290. お菓子の配達
イーアンは午後の太陽が傾く中、王都へ飛ぶ。
どうやって近づこうかしらと思っていたが、ミンティンは何にも気にしないで、最初にミンティンとイーアンが出会った場所、王城の門を出たところに降りた。
降りる前に、既に人だかりが出来て、わーわー騒がれてしまうが(※当たり前)龍が来たと言うことで、有難いことにフェイドリッドがすぐに来てくれた。
「来てくれたのか、イーアン」
さぁさぁ入れ、と招かれて、イーアンはミンティンを一度空へ戻した。空へ戻る龍に人々から喝采(←何もしてないはず)が贈られる中、王にエスコートされるイーアンは恐縮しながら城へ入った。
「ここで充分です。私はお菓子を持ってきただけです」
ちょっと進んだ辺りで、イーアンは立ち止まって箱を出した。差し出された箱を受け取って、フェイドリッドは小さな溜め息をつきながら、青紫色の瞳でイーアンを見つめる。
「せっかちな。そう逃げるように戻るな。少しは座っていくことも出来るであろう」
「フェイドリッド。私は急に来ました。あなたの用事も知らずに失礼ですから」
「そなたが来て何が失礼であろうか。気にするなと何度も教えた。さぁ良いから少しは座って話そう」
奥に進みたがらないイーアンに困った王は。廊下の並びにある1階の部屋の扉を開けて、イーアンを中に通す。従者に言いつけて、お茶を運ばせ、綺麗な部屋の綺麗な調度品のある、綺麗な机と椅子にイーアンを落ち着かせる。
「私がここにいると場違いです。落ち着かないのでお許し願えませんか」
王の周りにいる人々が、まるでネズミでも見るようにイーアンを見る。
それは良いけれど(※いや嫌なんだけど)、お菓子を作っていた格好のチュニックで、焼け焦げたり切れたりしている赤い毛皮の上着を羽織った自分は、自分自身からしても、この豪華絢爛な部屋に合わなくて居心地が最悪だった。
「そなたは遠慮がちだ。人目が気になるのか。そんなに縮こまるな」
お茶が運ばれてきたと同時に、王は立ち上がって人払いする。従者の数人と護衛の騎士が躊躇うが『早く出ろ』とせっつかれて、部屋に王とイーアンの二人になった。
フェイドリッドはイーアンをじっと見つめる。微笑んで優しい声で労ってくれた。
「その格好。騎士と同じ格好だ。粉もついている。作ってすぐに運んでくれたのだな」
イーアンの傷だらけの顔を見ても、王は何も聞かなかった。ただちょっとだけ、イーアンの髪の毛を撫でた。
「茶を飲もう。ほんの僅かな時間でも」
「フェイドリッドは毎日忙しくされていると思います。今もお忙しかったですね」
「大した用などない。毎日繰り返す内容は基本的には、代わり映えのしないことばかり。無事を守られていて贅沢かもしれないが、そなたの話を聞いている方が、よほど健康に良い」
そう言うと手ずから茶を淹れてくれて、イーアンも急いでお菓子の箱の蓋を開けた。フェイドリッドは嬉しそうに菓子を見つめて、小さな吐息を漏らす。
「可愛い菓子だな。勿体なくて食べるのも躊躇う」
「食べるために作りました。食べて下さい」
王様相手に、あーんは出来ないので。そのくらいの礼儀はあるイーアン(※どのくらい低いレベル)。食べてくれるのを待って、フェイドリッドを見ていると。困ったように顔を手で拭い、お茶を飲み始めた。
「食べて頂けないですか」
「そうではない。絵に描かせたほうが良い気がして」
食べ物ですから、と笑って、イーアンは王に箱ごと押して勧める。『食べて下さい。私は今、時間もないのです』見届けてから帰る、とイーアンに言われ、仕方なし王は一つ口に入れた。
「う。うむ。これは・・・・・ そうか」
何がどうなのか。イーアンには分からない。ギアッチ並みの中途半端な感想に、イーアンは続きが聞きたい。多分、美味しい方面だと思うんだけど、と心配しながら見つめる。
