2872. 旅の四百六十六日目 ~買い出し『馬車の民・雑談・十二の面』・女龍と最初の『戻り』
馬車の民が来て、見送るまでの一部始終を詳しく話したイーアンは、話しながら何度も涙を堪え、『淘汰という酷い印象ではなかったから良いですが』と理解を示しながら、でも強引に外へ出される人々の不安に対し、申し訳なさや悲しみを強く感じていた。
始祖の龍の用意したお守り『粘土板』を持たせたのは、テイワグナのジャス―ルで、送り出される門の付近にいたイーアンたちの姿が見えないはずでも、ジャス―ルはイーアンの声に反応し、見上げて微笑んだという。
馬車歌の楽器と歌声が大移動を促す、壮大な出発―――
大きく開いた両開きの扉の向こうは光の靄に包まれており、そちらに何があるかはイーアンたちに全く見えなかった。双頭の龍の足の下をくぐる行列が全て、扉の向こうへ渡った後、扉は少しずつ閉まり始め、完全に閉じてしまった。
朝食の席でこれを教えてもらった、ドルドレン、タンクラッド、オーリン、ミレイオ、ルオロフ、ロゼール、シャンガマックは言葉がすぐに出ず、場は静まり返った。そして、ロゼールが口を開き、『俺が見た大陸は全然違ったな』と話題とは関係ない感想をこぼし、皆も思い思いに感じたことを話して、朝食は終わった・・・・・
買い出しで人のいない町へ向かったドルドレンは、朝の話から馬車の民のこれからを想像する。
「・・・総長?」
横を歩いていたルオロフが、後ろで呼び、ハッとして振り向くと、赤毛の貴族は店の前で立ち止まっていた。微笑んだ貴族に苦笑し、ドルドレンは行き過ぎた距離を戻る。
「考え事ですか?」
「うむ。すまない。ルオロフがいるのに、ぼうっとして」
「いいえ・・・お面のこと、気になりますよね」
「ん?」
ルオロフが見上げ、その薄緑色の瞳に、ふと、狼男ビーファライの目を思い出した。面とは違うが、彼の人生も、面を掛けたように感じる。瞳の色は、狼男でも生まれ変わった貴族の若者でも同じ・・・・・
「総長?」
自分を見下ろしたまま止まってしまった総長に、ルオロフが眉根を寄せてちょっと呼びかけ、またドルドレンはハッとする。その様子に失笑してルオロフは『失礼』と視線を逸らした。
「いや、俺こそ失礼を。すまない。どうも、ちょっと・・・いや、面のことは気になるが、馬車の民の今が心配で。だが、そうだな。十二の面が完成した報告は驚いた。もう、使うわけだし」
「総長は、馬車の民の安全を想っていらしたんですね。それは気が付かず、申し訳ありません」
謝ることではない、と呟いて、ドルドレンは空を寂しそうに見上げる。
この空の下ではない、遠くへ旅立った馬車の民・・・ 世界に散らばった全員を集めたと、ポルトカリフティグが教えてくれた。それは、居留地も定着した人々も合わせてと聞いた時は、本当に全員か、と驚いた。
「馬車の民について、伺っても良いでしょうか。不思議な歌を歌いながら、代々、旅の生活を送る人々、と認識していますが、なぜそれほど重要な内容を彼らは知っているのかと」
「結論から言うと、俺も知らない」
ハハハと笑った総長にルオロフも笑って『そうなんですか?』と聞き返し、頷かれる。
「今朝、丁度イーアンとその話題が出たのだ。『馬車の列が、民を引き連れて行く様子』が、自然体と言うかな。元からそうあるべきと定められた風にすら、感じさせたわけだ。それは、歌が多くの情報と秘密を含む、不思議と似る。
イーアンの報告が、俺の目の前に起きたことのように目に浮かぶ・・・ 眩し過ぎないのに、影すら薄くする太陽の光にが満ち溢れ、馬車歌と音楽が流れ、人間が大移動する光景。
ルオロフ、馬車の民は『太陽の民』とも言う。それは俺たち民族が、自分たちを呼ぶ時に使う呼称ではあるが、まさにそれを具現した。本当に決まっていたとは、俺も驚いている」
「歌では・・・総長は、その『大移動』を示す歌をご存じでいるでしょうけれど」
「うむ。だが、それは可能性だった。つまり、起きない可能性もあったのだ」
