2859. 魔物と死霊の要 ~③『燻り』とダルナとルオロフ、煙を切る・『一枚』の約束・ティヤー浚渫の時間
※少し長くて6400文字あります。お時間のある時にでも。
帯びたばかりの剣帯に鞘を任せ、睨んだ相手に、赤毛の貴族は剣を抜く。打撃音は敵ではなかった。
向かい合ったのは、姿もおぼろげな、くすんだ煙。そこら一帯がいつの間にか黄ばんだ煙で、陽光すら、ぼかされている。
煙は玄関から出たルオロフと、距離にして5mほど離れており、白い鱗が囲う内側には入れない様子。煙の中には人影が揺れ、千切れる声で呻いている。
頭の中に聞こえてくるのかと思いきや、頭と耳を交互に使う音の聞き分け。混乱しそうになるが、これは相手が傷んでいるのだと理解した。
大きな打撃音の正体は、ルオロフの両隣に立つ、白い龍の面影。家を囲むイーアンの鱗を元に、二頭の龍の腹から上だけが現れていた。
この龍の影に攻撃を食らったらしき煙臭い相手が、人間のようにぜぇぜぇと荒く体を揺らしながら、悪態を衝いているのだが。はっきりと聴き取れないほど、痛めつけられた様子。
「魔物じゃなさそうだな」
呟いたルオロフは、イーアンが両隣にいる感覚。母が撥ねつけた敵を私が倒そうと、抜いた剣の切っ先を煙に向ける。辺り一面に渡ったくすんだ煙に、青っぽい腕や頭が途切れ途切れで現れて、顔が現れると憎々し気に睨む目が見えた。
どうも人間の姿を模しているのは分かるが、顔全体は見えない。ちらりと顔半分・目元だけなど出ると、どこかで見たような印象があり、眇めるルオロフ。
すると相手は、ふーっと息を吐いて辺りをさらに煙らせて、落ち着かない残像のような顔で話した。
「そ、こか、ら。で、ろ」
言葉が、言葉になっていない。よく聞こえないルオロフが、得体のしれない相手に警戒しつつ・・・話を聞くべきか、攻撃すべきかを過らせたすぐ。
『あー、ちょっと待ってろ。イーアンの鱗だけで終わらせるつもりだったが、お前の動きは予定外だ』
え? ルオロフの頭に、場に合わない気楽そうな声が滑り込んだ。
*****
聞こえた声にぴくッと反応、それと同時に煙の動きが急に止まる。
漂っていた煙は凍ったように停止し、それから『こっち見てくれ』とまたあの声が届き、そっちを見て良いのか悩むルオロフが気配を辿ろうとしたら、森の・・・黒土の匂いがした。
アイエラダハッドの森林の奥に似た、あの匂い。これに悪い印象などないルオロフが、ふと左を向くと、家の左の畑にダルナが一頭見えた。潮風しかないこの島の土の匂いとは全く違う、ひんやりした森に絨毯のように広がる腐葉土、そのふかふかした豊かな匂いが、ダルナから。
「・・・ダルナ」
名前が咄嗟に出てこない。でも何度か見ている。イーアンと仲が良い、最近は見かけないダルナ。名前を思い出そうとしているルオロフに黒いダルナは近づいて、『俺の用は、こいつだ』と、塀越しの煙を見た。
「あの。あなたは」
「名前?スヴァウティヤッシュだ。覚えておけ」
「はい、申し訳ない。私はルオロフです」
「自己紹介は、まぁ別に。お前は、この家の人間を守りに来たのか」
「はい。トゥが、守るようにと私に」
「ふーん・・・あのさ。まぁ、お前も特殊だから別に良いんだけど」
「ちょ、ちょっと。すみません、良いですか?」
普通に話しているので、ドキドキしていたルオロフが煙の方を見て『聞こえてますよね?』と囁くと、スヴァウティヤッシュは首を横に振った。大きなダルナは何にも気にせず、キョトンとする赤毛の男に『茶番劇みたいなもんだ』と言う。
「時間がないから適当に説明すると、あいつは俺が操ってる。で、思考も止めてる」
「は、え?ええ?」
「そうなんだ。ちょっと目を離したら、こいつが勇者の所に行ったもんでさ。予定と違うから、こっちに連れて来たわけだ。もうこいつもそろそろ片付けて良い時期だし、手負いにしておこうと思って、この家でイーアンの結界に触らせたところだ」
「・・・・・あの。あなたが、あ、えっと、そいつを操って」
