2878. 旅の四百六十七日目 ~十二の面引き渡し・夜明けの小舟
☆前回までの流れ
各自の用を済ませた一日は終わり、夜も日付が変わった頃。二度目の治癒場開放がありました。ティヤー東から出された人々の中には、ニダもいて・・・ 深夜、感じ取ったオーリンは、急いで迎えに行きました。
今回はニダを連れ戻った、夜の船から始まります。
真夜中にオーリンが連れ戻ったニダは、船に下ろされるなりへたり込んで、オーリンを心配させたが、緊張続きで力が抜けてしまっただけで、体調や怪我によるものではなかった。
驚いて気遣うオーリンもその場にしゃがみ、ニダの背中を撫でながら顔を覗き込んで・・・ちょっと微笑んだところで昇降口の扉が開き、タンクラッドが大股で側に来た。ニダは立ち上がろうにも力が入らず、背の高い男を見上げる。
「タンクラッド、ニダが戻ったんだ。違うところにいて、連れてきた」
「トゥに聞いた。さて、大急ぎだな。立てないなら、ニダを食堂に運べ」
「え、ちょっと」
「皆を起こして集めた。これから紹介と、面の交渉だ」
間髪入れない、ぶっきらぼうな剣職人。見下ろしたニダと口を利くこともなく背中を向け、言うだけ言ったら戻ってしまった。
オーリンが船の左右に目を走らせても、トゥの姿はない。タンクラッドが『聞いた』のはいつなのか、たった今、戻ってきたばかりで怪訝に思う。こちらの事情をすっ飛ばした『ニダは仕事だからさっさとしろ』の印象、ニダを休ませてやりたいオーリンは戸惑うが、ニダは動く。
「行かなきゃ」
ニダは、支えてくれるオーリンの腕に手を置いて、よろけながら立ち上がった。
「大丈夫か?無理するな。戻ったばかりで・・・俺から皆には話して」
「うん。だけど行かなければ。残った人たちの無事があるんだもの」
大きな目に決意を宿して、弱弱しさを振り払ったニダは微笑み、掴まらせてと頼んでオーリンと一緒に船内へ入った。
足取りも危なっかしく、歩いているから大丈夫かなと思えば、急につまづくニダに、オーリンは急いで支え直す。本当に無理はするな、と注意を繰り返すが、ニダは『平気だよ』と答えてランタンの灯る通路を進んだ。
「震えてるのか。仲間に会うのが怖い?」
「違う・・・少し、心配はしているけれど、震えてるのは癖みたいな」
「面をもう、渡しに行くのが気になるのか?」
「ううん」
もう食堂の明かりが見える。手前の台所入口まであと数歩のところで、オーリンは歩く足を緩め、ちょっとだけニダの腕を引っ張って止めた。見上げるニダの表情は複雑そうだが、表情とは逆に、はっきりした意思を告げる。
「オーリン。私はいつも、取り残されてきたんだ」
「・・・ 」
「親から離された子供の時も。親が殺された時も。私が死んだことになった日も。あちこちに隠されて、次の誰かに渡される時はいつも、一人でおいて行かれて、そこで待った。チャンゼさんと会ってからは、帰る家に独りぼっちではなくなったけれど、チャンゼさんも」
ごくっと唾を飲む弓職人の眉根が少し寄り、それを見つめるニダは首を横に振って小さな声で『チャンゼさんのことはもう、大丈夫だけど』と付け足してから、『あの時も一人になった』と続ける。
「また、取り残されるのが始まった、と感じた。それで今度は、訓練所でも一人になったでしょ?だけど」
「俺が」
口を挟んだオーリンに、うん、と頷いたニダはオーリンの手に手を重ねて、指先にしっかり力を込めた。
「オーリンは助けてくれた。あのままでは死んでいたかもしれないのに」
「偶然だが、間に合ったんだ」
「さっきも。どこか知らない島に置いて行かれた私を、あなたはすぐに」
「急に目が覚めた。ニダが戻った、と直感で」
