288. イーアン工房見学
工房に鍵はかかっておらず、扉を軽く叩いたイーアン。中からダビの声がして戸を開けてくれた。
「あ。来たんですね、タンクラッドさん」
「ダビは工房で仕事か」
彼は契約変更で来てくれました、とイーアンがダビに教えて、タンクラッドを中に通す。タンクラッドは部屋へ入って、何も言わずに見回した。立ったまま、入り口近くで工房全体を見つめ、その世界を味わっているようだった。
「お掛けになって下さい。お茶を淹れました」
イーアンに促されて、タンクラッドは椅子の近くへ行き、足を止めた。毛皮のベッドを見て『イーアン、これは』と毛皮を撫でる。
「ええ。そうです。私の上着の」
あそこにまだあります、と棚を示されて振り返ると、赤い毛皮が積んであった。よく見ればそこかしこに魔物の片鱗のようなものがゴロゴロしている。古い工具。古い本。大きな作業机。見るからに異様な不思議な剣や鎧の作りかけ。
「ここがお前の世界。ディアンタ・ドーマンか」
そうです・・・イーアンは頷く。『ドルドレンが提案してくれて、騎士の皆さんが受け入れて下さって、私はここにいます』有難いことですとイーアンは頭を垂れる。ダビもなぜか頭を垂れて『いえいえ』とお返事をしていた。
地下室もある、とダビが教えて地下室の戸を外して見せた。タンクラッドは好奇心一杯で、地下室へ行きたがる。『天井が低くて、タンクラッドさんには窮屈ですよ』ダビが言いにくそうに注意した。
「屈む。イーアン、入っても良いか」
ダビにランタンを一つもらって、イーアンはタンクラッドを地下室へ招く。『頭に気をつけて。私は大丈夫なのですけれど』頭を怪我しないようにとイーアンは後ろを向きながら、背の高い剣職人を見守る。
中に入ったタンクラッドは、ぼんやりした地下室を見渡して、古い棚や、そこに置かれた容器、袋に入った様々なものを一つずつ見ていた。地下から出てきて満足そうなタンクラッドは、ようやく椅子に座った。
「お前の居場所か。お前らしい感じだ。ここで仕事をしているんだな」
「はい。ここは私の仕事場で、支部にいる時は大体工房に居ます。一番落ち着く場所です」
「ダビもここが仕事場か。騎士の仕事の合間に作業するのか」
「私はイーアンに頼まれた時、自由に手伝えるように言い渡されていて。もう一人いますが、彼は時々ですね。私は倉庫を以前改造したところに工房あります」
ダビの工房も見たい、とタンクラッドは言う。タンクラッドさんが帰る前に紹介します・・・ちょっと恥ずかしそうにダビが答えて、暫く工房の話になった。
ディアンタの僧院から持ってきた工具や、箱や道具など、そうしたものを面白そうに見る剣職人。自分でも少し使ってみながら、道具に使われている金属の違いなどを教えてくれた。
本を幾つか取り出して、古いページを捲っては興味深そうに見入っている。本を借りたいと言うので、イーアンは、どうぞと気前良く了承。タンクラッドが地図の本を選んだのを見て、イーアンはちょっと止まる。
「あ。すみません。地図は時々使うかもしれないです」
「面倒でなければ、取りに来てもらえばすぐに返す」
微笑むタンクラッドに、ダビはピーンと来る。地図は餌だな、と。やるな、剣職人。ダビは静かに見守る。
面倒ではないけれどと、イーアンは躊躇いがちに頷いた。すぐ使う時もあるからなぁと思いつつ。まぁ龍ですぐに取りに行けばいいかということで、イーアンは地図を貸し出した。
「それとな。あの赤い毛皮。あれは幾らだ」
「値段をお聞きになりたいの」
「そうだ。俺は騎士ではないから購入する。幾らだろう」
ダビと目を見合わせて、イーアンは考える。ダビも困ったように眉を寄せて『どうなんだろう。あれって売るのかな』と呟く。
「どうしましょう。魔物退治で入手しています。ここで加工しましたが、素材ですから販売対象として考えていませんでした。でもあれ。どうやっても剣には使わないですものね。材料引渡しではないなら、やっぱりお代を頂くのかしら」
