたかを尋ねた。
「・・・どうやって生きてたの」
「そこ、海なんです。もう少し先ですが。ヨライデは真冬でもないと、魚や貝が捕れるので。あとこの辺は、食材になる植物も結構あるから」
「体の汚れって」
「あ、すみません。みっともない。風呂はさすがに」
「そんなこと聞いてないよ。食べるもの捜すのに、一日使う感じだったの?」
「・・・いいえ。魔除けを作るから、そっちが時間かかります。汚れは、まぁ。贅沢言えませんし」
石鹸どうしたかなーと思うイーアン。真水はあるのかと聞くと、飲料水用に浜手前の砂地を掘り返して水を抜いているそうで、廃墟にあった井戸は潰されているのが理由だった。
あっちに見えますか?と廃墟脇の小さな屋根の下を指差した先、倒れた壁で埋もれているのが井戸、と知る。
そもそも何の廃墟かと、大型建築の二つに顔を向けたイーアンに、レムネアクは『こっちが遺跡で、こっちは遺跡を守るために造られた建物』と教える。最近破壊された印象だが、破壊された理由は分からず、人為的な壊し方から、宗教間の派閥かもしれないとも添えた。
遺跡と宗教は気になったが、それはまたあとで。
―――根掘り葉掘りは聞かないけれど、この時点でも、こいつが悪いやつと思えない要素が増える。
移動して、誰もいない民家に巣食うことも、しようと思えば出来ただろう。そっちの方が楽する。水は大抵近くにあるもので、お風呂トイレも当然備わっている。民家を渡り歩いて、残された食料漁りも出来たのだ。
でも、レムネアクは廃墟に過ごし、自力で魚と貝、植物を集めて凌いでいた。そういうのも言わないし。
憎めない・・・んだよなぁ、と思う―――
イーアンは頷いて、レムネアクに魚の調理法を尋ねた。突拍子もない質問だが、レムネアクは不思議に思いつつ『普通に焼いています』と半壊台所の一画で料理すると答えた。
案内しろと命じられ、何が何だか。でもイーアンが付き合ってくれる時間は貴重で、迷惑がられていても嬉しいには変わりない。こっちですと女龍を連れて、半分潰れた台所の竈を見せる。
ヨライデの一般的竈は大きくなく、切り石積みの中に金属の棒が何本かあり、下は火を焚き、棒から上で食材を焼くシンプルなものだった。煙突も壁ごと横倒しで半分以上ないのに、竈が無事で良かったと思うところ。
しゃがみ込んだ女龍は、灰に染みて黒ずむ魚の脂に手を伸ばす。『あ、熾火が』と後ろでレムネアクが驚いたので、『私は火山でも入る』と教えてやった(※センダラ命令で)。
そうなんですね、と感心した声を背中に受けながら、埋まる熾火を避けて・・・それでも熱いには熱いけど、焦げ切っていない魚の脂が染みた灰を掻き集めて出す。
これを、ギュッとまとめて、グッと押す。バラッと崩れるので、細かい灰だけ落としながら、最後までまとまる灰の塊を作り、龍気を注いで少し凍らせ、もみもみして水分を馴染ませた。
まずは脂と灰を練って石鹸を作る。簡素な石鹸でほんの数分足らず。少し魚臭いけど、皮脂は取れる程度の変化はさせた。
レムネアクは一連の作業で何をしているか理解し、『洗い物で使うやつですよね』と怪訝そう。振り向いた女龍に『体洗うのは別の道具を使うのか』と尋ねられて、え?と面食らう。
「ひょっとして・・・俺の体を洗うため、のそれですか」
「台所で食器洗う以外でも使えるでしょ」
「それで洗うと絵が落ちるから。んー、でもそうですね。考えてみたら。今はそんなこと言ってないで、それで洗ったら良かったのか」
この返答にイーアンは、『レムネアクは体に絵を描く文化→普通は食器洗いに用いる石鹸→ボディーシャンプーに使う意識がなかった』と理解する。あんた絵があるんだっけ、と腕を見ると『もう落ちてしまいました』と彼は前腕を出した。掠れた絵柄は判別できないくらい薄れている。
「絵がないと、困るの?」
「じゃないんですけれど、他国の人の服みたいなものですよ」
「そうなのか。でもとりあえず、洗え。ええと、あとは真水がいるのか」