「私は、取り残されないんだ、って今は思える」
「そうだ、俺がいるから」
「たくさん親切にされて生きてきたけど、いつでも放り出される気がしていた。私はこんなだから。でもこれから大丈夫、って初めて信じられる」
ニダ、と呟いたオーリンは言葉が出てこない。ニダは微笑んで、『戻ってくる人たちも、誰かが待ってる。私は行かなきゃ』と伝え、涙を浮かべたオーリンの瞼を少し撫でた。
これを―――
「ちょっと。可哀想なんだけど」
「ミレイオ、もう来るんだから泣かないで」
「あんたも目が潤んでるじゃないの」
「可哀想ではないのだ。ニダは幸せの確信をしたのだから」
台所でひそひそ話すミレイオとイーアンとドルドレンは立ち聞きで感動し、それを横目で見ていたタンクラッドとルオロフは、オーリンたちの足音がまた歩き始めたので合図する(※この二人も地獄耳)。
軽食と水を食卓に置いたロゼールが振り返った時、ニダを連れたオーリンが食堂へ入った。
皆の視線がニダに集中し、オーリンが『ニダだよ』と名を伝え、ニダも自己紹介をする。訓練所で仕事をしていました、と短い紹介をし、自分を見ている面々をさっと見回してから顔を伏せる。
イーアンはすぐ側に行き、ニダに一人ずつ紹介しながら、食卓へそっと歩かせて座らせた。
「・・・で、彼がロゼール。これで全員ではないですが、一先ずここにいる皆の紹介はこれで終わり。ニダ、お疲れさまでした」
「イーアン。私はこれからお面の交渉に行くのですよね?」
「そうです。でももう少しお待ち下さい。今、バサンダを迎えに行っていますのでね」
「あ・・・ バサンダ」
そう、と頷いて、女龍はニダの横に座り、オーリンも反対側に腰を下ろす。皆が着席する間で、ロゼールがニダの右から手を伸ばし、『これ。食べて下さい』と多めの軽食を載せた皿を出した。
「え、でも」
「これから大仕事って聞いています。食べて元気をつけて下さい。俺が作ったんですよ」
そばかすの笑顔でニコッと笑ったロゼールに、ニダはお皿の軽食をちらと見て『あなたは料理をするの?』と意外そうに聞き返す。料理が好きなんです、と答えて下がったロゼールの短い会話で、ニダは少し緊張がほぐれた。
「食べて下さい、ニダ。舟を漕がなければいけません。あなたに食欲がないなら無理は言いませんが」
イーアンにも言われて、ニダは『いただきます』と皿の軽食を手に取った。ティヤーの食材なのに、ティヤーじゃない味の包み焼を頬張る。向かい合う席に座るルオロフと目が合い、その綺麗な薄緑の瞳が優しい弧を描く。
さっき、紹介でも再会の挨拶をしたかったが、すぐに次の人になったから名も呼べなかった。でも今は頬張っているので話しかけられず、ちょっと戸惑う様子にルオロフが微笑んだ。そのルオロフが、何か言おうとして口を開いた横から。
「バサンダが来るまで時間がある。オーリン、舟の話を」
剣職人に、船底の方へ顎をしゃくられたオーリンは、そうだった!と思い出して、振り返ったニダに『お前が使う舟を用意した』と教える。
ニダは食べながら、交渉に行くまでの段取りを説明され、舟の扱いや、アマウィコロィア・チョリアの伝説を聞き、内容を確認されて理解した。
舟については、少々特殊な舟を仕立ててもらったらしく、オーリンと剣職人に頭を下げて礼を言い、伝説については、バサンダにもさわりだけ教わっていたため、やや不思議を―― やはり面師が行った方が良くない?と ――思ったが、繰り返す重大な機会だけに気を引き締め直す。
「誰もが未体験のことですから、参考になることなんて伝説しかありませんが、一緒に考えることはできます。ニダは質問がありますか?」