「剣に使うのではない。お前の上着と同じものを、俺が欲しいだけだ」
ああ~。イーアンが思い出す。そうでしたそうでした、と手をぽんと打って『タンクラッドも上着がほしいと仰っていましたね』それでか、と頷く。
そうきたかとダビは思う。イーアンとお揃いを狙っているとは。やり手だな、剣職人。総長に知れたらどうなることか。ふと、総長もお揃いが良いと駄々を捏ねる気がした。
赤い毛皮軍団が揃う光景を想像するダビ。イケメン尽くしとなると、シャンガマック辺りも欲しがりそうな感じ(※自分は似合わないから除外)。毛皮の上着となれば、クローハル隊長も参加しそう。ハルテッドも絶対、真っ赤で派手な毛皮を着たがる。イケメン長身が条件・・・・・ 何かとても気分が悪くなるダビだった。
「それ。一応売買対象か、総長に聞いたほうが良くないですか」
無表情なダビに、イーアンはそうしましょうと同意した。タンクラッドは毛皮を2枚引っ張って、暫く見つめて撫でた。『お前に縫って欲しい』ニコッと笑う。
「な」
優しい微笑みでイーアンを覗き込むタンクラッド。イーアンは不意打ちでちょっとクラついて、目を反らして『いえ、裁縫は苦手で』と小さく答えた。
「お前の縫い目は丁寧だ。お前に縫って欲しいんだ」
この人。ダビは無表情を決め込みながら、目の前で口説く剣職人を凝視する。早く春になればいいのに!と上着の要らない気温をダビは願う。メロってるイーアンにもちょっと腹が立ち、ダビは咳払いする。
「ええっとね。イーアンはやること多いでしょ。引き受けて縫ってる間に春が来ますよ。手袋もスコープも作るんですから、とりあえずそっちからです。手袋もう発注かけましたからね」
「仕事が多いのか。横槍かと思ったが、そういうことではなさそうだな」
ダビの反応に気がついたタンクラッドが、ちょっと笑みを浮かべる。『横槍』と跳ね返されたダビは否定しない。
ダビはイーアンとの仕事を守ってるつもりなんだろうと、タンクラッドは解釈した。彼はイーアンの仕事を楽しんでいる。邪魔はされたくないのかと思った。
「あ。思い出しました。最近忘れっぽくて困ります。そうなの、槍を作ろうと思いました」
タンクラッドの一言で、『槍』の存在を思い出したイーアン。ベルのことだから後回しになっていた。ベルという騎士が槍を求めていて、と彼の意見をタンクラッドに相談する。
タンクラッドは全部話を聞いてから、『今日俺を送ったら、工房にあるハスタを見せよう。あれは4m近い』どうだ?とイーアンに提案する。イーアンはとても喜んで、タンクラッドの手を取ってぶんぶん上下に振った。そして右肩を痛め、呻き声と共にうずくまった。
罰だ、とダビは思う。手なんて握るから。しかしその罰は自分に返ってくる。うずくまったイーアンに慌てたタンクラッドが、すぐに跪いて背中と肩を撫でてやっていた。
そんな場面を、一秒後に見るとは思わなかったダビは、微妙に神様のお取り計らいに疑問を持った。じっと黙って、観客のように目の前の、よしよし、ナデナデの男女を見つめる。
「大丈夫か。無理するな」
「申し訳ありません。ちょっと、つい喜んでしまいました」
こんなことで情けない、とイーアンは謝りつつ、イケメン職人に世話されながら椅子に掛ける。優しいイケメン職人はイーアンにお茶を新しく注いでやり、微笑みながらそれを飲ませる。
「槍が気に入ったら、持って帰ると良い。俺は作っただけで使っていない」
有難くお礼を言って、イーアンはにっこり笑った。嬉しそうなイーアンに、タンクラッドも笑みを深めた。ダビはむっつり。
むっつり機嫌の悪そうなダビを放っておいて、イーアンはタンクラッドに白い棒の話をちょっとだけした。タンクラッドもダビの前でその話をすることに気を遣ったようで、『俺の工房に戻ってから』と約束した。そのやり取りも何だか自分が外されていると知って、ダビには気に食わなかった。