「あんまり難しく考えるな。とにかく、イーアンの結界は凄いからさ。サブパメントゥなんか一瞬で消える。だから調整して手負いくらいにと思ったら、お前がね。それ、戦う気だったろ?」
それ、と鉤爪で示されたのは、右手に握る剣。はぁ、と頷くルオロフに頷き返し、『やらせてもいいかなとは思ったんだけど、お前になんかあってもね』とスヴァウティヤッシュは長い首を掻く。
「その、スヴァウティヤッシュ。あなたが操っているのは分かりましたが、サブパメントゥなのに真昼間から」
「ああ~、それ。こいつは平気なタチなんだよ。煙、使うじゃん。それで曇天くらいの暗さに抑えると、日中でも出てくるんだ。でも、この晴天で出したのは俺だから、これだけでもこいつには消耗だろうな」
「そうなんですか・・・ 」
何となく事情が呑み込めたとはいえ、ルオロフは理解が大変。とにかく、このダルナはそうしなければいけない理由に沿って、どうやらサブパメントゥの煙男を操っている、ということで、そして私が予定外で参加してしまったのだと、それだけは押さえた。
うーん、と眉間に皺を寄せ、『茶番劇』と言われた状況に、食い込んでしまった自分の動きに悩むルオロフだが、そんな貴族を見下ろして、ダルナはちょいとまた塀向こうの煙に視線を流した。
「やってみる?」
「え?」
「お前も戦いたそうだ。あいつが剣で切れるとは思えないけど、なんか、お前も特殊じゃん。お前の力を俺も見ておいた方が、今後の参考になるだろうし」
余裕があり過ぎる――― なんだこの番狂わせの余裕は、と貴族は慄くも、ダルナは『そろそろ動かすからさ』とさり気ない。
ダルナは細身の赤毛の人間を見下ろし、手に握る変わった剣を指差して『その剣、ここで作ったんだろ?』と尋ね、そうですと答えたルオロフに頷いた。
「やってみな。ヤバかったら俺が止めてやるから」
ダルナに顎をしゃくられて、思いもよらず茶番劇の一役に入ったルオロフは、どう答えて良いか分からないので了解した。
これが初めて、自分の剣の真の威力を知る機会になるとは。
『よし、はじめ』
気の抜ける合図で、黒いダルナの声が届くや、煙の風景が密度を増した。
ルオロフは『お前の思考も遮断してやるから』と打ち合わせされたのもあり、何かこう、すごくやる気が失せたのだが、複雑な心境さておき、相手に読まれることもなく戦えるわけで。
ダルナが、私の潜在能力を見ておこうというなら(※潜在能力とは言っていない)、こうした機会は生かさねば――
ルオロフの右腕は剣を後ろに引く。動き出した相手はぼんやりしているのか、すぐに話しかけはしなかったが、ルオロフの側の煙の揺れに反応し、もわっと急に近づいた。龍の結界から、ほんの二歩程度。
ばッと目の前に来た相手。ルオロフは目を丸くする。
総長―――?
皮膚の色は青く、格好は派手な柄を用いた布でも、どことなく古びていて薄汚い。ただ、その顔だけは、芯の強い公明正大な勇者と同じだった。目つきが全く違うけれど・・・
驚いた表情を見て、煙のサブパメントゥはフフッと笑った。『出てこ、い』千切れる言葉で、外へ誘う。その笑い方がいやらしく、ルオロフに嫌悪を抱かせる。
どっちみち、塀の内側では戦えないので、煙臭い空気をスッと吸い込み、ルオロフは一歩足を出した。ちらっと見たサブパメントゥの口端が上がる。
胸から下が見えない煙の男は、片腕で手招きして『そう、こっち。だ』と少し後ずさった。ルオロフが言うことを聞いていると思っているのか・・・そう思われるのも不愉快ではあれ、ルオロフの足は塀の境目を出る。
片足が、塀で分けられた境界線を跨ぎ、もう片足が一歩、外を踏んだ一瞬。
ふわっと黄ばんだ煙に巻かれる。が、同じ速度でルオロフの赤毛がサブパメントゥの目端に掠り、薄緑の瞳と目が合った時、ボッと唸る低い音と立てて、煙が切れた。
「あ。う」
煙の、実体がないはずの体が、ルオロフの剣を受けた場所だけ固形化して崩れる。ギョッとしたサブパメントゥの顔。しっかりその切り口を目にしたルオロフは、返す腕で剣を唸らせ、風を巻き込んで煙の顔の真ん中を切りつけた。
