2879. バサンダの面の真意・十二の司り召喚
島へ向かう小舟一艘。見えない島の方向へ、真っ直ぐ、浅瀬を進む―――
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黒い船に呼ばれて、夜間到着したバサンダは、そのまま朝まで泊まらせてもらった。
前日、ニーファは帰って来ていなかったし、仮に今日の朝、ニーファが戻されているとしても、バサンダも朝の内に戻ったらよいだけの話・・・とシャンガマックに言われたから。
ニダに面の箱を持たせ送り出した後は、他の人から現在の状況について聞いた。
シャンガマックから適度に情報を受けていた分、驚くことはなかったが、自分が面師だからか・・・聞くほどにある印象が刷り込まれた。誰に言うでもないことだけれど。
宿泊させてもらったものの、バサンダは眠気が来なくて一睡もしなかった。船室の窓の外は、空が少しずつ明るく変わってゆく。
・・・まだ変化は伝わってこないから、ニダは出発していないのか。それとも、難儀する問題でもあって儀式前なのか。
あの面が聖なる力に触れたら、作り手の自分に何か届くのではないかと、少し期待もあって、静かな夜明けを見守る初老の面師。
「お母さん。あなたも連れていかれたのでしょうね・・・ あなたが昔、私に言ったことをまだ覚えています」
徐に母親との記憶を呟く。色素の薄い瞳が、じっと水平線を見つめて動かず、少し間を置いてバサンダは小さな溜息を吐いた。
「持って生まれた、この肌の色。瞳や髪の毛の色。あなたやお父さんは、私を我が子と思うに、共通点を見つけて信じなければいけなかった、と。色さえ違えば、普通の子供だったのに。幼い私が、見様見真似で面を作って証明しなければ(※2705話参照)、お父さんは私の名すら呼ばなかった・・・・・
お母さんは私に言ったことを、覚えているだろうか。
『これをご覧、ラバナ・ラランヤ。そちらの面は、こっちの面の模様違いなんだよ。模様が違うだけで、別の面だと思い込む人もいる。お前の色が違うのは、お面のようなのかもね。本当は同じでも、人は見た目で』―――
一言一句、この続きもバサンダは覚えているが、ここで止める。
海の横線に淡い色彩が紛れ込み、空は近づく太陽の光に暗さを遠のかせる。窓の外の風景が、夜から朝に変わるのと同じ。そこにある空は何一つ変わらないのに、色が変わっただけで意味すら違うものに変えてしまう人間を考える。
「私の存在は、『面のよう』。実の母に言われた言葉だ。傷ついたわけでもなく、まして恨みに思うわけでもないけれど。お母さんという人間との間に引いた溝に、『私は別物』と意識した。
世界もまた、いつでも面を通して語りかけている気がする。それは時に、全てを奪い、全てを突き放し、生きる疑問を与えるほど過酷な、面の語り。皆さんの話を聞いて、そんな印象が強かった。
ニダ・・・ あなたは精霊に近いと私が伝えたのは、あなたもまた『面』を受け取り、生まれてきたように感じた。自分ではどうしようもない、もって生まれた体。それこそ、あなたの持つ『面』。
振り回される道のりに、面が自分か・自分が面か・・・分からずに生きてきた。そうではなかった?
