2861. 魔物と死霊の要 ~⑤ロゼール帰船・小石回復・男龍分裂遺跡他国対処・世界の余白、世界の計画
夜食くらい作ってやれば良かった。
もういないクフムへの労いなど、今更何もならない。そっと触れた何枚か、買って間もないピンとした紙に指を置き、跡をつけないように気をつけてページを捲った。几帳面な性格で作られた辞書を少し読み、ミレイオは溜息を落として手を離す。
「一枚だって失くせない。いつか帰って来た時、続きを書くとか言い出しそうだし。箱を・・・早めに」
涙を落としたミレイオは、目鼻をちょっと拭いて、窓を閉じる。風で何枚か落ちていたのを拾い、内容に合う紙束の上に重ね、雑貨屋で買ったと思しき、底を整えられた重石を載せる。
「こんな石くらい、買わなくたって」
言いかけて止まる。クフムは一人で船を降りるのも大変だったのを思い出す。
私たちは誰一人気にしないことでも、クフムは舷梯が掛からなければ波止場に行けない。店に行くにも、私か他の誰かに断ってから、波止場の従業員に梯子を掛けてもらって、昇降していたこと。
勝手に出て行くことも無理だったし、一人で動くには『普通の人間』の取る行動が伴うクフムにとって、こもり切りの生活は半ば・・・仕方ない状態だった。
オーリンがいると一緒に出かけていたが、クフムはオーリンに付き合わせるのも多くなく、遠慮していた。
いろんなこと、ずっと言い難かっただろうなと、今更思う。
「いなくなってからなのよね、大概。いる内に気づくことって少ないものよ」
はー、と息を吐いて両手を腰に当て、ミレイオは書類の多さをざっと把握し、必要な木箱の数を大体決めてから、部屋を出た。
台所へ向かう通路を歩きながら、船底の馬たちも見に行かなきゃ、と凝った首を回す。馬のことは、異界の精霊にも言ってあるから、食料・糞や尿の世話だけは、大丈夫なはず。
「でも、最低限の世話はあっても。暗い船底にずっと閉じ込めてる状態だもの。あの仔たちが場慣れで精神的に強くたって、我慢させるのはせいぜい二日よ。怖いに違いないわ」
早く見てこなきゃ、と力の消耗でふらつく足を進める。クフムの行いで思わず泣いたものだから、それもまた、気持ちを占めていて――
「わっ、え?」
「すみません、気づいてるかと」
水を飲もうと台所に入って、赤毛。
と言っても、ルオロフではなくてロゼールがいて、ミレイオは驚いた。ちょっとどうしたのよと、慌てるミレイオに、ロゼールは『さっき戻ったんです』と床を指差す。
ロゼールはピンレーレーの契約後にハイザンジェルへ帰国し(※2673話参照)、毎度のことだがそれっきりだった。
彼はいつもの格好で、大きな肩掛け鞄を背中に回し、短剣を腰に帯び、鞄からはお皿ちゃんの白い光が少し漏れていた。
「人間がいなくなったじゃないですか。あれで、家族が」
一瞬ミレイオは『ロゼールの実家・実の家族』かと思い、あ!と同情しかけたが、ロゼールはケロッとしており、こめかみをちょっと掻くと『リリューが~』と・・・ もうすっかりサブパメントゥが家族、と認めている騎士に、ミレイオも余計なことは言わずに、先を促す。
ロゼールはハイザンジェルにいたが、突然リリューが来て、リリューに続いてメドロッド、ゴールスメィが現れ、彼らとサブパメントゥに移動した。
お皿ちゃんは布でぐるぐる巻きにしたから、どうにかサブパメントゥでも影響しなかったけれど、事情をよく知らないロゼールは何度も『地上で待っても』と言い続け、家族は多くを話さないまま、ロゼールの案を受け付けなかった。
「で。後から教えてもらったんですが。俺、一人だったらヤバかったらしくて」
「・・・あんたさ。いつも、なんていうの。ちょっと軽い感じだけど」
「いやいや、真剣です。最初に人が消えた時は何かと思ったけれど、これが淘汰か、とすぐ思いました。でも俺は残ったんで、コルステインたちの家族になったからだろうなーって」
そう言うと、少し表情が曇る。急に、何かをぶり返したように、眉間に微妙な力が入り、ロゼールは紺色の目を伏せた。あれ?とミレイオが少し覗き込むと、普通に喋っていたロゼールは小さな溜息を吐く。
「うん、あの。そう、あまり考えこまないようにしていますが、俺は王都から支部に戻ってたんですよね。それで支部だから、当然仲間もいるんですけれど」
「あ・・・そうか」
「はい。あっという間でした。何かが光ったような気がして。俺は廊下を歩いていて、すれ違う皆が忽然と。支部中確認したわけではないけれど、多分全員、ですね」
ミレイオも眉根を寄せて『そう』と静かに頷く。それが一回目の消え方で、ロゼールは淘汰の話を聞いていたから慌てはしなかったが、死ぬのかどうかまで知らず、不安と恐れはあったと話した。