フェイドリッドは美しい顔の美しい眉をすっと寄せて、形の良い唇をきゅっと結び、上品に口元を拭って頷いた。何に頷いたのか、それだけでも良いから教えてほしいイーアン。
「そなたの菓子はどうしても。こう。はぁ」
はぁじゃなくて、とジリジリするイーアンは感想を言ってほしいので、王に懇願する眼差しを向けつつ黙って待つ。
「イーアン。大変美味しい。何と申せば良いのか。柔らかくて濃厚さがあって、舌に絡みつくようであり、味わっているとするりと喉に流れて消えていく。香りが残る柔らかな味わいだ。夏の口付けのような」
何を言ってるんですか、と思わず言いそうになったイーアンは、目を丸くして驚くのみに留める。夏の口付けってこんななの?と思いつつ。育ちが良い人(最高峰の育ち)は感性が違う、と認識することにした。
よく分からないが、どうも美味しかったんだと思えるので、それはそれで良しとする。表現が危なっかしいから、子供向けではないと思う。きっと菓子にお酒でも入れたら、夏の『夜の』口付け、くらいまで飛ぶのかもしれない。口付けですみゃ良いけど、と中年イーアンは思う。
「はい。良かったです。フェイドリッドに食べて頂けて、私も心から嬉しいです。では戻ります」
「早いっ。早いぞ、イーアン。そんなにあっさり帰ってくれるな。魔物活用の部門の話もある」
立ち上がりかけたイーアンがぴたっと止まった。王は手応えを感じ、ちょっと小出しで内容を話すことにした。
「まだそなたに伝えるのは早い、と周囲に言われていて。だから追って連絡が行くまで、詳しいことは言えないのだが、既に議会で年末に話が通っている。もう2ヶ月もする頃には、そなたの自由に出入り出来る場所が整うのだ」
「2ヶ月。2ヶ月ですか」
「そうだ。魔物資源活用機構と名づけた。ハイザンジェルの魔物をここで取り扱うことになる。騎士修道会にも話はしてあるが、本部にもまだ骨組みだけしか伝えていない。恐らく、総長を越えて動くことはないだろう」
「有難うございます。フェイドリッド。私は何てお礼を言えば良いのか」
「礼など要らぬ。そなたが動けるように協力するだけだ。国を守る人物を支え、国の力を増やす。王として当然のことだ。魔物資源活用機構は、この国全てに広がるのだ」
イーアンは頭を深く下げて、心からお礼を伝えた。こうした位の高い人に、どうすることが一番なのか知らなかった。
フェイドリッドはイーアンの左肩にそっと手を置き、『顔を上げよ』と穏やかな声で言う。
「聞いてくれ、イーアン。ヨライデにも魔物の噂が聞こえ始めている。数は少ないが、魔物の影を危ぶむ声がある。被害が出ているわけではないらしいが、今年が明けてすぐ、あちらに遣わした者がそのような話を持ってきた。
まだ憶測でしかないことが、現実として我らの間で話される時、既に時が遅いということがないようにしたい。ハイザンジェルはそれでここまで追い込むことになってしまった。しかし、世界が丸ごとそうなってはいけないのだ」
いきなり大きなスケールの話をされていると分かり、イーアンはごくっと唾を飲んだ。不安一杯の目で、自分を見つめる青紫色の瞳を見る。
「ヨライデ。何が起こっているのでしょうか」
「まだ何も知り得ない。これから徐々に聞こえてくるだろう。魔物が相手なのだから」
そうだ、と王は何かを思い出したように、すっと立ち上がる。ちょっと歩き出してからすぐに立ち止まり、戻ってきた。
「イーアン。今日は夕方で時間もない。しかしそうだな。明後日、明後日の朝。ここへ来れるか。私の部屋のバルコニーでも構わない。そなたに渡しておこうと思うものがある」
それは何だろうとイーアンが思うと、目つきに表れたようで、それを見た王が微笑む。
「訝しむことはない。そなたのことだから、ヨライデに行ってしまいそうだし、その時にそなたの身を保証するものを渡したいのだ。少しは役に立つであろうから」