私の作った面は、面師や面の仕事に深く関わる者なら、力も発揮する。ニダは面師ではないけれど、その存在自体が『世界の面の一つ』だと思える」
きっとあなただから、発揮できる力があるはず。
気づけばバサンダは寝台から離れて窓辺に立ち、明け行く空を見つめて喋りかけていた。
懐かしいティヤーの潮風は、半開きの窓から途絶えることなく滑り込んでバサンダを撫でる。それは、多くの経験を経てここにいる面師に、故郷アマウィコロィア・チョリアの朝を思い出させるようだった。
待っている割には、何もなく・・・だが、明け始めてもなかなか日が昇らない空を、バサンダは根気よく見つめていた。
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どこまで進めばいいのかな。
ニダは漕ぐ手を止めず、不安に思った。焦げ茶色の木箱は、時々、撥ねる水を被る。中は大丈夫だろうけれど、あんまり塩水を被ってもいけない、と気になる。
太陽は上る手前。水平線は薄っすらと静かな輝きを持ち、白む空は緩い風が渡り、ザブンザブンと穏やかな波の音が包む中、出発して早十分は経過した。前方に何も見えずに進むのは、いい加減、何かある気がしてきた。
「呼び出す方法、知らない・・・ 」
ぼそっと呟いて、後ろを少し振り返る。とっくに浜は見えなくて、朝もやに隠れているため、他の島影さえない。海の色はカーンソウリーと違って黄色っぽく、左側は優しい黄緑色に見える。
朝の光で海の色は変わるから、そういうものと思っていたが、透ける海は全体的に黄色。こんなところもあるんだ、と同じティヤーなのに不思議に感じると同時、ここが特別だから?の気づきも浮かぶ。
黄色い海・・・ どこまでも黄色が透き通って、花の蜜のような輝きが周囲に広がる。
かなりの距離を進んでも、ずっと棹が使える浅い底で、やっと不可思議に気付いた鈍い自分に、ニダはちょっとだけ手が鈍った。漕ぐ動作が緩くなり、ニダの舟はゆったり寄せる波にぐらつき、ハッとしてまた棹を使う。
「バサンダさんは、私が砂浜で交渉する夢を・・・私の状態を聞かれるとか、話していたけれど(2849話、2832話参照)。砂浜にたどり着くどころか、島すらないよ。それに」
もう、日が上がってもいいはず―― そういえばさっきから同じ時間なのでは、と眉根を寄せた。
言わなきゃダメかな。ふと、挨拶の必要がよぎる。ここにイーアンもいる、と思い込んでいたが、私が呼び出すわけだから、まだいないということになる。
「太陽も・・・だから?上がらないの?」
バサンダさんが託した交渉の言葉はイーアンから伝えられたそうだが、イーアンは司りの太陽と相談したような話だった。私が呼ぶまで待っているとしたら、太陽も上がらない?
ニダは、向かい合う空と水平線をじっと見つめ、瞬き数回。そして、考える。
―――それもそうか。こちらが頼むのだし、日取りを決めてあった話でもない。
揃ったお面を持ってきたからと言って、誰かが中間で話を通しているとも思えない。イーアンはいろいろと知っていたけれど、彼女も『未体験で』と言った―――
そうだよね、と自己納得で頷く。ゆっくり棹を動かしながら、大役の緊張でうっかりしていたニダは、大きな声で挨拶した。
「おはようございます!」
相手は尊く遠い、力強い存在たち。でも、祠に話しかける時と同じ。
「私は、ニダという者です!大いなる力の持ち主に、聞いて頂きたい話があり、ここへ来ました!」
朝の海に少し高い声が響く。用件を続けようと、息を吸い込んだニダの前、舟から少し先に波紋が広がり出し、ニダは息を止めて目を瞠る。
波紋はどんどん大きく広がり、舟を揺すり、波紋の中心から泡が無数に出てきたと思いきや。
「わぁ!」
ニダの棹がぐっと上がり、驚いて手元を見るも一瞬、舟の真下に砂地が現れ、辺り丸ごと砂浜が浮上した。
