2906. 森沿いの道・ラファルの一幕ヨライデ民間魔術現場にて
ヨライデの南も南。テイワグナと繋がる、人里も遠い端からの出発。
港から道を辿ると、海岸線に面した風景ではなく、左手側の崖、右側が乾いた大地に挟まれる道を進む。
バイラのいる国境治安部はこの崖側で、港から勾配のある斜面を上がったところ。道は平坦な地面に敷かれ、崖の裏が海といった具合。
道をぐるーっと崖沿いに進んでしばらく行くと崖も終わり、左に延びる最初の二又に出る。ここでまた水平線が見えるが、左に行かず直進して少しすると海から離れて、右に森が広がる。森外れに家屋と小道があり奥へ続くのだが、その先の村に人はいない。
森を右手側、左が海方面の道を直進し、旧街道へ出るまで4時間ほど。
ここでの注意は『幽鬼』だが・・・今のところは、遭遇せず。森が見え始めたところで、ドルドレンとタンクラッドの時は出くわしたけれど、さすがに荷台に龍がいるからか。
「イーアン。ここに幽鬼が鬱陶しいほど出たのだ」
「はい。教えて頂いた風景、ここですよね」
「君が先頭にいるからだろうな。全く」 「気配もしませんね」
被せるようにイーアンが続け、御者台の横にちょっと首を出して道沿いの森を見るが、なーんにもない・・・気配のけの字すら感じやしない。
「俺は勇者で、タンクラッドは時の剣を持つというのに」
「それと種族は違いますもの」
「龍は、どこでも恐ろしい存在なのだな」
「といいますか、居ないでしょ?普通は地上に居なかった種族が、馬車に乗ってるんですから。それは、幽鬼もね」
「アイエラダハッドではあったような」
なかったんじゃない?とイーアンは浮かせていた腰を戻して御者台に座り直し、ドルドレンは黙る。あったかもしれないが覚えていない。イーアンも思い出せない。幽鬼に拘っていられる暇がなかった。
「あの時も龍気は結構出ていたと思います。でも今はもっとあります。幽鬼が阿保でも、分かるものですよ」
「イーアン、そこで阿保と言うのか」
ドルドレンの突っ込みにケラケラ笑う女龍は、『魔物も来ないのに、来たら阿保ですよ』と辛らつ。そう、魔物も来ない・・・ 死霊もいないし。悪鬼はまだ南で多くないようだが、魔物と死霊と幽鬼が影も見せず、馬車は順調。
イーアンの影響が大きいのだとしみじみ感じるドルドレンは、もしイーアンが見回りにでも行って留守にしたら、途端に馬車は襲われそうな気がした。そんな複雑そうな伴侶の横顔を見て、イーアンはニコッと笑う。
「私が出かける時は、鱗も置いて行くし、結界を掛けても良いですよ。ただ、結界くらいならシャンガマックがやってくれるでしょうけれど」
「うむ。すっかり普通の会話になったが、結界を軽々使用する発言など、確かにアイエラダハッドとは違うな」
またそうおかしなことを、と笑うイーアン。笑うところでもないと思うドルドレン。
仲良い二人の荷馬車の後ろで、響く笑い声を聞きながら・・・ミレイオは横に乗るルオロフの遠い眼差しに苦笑する。
「羨ましいなら、前に行っても良いのよ」
「え。いいえ、そうではありません。そんな風に見えますか」
「あんた、イーアンと離れると寂しそうなんだもの。飼い主から離れた犬みたいだわ」
なんて例えですかと心外そうな貴族に、ミレイオは『狼だったわね』と言い直す(※そうではない)。確かにちょっと寂しいルオロフだが、理由は違うこと。溜息を一つ吐いて、可笑しそうなミレイオに伝える。
「悪鬼を倒し、動物たちを保護する。これがまだ途中です。昨日戻って今日出発ですが、イーアンに声をかけるべきか・・・悩んでいます。彼女は私に付き合った一週間、笑顔をほとんど見せなかったから」
「そっちか。うーん。でも、イーアンは切り替えが早いから、気にしないでも」
ミレイオの返事に頷くも、女龍の笑い声を邪魔したくないのが、ルオロフの思い。
自分といる時は深刻で、イーアンは精神的に疲労していた。総長の横で楽しいのもあるだろうが、楽しそうな時間を切り取りたくはなかった。
「ルオロフ、やることあるなら行ってもいいのよ。馬車に付き合うのも時間が気になるだろうし」
「ええ。私一人で行こうかと・・・ふーむ」
「一人じゃ集められないか。広範囲となると難しいわよね」
そこが問題ですね、と情けなさそうに呟くルオロフ。呼びかけて動物たちを集めることは出来そうだが、集める範囲も自分の移動も、イーアンの協力なくしてどれくらい成果が出るだろう。
ちらっと両脇を見て、動物は見えないことに小さな安心。だが、こうしている間に生き物は犠牲になっていて、早く行かねばと思う。