「起きた可能性、これに沿う未来。移動の続きも、馬車歌にはあるのですか」
「あると思う。俺はまだそれを知らないが」
ルオロフはすぐにピンと来なかったが、ドルドレンは『ヨライデの馬車の民』の歌にある気がしている。赤毛の貴族は少し間を置いてから、推測を呟いた。
「不思議な民族です。どこから来たのか。私は思うに、きっと私たち普通の人間がこの世界に住む前から、彼らはいたように思います。もしかしたら、その時に未来に起きる出来事や、見えない場所で生じた大きな世界の動きについて、彼らは歌を授かったのかもしれない、なんて考えてしまいます」
ルオロフの言葉に、ドルドレンは胸を打たれる。そう思ってくれるのかと、少し微笑んだ総長に、ルオロフは頷く。
「今日はこれから、精霊とお会いするのですよね?精霊も、馬車の民、全世界の人々について、心配しているでしょうか」
「しているかもな。優しいのだ」
「馬車の民がどこにいるか、分かると良いですね・・・ 」
ドルドレンは貴族の思い遣りに感謝し、『では、買い物だ』と立ち話を切り上げ、店に入る。ルオロフは何気なく思ったことを話しただけだろうが、馬車歌がどこから始まっているのか、それは、『誰かが授けたのではないか』この部分に引っ掛かった。
見聞きした情報ではなく、最初から存在する物語を・・・何者かから渡されたのでは――――
入るも何も、ティヤーの食材店は通り側に壁を作らず開放的なので、ドルドレンが考え込む暇もなし。後に続いたルオロフが、入るなり話しかける。
ルオロフは、雨を避けるために食材に掛けられた粗布を少し持ち上げて、『想像していたより無事ですね』と布下にある食べ物と、表を交互に見た。
「開け放している状態でも、虫や動物がいないため、傷もない。もっと傷んでいる覚悟はしたんですよ」
でも暑さと湿度でやられているのはありそうですがと粗布をどかし、山に積まれた野菜と果実の状態に『見た目は分からないですね』と首を傾げる。
ミレイオに聞いた、食材の種類とほしい数が書かれた紙を見ながら、ドルドレンはルオロフに値段表と品名を読んでもらい、傷みが来ていそうなものや、足が早そうなものを除け、空き箱に集める。
「総長は食材の見方が、板についていますね。総長職なのに・・・料理に詳しいですか?」
意外な一面の理由を尋ねられ、ドルドレンは笑って首を横に振り、『馬車育ちだ』と答えた。
「馬車で育つと、何でも手伝う。衣食住、大人に教えてもらいながら。あとは、騎士修道会の生活が似たようなものでな・・・やはり、衣食住全てを交代で班に分かれて学ぶ。誰でも厨房に入るし、誰でも洗濯から掃除から、何でもやる」
「はぁ~、それは良い教育ですね」
良い教育と感心する貴族にまた笑い、ドルドレンは手前の笊から一つ果物を取ると、貴族にそれを差し出す。
「見てみると分かる。ルオロフ、ここが凹んでいるのだ」
「はい。下部に沈みの跡ですね。傷んでいるのですか」
「結論は『傷んでいる』と判断しても良いが、色は悪くない。これは今日くらいまでが食べ時である。匂いも違う。少しだが酒を思わせる匂いがあるのだ」
これと比べて、と総長の大きな手がもう一つ同じ果実を手に乗せ、二つを顔の前に出された貴族は鼻を寄せ、嗅ぎ分ける。違うと言われると、しっかり差を感じるもので、そう伝えると総長は頷いた。
「私は嗅覚が良い、とイーアンに褒められています。元、狼だからか」
「ハハハ。頼もしい鼻だ。その群を抜いた嗅覚なら、食材の善し悪し、食べ頃も、丁寧に判別できるだろう。関心を持つと世界は広がるものだ。次から、ルオロフが選んでみなさい」
料理も出来ない貴族に、食材の見分け方を教え、嗅覚を活かせと総長は言い、これはどうだ?こちらはどう思う?とルオロフを育てる。これまで関心もなかったことだが、やってみると簡単に正解が出せるし、ルオロフも自分に向いているかもしれない、と面白い。
買い出しが学びの場に変わったルオロフは、改めて、総長は人を導く人だと思った。
最初の店屋で買うものが終わり、ドルドレンは合計金額を、帳場の目立たない場所に置く。