持ち上がった海底が水面の上に出て、舟を倒され、水はザーッと引いて端へ落ちてゆく。横倒れの舟から転がったニダは、急いで体を立て直し、止まらない砂浜の動きをおそれるも、束の間。間髪入れずに次の展開がニダに問う。
「話を持ち込む人間か。お前の用事は何か」
あ、と顔を向けた先に、水瓶に寄りかかっている小柄な人が立ち、自分を見ていた。
長い黒髪、不機嫌そうな顔、男女のどちらとも分からない美しさだけに、不機嫌な表情が勿体ない。ふと、頭上から聞こえてきた『クワ、クワ・・・』の声に気づいて視線を上げると、鳥が何十羽も空を飛ぶ・・・・・
「鳥だ、いなかったのに」
「何の用だと聞いた」
「あ!すみません。はい、私はニダと申します。人間の・・・ 」
「願いでも聞いてほしいと、また勝手な押し付けを」
つっけんどんな相手は、水瓶から動かずに突き放すような言葉を差し込む。強気ではない性格のニダは、相手にしてくれそうにない様子に怯えるも、倒れた舟から放り出された木箱を引き寄せ、『お願いとは少し違うのです』と言いながら、箱を相手へ押し出した。
「開けて良い。それがお前の、願いとは違うものを示すのか。それとも貢物か」
「・・・開けます」
イーアンと話した後だけに、対話する相手の冷たい態度が辛い。女龍は優しい、と思いながら、おずおず木箱の蓋を外して、箱を傾けた。が、『見えない』と一言食らい、仕方なし、箱に入った面を一つずつ・・・手に取り、砂浜に並べ始めた。
『見えない』と一蹴されたから、見えるようにと思っての自然体だったのだけど。バサンダに『面は一列に並べて』と言われたことをすっぽり忘れた、偶然の行為――――
ニダは、一つずつ順番に砂の上に置きながら、面の名前も読み上げる。一回で覚えられないだろうからと、バサンダが面の名前を書いた紙を、箱の内側に貼っておいてくれた。
「これが、ウースリコゼ・オケアーニャ。こちらは、エズタリ・ベードゥナストゥス。これはルーマ・アーギガリアック・・・・・ 」
ちらちら相手の反応を見つつ並べ出してすぐ、肌に感じる気配も増えていることに気づく。数m先にいる、大きな水瓶に寄り掛かった誰かは仏頂面のままで、他には誰もいないのだけど。
場の気配はぐんぐん密度を増し、特に霊感があるわけでもないニダですら、これは?!と分かる変化は、最後の黒い面を取り出した時、頂点に達した。
「これは、イカツベルタ」
そっと砂地に置いた、真黒な面。その瞬間、砂は一気に舞い上がり、わっと目をつぶったニダを温かい空気が取り巻く。すぐさま空気は冷たく変わり、それも引きはがされるように熱持つ風に巻かれる。体を持って行かれる勢いに驚いて叫んだが、実は一歩もそこから動いておらず、最後に食らった倒れそうな衝撃に、ザっと足を後ろに出して踏みとどまった。と同時、つぶっていた瞼を開け、ハッとする。
面を挟んだ向かい・・・ 横一列に並んで浮かぶ、十二の司り。
圧巻の迫力。落ちんばかりに目を開いたニダは、初めて見るすごい光景に声が出ない。背後から差し込む眩い光の輪郭をまとう大いなる存在は、それぞれ形も色の雰囲気も違い、体の周りに動くものも違う。
驚いて息を切らすニダは、ゆっくりと左から右へ見て、右から三番目の存在に、さっと手を振られた気がして、目を凝らした。それは、黒い大判の布をはためかせる、白い角を抱えたイーアン。ニコッと笑った顔が、応援しているみたいに・・・・・
知り合いを見つけた安心に、イーアンだ~!と思わず叫びそうになるが、大役は始まったばかり。
よろけた姿勢を急いで正し、一言も発せず、こちらの動きを待っている十二の司りに、改めて挨拶から入った。
「おはようございます!私は、お話を聞いて頂きたくて来ました!」
まさか、並べていただけで召喚するなんて・・・バサンダに言われたことは思い出せていないものの、何はともあれ、急に始まった『交渉』に、深呼吸して『話して良いでしょうか』と許可を求めた。
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