「え、いいですよ、そんな」
待ってろと、男らしいイーアンは海へ行く。が、海水で何とかしようというのではなく―――
「はぁっ!?」
レムネアクが思わず叫んで見上げた空の一部に、イーアンが作った黒雲が急遽登場。
どしゃーっと雨が落ち、イーアンはレムネアクを振り返る。まさか、と怯えた僧兵に顎をしゃくり『ここで洗って』と(※土砂降り)。
「ご、豪快ですね」
「好きなだけ洗っとけ。向こうで待ってるから」
心なしか雷が発生している雰囲気もあるが(※黒雲ところどころ光ってる)、龍が用意してくれた大自然の風呂を前に断るわけにいかず、受け入れる選択肢以外がないレムネアクは、廃墟へ飛んで行った女龍の背を見ながら服を脱いで、土砂降りの下、風呂時間へ。
「待ってる。のか、俺を・・・ こんな雨の雲を呼び起こすのに、体を洗う練り物(※石鹸)は手作りで作ってくれる」
俺が汚れてるからって、と豪雨に打たれながら少し笑った。あの迷惑そうな顔は何でだろうか。少し引っ掛かるけれど、とにかく優しい女龍の気遣いに感謝し、僧兵は体の汚れを丁寧に洗い流す。
「口調は荒っぽいんだけど。こんなこと言ったら罰当たりだが、人間みたいな気遣いをする。龍からすれば、人間なんて海に揺れる藻屑のようだろうに。優しい」
イーアンがなぜここに来たのか。偶然でも導きに感謝一入。
俺が出来ることがあればな、と思う。黒雲の天井、土砂降りで洗い流す、龍が手作りした練り物を使った風呂に入った男なんか、これまでいないだろう。
作ってくれた簡易の練り物は、頭や首や股などの汚れやすい箇所をこするとすぐに小さくなり、灰の粗い粒を指の腹ですり込みながら、できるだけ丁寧に使い切る。雨は止むことを忘れたように続き、レムネアクは脱いだ服も雨に打たせて何度も濯いでから、最後は服を絞らずに黒雲の下から出た。
打つ雨の勢いは足元の砂を叩き、下半身に砂を散らしてしまうので、それを絞った服の水で流す。先に膝下丈のズボンを穿いて、上着は手に持ち、廃墟へ戻った。雨は背後で轟音を立てていたが、廃墟の丘へ上がると消え、こちらを見る女龍が手を振る。
手を振り返し・・・ 手を振ってくれることも意識する。側へ行って礼を言うと、女龍はレムネアクの裸の上半身をじっと見て指差し、徐に尋ねた。
「それは、僧兵の傷なの」
「いや違います」
体にいくつか残る古傷。レムネアクは30代で、僧兵になったとしてこの傷痕はもっと前だ、と気づいたイーアンが目を上げる。鳶色の瞳と目が合い、レムネアクは一呼吸置き『あなたには言いますか』とこめかみを掻いた。
「暴力的な実家で。心身共に暴力を受けたもので」
「そう。話してくれて有難う」
「あの、まぁ。でも俺も大人になってから、人を殺すなりしましたし。別に話すこともないというか」
「分かる」
え? イーアンのあっさりした返事に、レムネアクが逸らしていた目を向けると、イーアンは『私も似たようなもんだ』とこれまたあっさり言い添えて・・・ ふーっと息を吐いた。
「あんたのそういうところ。そういう感覚とか態度が、前も思ったんだけどね。似てるんだろうな」
「・・・誰と、ですか」
「私と」
くるくるした巻き毛をかき上げて、イーアンは『この男が情を誘う理由』を自分の中に見つけ、驚いているレムネアクに頷く。
「背景はそれぞれでも、経過でどんな態度取るか、どんなふうにこなしていくかは、似ることもあるでしょ」
「あなたと、俺が?でもあなたは龍で」
「少し前まで、人間だった」
そこで会話が止まる。レムネアクは信じられなさそうに目を丸くし、イーアンは南の空へ顔を向ける。ここで彼と会った必然をザッと頭の中でなぞり、最初の予感が正しいと認めた。ヨライデはこの男―――
「今度は、レムネアクってことですね。一悶着ありそう」
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