2886. バサンダ帰国 ~故郷の生家・コロータ話・十二の面と共に
「何度も同じことを言いますが、大変、素晴らしかったです」
『ありがとうございます』と笑った面師の顔を振り向いて、イーアンもニコーっと笑う。
空の道、イヒンツァ・セルアン島―― バサンダの故郷 ――に向かう途中。
帰りは私が送りますと名乗り出たイーアンは、シャンガマック親子から『?』視線を投げられたが、個人的にバサンダと話したいこともあった。バサンダは、イーアンが送ってくれると言い出し、少し恐縮したものの、こちらもすんなり受け入れて、今はミンティンの背中の上。
「皆もびっくりしていましたが、どれもが完璧です。戻ってきて良かったですね!ニーファにも見せないと」
「はい!私は、面がその場で消える覚悟もしていましたし、まさか戻ってくるとは思わなかったので・・・ニーファに紹介できるのが楽しみですよ。うーん、ただ、オーリンが見ていないのは残念です」
バサンダが寂しそうで、イーアンが代わりに謝る。
―――せっかく持って帰った面なのに。そして、せっかくニダが頑張った『武勇伝』のアイテムなのに。
オーリンは、別れの挨拶だけで見ようともせず、ニダがバサンダにティヤー語で結果報告を急ぐ間、オーリンは部屋の窓側から動きもしなかった。
僅かな時間でも、交渉したニダ本人の口から、製作者バサンダに報告出来たのは良かったが、これもイーアンがバサンダを、オーリンの部屋まで連れて行ったからで・・・
なんとなく、『オーリンに振り回されるニダ』懸念が掠めたイーアンだが、それは心の中にしまっておいて、バサンダとニダがちゃんと挨拶を交わせたことを良しとした―――
さて、オーリンはさておき。
別れの挨拶前に、食堂で一つ一つの面をきちんと説明し、名前の意味も伝統儀式での立ち位置も、勿論、素材や材料に加工する工程、面の制作まで、聞かれた質問に全部答えた面師。
・・・オーリンはこの場にいなかったので、『面交渉直前』の際に見たけれども、ちゃんとは見ていないから、バサンダは彼にも改めた説明の場にいてほしかった。
質問はオーリン以外の職人中心に行われ、騎士は後ろで観客席状態だった。イーアンもたくさん、関心のある部分について教えてもらい、とても満足。
「青い面は・・・もう一回見たいです。また、テイワグナへ遊びに行けたら」
「是非、いらして下さい。ニーファに聞いて、工房に飾らせてもらおうと思います。ビアリ・ウディンナリベギーナ(※青の面)への感想、イーアンがどう思われたか、私も期待していました。期待以上の反応を頂いて・・・いや、しかしでも。ちょっと総長に」
「ハハハ。大丈夫ですよ!いつものことですから!」
笑い飛ばす女龍は、青い面を手に持たせてもらって説明を受け、その見事さと優美、迫力と深淵の籠る作品に―― 感動して抱き着いて喜び ――ドルドレンに引き離されるまで散々、褒めちぎった。
苦笑したバサンダが申し訳なさそうで、イーアンはミンティンの横に並び『龍のために素晴らしいお面を作った面師、抱きしめて悪いことなどありません』と真顔で言い、二人で笑う。
「人間技じゃない、なんて表現がありますが、魂消ました。あなたは本物の匠です。人間国宝、それじゃ足りませんね。それ以上」
「勿体ないお言葉ですが、大変嬉しいです」
「青色をあれほど鮮やかに出す技法が、ティヤーにあったこと。海の国だからと思えば、分かりますけれど。でもあなたは顔料の変色を定着させる液で、さらに鮮やかを求めたとは」
バサンダの技法は、化学変化の応用だらけ。惜し気なく教えてくれたのは、『言っても分かり難いでしょう?』と笑うバサンダの前提がある。
解説する材料が目の前にあるわけでもなく、加工の現場で説明するわけでもない、口頭だけの解説で想像するに無理だらけ・・・そのため、話しても別に問題ないと判断したことは、全部答えた次第。
「でも、イーアン。あなたは別の世界から来たと言っていましたが。あなたには分かってしまうんですね」