ルオロフ曰く『一筆の要』とやらで、きちんと用意しておいた『品物を買わせて頂いた。代金はここにお支払いする』手紙も添え、二人は店を出た。
荷物を持って次の店を探し、隣の通りにあった二軒目に入り、そこで二人は笑顔が消える。
店の右半分は特に問題なく商品も陳列していた。左半分は、店内に壊された跡があり、何か大きなものが手をついたように、据え付け棚の上から物が落とされ、手前の棚は倒れている。そして剣が一本、床に落ちていた。
ルオロフはこの大きさと、臭いの無さに、これが人型動力の仕業と分かる。魔物なら、今回の魔物は全体的に臭いが酷いはずで、ここ一軒だけの被害に留まらない。
多くはないが、飛び散った血も点々と周囲にあり、状況に想像がつく。人型動力が入ってこようとして、壁に手をつき、剣で応対したものの・・・ ルオロフは溜息を落とし、総長と目が合う。総長は床の剣を拾い上げ、店の奥の壁にある鞘に戻した。
「ここは魔物ではなく、動力に襲われたかもしれません」
「そうか・・・ では、品を」
買うのも少し躊躇うが、もしかすると人が戻った時に閉店するかもしれないし、戻った時にお金が必要かもしれないなど思うと、購入した方が良い気もして、二人は右の棚から食材を買うことにする。
乾物を選び始めてすぐ気づいたのは、右棚の上に飾られた木製面。何を模った面か分からないが・・・面が守ってくれたのかと、ドルドレンは思った。総長の視線を辿ったルオロフも、上に掛かる面を見つけ、乾物を手に取り、『朝のシャンガマックの報告を思い出します』と続けた。
「バサンダという面師。凄腕なのでしょう?」
「俺もよく知らないのだ。テイワグナで救出した以降、彼が母国でも面師であったことと、囚われた場所でも面を作る環境だったこと・・・・それと、彼の引き取り先が、テイワグナでも有名な伝統工芸の仮面工房だったこと、くらいだ。
彼は面製作が途切れない人生を生きている印象だし、それは『大役をこなせるからこそ、選ばれた』と、哀れな目に遭ったバサンダに直接は言えないが、そう思う。
バサンダが作った面も見たことはある。しかし俺のような素人目には『凄い、魂が籠っているよう』と月並みな表現しか出ないのだ」
肩を竦めた総長に、『そんなものですよ』とルオロフも理解する。素人は何がすごいかなんて、下手な表現しか出てこない。だから、よくシャンガマックが・・・と思った。それは、総長も思ったよう。
「シャンガマックは精霊信仰の部族で育った分、物や場所に宿る気配や威圧には敏感だろうが、タンクラッドやイーアンたちのような、職人的視点で理解するわけではないから、バサンダが如何に凄まじいかを伝えるのは難しかっただろう」
「報告で、彼は精一杯の称賛をしていましたね」
そう。精一杯の称賛だった―――
バサンダが戻って来ているかもしれない、と昨晩出かけて行った彼とお父さんは、まさかの『バサンダ置き去り』状況に驚いた。これについて、ピンと来ない仲間に、タンクラッドやルオロフが『祝福を受けた人でも、大きな存在と共に居れば治癒場へ連れて行かれない』と話した。
シャンガマックが言うに、『バサンダは、彼の使用した時間の流れを乱す仮面が理由』でおいて行かれていた様子。
だが安全だったわけではなく、あと一歩のところで死にかけていた。獅子はそれを知って彼の木製面を壊して救助。
救助が間一髪で間に合った時、バサンダは既に気を失って倒れていたし、作業台には12個の完成した仮面が置かれていた。
その仮面を全て見てきたシャンガマックは、どれがどの様に美しかったかを言語化できず、ただもうひたすら『素晴らしい。命を注ぎ込んだ魂の作品。伝統技巧の全てが詰まっていると聞いた。すごい迫力で』を繰り返しており・・・ 皆にはシャンガマックが、どう表現していいか難しいことと、興奮していることだけは伝わった―――
乾物を詰め、値段を計算しつつ、二人は面引き渡しについて、思うことをぽつぽつ会話。