話し終えた女龍に聞かれ、ニダが考えて答える前に、食堂の入り口に人影が動き、話は止まる。
「シャンガマック」
「連れてきた。バサンダ、こっちへ」
褐色の騎士と共に、初老の面師バサンダが顔を見せ、彼と目が合ったニダは、その腕に抱えられた木箱に唾を飲んだ。
*****
ここまでの期間で、バサンダと会っていたのは、シャンガマック、ホーミット、イーアン、そしてこの前、オーリンとニダは会ったが、他は久しぶりの再会。
ルオロフは当然、初対面。ロゼールは、ぎりぎりで会っている(※1431話参照)。ルオロフが自己紹介を短めに済ませた後は、誰もがバサンダに喜びの挨拶をした。
だが、事態が事態だけにその時間も短く、面師は早速、本題に移る。一抱えの木箱を置かせてもらい、ふたを外し、中にある面をニダに見せた。
覗き込んだ全員が驚嘆の声を上げ、肝を抜かれるほどの芸術品。
しかし、バサンダはニダ以外に話を振らず、木箱の横に膝をついて面を一つずつ手に取り、真剣に聞くニダの目を見てティヤー語で説明し続ける。
「あんた。いいわね、何言ってるか分かるんでしょ」
「ええ・・・でも内容が私にはピンとこないので」
説明が分からないミレイオが悔しそうに呟き、真横のルオロフも眉根を寄せて、『理解に難しい専門用語が多すぎる』と小声で打ち明ける。
ニダは手仕事訓練所にいたことで、面に使った材料、求められる質の意味も理解する。面師は、単なる伝説の壮大さだけで意味を終えず、きちんと『使うに至った理由・なぜこれを選んだか』そこに焦点を当てて、どうかこの意向を十二の司りに伝えてほしいと頼んだ。
それこそ伝説の、『二度と鳥の体を使わない』『鳥を殺した面を作らない』実行。全ての材料に代替品を試行錯誤で集めて制作し、本来の目的である、大きな存在の偉大さを称える心を留めた伝統面。
「何が欠けてもいけません。手抜かりなんて以ての外。畏敬の念を形に籠めるに抜かりなく、しかし、過去の愚かさを脱却していなければいけません。私が用意した面は全てそれを叶えています。ニダがもし、それを尋ねられても、自信をもって答えて下さい。私の魂を注いで作りました」
バサンダも、伝説は何を求められているのかをよく理解している。
ニダは彼の話を通して、先ほど教えてもらった内容をより深く解釈し、自分が預かる美しい十二個の面を見つめた。
「必ず、お伝えします。でもバサンダ、聞いているほどに、あなたが直に渡すのが良い気がしてくる」
「いいえ。ここから先の未来は、精霊に近い人間であるべきです。この前も私はあなたにそう言ったでしょう?昔の面師が遺った伝説で、同じように頼み込みに行く手筈だとしても、頼む人物の存在意義が、未来を示していると私は思います。それはあなたしか出来ない役目ですよ」
はた、と止まったニダ。そうだったと思い出す。バサンダは、私が精霊に近いと言ってくれた・・・そこはすっぽり忘れていたニダが、ちょっと目を逸らして『わかりました』と頷くと、バサンダはちょっと笑って箱の蓋を戻した。
「あと、話したかどうか忘れてしまったのですが。面は一列に並べて下さい」
「一列?砂浜に直接ですか?」
「はい。もしも、あなたが並べる前に求められるなどあれば、それはあちらの言葉に従ってもらって。でも何も言われなかったら、十二個を一列に並べて下さい」
はい、と答えたニダだが、これはあんまりピンとこなかった。でも忘れないようにしなきゃと・・・ しまわれた箱を押し出され、バサンダの微笑をもらう。
「では。準備が整ったようですから」
「心の準備も大丈夫です」
