286. やること満載
「イーアン。風呂に入らないと」
揺すられて起きたイーアンは、状況を理解できないまま目を開けた。ドルドレンがイーアンを覗き込んでいる。
「起きたか。疲れたんだな。風呂に入ろう」
工房で寝ていたことを理解したイーアンは、体をゆっくり起こしてドルドレンに支えてもらう。暖炉を消して、ぼんやりしながら工房を出て鍵を閉め、風呂へ向かった。
お昼の慰労会であまり食べなかったのに、それほど空腹を感じていないイーアンは、ドルドレンに早く眠りたいことを話した。ドルドレンも、無理もないと頷いて、風呂を上がったら寝室へ行こうと行ってくれた。
早めに風呂を済ませて、ドルドレンの入っている間はオシーンの所に預けられて。オシーンにまた顔の傷で笑われて。ドルドレンが迎えに来たので、二人はそのまま寝室へ行った。
「ドルドレンも疲れているでしょう」
「俺は大丈夫だ。イーアンと会う前は、もっと遠征続きだった。帰ってくればすぐ書類だし、屋内で食事もしなかったくらいだ」
ドルドレンはもっとずっと大変な中、一人で頑張ってきたのだとわかると、イーアンはドルドレンにそっと抱きついて『あなたはとても強いです』と呟いた。
胴体にぴとっと付いた愛妻(※未婚)に微笑んで、ドルドレンの大きな手がくるくるした黒い髪を撫でる。
「イーアンも強い。よく頑張っている。大変なのは一緒だ」
だから今日はゆっくりお休み、とベッドに寝かせてくれた。イーアンは有難く目を閉じて、そのまますぐに眠りに落ちて行った。
瞼を下ろした途端に眠る、愛妻(※未婚)の額にかかる髪の毛をちょっとずらして、ドルドレンは額にキスをする。今日は出来ないな、と思いつつ(※こればっか)。
次の朝になると、イーアンは筋肉痛で目覚めた。思ったよりも、筋肉痛がゆっくり来る年齢になった。それをしみじみ感じる。
「筋肉痛になるくらい、ちゃんと動けてる日常に感謝しなければね」
動かない日々よりも、こうして身体を動かしていることは大事。忙しいと若い、と以前よく聞いたけれど、その意味はきっと、忙しいと頭も使えば身体も動かすからかしらと考える。
横でドルドレンがぐっすり眠っているので、起こさないようにベッドから出て着替える。着替えながら、予定を思い出すイーアン。どんどん片付けてしまわないと、あれもこれもで疎かになる。
①まずは。お金を預けたままの、タンクラッドの契約変更を早く済ませないといけない。タンクラッドに会えたら、ベルの槍のことも相談しないと。後は白い棒の解読のこと。
②そうでした。オークロイの手紙の確認をすること。
③シャンガマックは明日帰ってくるはずだから、彼の脛当も今日明日中で用意しておきたいこと。パワーギアは調整して仕上げること。
④ザッカリアとバリーの話は、ドルドレンにお願いしておくこと。
⑤ダビにお願いできる範囲で、スコープを作ること。早く作って、早く南に渡して、早く実用適応するか確認すること・・・だけど、適応確認は後々だから、とにかくスコープを終えること。
⑥今日じゃないけど、手袋も後20くらいは作らないと、騎士の皆さんに実用確認してもらえないから急ぐこと。ダビは部品を沢山作ってるかもしれない(←てんこ盛り完了)。ぬ。そうすると手袋発注もしないと。
「後、なんだ。何かあるかしら。あったような、なかったような」
はっと思い出す。王様お菓子。ここまでやることが増えると、お菓子が面倒くさい気もするが、口約束すると碌なことがないのだと面倒くさがりの自分を戒めて、約束のお菓子を作ることにする。
「フェイドリッドは保存食ムリよね」
保存食なら厨房にあるから楽なんだけど、物臭イーアンはちょろっと思う。でも王様に保存食はさすがに宜しくない(※既にお菓子ではない)ので、やはりお菓子を作る。
てろんとした身体にぴったり添う、あのいつぞやか(※249話)の青の強い碧色の衣服に身体を通しながら、長い革靴の編み上げ紐を結ぶ。ワンピースドレスに、腰袋の付いたベルトを装着して立ち上がる。赤い毛皮の上着を羽織って、メモを見つめた。
