289. 馬車歌
支部に戻り、ミンティンにお礼を言って空へ帰す。
裏庭口から中へ入って工房へ行く。鍵を開けて工房に入り、一人になった時間を感じる。さっきまでここに、タンクラッドとダビがいた。ダビは四六時中いるけれど、タンクラッドは貴重だった(※ダビに失礼)。
「普通に馬で移動したら、往復で20時間はかかる道のりなのよね」
いやはや、と頭を振りながら、茶器を洗って片付けるイーアン。龍がいるからこその、この機会。
以前の世界での今昔を思い出す。今昔と言っても、イーアンが子供の頃と、若い時、中年になった頃の時代の移り変わりだった。子供の頃、インターネットもなければ、テレビゲームなんかも出始めだった。20代になる前くらいにポケベルとか携帯電話が現れて。それが瞬く間にインターネット。メールなんかないFAXの時代もあったわけで。今じゃネットは普通のことで、海外に旅行しなくても買えるように世界は変わった。
「馬と龍ね。速度が違うだけで、情報が手に入る量も、かかる時間も随分変わるわ」
いや、本当に凄いことだと感心する。ミンティン様様よ、とうんうん頷くイーアンだった。
茶器を片付け、立てかけていた槍を机に置いて、タンクラッドに言われたことを考える。とりあえず明日には取り掛かれるように、膠を瓶に入れて水を注いでおいた。
扉がノックされ『ドルドレンだ』と声がする。イーアンはすぐに出て工房に鍵をかけ、二人は広間へ向かった。
イーアンはお昼を食べている間に、タンクラッドがしてくれた天変地異の前触れの話をした。
「ふむ、それは。つまりあれだな。古くから受け継がれた伝説が分かれば、これから起こることを先取り出来ると」
「そういうことでしょう。困ったことに、伝説がほぼ書物以外で見当たらないという話です。遺跡などには相当きちんと残されていた、その痕跡を見ることが出来たと彼は話していました。
ですが、その遺跡が既に崩壊していたり、全てを続けて読める状態ではありません。どこかに遺跡や書物以外でも残っていれば良いですけれど・・・・・
そうは言っても難しいでしょうね。ディアンタの知恵さえ、何かの理由で閉ざされた様子ですもの」
食事を終えたイーアンとドルドレンは、工房へ向かう。工房に入ってお湯を沸かし、イーアンがお茶を淹れている間。ドルドレンは静かだった。
ドルドレンがいつもと違う感じの眉根を寄せる。美形は眉一つとっても、いろんな反応が見れる。何か考えているのだろうが、彼の思いを読むよりも、その美しい姿に見惚れるほうが本能的に優先されるイーアン。
暫く黙ってイーアンを見つめていたドルドレンは『イーアン。ちょっと待っててくれ』と立ち上がって、工房を出ていった。
何かしらと思っていると、すぐに廊下で声がして、ドルドレンはハイルを連れて戻ってきた。
「イーアン。何が聞きたいって」
男の人状態のハルテッドは、若干青白い。おえっとした翌日なので、二日酔いなのだろう。それでも普通にイーアンに笑いかけるハルテッド。
苦しいだろうに。気の毒に思って、低いベッドに腰掛けるように促し、お茶を出すイーアン。
「ごめんね。ありがとう」
「すみません。具合が良くないのに来て頂いて」
「イーアン。気にしてはいけない。ただの酔っ払いだ」
「お前ホント、ムカつくから、あっち行ってろよ」
ドルドレンとハルテッドの間にそっと滑り込み、イーアンはドルドレンの胸に手を当てて、彼を刺激しないように頼む。
「私はなぜ、ドルドレンがハルテッドを連れてきたのか。知らなくて」
「だって。あれじゃないの?馬車の歌でしょ」
え?とイーアンがドルドレンを見ると、ドルドレンは頷く。『イーアンの答えになるか分からないが』思い出したのはそれだ、と黒髪の美丈夫は、遠く窓の外の空を見つめて静かに答える。