「大まかにですよ。他の人に比べると、元の世界で得た情報を参考に見当がつく、それだけ」
「バレてしまうと知っていたら、もう少し控えました」
顔を見合わせ、二人はまたもハハハと笑う。龍にバレたって再現されるわけじゃなし。
化学であってもお面作りにしか使用せず、伝統的に一部の職人が受け継ぎ、思考して見つけた知恵なら、そっとしておいても良いのだろうと感じる。
良い知恵の使い道、そして守り方のお手本のようにも思えた、面師の技術・・・女龍は笑顔で下方を見て『着きました』の一言と共に滑空。
宝石さながらの青い海に包まれた島・イヒンツァ・セルアン到着―――
ミンティンも、人に見られない状態なので、その辺に待つ。生家の近くの畑に降りたイーアンとバサンダは、徒歩で彼の家へ行き、思った通り誰もいない様子に立ち止まる。
「お母さんは、戻られていらっしゃらないのですね」
「そうみたいですね」
イーアンは、バサンダの母親への反応が薄いのを知っているので、普通に感想を言い、バサンダも普通に返す。無理している感じはなく、面師は垣根の脇を通って、開いている窓から中を覗いた。
「数十年も経つと、記憶もほとんどいい加減なものです。でも、この家の窓から、この時間に差し込む光の明度や影は、記憶と同じまま・・・そこに在る、という意味を感覚で学びます」
同じ明度と同じ影を、三十年前の家の中に見つめるバサンダ。その横顔を眺め、庭の方へ行きましょうとイーアンは誘う。お庭で巻き割したのですよ、と話すとバサンダは庭へ回る壁沿いに『ここに以前は工房がありました』と話した。
子供の頃、工房や倉庫、木材置きの棚があった場所を教え、すっかりなくなった風景に・・・ バサンダはさして興味もなさそう。
親のことなど一言も触れない。本当にさっぱりしているな、と感じる態度に、気後れしないとは言わないが、イーアンは彼の母親の話を少ししたくて―― 正確には、お母さんと過ごした内容について。
「ねぇ。バサンダ」
「はい」
オーリンとクフムと一緒に訪れた時のこと、ここにいたおばあさん。
巻き割もして、そして。庭に立ったイーアンは、隣に並んだ面師を見上げ、彼が見下ろす綺麗な薄い色の瞳に微笑んだ。
「あなたの澄んだ瞳は、なんて美しいのか」
「フフ。イーアンの笑顔で褒めて頂けると、誇らしいです」
「私ね。こちらでお昼にコロータを頂いたのです」
「あ。そうなのですか?」
この話をしたかった。人によっては、どうでもいい話と思われそうだけど。すごく感動したこと・・・ずっと話したかったこと(※2718話参照)。
イーアンにとって、以前の世界など戻りたい場所ではないが、以前の世界で好きだった食べ物は好きなまま。練ってあった生地で一緒に作らせてもらった、一緒にお出汁もとったなど、調理の話も含め、懐かしく重なる過去の『麺』なる食べ物の特徴や種類なども事細かに伝える。
遠い異世界に来て、初めて現地で食べた感動を話すと、静かに聞いていたバサンダは目元の皺を深く刻ませて、嬉しそうに頷いた。
「良かった。あなたがそんなに求めていた食事を、私の母の家で食べられて」
「とっても美味しかったです。バサンダがテイワグナで教えて下さったから(※1395話参照)、ここまで漕ぎ着けたんですよ」
「イーアン。私はあなたが作ってくれたメンで、思い出を塗り替えました。いつの日か、また食べたいと思うコロータは、龍の女の作ったメンです(※1403話参照)」
「いつだって。お台所を貸してもらえるなら、私、作りますよ!」
ジーンと感動するイーアンは、バサンダの優しい笑顔に胸を張って約束する。
またテイワグナに遊びに行ける時、コロータを作ろうと言うと、『出汁は海ですよね』とバサンダも視線を海に向ける。カロッカンは海から遠いだとか、それなら私が一夜干しを運ぶかとか、真剣に話して・・・
食べ物の執着って凄いですね、と女龍が呟き、バサンダもはたと気づいて可笑しくなる。顔を見合わせ一しきり笑って、ふーっと息を吐くと、面師は顔に垂れた前髪を片手でかき上げ、家の屋根を見上げた。