「わっ」
のけぞった煙の男が、ふらっと後ろにずれ、そのまま煙に混じって消える。気配が突然低くなったので、ルオロフが剣を構えると、辺りから一斉に黄色い色素が引いた。煙臭さが潮風に紛れる。どうなったんだ?と剣を片手に左右を見渡すと、右奥に黒いダルナが現れ、頭に話しかけられた。
『剣、かもな。お前の力じゃなくて』
*****
スヴァウティヤッシュは、その場で聞けとルオロフに命じ、サンキー宅の前に立ったまま、ルオロフはダルナの見ていた意見を聞く。
ダルナも意外だったらしいが、剣が実体を持たないサブパメントゥの状態でも切り付けたのは本当だったようで、錯覚ではないとお墨付きをもらった。
『手ごたえは』
『ありました。肉体を切るのとは違いますが、刃に抵抗がありました』
『そうか。その剣、サブパメントゥを切れるぞ』
『そ、そうですか?でも今のやつだけという可能性も』
『いや、違うんじゃないか・・・俺は違うと思う。その剣、手放すなよ』
『はい』
短い会話はここで終わり、もう少し聞きたかったルオロフが質問しかけて、ダルナは消える。潮風に黒土の香りが乗り、ルオロフは右手の剣に目をやると、ふーっと溜まった息を吐いた。
「サブパメントゥを切れる剣か。そんな効果があったとは」
神様はそんなこと言っていなかったな、と頭を掻き、一先ずルオロフはサンキー宅を振り返る。入り口の左右に立ち上がっていた白い龍はもう消えており、白い鱗は変わりなく土に刺さっていた。
スヴァウティヤッシュの狙いだった、『手負い』状態にしたと判断されたから、ダルナはすんなり戻ったのか。
煙を切った、あの感触。煙と言うよりも、布や砂を切るような印象だった。
「それにしても総長とそっくりだったのが・・・ 聞くに聞けないが、気にはなる」
ルオロフは鞘に剣を戻し、風を少し受けてから、鍛冶屋の家に入る。
この偶然の『茶番劇』で知った意外な使い道が、間も置かずに役立つのは、あと少し先。
それと。サブパメントゥといえば、最近のもう一人も―――
*****
『一枚』の、あの後・・・ 海中から舟を捕らえた、あの続き(※2857話参照)。
ザブッと、不意に小舟が沈む。何かに吸い込まれたように、ぐっと水中に沈み込んだ勢いに慌て、僧兵は荷物など構わず、剣だけ握って海に飛び込んだ(※2855話参照)。
魔物だ!と慌てたが、目と鼻の先の岩礁手前は泳いでも着ける距離、まずは魔物を倒そうと振り返った水中で見たのは―――
『サブパメントゥか』
舟をあっさり水中に沈めた、上下に波打つ黒い襞の真ん中あたり、こちらを見ている幾つかの目が。ロナチェワといた、あのサブパメントゥが追いかけて来たのを知る。
黒い布を縮め、幾重にも襞を重ねるそれは、海面から差し込む光を避けるために舟影の下にまとまった。その姿は、タコが暗い岩の隙間にもぐりこんだよう。
動きがない。影から出られないのか・・・・・
光を渡す海面の揺らめきをサッと見た僧兵は、海水が染みるぼやけた視界で他に敵がいないことを確認し、すぐに背を向けて泳ぎ離れる。サブパメントゥも、沈めた割には即襲ってこないので、舟の影から出るのは難しいと判断。
時間が真昼間の表なら、サブパメントゥなど恐れるに足らん相手。問題は影に染まる時間帯で、それまでに逃げ切り、塀が囲むどこかで火を焚いて、影を無くせば済む。そう思った。
だが、僧兵はサブパメントゥを知らない。影だけが、彼らの脅威ではないのに。
急いで岩礁へ泳ぐ僧兵は、追ってこない敵から出来るだけ遠ざかる。
昼間で良かった、俺はやはりツイている、頭で騒がしいやつも『下手に戦うな、早く逃げろ』の繰り返し。これは逃げるが勝ちだと―――
『サブパメントゥに勝てる人間はいない。怯えろ。恐れろ。歯向かった愚かさを悔いて死ね』
音のような幻聴のような声に続いて、ふと、脳が揺れる。