絶対悩殺的な人が着るべきであろう、衣服を着ていることに、考え事に意識をとられて気が付かないイーアンは、選んでいるつもりでも見てないまま、着替えを済ませた。
メモに書いた①~⑥に、『⑦お菓子』を付け足して、優先順位を決め、出来るだけ効率的に行うイメージをした後。即、厨房へ、今日の午後にお菓子を作ることを伝えに行く。
厨房は朝食準備中で、料理の皿がどんどんカウンターに乗せられている大忙しの時。イーアンはちょっと中を覗いてみて、ありがたや、ヘイズを見つけて挨拶する。ヘイズは料理が好きで、よく担当に入っているため、こういう時は実に助かる。
「ヘイズ。おはようございます。お忙しい中をすみませんけれど、午後にお菓子を作りたいのです。午後か夜です」
おはようと挨拶したヘイズは、朝一番でイーアンの、テロテロ・ツヤツヤドレスと、毛皮と傷に、心を射抜かれる。やや頬を染めつつ、『もちろんですよ』と短く答えてじっと見る。彼女の傷だらけはよくあるけれど。格好が野生的で、なんとも刺激的。
「イーアン。こんな事は失礼かもしれませんが。傷がおありでも、それはあなたの衣装とよく似合い、大変に魅力的です」
「ああ、そうなのよ。これね。今、顔に傷があるから、困っています。毛皮と傷の組み合わせは、アティクに倣いました(※チョイ悪新年)。酷い怪我だけれど、でも組み合わせると変な魅力があるわよね」
ハハハ、と笑って、イーアンは厨房を貸してもらう約束を取り付けて、部屋へ戻った。背中を見送るヘイズは、悩ましい溜め息をついて、ぜひまた『匙をペロッ』としてほしいと心の中で願望を掛けた。
部屋に戻ると、まだ寝てるドルドレン。
眠る伴侶を確認したので、イーアンは工房へ下りて暖炉の火を入れる。冬の工房は寒い。早く早くと火を熾して、お茶用の水を汲もうとすると、朝一は表の水が凍っているので、再び厨房へ。水をもらって、親切なヘイズに運んでもらい、お礼を言ってお湯を沸かし始めると。
扉が叩かれた。『早い。誰だろう』ぼそっと呟いて扉を開けると、ダビがいた。
「イーアンおはようございます。早いですね」
「ダビが早いですよ。もう工房が開いてると思いましたか」
「ヘイズがあなたと一緒にこっちに来るのが見えたから。ほら、シャンガマックのこれ。工房の前に届けておこうと思って持ってきたんで」
シャンガマックの脛当用の、切り出しと整形を済ませてくれた皮部品を作業机に置くダビ。その仕事の早さと正確さに心から感謝する。
「まだお茶も沸かないし、ここも冷えてるけれど。ちょっと朝食まで居る?」
「そうします。頭は痛みます?」
苦笑して頭を振るイーアン。大丈夫と答えてから、『手袋を発注しないと。それとスコープも作ってしまいたいです』ダビに相談できることを先に伝える。
ダビは手袋は発注かけておくことを約束し、スコープは今日一日ここで作ろうと思うけれど、と言ってくれた。
「イーアンはどうするんですか。今日もどこか出ますか」
「タンクラッドに契約変更を求められてるので、彼をここへ連れて来ます。執務室で書類を作ったほうが早いでしょう」
ダビはタンクラッドの名前が出た時、イーアンを見つめる。イーアンは気が付いて『何』とその視線の意味を尋ねた。
「その格好で行くんですか」
何のことかと思えば、ダビが近づいて目の前に立ち、毛皮の上着の前を摘んでちょっと横に開いてずらした。ダビの行動に、さっと体を後ろに引いて『なあに』と注意する。情緒不安定すぎるダビに困るイーアン。
「これ。俺が見ても良くありません。総長が何を言うやら」
「服装までケチつけて。早くボジェナとくっ付きなさいな。私なんかにアレコレ言わないで」
「イーアン、あまりに自分を軽く見てますから。一応、中年でもおばさんでも女性です。気をつけないと」
はーっ?と大きな声で、ダビの失礼な言い方にいらつきを返すイーアンは『もう。何だっていうの』と、パッと自分の服を見る。