「昔ね・・・私が若かった頃です。屋根の上に、家の中から上がれる扉があって。そこから屋根に出て、私は空を見ているのが好きでした。いつか、ウィハニの女・・・海神の女に、面師が許してもらえるようにと祈って」
静かな面師の言葉にイーアンも空を見る。伝説は、伝統面を作る職人の家では重く受け止められていたのだろう。若き面師の追想を聞かせてもらい、バサンダが今は故郷をなんとも思わなくなった理由も知り・・・二人は、誰もいない家を後にする。
バサンダが、積極的に故郷へ戻ろうとしなかった理由。不意を突かれた災いと、閉ざされ奪われた年月。そして現在の心境―――
歩いている道の先に、青い龍の鱗が煌めいて目立つ。畑にいるのが不自然と笑うイーアンに、バサンダも『想像したことのない光景』と合わせて笑う。
「バサンダは、ここに生まれながら、ここを自分の居場所と思えなかったのね」
「ええ。ずっと。物心ついた時には既に不安と疑問がありましたので・・・私は居場所を探していたんだと思います。だから今は、ニーファが家族に迎えてくれて、本当に幸せを感じています」
「良かった」
「あなたたちが助けて下さったから」
「バサンダが、自分として死にたいと言ったから」
どこへ行っても居場所はなく、自分であろうと貫いた男は、死も覚悟で自分でいたいと願った。それを聞き届けた日、バサンダの運命は動き出した(※1378話参照)。
「あなたの思う『面』の話。興味深く聞かせて頂きました。私も『面』かもしれません」
面と人の在り方について話してくれた内容は(※2879話参照)胸に残る。
「イーアンご自身にそう捉えて下さることを、感謝します。イーアンも、自分として生き抜いていますね」
「はい」
待っていたミンティンに到着し、イーアンはバサンダを龍の背中に乗せる。少し低めに浮上し、地面から遠くならないよう、ゆっくりと海岸へ。
名残惜しんでいるのではなく、二度とここへ戻らない最後の風景を焼き付けるため。
「イヒンツァ・セルアン、きれいな島です」
「ええ、きれいですよね」
ゆっくりゆっくり飛ぶ龍。昼の明るい日差しに映える島から、目を離さず呟く面師。もう、この先は一生戻らない見納めの故郷に、何を思うでもなく。
遅めに飛んでも海岸は近く、すぐに終わってしまうささやかな見納めの時。そっとしておこう、とイーアンが龍から距離を置いたところで、海にキラッと撥ねた魚―――
目端に映った光の動き。何気なくそちらを向いた女龍は目を凝らした。手を振ってる・・・
あれ?アティットピンリーか? 意表を突かれ注視した先、海面から出たシルエットは、混合種の精霊と判明。
「あら。今?えーっと。どうしようかな。あのね、ミンティン」
テイワグナに行かないといけないんだけど、と困りつつ、青い龍とバサンダに『少し待ってて』と停止を頼み、いそいそとイーアンはアティットピンリーに会いに行く。
イーアンが近づくと、混合集の精霊は『もうティヤーを出るのか』と単刀直入に質問した。それを聞きたかったのねとイーアンは思い、もう少ししたらヨライデへ行く予定を教える。
ティヤーの海の守り神を担う混合種は、ヨライデまで来れないから・・・ お別れの挨拶をするため、改めて時間を作ろうか、それも続けて聞いてみた。
『いつ?』
「今は用事があるのですが、今日中でもよろしかったら、呼びます。どこかの祠を探して」
『・・・分かった。あとで会おう』
はい、と笑顔で頷いたイーアンは、ちゃぷんと海中に戻った混合種がすぐに見えなくなったので、自分もバサンダと龍の空へ戻る。自分は迷惑をかけていないかとバサンダが気にしたので、『大丈夫』と安心させてテイワグナへ出発した。
帰国の道は、空の道。遠い遠いカロッカンだが、バサンダに『高速飛行対応シールド(※命名)』を魔法で掛けて、ミンティンと高速ですっ飛んだ。