「ただ。家族のメドロッドやゴールスメィはすごく達観してて、ハイザンジェルに戻った日にも『片付けられることが死ぬとは限らない』と教えてくれていたんですね。
それを思い出して、無事を祈るだけというか。で、何かありそうだと荷物をまとめてたら、リリューが」
「そうだったの。そっか。私も、消えた人たちがどこへ行くか、予測の話でしか知らないから」
「あ、それ。後で教えて下さい。予測でもいい」
そうね、と手を伸ばしたミレイオは、ロゼールのフワフワしたオレンジ色の髪の毛を撫でる。辛いよねと同情し、ロゼールも少しだけ苦笑を浮かばせて『はい』と素直に答えた。
「リリューに、『側に家族がいないと、もう一回連れて行かれる時、離ればなれになる』と聞いて、それですぐ迎えに来てくれたと知りました。
連れて行かれるのは二回までらしいから、少しサブパメントゥで待機して、メドロッドが船に送ってくれたんですよ・・・ほら、サブパメントゥ待機だと、皆がお皿ちゃんに耐えるのも時間の問題だし(※龍気の塊)。とりあえず、総長には連絡したんで、何か食べるもの用意してから、俺も外へ出ようとしてたところです」
ドゥージさんの弓もあるし、と鞄を片手でポンと叩く。よく見ると、鞄と背中の間に矢筒も背負い、ロゼールが戦う気だった様子に、ミレイオも『うん』とだけ返した。でも行かないで留守番してほしいかもと思いつつ、重い話を切り替えるに、どう言い出そうかなとここで沈黙を挟む。
ロゼールは気になっていたのか、数秒の沈黙をやめ、ミレイオの下げる抱っこベルトを指差した。
「ミレイオ、シュンディーンは?」
「話す。でも、ええとすぐじゃなくて。ロゼールが出かけないで、船にいてくれると助かるんだけど。馬も船底にいるし・・・私ホント、疲労困憊なのよ。今からサブパメントゥに戻ろうって思ってて・・・そうだ、ドルドレン、ところで連絡ついたわけ?連絡したってことは」
立て続けで頭が追い付かないミレイオは、聞き流していた報告『ドルドレン』のことを、はたと思い出して確認。そばかすの騎士は頷いて『地上にいるとか何とか』と。
「え。地上にいる?あの子、空に」
「あー、なんか言ってましたね。俺は知らないんで、そうなんですかと答えました」
重い話からすぐに立ち直るロゼールは、総長が無事であるのは気にならない様子。あの人、強いし、で終わる。
あんたねぇ、とミレイオが眉根を寄せ、ロゼールは食材の痛みかけを調理台におきながら『ちょっと何か食べましょうよ』と、全然緊張感がない。これ、今日食べないと勿体ない、とか言いつつ、ナイフを取り出す赤毛の騎士。
「話し、聞いてる?私は地下に戻らないと、力が枯渇よ」
「聞いてますが、行ったらすぐ戻れないですよねぇ?俺に船待機を望むなら、確かに馬も気になるし、船待ちでも構いませんが。今ミレイオは疲れてて、とりあえず食べてからのが良くないです?」
「ロゼール~・・・ んもう!」
ロゼールなりの気遣いもあり。まー、じゃー、と額に手を当て、疲れたミレイオが頷き半分―――
二人は同時に食堂を見る。台所を遮る壁にある小窓から、食堂が見える、そこに男が一人。あ・・・と口を開いたミレイオに、ガン見するロゼールが食材を手からを落とした。
外は晴天の昼。青く高い波が船窓の向こうで揺れる背景に、全く似つかわしくない厚手の毛皮の上着を着た、真っ白い髭の大男が食堂からこちらを見ていた。
「ヤロペウク・・・・・ 」
「ミレイオ。お前に伝言を頼んでおく」
*****
イーアンは龍気の残りが、決戦となると毎度のことだが少ない。
もう、イヌァエル・テレンへ戻らねば。でもこれは途中退場が難しい。
白い龍に変わっては咆哮も消滅も使い、こればかりだと力の減りが早いから、状況に合わせ化学現象の利用で魔法も使うが、イーアンの場合は魔力も龍気の変換。
「まずい。ホントにまた、落ちるかも」
しょっちゅう、力尽きて落ちている自覚はある(※2395話参照)。で、ここ海だし。
「ルガルバンダ。龍気を送って下さい」
実は、さっきもお願いした手前・・・言い難かった。でも使う量が半端なくて、仕方ないから頼る。あんまり合間を開けずに頼んでいると、『戻ってこい』『そもそも、それはお前に関係ないだろう』とか言われそうだと思っていたのだが、予想通り言われた。
『イーアン、戻れ』
よりによって、なぜかビルガメスからの着信(※脳内)。ルガルバンダどこ行ったと目を瞑る女龍は、先で開き始めた時空に反応し、『急いでいるのです、無理です』と答え、亀裂の崩れる空中を咆哮で消す。
消したらすぐイングが横に現れたが、同時にまたビルガメスの声。でも今度は、イーアンも空を見上げる。