見て暫く考える。 うっ。この服は。あの日、風呂上りで胸が無さすぎてイヤだと思ったあの服・・・・・
顔が真顔に戻るイーアンを見て、ダビは溜め息をつく。
「ほら。分かったでしょう。もうちょっと意識して着替えたほうが良いですよ」
どうせ疲れてぼんやりしてたんでしょうから、とダビは笑い、手袋とスコープの件は引き受けたと言いながら工房を出て行った。
イーアンとしては、胸がない女が着る服ではないと言い切られた(※正しいが、ちょっと違う)と受け取って、ケッと言い捨てて寝室へ着替えに戻った。ダビったら嫌味になっちゃって!ぶつくさ文句を言いながら寝室へ入ると、ドルドレンが目を覚ました。
イーアンを抱き寄せて、すりすりしながら朝の挨拶をし、灰色の瞳でじーっとイーアンの姿を見つめ、目を丸くして、毛皮の上着をバッと脱がせた。
「どうしたの」
「イーアン。これは外に着ていってはいけない。いけないのだ。着替えなさい」
ドルドレンまで何て言い方を、と眉を寄せるイーアン。ドルドレンは頬を染めて、とりあえず愛妻(※未婚)を抱き寄せてから、その小さな胸に頬をすりすりする。『はー。気持ちいい』ぽそっとこぼして、小さな柔らかい胸に服の上からぱくつき(※瞬間、ちょっと叩かれて)頭を離した。
真顔のドルドレンは、イーアンにこの服は大変危険であることを伝え、これは二人の時に着用するよう勧めた。
「ダビも私に、着替えるように言いました」
「ダビ?この姿を見せたのか」
工房で彼と会い、これで出かけるとは総長が何を言うやら、と言われた・・・そう話すと、ドルドレンは複雑そうな表情で咳払いして『まあ。そうだ。確かに合っている』だが、と納得行かないように頭を掻いていた。
ドルドレンはこの服を着ている自分が好きなんだと、それは分かるイーアン。だから見せたくないのかもと思えば、この服自体がまるで似合っていないわけではない気もする。でも胸がある人のほうが確かに似合うような服だし・・・・・ そこまで考えて、もう面倒なのでとにかく着替えることにした。
一番最初に着た、群青色の生地に刺繍が入った上下の衣服にして、きっちりした印象に変わる。チョイ悪脱落だが、顔の傷はこの際、アイテムとして似合うかどうかは気にしないことにした。
どっちみちドルドレンは喜んでくれて、抱き寄せて誉めてくれる。彼が着替えてから朝食へ向かい、今日の予定でこなしたいことを伝える。
ギアッチに話すとドルドレンは言ってくれて、ザッカリアの件はお任せする。
これから行く、タンクラッドの件では渋い顔をしていたが、契約内容の変更がオークロイと同じなら、と執務室へ呼ぶことに決まった。
「午前中に来るんだな。俺も今日は南の援護遠征の書類があるから執務室にいるだろう」
イヤイヤしながらも、とりあえずドルドレンがそう言ってくれたので、イーアンはお礼を言った。
「オークロイの手紙。昨日読んだぞ。内容は、鎧が一つ出来たから来るように、と。イーアンの鎧のことだったんだ。後は、鎧の形状について相談とか、そうしたことが書いてあった」
「あらそうでしたか。ではまた彼のところにも、近いうちに行きましょう。形状に幾つか用途があるのかもしれません」
オークロイの鎧工房に行く日を決めよう、とイーアンが言うと、いつでも良いと書いてあったとドルドレンは答えた。オークロイの仕事に差し障りないように、早めに向かうことでこれも決定。
①~⑦まで、ある程度押さえたので、イーアンは朝食後、すぐタンクラッドの工房へ向かうことにした。
ドルドレンが不愉快そうな顔をしているので、ちょっと頬にキスをしてご機嫌を取ってから『すぐ戻りますよ』と龍を呼んだ。
仏頂面ドルドレンに見送られて、イーアンは忙しなくイオライセオダへ向かった。朝8時前。寒いどころか冷たい空気の中、朝陽が投げかけられた草原は、煌きながら白い湯気を立ち上げていた。
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