フェイドリッドはイーアンの手を取って立ち上がらせ、イーアンにソフトハグ(※例によって断りにくいやつ)をしてから、体を離して笑顔を向ける。
「イーアン。明後日の朝。また来てほしい。遠くへ行く前にだぞ。分かったな」
イーアンは了解した。遠くの意味は、ヨライデだろうと思いながら。偵察にでも行こうかと思った所を釘を刺されたので、大人しく言うことを聞くことにする。
とりあえず約束を取り付けた王様は、イーアンの帰宅を許してくれて、お菓子のお礼を言いながら門まで一緒に出てくれた。
外は夕方に入っていて、急がないと日が暮れそうだった。イーアンは笛を吹いてミンティンを呼ぶ。なぜか周囲に人が集まって、笑顔で拍手される。何もしていないので恐縮し俯くイーアン。
「龍が飛ぶと国中の噂になっている。その乗り手がここにいるのだ。龍は国の安全の兆しと、私はそう国民に告げてあるから」
やって来た煌く青い龍に跨りながら、その話を聞き、イーアンはそれでかと納得した。
拍手喝采の中、何もしてないのにすみませんと思う、申し訳ない気まずさも抱えつつ、イーアンは王様にお別れしてミンティンを浮上させ、イオライセオダへ向かった。
王都からイオライセオダは、馬だとどれくらいかかるのか。分からないけれど、ミンティンはさーっと飛んでくれて、冬の夕方の空を突っ切って日が沈む前に到着した。
うっかり青い布を支部に置いてきたイーアンは、ガタガタ震える体を押さえながら、毛皮だけだとこんなに寒いのかと、身に沁みて冬の寒さを実感する。ミンティンに空へ戻ってもらい、急いでタンクラッドの工房へ行って扉を叩く。
夕方なので、タンクラッドはイーアンだと思っていなかったようで、少ししてから出てきて驚いていた。
「震えている。寒いのか、入れ」
すぐに中に入れてくれたが、イーアンは、玄関で良いですと断った。
「午後に皆にお菓子を焼きました。タンクラッドにもあげたくて持ってきました」
少しですけれど、と箱を渡す。玄関の扉を閉めたタンクラッドは、イーアンを見てから差し出された箱を受け取り、片手でイーアンを抱き寄せて背中を撫でた。
「冷えただろう。この寒い中をわざわざ」
王様にも持っていって城で捕まった(←言い方が不穏)ことを話し、それでこの時間にと(※王のせい)言いわけすると。タンクラッドはもの凄く驚いた顔で『王?』と聞き返した。
話せば長いからと笑って誤魔化し、明日は、今日のタンクラッドの話から、馬車の民の歌を調べに行くことを伝えた。
「ドルドレンは馬車の民でした。彼が思い出して、歌の内容がそうではないかと。彼の家族は馬車で移動するので、明日道のりを探して話を伺ってくるつもりです」
笑みを深めるタンクラッドは、焦げ茶色の瞳でイーアンを見つめて『お前と話していると退屈しない』と言いながら黒い髪の毛を撫でた。
「新しい展開があったら、またお話しに来ます。お留守だったら別の日にして」
「仕事はしているが、しばらくは石も採りに行かないから、ここにいる。いつでも来てくれ」
大きな手でイーアンの顔を撫でて、目の高さまで屈みこんだタンクラッドは、すぐ顔がついてしまいそうな距離で微笑んで『お前を待ってる』と囁いた。
動悸息切れが本日何度か起こっているので、意識を引き締めつつ、イーアンは頷いて離れた。これで倒れては本末転倒である。
町の外へ行かなくても、もう暗いから目立たないと、裏庭に龍を呼ぶようタンクラッドに言われ、イーアンは裏庭にミンティンを呼んでタンクラッドにお別れをした。
「何度も会うと。お前と暮らしているみたいに思える」
「すぐどこかに行ってしまいますけれどね」
笑うイーアンに、タンクラッドも笑い返す。『総長の気持ちが少し分かる』そう言いながら、タンクラッドはイーアンを冷える前にと送り出した。
イーアンは龍に、ちょっと風圧弱めで飛んでと頼み、震えながら支部へ戻った夕暮れ。
お読み頂き有難うございます。




