2858. 魔物と死霊の要 ~②『檻』シュンディーン、殺人の葛藤・鍛冶屋護衛ルオロフ
現状、精霊の檻がティヤーの各地で立ち上がっており、中に閉ざされた者を片付けるのはシュンディーン一人。大体が陸に近い水中で、幅のある河口付近にも『檻』は出ていた。
どれもが幻の大陸に近いわけでもなく、めいっぱい距離を置いたところにも出現している不思議はあるが、シュンディーンの意識を占めるのは、専ら、精神的な苦痛。
水没による片付けは、時間も手間もかからないが、他と比べて数こそ少ないとはいえ、広い海に無数とある島々のあちこちで立ち上がった檻を回るに、時間は必要。この時間が、精霊の子には長く、苦しい。
妖精の檻でフォラヴもそうだったように(※2392、2398話参照)、シュンディーンも一つ終わると次の檻に呼ばれて対応しているのだが。
アスクンス・タイネレへの侵入を阻む、警鐘の檻。
現れたということは、侵入者に反応しているのであり、例え侵入者が檻にいなくても、檻の種類に合った種族が呼ばれるため、結局は近くで見つけられ、倒される。
人間が全然いないのに、『捕まえた人間を殺さないといけない』責務に、精霊の子は辛くて仕方ない。
放っておいて死んでくれたら、と無責任なことも願う。同時に、心を板挟みにする感覚、『これまで見てきた仲間やミレイオの苦痛』を初めて理解し、僕も耐えなきゃ!とも抗う。
「僕が・・・関わらないで済んでいただけで。いつか、世界が落ち着いたら、今度は僕一人で。こうしたことをしないといけない。ミレイオ~・・・ミレイオがどんなに強いか、僕は知らなかったよ。こんなに苦しいことを何度も乗り越えてきたんだね」
優しいミレイオの無表情が冷たく見えた、殺人の夜(※2769話参照)。
そんな目でしか見れなかった僕は、と精霊の子は恥を知る。ミレイオだって本当は嫌なのに、やらなきゃいけなかったこと。覚悟を決める意味を、僕は言葉だけで、実は何にも分かっていなかった。
その姿こそ立派な、シュンディーン。
大きな青い翼は全面が輝きに満ち、抜けるような光含む黄色い肌、鳥の太く力強い手足に、黄と朱の混ざる柔らかい髪、獅子の耳を持った、精霊の合いの子。
だが、親が何度も自分を制した意味、アイエラダハッドで魔導士バニザットに相手にされなかった意味、ついこの前、人型動力を倒す仲間から距離を置かれた意味をまざまざ痛感すると、赤ん坊に戻った方が良いんじゃないかとまで弱気になった。
輝く檻の内側は、波が揺れている。天辺の孔から自分が入ると、水位はどんどん上がって、天辺も合わせて下がり始める。檻の内側に引き込まれる水は、周囲の水や影に染みる水分も全部を連れてくる。そうすると、何度かに一度は・・・目端に動く何かが映るのだ。
ばちゃっ、と音が聞こえるような、聞こえないような―――
嵐の後で漂流物や濁りばかりの海であれ、檻に入れば澄み切った海水が、それは美しく、青や薄緑に煌めいて・・・何者かの死を導く。これが精霊のやり方なんだろうとシュンディーンは、聞こえた音から顔を逸らすしか。
悪党なんて死んでしまえば良いと、何度か思ったことがある。クフムもそうだった。あいつなんか、ずっと嫌いだったけれど。でも、僕が自分の手を下すことは考えなかった。
下がってきた檻の天辺まで、水が届く。水中に浸かる精霊の子も、広げた立派な翼が空気の気泡を含んで、羽毛が宝石をまぶしたように見事な素晴らしさを見せる。揺らぐ黄と朱の髪は、水にさえ燃える炎の漲り、輝く肌は細身の筋肉と両手足の鉤爪をくっきりと表す。
もし、遠目に・・・息が出来なくなって、死ぬ間際で僕の姿を見た人間は、僕をどう思うんだろう・・・・・
命を奪った何者かを目に焼き付けて死んでゆく、悪人たちの最期。
シュンディーンは、考えずにいられなかった。なんで人間にこんなふうに思うのか、それも大罪を犯したやつらに思うことかと、囚われる意識を切り離したいのに、出来ない。
水が引いてゆくと、天井も上がり、シュンディーンは片付けた後を見届ける必要もなく―― 確実に死んでいるから ――その場から逃げるように、次へ向かう。