大変素敵な伴侶に、イーアンはちょっと頬を染めてメロッとしながら、うんうん頷く(※言われてる内容は理解していない)。最近、伴侶の美しさにしみじみ感じ入るイーアンだった(※タンクラッドの美形にも感動する)。
「馬車の歌。何個もあるよ。でも俺だけじゃ分からないのもあるから」
ちょっと歌おうかと、歌い始めたハルテッド。 ・・・・・ぬっ。すぐに気がつくイーアン。
言葉が違って分からない。歌は良い感じなのに、残念ながら歌詞の意味が外国語。いや外世界語?ドルドレンにそれを言うと、ドルドレンも今更気がついて『あ、そうか』とハルテッドを止める。
「イーアンに俺たちの言葉は分からない」
ハルテッドもきょとんとして、ああ、と納得。
「そりゃそうだ。馬車の言葉だもんな。うっかりしてた」
「訳せるか」
「お前どうなんだよ」
感覚では言えるだろうが、とドルドレンは困る。ハルテッドもちらっと横を見てから唸る。『俺も、丸ごと訳せって言われると分かんねぇ』どうしよっか・・・顎に片手を当てて呟いた。
悩み続ける二人を見つめるイーアン。彼らは1分くらい考えた後、お互いの目を見合わせて、二人で渋い顔。ドルドレンは大きく息を吐き出す。ハルテッドも茶色い髪をかき上げて、ベッドから立ち上がる。
「あいつに」
「それしか思いつかない。けど。やだな」
そのあいつって。あの方でしょ、とイーアンも思う。二人の表情が、たった一人を示している。気がつけばイーアンも渋い顔。ちらっとドルドレンは愛妻(※未婚)を見て、眉根を寄せたまま頷く。
「あのう。ハルテッドの歌を、シャンガマックに聞かせてもダメでしょうか。彼なら言葉に堪能で」
「イーアン、可哀相だけど。ムリかも。馬車の言葉って混合なんだよ」
「様々な地域、各国の言葉を持ち込んで、繋ぎ合せて生まれて来た言葉だ。俺たちは、子供の頃から聞き続けて話している。言葉はあるが文字はない」
「そう。ずっと昔の言葉も入ってるよ。だからもう、いろんな意味がぐっちゃぐちゃなんだよ。大体で良かったら、皆に通じるように言えるんだけど」
でも違うでしょ、もっと細かくだよね?とハルテッドに言われ、イーアンはそう思うと答える。
先ほどから、何を彼らが教えてくれようとしているのか、実は知らないままのイーアン。だが、きっとタンクラッドの話から思いついたというドルドレンは、古い伝説に因む何かを教えてくれようとしているのだろうと見当を付けていた。
「デラキソス。今どこら辺だっけ」
やはりその名前が挙がった。イーアンも覚悟を決めるしかないのかと思う。パパに会うのが早すぎる。また勘違いされる。『俺が好きだから、もう追いかけてきたのか(※違う)』とか、きっと風船みたいなパパだから、両手を広げて待ち構える。うーん・・・イーアンは悩む。
「あいつは北へ向かうと言っていたが。あれから14~15日は経ってる。どこかで馬車を停めているかも知れない」
ツィーレインの民宿へ向かった日は、馬車を見なかったことをイーアンは伝える。ドルドレンも同意。北に行く道の幾つかで、ハルテッドが最後に通った道を尋ねる。
「俺、あんまよく覚えてないんだよ。逆回りだったし。ベルなら分かるかもしれないけど、まだベル帰ってないから、明日なら聞けるかな」
馬車の道順が分からないと話は進まないので、では明日、ということになり。具合の悪そうなハルテッドは戻って行った。
扉を閉めて、イーアンは溜め息をつく。またパパかーと思うと気持ちが重い。
「またそのうち会えるでしょう、とか言って。これほどあっさり会え過ぎちゃうと、間違いなく誤解の対象になる気がします」
沈むイーアンを抱き寄せて頭にちゅーっとして、ドルドレンは頷いた。『そうだな。前しか向かない男だから』アホのように、と付け加え『違う。アホそのものだった』と言い直す。
