28. 野営1日目の夜
野営地に着いてからは、夜に向けての準備が手際よく進められた。
ここ2年間、野営生活が多い騎士たちは野営準備は慣れたもので、1時間も経たないうちに全てのテントが張られ、陣の真ん中で火が焚かれ始めた。
負傷した騎士たちは馬車からテントに移り、イーアンは迎えに来たドルドレンと一緒に自分たちのテントへ移動した。
ドルドレンは毎度の如くイーアンの肩を引き寄せて歩きながら、一つだけ小ぶりなテントにイーアンを案内した。自分たちのテント周囲を他のテントが囲むように配置して張られていることに、違和感を感じたドルドレンは気がついた。
――二人のテントをちょっと離れた場所に建てようとした自分から、なぜか他の騎士が集まってきてテントを奪っていったのは、そういうことか。イーアンとの夜を監視する気か―― とドルドレンは面白くなさそうに顔をしかめた。
イーアンはテントの中に入り『修理したテントがこんなにちゃんとしていて良かった』と中を見回して喜んだ。テントの中にはランタンが1つ下げられていて、数枚の毛皮が地面に広げられたその上に、畳んだ毛布が配給されたまま、二つ重なって置かれている。イーアンは毛皮の上に跪いて、ドルドレンの寝る(と思われる)場所に毛布を一つ置き、自分の寝る場所(もう一人と距離がある)にも毛布を置いた。
「イーアン。夜は冷えるかもしれない」
お互いの毛布の距離に何となく意見を言ってみたくなったドルドレンがそう言うと、イーアンは、うん、と頷いてちょっと考え込んだ。
「でも毛皮がこれだけあれば。 毛皮の間に潜りこめば相当温かいと思います」
そうだね、と寂しく溜息を吐き出すドルドレン。
イーアンの室内確認(毛皮の種類とか毛布の素材とか)が一通り終わった後。二人は野営地中心の焚き火場へ行った。焚き火の周囲では食事が始まっていて、ブレズと鍋の汁物を配給される。皆、焚き火の周囲にゴロゴロしている岩の上に腰掛けて食べていたので、二人も焚き火に近い明るい岩の上に腰掛けて食べた。
食事中、ドルドレンはイーアンに、今日の移動と戦闘について疲れたかどうかを訊ねた。イーアンは『移動は少し疲れたが、それは初めてだからです』と答え、『戦闘のことは怖さや心配より、ドルドレンの凄まじい強さに圧倒されました』とうっとりした熱い眼差しを向けた。照れたドルドレンは、『そうか、イーアンが無事で何よりだ』と若干ズレた返事をした。
食事を終えて食器や調理器具を洗う時、イーアンはそれを手伝った。騎士はドルドレンの表情を伺いつつ、イーアンが手伝うことは嫌でもないため、ドルドレンの監視下でイーアンに洗い方を教えて手伝わせた。イーアンは自分が役に立てる場面を増やそうとしているのが分かるので、ドルドレンも(見張ってはいるが)好きにさせた。
食事の片づけが済んだ後は、イーアンが負傷した騎士の包帯を交換すると言うので、負傷者のテントへ連れて行き、彼らの包帯を交換するのをドルドレンも手伝った(包帯を渡しただけ)。
騎士たちはイーアンに少し笑いかけ、ぼそぼそとお礼を伝えていた。イーアンは『また明日の午前中に包帯を変えましょう』と笑顔を向けた。騎士たちが笑顔を返しかけてドルドレンの仏頂面に気がつき顔を戻すが、イーアンは見ていなかった。
他の騎士たちも明日に向けてテントに入り始めた頃。 二人もようやくテントへ戻った。テントの入り口に留め金代わりの串を刺して閉じ、ランタンの明かりを調整して弱くしてから毛皮に腰を下ろした。
「イーアンはずいぶん気を遣っていたから疲れたな」
「いえ、私のしたことなんて皆さんに比べたら。それよりドルドレンは大活躍でしたね」
ドルドレンがどれほど凄いか、思い出したら止まらなくなったイーアンはありったけの感動で感想を伝えた。熱っぽく潤む鳶色の瞳に見つめられながら褒めちぎられる間、鎧を外しながら話を聞いているドルドレンは照れて恥ずかしくて生返事が続いた。
「そうだ。ドルドレンの鎧も素敵だと思いました」
イーアンは『もの』に強い関心を示す。それは気がついていたが、鎧や剣をよく見てみたいと言うので、つくづく変わった女性だとドルドレンは微笑んで、脱いだ鎧と剣をイーアンに触らせて説明した。
「とても美しいです。それに大変面白いです・・・・・ 」
イーアンはランタンの明かりに照らされた鎧と剣を慎重に触りながら呟いた。細かい部分を自分の知識で理解しようとしているのか、話す言葉も少なくなり、ぶつぶつ独り言を呟きつつ、剣と鎧に覆い被さるようにして調べていた。