・・・オーリンが昨夜報告した二回目、ニダが渡す内容について、ドルドレンも一から十まで知ることが出来た。
空待機だったドルドレンは知らないことが多過ぎて、タンクラッドたちに補足してもらい、細かいところまで理解したが、何とも振り回されっぱなしの『仮面騒動』と感じた。
人間淘汰に対する、手段の一つとして持ち上がった『十二の仮面』。
ドルドレンはアマウィコロィア・チョリア島に入る前に空へ上がったため、仮面が最初ではない始まりからして、これは一苦労だと思った。
可能性高い淘汰回避を焦る→似た内容の伝説から、示唆を探す→仮面で約束を交渉する内容→伝統の面師がまだある→訪問先は意味ありげ→なんとバサンダの生家らしい→テイワグナに確認へ→バサンダで正解。
既に『面を作れ~』と運命に道を敷かれている気がする。
そのつもりじゃなかったにせよ、これを伝えたバサンダがすぐに伝説を思い出し、更に『やる』と引き受けたとなったら、もう運命が転がり出しているようなもの。
ここからの展開は、これぞ可能性と信じる勢いで、面製作へ突入するのだが、なんとこの途中で『淘汰決定』状況に変わり、面を用意する意味を根本から覆されるのだ。
意味があったのか、などの疑問や悲しみに誰もが足を止めかけるのだが、何とギリギリでイーアンが『太陽』と話し、『残った民のために交渉を持て』と助言を受ける。
これを知らされたバサンダは、手を止めずに仮面を作るのだが、今度は彼が夢のお告げで、面を持って精霊たちと交渉する人物を見た。それがニダ。
本当にその人かどうかの確認は、もう、ここまで来たらニダだろう・・・としか俺も思わない、と同意した。
ニダはオーリンに助けられて、偶々、船に保護されていた。
そこへバサンダの夢を相談された獅子が来て、目的の人物と判断。あれよあれよという間に、バサンダも船に来て、内容も引き継がれ、仮面引き渡しは決定した。
そして、今。決戦後―― 治癒場に保護された人々は、徐々に世界へ戻される話で。
「お面を受け取る・・・ニダもそろそろ」
ルオロフが最後の乾物の値段を紙に書き、合計を出して、総長に渡しながら見上げた。
「そうだな。どこから戻されるか、分からないとは言うが。しかしもう、戻っている人もいるだろう」
「次は、お面ですね」
乾物屋の壁に掛かった、古い木製面を見つめた貴族と騎士は、十二の面が何をもたらすのか。この『十二色の鳥の島』と呼ばれる、アマウィコロィア・チョリアで何が起きるのかを想像して黙る。
ティヤーから離れるまで、まだ、少し―――
*****
その頃、出かけたイーアンは。
「無事?!無事でしたか!」
あー、良かった~!と叫んで、戻った人に抱き着いたところ。
笑って喜ぶのは、アマウィコロィア・チョリアの最初の港ベギウディンナク側にある、警備隊施設・オンタスナ。
「生きて会えて嬉しいです!」
抱き着いた女龍に戸惑いながらも、感謝いっぱいで、オンタスナは女龍を抱き返し、顔を見合って笑顔で涙した。
イーアンは、まずは近辺から探そうと、船を出てアマウィコロィア・チョリア一帯をぐるっと飛んで戻ったところ。人影がなくても、建物に入っているかもしれない・・・と思い、もう一周するつもりで戻って来たら、なんとオンタスナが警備隊施設の外にいた。思わず抱き着く、嬉しさ満開。
「いるかな、と思って見に来て良かった!オンタスナは絶対に無事だ、と信じていました」
「はい。あなたの祝福を受けたんだから、死ぬわけにいかないと頑張りました」
「・・・でも、お仲間やご家族は」
「仕方ありません。ですが、彼らがいつか戻る日のため、私はここで生きて行きます。今朝、こちらに戻る前に・・・ 」
再会喜びの最初の相手、警備隊のオンタスナは、イーアンに教える。治癒場を出て戻ってきた時、ぼんやりとした意識の中に現れた精霊が、何を伝えたか。
オンタスナは勿論、『治癒場』の言葉も意味も場所も知らないのだが、どこかで守られたことは理解しており、その意味と今後のことをきちんと伝えられていた。
お読み頂きありがとうございます。