黙る貴族の端正な横顔。『絵になるわね』とミレイオは冗談めかし、振り向いたルオロフに『イーアンを連れて行けば』と勧めた。
「もう魔物退治に出たんだし、出張なんてよくあるのよ。退治以外の仕事が増えただけでしょ?呼んであげようか」
「あ・・・あの。いえ」
「遠慮しないでも平気。イーアンだってルオロフの仕事に付き合って、まだ終わってないのは分かってるんだもの。寛いで見えるけど、あの子は仕事意識強いから、言えばすぐ動くわ」
申し訳なさそうなルオロフの薄緑の目に微笑み、ポンと腕を叩いたミレイオが『イーアン』と大声で呼ぶ。先頭の馬車から白い翼がひゅっと伸び、ルオロフはすまなくなった。
女龍はあっさり食料馬車に来て『はい』と笑顔・・・困り顔の貴族と微笑むミレイオを交互に見て察する。
「行きますか?ルオロフ」
「はい・・・あのう、私は」
「ちょっと待っていて」
おず、と口ごもったルオロフにニコッと笑って、イーアンは一旦前に戻る。大丈夫よと囁いたミレイオに励まされ、ルオロフは背もたれに置いていた剣を握り、『ありがとうございます』と礼を言った。それと同時にイーアンが戻り、よっこいしょ、と・・・ルオロフを抱き上げる(※前から)。
大きな子供でも抱っこするみたいな女龍にミレイオが笑い、イーアンはルオロフを龍の腕に抱えながら『早めに戻ります』と一言。力強く笑みを向けて、白い6翼が宙を叩くや、女龍は貴族を連れて青空にあっという間に消えた。
「いってらっしゃい」
朝の空に消えた二人にミレイオが呟き・・・ なぜか横に並んだ仔牛に、『おい』と言われて真顔に戻る。
「なによ」
「馬車を止めろ。幽鬼が邪魔だ」
「はー?」
イーアンがいなくなったら、あっという間。手綱を引いて馬を止めると、タンクラッドの寝台馬車も前の荷馬車も停止。合わせたように止まった馬車の横で、仔牛も立ち止まり、横っ腹が開いてシャンガマックが出てきた。
「俺が結界を張りますので」
さらっと結界。シャンガマックの呪文が土の道を走り、三台分を包む緑と金の光が現れ、ミレイオが御者台から降りた時は、もう前方に大勢の影が・・・
「いやね。なめられてるって感じ」
タンクラッドも時の剣を抜き、『ずっとこんなだったんだぞ』と鬱陶しそうに愚痴り、荷馬車のドルドレンもうんざりした顔で剣を持った。
「イーアン以外、こうも軽んじられているのは問題である。あっちに死霊が見えるから、ミレイオはあれを頼んだ」
死霊~? 勇者の切っ先が向いた海側に、幽鬼と違って体の透けない壊れた死体が動いている。溜息一つついて結界の外へ出たミレイオに、タンクラッドとドルドレンが続き、ロゼールはシャンガマックと馬車前に立つ。仔牛は結界から出てこないで、四方八方を取り囲む雑魚退治の傍観を決め込んだ。
*****
イーアンとルオロフが目的地に着いて行動開始し、ドルドレンたちが幽鬼の掃きだめを一掃した頃。
紫煙をくゆらせた屋内で、額を掻いたラファルが魔導士を振り返り、『最後まで聞かなくて良かったのか』と尋ねた。ラファルの片腕は焼けた跡があり、服の切れ間に火傷が覗く。
戸口に立った緋色の魔導士の視線が、燃えた袖を掠めてラファルの顔に定まる。表情はそのままでも魔導士は機嫌が良くないようで、返事をせずに彼の横に来た。
「腕。出せ」
「・・・これか」
「お前は」
「大したことじゃない」
ラファルの返事が二つ分の時間で、彼の傷は消える。魔法で治したバニザットの漆黒の目が、無表情のラファルを責めるように見て、ラファルは肩をちょっと竦めた。彼の無事な片手には、火のついた短い煙草一本。
そして、彼と向かい合う壁の間に、男が一人倒れており、その手は何かを握っていた形のまま・・・べしゃっと潰されていた。実のところ手だけではなく全身、紙のように潰れているのだけど。
潰れた体からはみ出た臓物まで全部が薄っぺらく、暗い土壁一面に描かれた呪文枠と記号は、飛び散った血で所々見えなかった。
こんな異常な現場なのに、魔導士はこれを無視してラファルに少し言い聞かせる。
「あのな。傷つけられてまで聞こうとするな」
「いや、慣れてるんだ。これくらいなら」
「・・・俺を、呼べ。何度も言っただろ」
「そうだな。悪かった」
お前が謝るな!魔導士は調子が狂いながら、静かなラファルの治った腕をポンと叩き『俺がいながら』と悔しそうに呻く。
ラファルはちょっと笑って、店裏の物置で潰れた死体に目をやり『途中までしか聞けなかったな』と話を変えた。魔導士の目が据わる。
「邪魔したような言い方だ」
