2899. 『太陽の御者』の歌②
イーアンが、赤いダルナをどうしたかは、またあとで―――
アイエラダハッドの湖を後にしたイーアンは、そんなに時間は経っていないはずと心配しつつ、アネィヨーハンのある港へ戻った。一度イヌァエル・テレンへ上がって、下がっての道順だと、普通に飛ぶより早い。
食堂には誰もおらず、さーっと窓を覗いて移動し、各自の部屋がある通路奥の前で止まった。
船窓を横切った影に気づき、シャンガマックが顔を上げる。パパっと手を振るイーアンに微笑む騎士に気づき、皆も顔を向けた。
窓を開けてもらう前に、物質置換ですり抜けた女龍を、シャンガマックが『すごい技だ』と笑って迎えたが、なぜかドルドレンが軽く遮り、イーアンも皆も彼の物言わぬ静かな―― 通路連れ出し ――に『?』の視線が飛ぶ。
「え、何でですか。ドルドレン」
ばたんと後ろ手に扉を閉めたドルドレンに、イーアンは怪訝。ドルドレンはまず『おかえり』と挨拶し、只今帰りましたと返す、不審そうな目つきにちょっと笑った。
「他の者に聞かれたくないのだ。馬車歌の解読について」
目を丸くしたイーアンに、ドルドレンは小声で『君にまず意見を貰いたい。とても難解だが、イーアンならどう捉えるか知りたい』と早口で伝え、二つ返事で女龍は頷く。
「まだ馬車歌のこと自体、隠しておきたいのですね?」
「今はね」
「分かりました。よほど、茶々を入れたくない様子。では、私が忘れていた急用ということで、皆に時間を頂いて下さい。・・・今、何してるの?」
「クフムの辞書の学びだ。シャンガマックは君にも読ませたい」
え、と一歩下がった顔に笑い、ドルドレンは女龍に待っていてと頼んで、一度部屋に戻った。十秒程度で部屋を出たドルドレンは、眉根の寄った奥さんの背中に手を当てて『シャンガマックが早くと言っていた』と伝言を渡し、イーアンはますます苦渋の面持ちに変わった。
「私、読めないですよ」
「だから教育する気なのだ。シャンガマックが、クフムの辞書で良い方法を見つけたようだから」
そんなの無理かもしれないじゃんと、かつて読めたためしのないイーアンはむくれるが、『やるだけやってみて』と励まし・・・二人は通路並びの寝室へ入る。
ドルドレンは椅子を彼女に勧め、自分は寝台に腰かけると、早速、腰袋から金属の箱を出した。じっと見つめる鳶色の瞳に、『君なら知っているのか』とドルドレンは呟いて、重なった視線の間へ小箱を持ち上げた。
見ていてと前置きしたドルドレンは、小箱から小さな鍵を取り出す。
鍵・・・イーアンが呟いた続き、ドルドレンが箱の背面に鍵を差し込んで回した手つき、そしてゼンマイの音に『オルゴール?』と驚いた。
キチキチと巻く手を止めず『イーアンはこれをオルゴールと呼ぶのか』と・・・伴侶は落ち着いて頷く。
「ドルドレン。オルゴールって。私のいた世界ではこれが音楽を奏でる仕組みで」
「では、その『オルゴール』である。まさにそのまま、鍵が巻ける限界で手を放すと」
装飾の美しい鍵をつまんでいた伴侶の指が離れるや、イーアンは目を瞠る。
小箱の中の何が動くわけでもないが、紛れもなくオルゴールの原理が『馬車歌』を再現する。ただ、なぜオルゴールなのに『歌』なのか。
「すごいことですよ、ドルドレン。私の知るオルゴールは音だけなのに、ここでは言葉が」
「うむ。俺も驚いた。だが、君のいた世界では音だけとは・・・とりあえず最後まで聞いてくれ。何度か合いの手と思われる、間が入る。全体は5分ほどだ」
5分って長いよ、と驚愕増えるイーアンだが、伴侶はオルゴール自体を知らない。鍵を巻いたら馬車歌が5分流れた、彼にはそれだけの認識である。
この仕掛けが不思議でならないのは、前の世界と比較するイーアンの方だが、とにもかくにも、歌声を奏でる不思議で正確なオルゴールに身を入れた。
なんだこれ。誰が作ったの。なんで歌が流れてるの?。どんな仕組みなんだよと、中身が気になって眉がつきそうなくらい寄るが、オルゴールは人の声色で再現されて約5分、合いの手付き(※音が消える)で完了。
ちょ、ちょっと見せて、と渡してもらい、イーアンは裏蓋が外れないかとひっくり返してみたり、鍵穴の先に見える、ほんの少しの仕掛けに目を凝らすが、外さないと分からないし、伴侶が不安そう(※壊される心配)なので、その視線に気づいて咳払いし、彼に戻した。
「で。大変驚かされる仕掛けと、素晴らしく情緒ある歌でしたが。難題とは」