でもとりあえず、何かの手がかりはあるとドルドレンは言う。
「覚えているだろうか。あいつが最初、イーアンを『魔封師』と呼んだのを」
「覚えています。彼はその後に、龍のことも言いました。私の肩の絵を見て」
「そうだ。あいつは何かを知っている。旅する民だから、どこかで知ったのかと思っていたが。
さっき思い出したのは歌だ。俺たちの間で、歌われ続ける歌の言葉。長い歌で、伝説を語っているとしか思えない内容なのだ。現在は、殆ど楽器演奏に変わっているから、俺も忘れていた。
親父は若い頃、歌い手だったんだ。子供の頃に老人に教わったとよく話していた。もしかすると、あいつなら訳せるかもしれない」
「大丈夫でしょうか。誰かを連れて行きましょうか。あなただとまた、お父さんはやっかむでしょうから。ベルとかハルテッドとか」
「ベルは龍を嫌がるだろう。そうするとハルテッドだが。ハルテッドを乗せるのも気がかりだ」
ちらっと愛妻(※未婚)を見るドルドレン。意外とハルテッドは、イーアンに攻め寄らないので、最近はそこまで警戒していないが、しかし二人となると嫌。
「私一人でも心配ですね。例え、訳された話を教わっても、もとの言葉が違えば、繊細な部分を理解できないかもしれません」
「ハルテッドか。ハイルはなぁ。歌うからまぁ。でもなぁ」
二人は埒の明かない云々で、結論が出ないままだった。昼は過ぎて、ドルドレンは仕方なし、執務室へ戻る。イーアンは厨房でお菓子を作ることにした。寝室でチュニックに着替えてから厨房へ向かい、ヘイズたちに見守られながら、せっせとお菓子を作った。
「今日のこれは何ですか」
「日持ちしますよ。この前の保存食よりは持ちませんけれど」
クリームチーズのような乳製品を使えると知ったイーアンは、それならと思って、1kgちょっとの乳製品と、それより少し少ない量の獣脂、乳製品の倍近い量の粉、卵10個と砂糖500gくらい、木の実も500gくらいで焼き菓子を作った。
乳製品と獣脂をよく混ぜて、そこに粉を加えて一まとめにし、冷暗所で暫く寝かせておく。その間に木の実を細かく砕いて、ボウルに卵と砂糖と木の実を混ぜる。
金属製の卵入れがあるというので、それを出してもらって、型に、寝かせた生地を薄く伸ばして敷きこみ、木の実の入った卵のソースを匙で一掬いずつ詰めた。
卵入れは金属板に凹みが沢山打ってある、一見するとたこ焼きの型のような形をしていた。一枚につき25個の凹みがあり、使い勝手が良さそうなので、それを5枚使わせてもらった。高温の焼き釜で、30分近く焼き、焼けたら冷めるまで待つ。プチタルトのクリームチーズ生地みたいな印象。
「今日のも美味しそうです」
「これは多分ですけれど。皆さんも似たようなお菓子を食べていると思います」
自分の作る菓子が、どうもこの世界でも似たり寄ったりと最近思うイーアン。だからなのか、抵抗なく食べてもらえることに有難いと思う。
冷めた菓子に、磨り潰して粉にした砂糖を振りかけて出来上がり。料理担当の人たちに、試食で一つずつ食べてもらう。懐かしい味だと喜んでくれる人もいれば、後を引くと困る人もいる。
「イーアンには申し訳ないのですが、もう少し作ってもらえると2個ずつくらい分けれるような」
材料はあるから、とヘイズが言い、自分も手伝うのでもう一度と促されて、イーアンはもう一回作ることになった。確かに男の人に、小さな4cm程度のお菓子を1つずつは・・・ちょっと、ないよなぁと思った。
ヘイズが手伝うということで、量も倍に増やし、午後はお菓子作りになってしまった厨房。せっかくの休憩時間にすまないと謝ると、『おやつ食べてますから』と笑顔の騎士の人たち。親切な人たちに感謝して、イーアンとヘイズは二時間かけて、お菓子を焼き終えた。