あ、と思った途端、手足は水をかくのをやめてしまった。おい、と焦るも、肩と腿は脱力し、体は波に漂い始める。
なんだこれは、何が起きた・・・頭の中に巣食った何者かが叱咤するが、反応も出来ない。僧兵の喉は海水を飲みこみ、咳をしようにも余計に水を入れる。
息が出来ない。呼吸が。もがきたいのに、体が動かず、息を止めたいのに唇は閉じない。肺から空気が絞られてゆく。
早く逃げろと煩い声が徐々に聞こえなくなり、僧兵の体は海藻のように漂いながら、命を終わらせた。
舟の下で、終わりを見届けた『一枚』は、僧兵から紐のような白いものが出たのを知り、それも壊した。ただの間借り思念で、人間の思念体。大したこともなく、スッと力を向けるや否や、呆気なく思念は消失。
ゆっくり、ゆっくり、浮かないように。黒い指が何本もある手を広げ、目玉が浮いてしまわないよう気を遣い、『一枚』はロナチェワの黒目に見えるよう、浮いた死体に向けてやる。
『見ろよ、ロナチェワ・・・ あいつだろ?殺してやったぞ』
『はい』
フフッと笑った『一枚』は、目玉のか細い返事を受けて、また手に包んでやる。さすがに目玉じゃ動けないから何か体も作ってやるよ、と目玉をしまうと、『お願いします』と答えが戻る。
『これで、お前を殺したやつらは皆死んだ。次は空を取りに行くぞ』
目玉のロナチェワを連れ、約束を果たしたサブパメントゥは消耗を避けるために影へ入り、闇の中へ帰った。
*****
サンキーに先ほどの音と、何があったかを話しているルオロフは、鍛冶屋宅以外が、戦争のような状況で、しかもティヤーの域を出ているなんて、知らない。
ティヤーは、他の四ヵ国と接しており、ハイザンジェルの東、テイワグナ南東、アイエラダハッド南端、ヨライデ南西は、ティヤーの東西南北の海の先。海が境目に当たるため、急激に増加した魔物がはみ出る。
この数、勢い、出所構わず魔物の通路が開く異常事態は、もはや『ティヤー決戦』なんて誰も思わない。
三度目の旅路は予想つかずだらけだが、このティヤーを舞台に魔物がありとあらゆるところから湧く流れは、『引き込めるだけ引き込んで、魔物を倒す』のが目的に映る。
真意は、誰に聞くことも出来ない。誰が知ることもない。とにかく倒すので精一杯で、どんな手を使っても魔物の通路を閉じる。そうしないと、これに死霊も乗っかる。
何が解禁になったかと思うくらい、死霊もこぞって魔物を求めて群れる。なぜこの状況で魔物に死霊が憑くのか、イーアンたちには意味がさっぱりだが、死霊が憑くとそこら中が臭う。汚れが増す。それこそ、海が壊れる恐れすらあるほど。
だから、イーアンたちも段々エスカレートしてゆく。
最初こそ慎重だった時空亀裂の封じも、閉じた側からどこかが開くので、気を遣うのも大雑把に変わった。
沿岸の町や村、沖の波を受けやすい入り江や浜など、人間が戻った時のことを考えたら丁寧に対処するべきだが、四の五の言っていられないイーアンたちは、人も動物もいない世界で遠慮なくぶっ放す。
海を割り、沸騰させ、妖精が稲妻に閉ざし、龍が水底を抉り返し、異界の精霊が水を砂に変え、炎に焼き、あの手この手が止まらない。
多くは、海や海沿いの祠が壊れることで、その付近に亀裂も出現する。
そのため、イーアンたちの攻撃を逃れた魔物は、陸まで動いてしまうことから、大型の力を使うイーアンやセンダラ、コルステイン、そして、手伝いの範囲をとっくに超えている異界の精霊が、見つけ次第、一発で壊す、連発で壊す、の大破壊を繰り返す。
彼らは、こっちが片付くとあっちといった具合で、モグラたたきのようにティヤーを駆けずり回り、出なくなるまで・・・もしくは、何かの終了を告げる時まで、魔物を消して倒して、死霊を潰すのみ。
大変な事態にいるわけだが、『魔物と死霊が溢れる大掃除』を、龍気ギリギリ、魔力ギリギリで頑張るイーアンたちより・・・
檻をひたすら片付けて回るシュンディーンを始め、ドルドレンたち、陸で『掃除』を行う彼らの方が辛い。
お読み頂き有難うございます。