「バニザットは俺を助けたんだよ。話が半端なのは、俺は会話向きの性格じゃないから」
指近くまで燃えて熱を持った煙草を落とし、ラファルは靴で火種を踏む。魔導士が指を鳴らして新しい煙草を出してやり、二人は物置を出た。
ヨライデの南、海風が渡る浜辺の町で『念憑き』の死体ごと、魔導士は火に巻いて燃やす。風が吹く中、一軒だけが青緑の業火に包まれて数秒後には消え失せるのを、ラファルは見つめた。
「いつもながら、あんたの魔法は驚くな」
「頼むから、腕を焼かれる事態にも反応してくれ」
ハハハと笑ったラファルに、苦虫を噛み潰したような魔導士は、自分も煙草を出して一服。指を鳴らすと同時、物置小屋の業火は跡形もなく失せ、魔導士は大きく息を吐いた(※ラファルに)。
すっと煙を吸い込み、見回す周囲。人っ子一人・・・この『念憑き』以外はいない町に、近い記憶が重なる。
テイワグナ戦の後でミレイオを連れ、食事をさせた海の町(※1701話参照)。
大きく曲線を繰り返す沿岸の一つで、国境からほどなく近いこの町に来て、あの日、屋台の料理を二人で食べた思い出。少し先に浜があるが、屋台並びの通りから浜は見えない。魔導士の胸には、ミレイオの友達印『パナラガ』の首飾りが垂れる。
「なぁ。あの壁の・・・あれも魔法陣か?」
「見た目は似せていたが、違う。何が感じ取れるもんでもなかったし、死霊寄せか何かだろう」
「男の喋っていることは言葉がさっぱりだったが、『念』が同時に喋っていた。仲間を集めてどう、とか。死霊やら何やらも味方につける話だ」
「・・・仲間集めの続きは、殺したから聞けなかった部分か」
ぼそっと呟いた魔導士に、ラファルは『あんたなら、他のやつからあっさり聞き出す』と少し微笑んで首を横に振る。
――遠慮がちなラファルは、役立てそうならと相手に接近する許可を魔導士に求め、魔導士は彼の意見を尊重した。物置小屋隣接の部屋を調べて待つことにし、危険があればすぐ止めるつもりだった。
ラファルが壊れた扉を開け、室内にいた相手は驚き喚いて、松明を彼に押し付けた。ラファルは攻撃の質に『これは死なない』の判断を下すと避けない。
焼かれる痛みにも叫ばないラファルは、『念』が喋る内容を収集するために逃げず、危険を知った魔導士が、攻撃者を潰した。真上から巨大な拳で叩いたように一瞬でぺちゃんこにされ、浮き上がった白い紐も霧散。
何が起きたか想像がついたラファルは、後ろに来た魔導士に『聞かなくて良かったのか?』と・・・ それが先ほどの場面―――
ラファルは煙草を吸いながら相手と話し(※正確には相手が一方的に)、潰れた勢いで飛んだ血飛沫を浴びても変わらず、返り血の伝う額を手で拭う落ち着きようで、終わった今も淡々。治してやったが、魔導士の方が攻撃に対しイライラする。
まだ質問したそうなラファルの気遣う目つきに気づき、魔導士は気持ちを切り替え『何か気になるのか』と尋ねた。
「そうだな・・・あれは、魔法じゃないっていうのが。魔法陣で集めるつもりだったのかと」
「民間枠の魔術みたいなもんだ。真っ当な結果を出さない類・・・ふむ。俺も興味がないと知らないもんだ。ヨライデの民間人は魔術紛いで、死霊も幽鬼も付き合ってる感じか」
「そんな風に聞こえた。で、あれは魔法と違うなら、どう認識しておくかなと思った」
「とりあえず魔術の範囲でも、死霊使いは降霊と近い。降霊は、俺の判断では別分野だ。『呼び出して・霊が動く』だろ?呼び出しに使う道具や呪文が、魔法と似ても、目的は霊や怪異任せの願いだ。
魔術は道具に頼るが、そこ止まりなら行先別で、別分野扱いもある。魔法は道具無しでありとあらゆる範囲を動かすもんだ」
魔導士の説明に頷くラファルは理解したらしく、言われてみりゃそうだと納得した。
「あんたは、元素から理解していろいろ操ってる感じだ。『史上最大』の魔導士に、当然の感想を伝えてすまないが。誰かを呼び出す時も、あんたが下から目線で願い事する印象はないもんな」
淡々と褒めるラファルに魔導士は何度か頷いて(※心地良い)『魔法は複雑で偉大なもの』と教える。ちょっと考える間を置いてから煙草を一吸い、ラファルは呟いた。
「じゃあ。あながち、勘違いでもないか。なんだか手紙みたいだと思った箇所は、前の世界の言葉だったかもしれないな」
「・・・なんて?」
口から緩く煙を漏らす男の何やら重大発言に、魔導士は眉を顰める。
え?と生気の失せた目でラファルは魔導士を見て『いや。前の世界の言葉が書いてあった』と大したことなさそうに感想を伝えた。
お読み頂きありがとうございます。