『小石を渡す。来い』
「はい」
さっとイングを見て『小石、貰ってきます』と一言挨拶。現れたばかりのイングを置いて、女龍は上昇した。
空の境目でビルガメスが待っており、イーアンは心からホッとする。今回は落ちなくて済む(※龍気切れ未然)!その顔に少し笑ったビルガメスは、側に来た女龍に片腕を伸ばし、女龍が両腕を伸ばした手の平を受け皿に、そっと石を置いてやった。
「行ってこい」
「有難うございますっ!!」
グッと握りしめるイーアンは漲る龍気に、体が白く燃え上がる。女龍の内側から迸った金の龍気が角を透かし、黒髪に銀縁を当て、駆け抜ける龍の幻がイーアンの皮膚の裏をぐるっと走り、ビルガメスは目の当たりにした光景に笑った。
「お前らしいな」
「何がです?」
「龍気を一度に取り込むと、そうなるのか。俺たちとは違う」
「? 前も、同じようなことをタンクラッドたちに言われましたが(※2487話参照)、自分では分かりません。取り込んだ時は、何か見えています?」
ビルガメスはフフッと笑って、首を一振り。サクッと話を変える。
「まぁ、いい。使い終わったら戻しに戻れ」
「・・・(※持たせっぱなしではないと知る)」
ほら行け、と送り出され、無表情で頷いた女龍は、慌ただしくイヌァエル・テレンからティヤーへ。
見送る男龍の視界から小さな白い星が消え、小石を持たせた方が彼女の成長には良いかもしれないと、ビルガメスは少し前向きに思えた。
「あの姿。魂が龍だからこそ。お前を見ていると、俺は生きていて良かったと心底感じることが多い。小石を持たせると、お前はちっともイヌァエル・テレンに寄り付かなくなるが・・・ それも困ったもんだ」
苦笑してビルガメスも戻る。とにかく、イーアンが辛くない方が良い。愛する女龍の自由を、大きな男龍は大切にする。
想いは、イーアンにどう捉えられているか知らないが、ビルガメスにそんなことはどうでも良かった。
「強くなれ。母を超えて、イヌァエル・テレンの頂点に立て」
今よりもっと強くなって見せろと、真っ青な清い空に応援を送り―― 近づいてきたアオファとタムズに振り返る。
「行くのか?」
「早い方が都合も良さそうだからね。私と」
「ファドゥか」
そう、とタムズが頷くのと同じくらいで、ひゅっと横に銀色の翼が掠める。
「イーアンたちのいる国ではないんだろう?」
ファドゥが改めて確認し、タムズが『テイワグナという国』と地名を教えた。ファドゥも一度は行ったことがある。
「(タ)ではビルガメス、もし続くようだったら、君にまた頼むかもしれないから、休んでおいて」
「(ビ)二回三回くらい、お前たちで片づけられそうなもんだ」
「(ファ)私がいない間、子供たちのことを見ておいてほしい。子供部屋なら回復も順調だろうし」
互いに顔を見合わせて少し笑い、じゃあねと気楽に・・・タムズはファドゥと多頭龍を連れて出発。
テイワグナで分裂遺跡が動くのを感じ取ってから、時間は開いていないが。
時空の乱れが顕著になる中間の地で、今、本当なら何日分やらと思う。
「イーアンは気付いていないだろうが。朝から晩の一日分、実のところは数日経過しているな。アスクンス・タイネレが開いた後から、相当な歪みが全土へ渡っている。しかし、ザハージャングは本当に固定してしまったな・・・ まあ。それはさておき。
分裂遺跡が各地で均等に、幾つか上がったら、それで時空の混乱も止まるだろう」
急に静まり返るのか、何かが起きて終わるのか。
ビルガメスにも分からないけれど、中間の地の荒れ具合は、なかなかのもの。人間は淘汰対象だったが、人間にまとわりつく魔物や、サブパメントゥを減らす理由でこうなったように感じる―――
「終わったら、また人間が住めるように、世界は余白を用意するのか。魔物は、魔物の世界ごと・・・間接的に不能にして、こちらに二度と手出しさせないよう、と見える。もしそうなら、創世で魔物の王など受け入れなければ良かっただけのことだろうに。
何か理由もあるのは分からんでもないが、どこまでが計画だか」
ハハハと笑った大きく美しい男龍は家に戻り、それから思い出して子供部屋へ行き、ファドゥの留守の間、子供らと一緒に過ごす。
統一の日が来る時、お前たちの世界がさらに広がるぞと・・・イヌァエル・テレンで一番古い男龍は、育ち盛りの子供たちに教えてやった。
*****
アソーネメシーの遣い・死霊の長が気づき、
ビルガメスが先を見透かしたように。
午後の青空に浮かんだ毛皮の男も、状況を眺めて思う。
「大雑把な展開だ」
片付け半分で次へ進める気かと小さく息を吐き、ティヤー以外の国で『念憑き』を消し始める―――
お読み頂き有難うございます。




