2907. ヒフォルヌス、ヘズロン、『イザルモ』・女龍と僻地の洞窟
―――『手紙みたいだと思った。前の世界の言葉だったかもしれない』
魔導士は、改めてラファルに困る。早く言えと注意すると、ハハッと笑われた。
「お前の国の言葉か?何が書いてあった」
「俺の国じゃない。母語圏以外でも世界中が使ってる共通語があるんだ。壁の文は読めたから、なんでこの世界でと不思議に思ったが、魔法陣で偶然とか考えられ」
「それはいいから。書かれていたのは」
急かす魔導士に遮られてラファルは『悪い』と謝り、簡単に意味を教えた。その意味は、ピンとこないものだったし、ラファル自体も『目に入った文のまま』らしいが、魔導士には引っかかった。
「あの壁が降霊用なら、『死霊呼び出しの用事』は合っていそうだな。で、お前に読めた文中に何かの名前が複数」
「名前三つに、始点・行先。そうした並び方だ。名称はよく読めなかった。文法でぱっと見の判断だ」
ラファル曰く、『文章として読めてしまったから、異世界の魔法陣なのに変だ』と感じただけで、名の綴りなど馴染みなくそこまで注意が向かなかったよう・・・ラファルらしいが、そこは名前も気にしておけと、魔導士は思う(※残念)。
「あ、でもな。イザルパモ・・・イザルモ、どうかな。間違えてるかもしれない。間の文字が汚れて良く見えなかったが、そんな感じの名前と、ヘズロ・・・ヘツォロか?と、ハイフォリ・・・えーっと、何だったか。思い出せないもんだ」
三本の指を立て、三つの名を覚えている限りで発音したラファルは、目を閉じて考えながら『最初がイザルパモ?イザルモ?地名か人名か分からないが単独、他二つは、どこからどこ、って感じの並びだ』と説明。
「もう一回、それに当てはめて言ってみるんだ。イザルパモでもイザルモでもいい、仮で短くイザルモにしておけ」
「そうか?『イザルモ。ハイフォリから、ヘズロへ行く』。どこをどう行くかも書かれていたと思うが、そこも字が汚れてて読んでない」
魔導士はこれで充分―――
半端ですまないと目を開けたラファルに、魔導士はちょっと笑って親指を背中に向け、くるっと回した。
「いいぞ、ラファル。『ハイフォリ』それは、地名だ。『ヒフォルヌス』ってのが、この地帯を示す」
「お。当たったか」
「二つは当たりだ。恐らく、ここだろう。ヘズロンはもっと大きい町だったはずだ。古代都市のまんま、ずっと使用されている町がある。俺の時代でもヘズロンは同じ呼び方だ。方角は・・・あっちだな。中西部にあったような」
あの男は、ここからヘズロンへ行くと書いていたのか?とラファルが尋ね、魔導士は『多分』と頷く。
「『誰が・何か』が『行く』かは不明だが、『ヘズロンへ向かう』んだろう。ヘズロンに『イザルモ』があるのかもしれない。イザルモとは・・・ちょっと待ってろ。残留思念が探れるかどうか」
怒りで焼き尽くした物置小屋を振り返り、『何も残ってないのに』と横でラファルに突っ込まれつつ、魔導士は呪文を唱えてみる。出ない。
「あの男は、強い感情や意識を持っていなかったんだな。飄々と悪行をこなす性質だと、ちょっとそっとの感情は場所に遺らない」
突然の侵入者(※ラファル)に喚き散らし、燃える松明を押し付ける凶行など、正気で取れる動きではないものだが、何とも思わず実行したから残留思念にも影響していない。普通時からイカレた性質だったと分かる。
「・・・死霊を呼び出して、ここから離れた場所へ、何かさせに飛ばす気だったのかな」
ふと疑問に感じたラファルが首を傾げ、魔導士も考える。幾つかの線を考えて、一つ可能性の高そうなことを答えた。