時間はまだ10時くらい。ちょっと時計を見てから、『そろそろ戻ろう』とタンクラッドは立ち上がり、支部を引き上げることにした。
この後、ダビの工房へ向かう3人。ダビに案内されて中へ入ると、そこは既に倉庫ではなかった。イーアンも入るのは初めてで、いつもダビのいる空間をじっくり眺めた。
ダビに作りたいものを訊ねてから、剣の加工に使うものをサージの工房でも分けてもらうように提案するタンクラッド。剣というより、刃物全般に使用できる、応用の利くものもあるからと話した。
ダビはそうした意見を大切にし、気になったことはすぐに紙に書いた。ダビが修理中の武器を幾つか見てから、タンクラッドがちょっと火の入れ方を教えてやったり、角度の付け方を見せてやっていた。ダビはとても真面目にそれを聞いて、すぐに目の前でやって見せて確認していた。
タンクラッドは、黙っているとちょっと怖い気もする顔だが、人柄が出るのでとても親しみやすい人だと思うイーアン。最初こそ、びくびくしていた自分もいるけれど、慣れると、彼の話し方や接し方は几帳面で親切に感じる。ダビも緊張していた最初に比べ、今は、積極的に細かいことまで質問していた。
「あ。ここにいたか」
ダビに教えている最中で、倉庫を覗いたブラスケッドに見つかるタンクラッド。『タンクラッドさん。有難うございました』ダビはすぐにお礼を言った。二人が知り合いと思ったのか、倉庫の離れた所へ移動した。
「もう帰る。イーアン良いか」
「はい。では行きましょう」
ブラスケッドにあまり関わりたくなさそうな剣職人を見上げて、イーアンはすぐ返事する。ブラスケッドがあっさり引き下がる気もしなかったが、タンクラッドの気持ち優先で、ブラスケッドはちょっと無視。
「おい。せっかく来たんだ。もうちょっと居ろ。昼くらい食べていけ」
「遠慮する。家で食べる」
「手紙を持ってってやった友達に、そんな態度するな」
「手紙をお前が書けと言ったんだ。友達ではあるが、滅多に会わない」
「ひどい言い草だな。その手紙のおかげで、こうして良い展開があったろ」
焦げ茶色の瞳で、片目の騎士を睨む。片目の騎士は面白がっているふうに小さく笑っている。この含みのある会話は入らないほうが良さそうなので、黙って待つイーアン。
ブラスケッドはしつこく職人を引き止めようとしていたが、何度誘っても素っ気ないタンクラッドは大きく息を吐き出して、無駄な会話を終わらせる。
「イーアン。行こう」
「分かりました。龍を呼びます」
ブラスケッドがニヤニヤしている中、イーアンは笛を吹いてミンティンを呼んだ。イーアンをさっと抱えたタンクラッドが、ひょいと龍に飛び乗る。びっくりするイーアンに、タンクラッドはちょっと微笑んだ。
「さ、あいつが煩いから早く」
はい、と答えて、イーアンは急いでミンティンを浮上させ、遠ざかるブラスケッドに手を振り(※何か喚いていた)つるる~っと龍をイオライセオダへ向けた。
「お前を抱えるのも悪いかと思ったが。あいつがしつこいから」
「ブラスケッドはあなたに何かを聞きたそうでしたね。でも、抱えなくても、きっと龍がすぐ乗せてくれましたよ」
ちょっと笑って振り向くと、タンクラッドの焦げ茶色の瞳がイーアンを見つめていた。『そんなこと言うな』微笑まれて、くらっとしかけ、慌てて前を向くイーアン。
美形が過ぎると大変だと、動悸息切れを押さえる。そして思う。彼は自分を抱えても、龍の背に飛び乗れる人。若い頃、少しの期間は騎士だったようだけれど、力も強くて運動神経も良くて。50近くてもまだこんなふうに動けるなんて、すごい人だと感心した(※イーアンは龍に乗る時、婆くさくよじ登る)。