そして、檻の外にいる人間を見つけてしまうこともあり、否が応でもその足元に水を溢れさせて沈めた。
心の傷が、思ったよりも、痛く、辛く、塩を塗り続ける日に、精霊の子の動きは鈍る。早く終わらせたくても、痛くて仕方ない心の傷が広がる一方で―― ひたすら耐え、その分、長引いて。
*****
イーアンとイングがいなくなった後の小島で、やり取りの結果は。
「私も戦った方が」
「お前一人で何が出来るんだ」
ガツッと、無力さながらの言い渡しをされた、赤毛の貴族は眉根を寄せて頭を振るが、反抗したくても相手が。
「規模が手に負えないぞ。お前じゃ手足も出ないくらい分かりそうなもんだ」
「トゥ。言い方を変えろ(※注意)」
黙って聞いてはいるが、親方がルオロフを気の毒に思って指摘。銀色のダルナの頭の片方が、鬱陶し気にタンクラッドを見て、もう片方は貴族に向く。
「ルオロフ。『自分が守れる範囲』を自覚する学びだと思えよ」
「トゥ(※二回目)」
言い方がキツイ、と頭の中で注意するタンクラッドだが、ルオロフは赤毛を乱暴に掻いて『分かりました!』と、銀のダルナに荒く了解。ちらっと見たタンクラッドの目が少々同情を帯びていて、それも嫌なルオロフは顔を逸らす。
「では。私のような非力な者は、個人宅を守り通すに尽力しましょう」
「嫌味だな」
「お前が言うな」
ルオロフの返事に突っ込むダルナを、合間に入るのも疲れた剣職人が止め、ルオロフは遠慮ない溜息を吐くと『送って頂けますか。非力なもので』とまた嫌味を繰り返した。
タンクラッドもトゥの言いたいことは分かるので、ルオロフに気まずいがトゥの言葉を窘めるだけ。彼に乗るように言い・・・ダルナは赤毛の貴族と主を、南東の小さな島へ運ぶ。
「ここだ。まっすぐ歩くと・・・見えるな。あれがそうだ」
ダルナの首元からタンクラッドが方向を示し、背を下りた貴族は指差された方を見て頷く。なるほど、分かりやすい。
「それではせいぜい、個人宅の護衛で頑張ります」
また嫌味が口を衝いた別れの挨拶で、淡い緑色の瞳をキッとダルナに向けた貴族だが、ダルナはちらと彼を見下ろし、尻尾をちょっと振った。長い尾の先がルオロフの真横の草をトンと打つ。ん?と下を見たルオロフは、そこに食べ物が出て驚いた。
「個人宅で食べろ」
「だから!(※注意)」
よせって、とタンクラッドが叱る声と共に、ダルナは薄れて消える。後で迎えに来る・・・苛立つルオロフの脳に約束を言い残し、ルオロフは小さな田舎の島に残された。
「全く・・・!トゥは真実を知る、と私が尊重しているから、言い返さないだけだというのに!それを知らないわけがないのに、なんて言い方をするんだ」
横に置かれた差し入れ(※食べ物と水の壺)を受け取るのも癪に障るが、腹は減った。悔しいが差し入れを片腕に抱え、降ろされた草原から続く、白い不思議な建物へ歩く。
遠くからでも普通とは違うのがありあり伝わる、『サンキーの家』。
「私が叱られたあの日(※2735話参照)。イーアンはこんなに立派な護りをつけていたのか」
さすがは母だと首を振り振り、女龍の技に感心したルオロフは気持ちが少し癒えた。私の不始末を、あっさりと素晴らしい形で最高に変えてしまうなんて、とか何とか。食料片手、もう片手に剣の鞘を持ち、人っ子一人いない遅い午前の草原から、サンキー宅の畑脇に到着。
「サンキーさん!こんにちは!ルオロフです!」
勝手に入るとやられる情報を受けていたので、家の外から大声で呼びかける。多分、サンキーさんは中にいるはず・・・もしいなかったら、と不安もないではなかったが、もう一回『サンキーさん』と叫んだ時、玄関の扉が開き、首を出した鍛冶屋と目が合った。驚く鍛冶屋が『ルオロフさん!』と外へ出て、再会と無事を喜ぶ。
「どうしたんですか。私は今、一人で」
「ええ。事情も説明します。・・・やはり、あなたは残っていたか」
「『やはり』?」