「この歌は、俺が理解できる限り・・・いや、実はいくつかの単語は、無理に解釈をしたくなく、9割方の理解だ。言葉のまま訳すと、ハレの日の歌である」
「ハレ。めでたいと仰っている?」
「そのとおりだ。めでたい。音調もめでたそうだったと思うが、実際に聴くと祝いとしか思えない楽観ぶりだ。世界の面倒も伝説も、魔物も勇者も関係ない」
「・・・それは確かに難題」
同意する女龍に灰色の瞳を向け、手の平に小箱を置いたままもう一度鍵を巻いて歌を流すと、ドルドレンは歌を同時通訳。
出だし・・・通訳を聞いたイーアンの表情が固まる。
その目は記憶を探り、歌詞と合わせて動くが、イーアンもドルドレンも歌が終わるまで話さず、オルゴールが止まってから目を見合わせた。
「知っていることがありそうだ」
「ええ。多分」
「龍の存在も出てこないが、何を歌っていると思う?」
「これは・・・ある伝説の一部ではないかと。あなた方が。いや、今の馬車の民ではなく、ずっと昔にいた彼ら。この世界へ来る前の馬車の民にあった伝説」
宝石のような灰色の瞳が、急に紐解かれた謎に丸くなる。イーアンは頷きながら、話していいものかを考えた。
それから、この話を伴侶にするなら、まずはタンクラッドの了承を得ようと決める。トゥの話をしなければいけない。
そしてタンクラッドは、この歌を聴いたら、確実にトゥの結果を想像するだろう。彼が、どうなるかを。
―――善い神の祝福を受け、太陽の手に導かれ、暗い過去は背後のもの。
遠くへ出かけ、始まりが終わり、終わると始まる扉の向こう。太陽の微笑が草を照らし谷を照らし川を教え、困ることなど何もなし。祝いを邪魔する道化もいない。暗がりすら追いやられ、足元には花が、頭には鳥が、両手に香りが、見えない瞼を開いた春に、踊って感謝を伝える日。
2つが一つに戻ったら、首も元に戻ったら、善い神の歌が響いたら、全部が最初に戻る時―――(※2895話参照)
「タンクラッドに、許可を取ります」
「タンクラッド、とな。なぜ彼が?君と彼が知っているのか」
「正確にはもう数名が知っている話です。でも、この話を他の誰かにするなら、私はタンクラッドに許可を得る必要を思います」
「・・・なんて複雑なのだ。でもイーアンが気付いた上に、すぐに俺には話せないのであれば、そうだな。タンクラッドに。時の剣を持つ男が優先なのか」
「そうじゃないのです、ドルドレン。優先は、彼ではなく」
言いかけて黙り、イーアンは物置場の方を見た。その目が辛そうで、ドルドレンは思ってもいない複雑なものと感じ、『誰に話すより早く、イーアンの意見を知りたかったが、タンクラッドに許可を得るならそれで』と促した。
こうして、タンクラッドも部屋に呼ばれる。呼びに行ったのはドルドレンで、シャンガマックは『大丈夫ですか』と長引きそうな内緒の用事に眉をひそめたが、それを往なしてドルドレンはタンクラッドを連れてきた。
「なんだ。他に言えないことか?」
「タンクラッド。ヨライデの馬車歌の歌詞について、あなたに説明の許可を求めます」
なんのことだと、ますます分からない剣職人が二人を交互に見て、ドルドレンが肩を竦めたので・・・はた、と親方は気づく。もしや、トゥの話かと察した表情を女龍は捉えて、『そうです』と聞かれるより先に肯定した。
タンクラッドはすぐ、オルゴールの馬車歌と通訳の内容を聴かされ、イーアンが自分を呼んだのを理解し、まずイーアンに礼を言う。尊重されたダルナを有難く思い、『俺から話そう』と責任を引き取る。
「トゥなら、俺が話すことに異存はないだろう。お前より俺の方が良い」
「はい。お願いします」
二人の間に何があったのかと、ドルドレンは口を挟まずに真実を知る親方の出だしを待つ。
タンクラッドは椅子に座り直し、ドルドレンに向き直ると、彼の手に乗る小箱を見つめ、『それはトゥの伝説の続きかもしれん』と言った。
「トゥ。関係しているのか」
「そう思える。他に似た話があれば、違う可能性もある。だが俺とイーアンが、お前に託されたヨライデの歌を聴く、この流れで勘違いと突き放す気にはなれない。なぜなら、善い神と悪い神、二つ首の龍の伝説は、馬車の民が作ったものだからだ」
唖然とし、やや困惑する勇者。
善い神、悪い神?二つ首の伝説?・・・聞いたこともない、そんな伝説。ヨライデ以外の馬車歌で掠ったこともないのに、馬車の民が作ったと?