「状況から推測だ。お前の言う通り、死霊を動かせるなら距離は関係なくなる。誰かへの伝言も、用事も果たせるだろうな。ここに居ることを知らせるのも含む。
仮にだが。すでに何者かが、あの男に同じ手段で用事か伝言を与えたとし、あの男が返事をするとかな」
「伝書バトみたいに、往復で死霊が伝言を運ぶわけじゃないのか」
「死霊は、先に命じた相手の指示は遂行しても、同じ死霊が別の者の指示を遂行すると思いにくい。最初に命じた奴より高度な技と魔力なら、いざ知らず」
「分かる気がする」
伝言リレーみたいなもんだなと思ったラファルは、『目的地に何かがあるんだな』と話を戻した。
「死霊はその辺にも居そうだ」
指に挟んだ煙草で海を示す男に、魔導士も建物向こうの浜辺へ顔を向ける。風を受けて燃える速度が増す煙草の最後、軽く吸ってから消す。ラファルの指先に挟まる短いのも消して、こちらを向いた彼に『行くか』と頷いた。
「ヘズロンか」
「『イザルモ』とやらがあるかもしれん」
「死霊も多いかもな。なぁ。あんた、もう見当がついたんじゃないのか?」
「そう見えるか」
いつも一足先って感じだと笑ったラファルに、『まだ推測だ』と笑みを向ける魔導士。
思い出したことで、この国には声が響く洞窟があった。古代都市のヘズロンに保存される洞窟で、宗教団体が管理していたのだ。
どこからか聞こえる神託とやら、あの時代に馬鹿らしい神頼みだと一笑に付した記憶。ヨライデのみならず、行く先々が死体の山だった時代に、何の役にも立たない神託の声が響くと言われても。
だが。もしかすると、それも絡んでいるのではないか。
『どこからか聞こえる神託』・・・イザルモとは、それかもしれない。ヨライデ語は分かるが、イザルモという単語がすぐ思いつかない。これは名前のような気がする。
神託が、実は何かの連絡手段、そんな使い道もあるだろう。死霊が伝言を運んだと仮定したら、死霊使いの上達者は宗教関係者が多い。悪人だらけなら、猶のこと。
「ヘズロンで、『念』片付けの方向性が変わるかもな」
緑色の風に変わった魔導士は、『何であれ片付けるだけだ』と静かな口調で答えた男をひゅっと巻いて、中西部の空へ飛んだ。
のだが――― ヘズロンで思わぬ人物から、イザルモの正体を知るとは。
*****
くわ・・・ 牙の並ぶ口が開いた途端、前にいた女が消えた。瞬きより早くいなくなった人間に、女龍の表情は少し寂しそう。
頭を人に戻し、振り向いて『大丈夫です?』と一応聞く。はい、と答えた赤毛の貴族は、面目ないと呟いて剣を腰に戻した。イーアンは彼に微笑んで、首を横に振る。
「女性だと、遠慮してしまうのは仕方ないです。ドルドレンたちもそうです」
「はぁ・・・でもあなたにやらせて」
「私は龍だから。こういうのは、もう仕事と思って」
どちらも言い難そうに返事をし、言葉尻が半端に切れる。
―――北部で動物を集めていたイーアンたちは、北部から中部へ移動する間で、死霊使いを見つけた。
人も町もない場所での発見は意外だったが、なぜそこにいたかはピンときた。
平地のずっと先に小さな町が見え、町から離れた祠・祠脇の洞窟は、『原初の悪』の仮面を想起させる面が柱に掛かっていたので、『原初の悪』を祀る祠で何かしていたと思ったイーアンは、死霊使いに話しかけた。
この時点で、この人物が『念』持ちとも分かるし、ヤロペウク伝言の泳がせる助言もあったからだが、話しかけた側から死霊が急に湧き、死霊使いは洞窟へ駆け込む。
死霊はイーアンが即行消しにかかり、ルオロフは相手を追いかけ、死霊を消したイーアンもあとに続いたら・・・洞窟奥より手前、腐臭が満ち、壊された死体が散らかっていた。