そんなイーアンの真剣な表情を観察しているドルドレンは、彼女の魅力がどんどん増えていくような気がしていた。『今度、鎧作りの工房へ行こうか』と思いつきを口にすると、イーアンはぱっと体を起こして喜んだ。ふと、これから向かう町も剣の工房があることを思い出し、それを伝えたら案の定、イーアンは大喜びしていた。
「イーアン。鎧も剣も良いのだが、そろそろ眠ろう。 また明日は移動がある」
既にドルドレンは毛皮の上に横になって、寝床についた片肘に頭を乗せた姿勢でいる。微笑まれながら促されたイーアンはハッとして、『ごめんなさい。お疲れなのに』と謝った。
それから、毛布を腰から下にふわっとかけて、もぞもぞとズボンを脱いだ。目の前で脱いでいるイーアンを一瞬凝視し、ドルドレンは慌てて毛皮に顔を突っ伏した。
「イーアン、着替え」「シーッ」
着替えるなら言え、と言おうとした言葉を止められて、ドルドレンは疑問符を頭に浮かべる。間髪入れずにイーアンは小声で『着替える、って言葉にしたら周りに聞かれそうで』と。 ――ああ、そうだったのか。それは確かに、と納得した。
イーアンの寝る準備が出来たところで、ドルドレンは顔を上げてそそくさランタンの炎を消し『おやすみ』と声をかけた。『おやすみなさい』の囁き声が返ってきて、全てが静まり返った。
魔物を倒した疲れはあるものの、手を伸ばせばイーアンに届くその距離にドルドレンは寝付けずにいた。
女性と一緒に眠るなんてどれくらい振りなんだろう、と思った。若い頃はそれなりに付き合ったとか(別れたとか)あるが、近年はめっきりそうしたことも消えていた。それどころじゃなかった。
今は。 遠征のテントで隣に女性がいる。改めて思うと、言い出したのは自分のくせに妙にやましい気がしてくる。
イーアンの方に顔を向けると、夜闇に目が慣れて輪郭が浮き上がって見えた。ドルドレンの方を向いて横向きに体を寝かせたイーアン。毛布のかかった腰の線が、当たり前だが―― 女性だと意識させる。黒く波打つ髪の毛が僅かな夜の光を乗せて艶めき、無防備に毛皮に投げ出した腕はなめらかだ。
ドルドレンはそっと、こちらに向いているその腕に触れた。力の抜けた指に自分の指をゆっくり絡ませ、温かい体温を感じて安心した。
昨晩、感情が溢れて泣いた自分を抱き締めて撫でてくれた指。 少し低い静かな歌声はドルドレンの心の闇をほどいて押し流し、涙が止まってからも膝枕に顔を埋めている間も慰めて癒し続けてくれた。
『ドルドレンが死なせたような言い方をしないで下さい。ドルドレンも苦しんでいます』
この2年でどれほどの仲間が戦士の丘へ旅立っただろう。総長になってからも、自分の隊は守れても、他の隊まで間に合わないことばかりだった。北西の支部だけで四分の1も。 騎士修道会全体で見ればとんでもない人数が旅立ってしまった。負傷して戦力外になった騎士を入れたらもっと多い。
魔物との戦闘で自分に出来ることは何でも限界まで行なっているつもりでも、命が犠牲になる率は減らなかった。その重圧に精神力の限界まで追い詰められていた日々。 でも――
少しだけ力をこめてイーアンの指を握った。
彼女が突然現れて、どうにか保護することだけを考えていたのも最初だけだった。俺はすぐに彼女から目が離せなくなった。彼女の存在が自分に必要だと直感で感じ取っていたのかもしれない。最初の挨拶もそうだったが、吠えかかるディドンに対しても心の声で説くなんて、あの場の誰が想像できただろう。
落ち着いているのは俺より年上だからだろうし、別世界から来たなら特定の相手もいるかもしれないからか・・・・・
――特定の相手。 そう考えた時、ドルドレンは心がざわついた。目をぎゅっと瞑って意識を逸らす。今は考えないことにしよう、と――
横に眠るイーアンを改めて見つめる。 俺はこの人に会えて良かった。
俺はイーアンが好きなのかも知れない・・・・・ いや、被保護者だ。被保護者だから、いつかは送り出す。送り出す・・・・・ けど。
でもその時までは、俺が側にいよう。いつか消えてしまうかもしれなくても、その寸前まで一緒にいたい。
イーアンの望むことが出来る男でいよう。 ドルドレンは固く決意する。守るのはとっくに誓っているが、そこに、イーアンの全部を受け入れられる自分でいることも加えて誓った。
イーアンの手をそっと引き寄せて、気が付かないくらいの触れ方で唇をつける。
朝見たナマ足も昼食の「あーん」も思い出しては悩ましいが、今は真面目に誓っている最中だ、と自分に言い聞かせて長い口付けを終わらせる。
悩ましさに取り付かれそうになったドルドレンは、不純を断ち切るように手を引っ込めて毛布を被って眠ることに集中した。
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