ヘイズは天板を窯から出して、冷ましている間。他の騎士に視線で訴えかけられていたことを、イーアンに訊ねた。
「余計なことかもしれないのですけれど、伺いたいことが」
「何でしょうか」
「午前にいらしていた客人を私たちは見ました。あの方は騎士ですか」
「ああ~。タンクラッドですか」
いいえ、とイーアンは胸の前で手を横に振る。彼は委託先の職人で、契約内容変更のために連れてきたことを話した。
「契約すると、当然ですがお金が発生するではありませんか。その渡し方と受け取り方が、職人の方に良いようにとしまして」
「そうだったのですか。首を突っ込んでしまって申し訳ありません」
「彼は目立つから。背も高いしね」
イーアンは笑顔でヘイズにそう言う。他の騎士がちょっと思い切った様子で、イーアンに質問。
「あの人。職人なんですよね。体つきが騎士みたいで、顔もほら・・・何というか」
「そうです。私も初めて見た時、同じことを思いました。背なんてドルドレンと同じくらいあります。剣を作るから体もしっかりしてらっしゃるし、お顔も良いでしょう。職人よりも騎士みたいに見えますね」
お顔も良い。ヘイズ以下。やはり顔の良さは会話に出るのかと思った(※言うように引っ張り出したんだけど)。
イーアンも認めている彼の顔の良さ。何となく会話が止まる。女はやはり、長身イケメンを好むのか。若い騎士たちは、それぞれ自分の意中の女性を思い出しつつ、イケメン職人の登場と自分の見た目を比較する。各々、いつか付き合ったり、結婚したりする相手が、実は長身イケメンを本能的に好んでいると思いたくはない騎士たち。
「あの職人さん。かっこいいですよね」
無駄に引っ張る一言を、騎士の一人が放つ。ヘイズはもう聞かなくてもいいと思って、天板の菓子の様子を見ることにした。
「否定はしません。顔立ちは良い方です。でも見た目だけではなくて、腕も最高ですし、性格も穏やかで親切なのですよ。とても優しい方です」
顔だけではなくて、彼自身が良い人だ、とイーアンは笑顔で教えた。それを聞いた騎士たちは、強張る笑顔で頷くだけだった。総長に『頑張って』と思う者もいた(※総長=駄々っ子&甘えん坊)。
「フェイドリッドに届ける分がありそうで良かったです」
お菓子の数を見て、嬉しそうなイーアンの言葉に、料理担当たちの目が少し見開かれた。『これは王のためでしたか』とお互いの顔を見合わせる。自分たちは王と同じものをねだったのかと、少し恐縮した。
『普段のお菓子で良いと言うから』イーアンがそう言って、箱を二つ用意して、焼き菓子を移した。一つはタンクラッドにもあげようと思い、取り分ける。
そそくさドルドレンを呼びに行き、喜んでついて来た伴侶にお菓子を食べさせる。『俺が最後じゃなくて良かった』と美味しそうに言うドルドレンに、『この前の、たった一回でしょう』とイーアンは笑って腕を叩いた。
「さて。ドルドレン。呼び出しはされていませんが、とっととお菓子を届けてきますから、夕方までには戻ります」
なぬっ、と思って愛妻(※未婚)を見ると、箱を袋に入れてイーアンは小走りで表へ出て行った。『今日くらいしか暇がないですから』と叫び、あっという間に笛を吹いて、あっという間に龍に乗って飛んで行ってしまった。
残された総長は、もぐもぐしながら、愛妻の消えた玄関を見つめる。
可哀相に思った料理担当たちがお茶を淹れてくれて、総長を慰めてくれた。3つめを食べようとしたら『皆に分けてから』とヘイズに止められて、代わりに酢漬けの野菜を出された。愛妻の甘い味わいが、酢漬け野菜で儚く消える。まるで酸いも甘いもの世知辛さ。仕方なし、茶を飲みながら、ぽりぽり野菜を食べる総長だった。