龍気は意外と応用が利く・・・便利だなぁと思いながら、昼の空を横切る女龍は、ちょいちょい客人に話しかけて、一時間そこら――
「はい。到着」
「空を通過してテイワグナに戻ったなんて、ニーファが聞いたら羨ましがります」
「でも、シャンガマックたちとダルナで移動しましたよね?あちらは一瞬ですから、それに比べると」
「いいえ、そんな比較することはありません。あちらも信じられない移動方法ですが、イーアンと青い龍の移動は、間を区切らず通過する凄さに感動します。故郷からテイワグナまでの直線距離を、この目で見続けるなんて僥倖以外の何でしょうか」
絶対忘れない、と目を閉じて感動するバサンダに『また会いに来た時、一緒に空へ上がりましょう』と約束。イーアンは彼らの工房から続く山際で、ミンティンの背から彼を引き取って地面に下ろした。
ミンティンも、ここでお空へ返却。お礼を伝え手を振る二人に、首をゆらゆらさせ(※お返事)空へ戻る龍。
見送ったバサンダは吐息が漏れ、振り向いたイーアンと目が合う。彼は感想一言、『大仕事でした』と。その腕に、十二の面が入った箱をしっかり抱え・・・ 微笑んだイーアンも『お疲れさまでした』と労い、一緒に工房へ歩いた。
下ってゆく右側は斜面なので、カロッカンの町並みが見下ろせる。道の左右に家はあるが、右手側の家々から先の並びは、斜面に沿って少し土台が下。カラフルな塗料が塗られる古風な町は、その色彩だけが浮くように、人の姿も声もない―――
「ニーファは、もし今日帰っていなくても。近日中に戻されると思いますよ」
「はい・・・町の人たちも、テイワグナの祝福の雨を受けたから。もっと居るかなと想像したのですが」
思ったよりいないですね、と寂しそうに呟く面師に、イーアンも『近いうち』としか答えようがなく・・・と、思いきや。
「バサンダっ!」
「あ!」 「ニーファ?」
坂の下りから走り出したニーファが見え、名を呼ばれたバサンダは、一気に顔が明るくなる。ささっとイーアンが面の入った箱を引き取ると、バサンダも笑顔で下へ走り、ぶつかるように抱き合ったニーファと再会を喜んだ。
「バサンダ、良かった・・・!無事でしたか!」
「待っていたんですよニーファ、でも私は用事で」
「あなたがいないから心配で心配で・・・あ、イーアン!一緒に?」
小柄なニーファはバサンダの影で女龍が見えておらず、ゆっくり近づいてくる笑顔のイーアンに気づくと、満面の笑みに涙を浮かべて頭を下げた。なんで?と驚くイーアンの前で、『あなたの祝福が守ってくれた』と改めて礼を言う。
「ああ~・・・でも、ほら。それは私も知らなくて偶然で」
「偶然でも何でも、龍が守ってくれたんですよ。龍の女に心から感謝します」
いいのいいの、と垂れる頭に笑って、イーアンはバサンダに箱を戻し、ここでさよなら。
「私はもう行きます。それでは、本当にお世話になりました、バサンダ。体に気を付けるんですよ。ニーファにあんまり心配させないようにね」
「あ、はい。そうですね」
恥ずかしそうに笑った初老の面師の横で、ニーファも笑って涙を拭き、その箱は?と興味深そうに質問する。
「ここに伝説が入っています」
バサンダの代わりにイーアンが答え、ニコッと笑って翼を出す。あっさり浮上する女龍に、二人の面師は大きく手を振り、またね、またいつかと宙を挟んで挨拶し・・・次に会うまでのさよなら。
―――誰が気にしたわけでもないが・・・お別れの最後を引き受けたイーアンは、『ずっと言いたかったコロータ』の話が出せたけれど。
それより大切な話は、とうとうバサンダに届くことなく終わる。
シャンガマックが渡された、異時空移動の『獅子面消失』については触れられないまま。
当事者でもない女龍が思い出すこともない―――
「さーて。次は飛び入りの用事ですよ。アティットピンリー」
治癒場の報告かなと思いつつ、いつでも忙しさに追われるイーアンは、昼の白い太陽よりも白い尾を引いて、再びティヤーの海へ―――
お読み頂き有難うございます。