イーアンの工房を見れて良かったと、タンクラッドが感想を言いながらの空の旅。少し話していただけなのに、すぐにイオライセオダへ到着した。
降りて龍を返し、一緒に工房へ向かう。自分よりも30cmくらい小さいイーアンを見下ろした剣職人は、イーアンの髪を撫でる。『あの龍に立って、剣を振るうとは』と呟き、改めて、この前の魔物戦を思い出したようだった。
見上げて微笑むだけのイーアンは、何も言わなかった。
家に着いて中へ入ると、上着を脱いだタンクラッドがすぐに工房へ行った。戻ってきた手に長い槍を持っていて、イーアンに見せる。
「これをハスタという。古い槍だ。これは俺が作ったが、このハスタという槍が活躍した時代が古い。ハスタの長さは一定ではなく、これは4mほどあり、理由は馬で使うからだ」
再現しているから木製の柄だが、とタンクラッドは説明し、イーアンを見てから『この柄の型を取って、お前の方法で強度を増したら』と思いついたことを話した。
「あの黒い剣と同じように作るという意味ですか」
「そうだ。槍の良いところは、しなるところでもある。そのベルという騎士が槍を使いたいのは、話を聞いていると彼が馬で使うという意味ではない。彼はこの長さで跳び、自由に大きく動きたいのではないか」
何で見ていないのにそこまで分かるのだろうと感心したイーアン。その通りであることを伝えると、剣職人は頷いて『それなら、お前の方法で試してみると良い』と槍に必要な状態を教えてくれた。
「イーアンの方法で強度を増すということは、柔軟性の粘りを持たせた状態で、柄の補強をしていることになる。全ての武器に使えるわけではなく、適している武器の、適している箇所に用いれば威力は期待できるだろう。言っている意味は分かるな?」
「分かると思います。あの黒い剣の中身を、これに移すと。あなたが切ろうとしても切れなかった、あの」
「そうだ。あれは剣に施すには別の懸念が生まれるが、こうした槍の柄などに使えば最も良い効果を生むだろう。やってみると良い」
タンクラッドはもう一度工房へ行って、30cmくらいの大きさの袋を持って戻ってきた。中を見せてもらうと、中には白い皮の破片が重なって沢山入っていた。
「お前の剣を作った時に出した余りだ。お前が使えると思って取っておいた」
これを使えと持たせてくれたタンクラッド。イーアンはしょっちゅう感動して、しょっちゅう抱きつきたくなるのを、ぐっと押さえる。お礼を言って、じっと見つめる。見つめられる職人は首を傾げて微笑む。
「どうした」
「本当は。あなたを抱き締めたいくらい感謝したり、感動したり、しょっちゅうです。今もそうですが、そのくらい有難く思っています。ありがとう。タンクラッド」
「そうか。良かった」
タンクラッドはイーアンの前に動いて、ゆっくり抱き寄せた。そしてしっかり抱き締めて『これは俺の感謝だ』と呟き、黒い髪を撫でた。少々照れるイーアンは、そーっと隙間を作って、そーっと体を離した。
「お世話かけます」
笑うタンクラッドにお礼を言う。ちらっと時計を見ると、まだ昼より早い時間。
「今日のところは戻ります。白い棒の話をドルドレンにもしてみようと思います」
「それがいい。一人で見えてこないことも、二人で考えれば見えることがある。また来い。俺は待っている」
傷だらけのイーアンの顔にそっと手を添えて、タンクラッドは別れを惜しんだ。イーアンを町の外へ送り、龍に乗るまで見ていた。
「その槍を使え。刃を触る時は気をつけるんだ。分からないことはすぐに聞きに来い。地図も俺の家にある。白い棒も。俺に会いに来い」
「はい。次に来る時はちゃんと肩を治して、料理ができるようにしておきます」
「そんなの気にするな。料理も有難いが、お前が来るほうが大事だ」
ニコッと笑って、イーアンは龍を浮上させる。さよならの挨拶をして、イーアンを乗せた龍は支部へ戻っていった。
お読み頂き有難うございます。