タンクラッドは話し出す。トゥが教えた、彼の過去を。彼と共に来たらしき、馬車の民の事情を(※2530、2793話参照)。
ドルドレンは静かに聞いていたが、仕組まれた罠のような伝説に、彼らが巻き添えを食った印象を持ち、そして・・・馬車の民が、世界の神秘と謎を歌に持つのも、嫌な想像を伴って上塗りされ、トゥの伝説を聞き終わると項垂れた。
あの時の感覚が、もぞもぞと腹の底に動く。
イヌァエル・テレンで、タムズに『ティヤーの馬車歌』を打ち明け、もしや馬車の民は影も日向も知っていて自分たちだけが有利なのではと、伝えた日のように(※2713話参照)。
タムズは、『世界を信頼しなさい』と言ったが、ここへきてまた難しく感じた。タンクラッドが教えてくれたトゥの物語で、馬車の民が全ての元凶を持ち込んだと分かったから。
*****
明らかに凹んだ勇者を見て、イーアンとタンクラッドは彼ならこうなる、と思った。
責任を感じたドルドレンは、真実が徐々に解明されていく展開に疑わず、その可能性が高いと考える。そして『勇者がサブパメントゥに付け狙われるわけだ』と呟き、イーアンたちはドルドレンが、闇の種族と勇者を関連づけたのに気づいた。
ドルドレンは何度も襲われたことで、早々この結論に至った。
―――サブパメントゥが悪神の変化形態。最初に伝説を作り、伝説を現実に招いた馬車の民。その後の苦痛から、救いを求めた若者の願い。これが、裏切りと見做された、全ての発端ではないか―――
顔を床に向けて話すドルドレンの前に、タンクラッドが屈む。ドルドレンの膝に手を置き、自分を見た悲しそうな目に『罪を作ったとしても、それはお前じゃない』と静かに言い、ドルドレンも溜息を返した。
「因縁。きっと、トゥの話が真実だ。タンクラッド。トゥの過去は、まだあるのか」
「掻い摘んではいるが、大方の流れと主要は伝えた。ヨライデ馬車歌との繋がりが見えたな?」
「・・・見えた。『祝い』とは、悪神に唆された邪魔が未来にはないことだ。『善い神、閉じた瞼』は少し言葉が足りないな。抜かしていた単語を併せたら、意味が分かるのだろうか」
「まだ訳していない箇所が?」
「何度も聴いて不釣り合いというか。その単語があると理解にややこしいから、抜いた言葉はいくつか残っている。お前とイーアンには、面倒な単語を抜いた歌を通訳した」
「分かるかもしれんぞ。ヨライデの馬車歌は、これ一つってことはないだろう。本当は長いにせよ、抜粋でこれを託されたなら、トゥの物語と比較して考察することで、それが鍵に」
聴いていなかった、単語の存在や如何に。
タンクラッドも励ましている割に、心境は穏やかではない。ヨライデの馬車歌は、託された歌詞こそ短いが、単純に喜べない響きを含む。
『見えない瞼を開いた春』の部分で、『見えない瞼』にトゥの翼の目を連想した。あれは見えているわけではない。基本開いたままで、瞬きするのは攻撃時だ。
もしも、トゥの攻撃を意味しているなら、誰を攻撃するのか。
続きの『2つが一つに戻ったら、首も元に戻ったら』で、首を引っこ抜かれ、氷の山脈に押し込まれたもう一頭が現れる予想もする(※2530話参照)。トゥは本来二頭分の存在で、だから首が二本あるのだ。
仮に、悪神がトゥを作る前の姿・二頭に戻ったとして、『善い神の歌が響いたら、全部が最初に戻る時』の歌詞は―――
トゥが・・・片付けられてしまうのでは。 そう、脳裏に掠めたタンクラッドは、聞いていない単語に別の解釈を望む。
「ドルドレン。単語を」
言ってみろ、と親方が乗り出しかけたところで、ノックの音が響いた。
パッと扉を見た三人は、通路側から『シャンガマックです』と迎えに来た声に遮られ、この話は一時中断へ・・・・・
お読み頂きありがとうございます。