死霊使いが呪いを口にしかけ、剣を持つルオロフは動けず、前に出たイーアンが代わりに相手を消したのが、今―――
死霊使いは若い女性で、向かい合ったルオロフは一瞬、切るに躊躇ってしまった。でも、イーアンは容赦しない。人の死体を使うヨライデと話だけは聞いていたが、因習としか思えない光景に戸惑う理由はなかった。
「大丈夫?」
「はい」
「・・・この死体も消しますので。ルオロフは外へ出ても」
「いいえ。出るのは一緒に」
そう、と頷いて、イーアンはもう一度首を龍に変え、洞窟内の刻まれた死体を消す。臭いが強いがこの臭いも昇華する気持ちで『人の名残』を丁寧に消し・・・腐臭もなくなった。
この人たちは、町の人だったのかなと思う。墓場が町はずれにあるのは珍しくないし、死霊使いが当たり前にいる国なら、こういった狂ってる現場もありがちかもしれない。
「でも。気分は良くありませんね」
ぼそりと呟き、女龍は洞窟の奥へ顔を向ける。一緒に、と言ったルオロフが腕に触ったので『奥も調べますか』と首をそちらへ傾けた。ルオロフは『もちろんです』と返事をするが、ちょっとキツそうに見えて、早めに調べて戻ることにする。
洞窟奥はさほど距離もなく到着し、二人は死体があるものだと思い込んでいた分、意表を突かれて足を止め、行き止まりのそこを見回した。
「ルオロフ、ここは」
「はい」
「神様の・・・ 」
「似ています。でも、違うような」
ヂクチホスに通じる場所ではないと彼は言うが、石の祭壇とシアターのような大きな壁はそっくり。イーアンの角の光で祭壇の床を照らしたところ、よく見た溝はなかった。『私の剣であればヂクチホスの世界に行けるでしょうけれど』と、この場所を不思議そうに貴族は呟いた。
「聞くだけの場所かしら。ありましたよね、総本山の敷地にも」
「ああ・・・そうですね、あれは伝える側ではありませんでしたか?」
ルオロフが聞き返し、イーアンは目をキョロっと動かして頷く。『そうかも』忘れてた、と顎に手を当てた女龍に、ルオロフは『聞くだけの場所も存在する話と一緒に覚えたから』と返し、祭壇に近寄る。
「聞くだけだとしますと、どうやって知るのでしょうね」
伝わってくるだけのものに合図でもあるのか。ルオロフが祭壇の天板に片手を置いてしゃがみ、大きな一枚石の裏を覗き込んだ。
「何かあります?」
「いいえ、特には・・・でも、受け手だとしたら合図でもないと」
「合図ね。もしかしたら、番をする人が交代でいたかもしれませんよ」
「ふむ、その可能性はありますね。イーアン、そちらの壁を見て下さいますか?」
「こっち?ちょっと待ってね・・・こっちも、何もないですよ」
「ええと、やはり傷つけてみますか」
天板一周。奥の壁側に女龍が立ち、ルオロフが壁際で屈んでいた背を伸ばした時――― ハッとしたイーアンがルオロフを引き離し、驚いた貴族が振り返るや。
『俺は勘違いしない性質だが、確認するか。そこにいるのは』
イーアンの目が大きく見開く。ルオロフの手が離れたのに、天板は何者かの声を響かせて水面のように揺れ、その口調と声色・・・ 誰かピンと来た一瞬、声が先に尋ねた。ルオロフも、石の天板のさざ波に驚く。
『今も昔も、俺と縁がある女じゃないか?』
「魔導士」
冗談めかした確認に、ギョッとしたイーアンが名を口にすると、天板のさざ波は声を反射するように揺れを強め、笑い声が聞こえた。
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