その返事にフフッと笑った面師。恥ずかしそうに笑い返したニダ。トン、と背中を突かれて振り向くと、オーリンが『皆にも少しくらいは分かるように』と通訳を頼まれた。
簡単に話すなら、とバサンダが引き受け、素材の変更から伝説に沿うよう努力したことを教える。ニダは行った先で詳しく話すかもしれないので、それで説明が長かった・・・というバサンダに、職人たちは納得。ルオロフも納得。シャンガマックは毎回見ていたので疑問点なし。ドルドレンとロゼールはよく分からないが、とりあえず。
「よし。いつ出かけるなどの決まりはない。ニダさえもう用意が済んだなら、交渉だ」
パンとドルドレンの両手が合わさり、ニダは息を吸い込んで『はい』と頷いた。
*****
イーアンが教えてくれた、交渉の言葉。
オーリンとタンクラッド(※トゥがほとんどでも)の用意してくれた、小舟。
バサンダが作り上げた、十二の面―――
ニダは、ドキドキする胸を押さえられないまま、夜の浜辺へ移動する。どこからか戻された時、頭に聞こえた精霊の声が、何回も繰り返される。
『人の多くは世界の外へ出たが、世界に残った人々は、次の時を待つ。
勝敗と審判が訪れる世界で、人間が去るか残るか決定される。
去るのであれば、先に外へ出た人々と会い、残るのであれば、外へ出た人々も帰る。
残った人々は決定まで、人として生きるに不足のない日々を送るが、魔の荒れる世で命を守るのは、それぞれの行動による―――』
そして、ニダにだけに言われたこと。
『魔の動く世に、人間は儚い。精霊と同じくして、しかし、人の体で生まれたお前に、機会を与える』
これはオーリンに言っていない・・・ 言う暇がなかったのだけど。
「ニダ、海に出すのは俺がやるから」
「あ、はい。有難う。私も手伝う」
いいよ、乗って、とオーリンに背中を押され、ニダは小舟に乗り込む。
夜明け前の先ほどの島は、周囲も明るくなり始めて、紺色の夜が少しずつ背後へ引いている。満ちていた潮は、あの時間では砂浜も海水が覆ったが、今はすっかり引いて、続く浅瀬の底が見える。
「教えたばかりだけど。棹が使えない深さのところは、こっちの櫂に切り替えろ。舟は工夫してあるから、漕ぐ位置が違って初めてでも、棹と同じように動かせるはずだ。練習の時間が少なすぎて心配かもしれないが」
「大丈夫、感覚は掴んだから」
とても気にしてくれるオーリンに感謝して、ニダは彼の黄色い瞳を一秒見つめて微笑んだ。
「行ってきます」
「行ってこい。待ってる。何かあれば呼べよ。イーアンもあっちにいるけど」
今や、遠慮なく心配するオーリン。こんなに、私を気にしてくれる人がいる。これから先、ずっと一緒にいてくれる。そう思うだけで、胸が熱くなり、頑張れる。精霊の導きに感謝して、一度目を閉じたニダは、瞼を上げると水平線へ顔を向け、棹を握った。
「気を付けるんだぞ」
「はい」
腰まで水に浸かったオーリンが舟を押し、穏やかな波に揺られた小舟は、輝き始めの水平線へ漕ぎ出す。
何もない。見えない。
そこにある、と言われても、まだ何も目に映らない島へ―――
お読み頂きありがとうございます。
傷がふさがり、数時間のPC作業ができるようになりまして、物語も少しストックが作れたので、明日も投稿します。
数日したら、またお休みを頂くと思いますが、ニダとお面の回は連続で投稿する予定です。
長引いてしまい、ご迷惑をおかけしました。
誤字脱字・おかしな言い回しなどもあったと思うので、これから読み直し、見つけ次第修正します。
読みにきて下さる皆さんに、私はとても、毎日、本当に感謝しています。いつもありがとうございます。
夏も真ん中ですから、どうぞお体に気を付けて、無理なくお過ごしください。
Ichen.