おかしな響きを繰り返した鍛冶屋だが、ルオロフをとにかく家に上げて話を聞くことにした。ルオロフも来訪の理由を話しながら、いつ敵が来るか分からないので、ここまでの世界の状態を要所だけ伝える。
―――トゥは、ルオロフに言った。『あの鍛冶屋は残っているだろう』と。
サンキーのいるピンレイミ・モアミュー島は、話していた小島からとんでもない距離があったけれど、トゥはなぜかそれを知っているらしく、ルオロフが鍛冶屋を守れと指示した。
トゥが徐に言い出したことを、タンクラッドは初耳だったようで驚き、『何で彼が残っているんだ』と尋ねた。
トゥは、『イーアンの力が彼の家を守っている』と教え・・・ 小島の空をたまに掠める桃色の風を見上げた。あれが、残った人間を集めている、とも。
その言葉でピンときたタンクラッドが、『もしや、俺とルオロフも、お前といるからか』と質問。トゥは瞬きして『そうだ』と軽く答えた。
お前たちは人間で、祝福を受け、そして大きな存在と共にあるから連れて行かれない・・・ トゥの自己誇張のような言い回しはさておき、桃色の風がこちらを素通りした理由を知ったダルナは、『サンキーもだ』と付け足した―――
ここまではサンキーに話さなかったが、ルオロフは来た理由に至るまで、あらすじをざっくりと伝えて、鍛冶屋は心配そうな顔で何度も相槌を打ち、窓を見た。
「それでは、私だけですよね?この家に居たから」
「でしょうね。もし、他の人が祝福を精霊や他種族に与えられたとしても、サンキーさんの家のように龍が守るなどなければ」
「おお・・・恐れ多い。いや、ずっと恐れ多いとは思っていましたが」
たらっとこめかみを伝う汗を手の甲で拭ったサンキーは、これからどうしたら良いかの話に移す。大まかな流れが分かれば、サンキーはそれ以上を求めない。ルオロフが自分一人を守りに来たことも恐縮だが、もしやその意味は、とまた恐れもある。
ルオロフも、サンキーの窺うような目に察し、『サブパメントゥとは限りませんが』と窓の外に目を細める。室内は強い光が入るところだけ生き生きとしているが、外の光が強い分だけ、影も濃い時間。影があると言ったって、さすがにこの家には近づきそうにないけれど、万が一、サンキーがここから連れ出されるとしたら、彼を狙う目的は、『古代剣とヂクチホスの世界』の他にないだろう。
それは、トゥが『守っておけ』と多くを話さずに、重要さを仄めかした意味と解釈した。
ルオロフは下手な例えを言わずに、鍛冶屋に『あなたの作り出す剣へ、慎重に配慮している』と丁寧に、理由を答えた。サンキーも困って頷き、別の気になることを確認する。
「もうすぐ、魔物がまた増えるんですか?」
「仲間が、そう言っていましたね。この家にいるなら大丈夫かも知れないけれど、本当に万が一ということも考えられますから、私がご一緒します」
「ああ、ルオロフさん!あなたのような素晴らしい力を持つ方が、こんなおっさん一人に煩わされて、本当に申し訳ない!」
自虐する鍛冶屋の悲痛な声に、ルオロフは苦笑して『そんなことありませんから』と止めたが、素晴らしい力と言われたことで、トゥに払われた痛みは消えた。サンキーさんを守ってあげよう、と心から思う。
「じゃ、いつ魔物が来るか分かりませんから。私はこの家の周辺を守りますので、サンキーさんは絶対に家から出ないで下さいね。もしも私に似た不審者が近づいたとしても・・・どうやって見分けよう?」
危ないから出ないで、と言いかけて、姿を真似られる可能性に口ごもったルオロフだが、サンキーは横に置かれた剣の鞘を指差した。
「私が見間違うわけありません、その剣一本、見せて下さったら大丈夫です。例え幻であれ、私は剣を見失わないので」
「すごい。さすが剣職人だ」
「違いますよ、鍛冶屋」
ちょっとはにかんだ小太りのおじさんに、ルオロフは尊敬を持つ。安心できる、その真贋を見抜く目。はい、と答えると、鍛冶屋は少し待っているように言い、席を立って隣の部屋から革のベルトを持ってきた。
「ルオロフさん、剣帯がありませんね。これを使って下さい」
「あ・・・いいえ、でも」
「遠慮しないで下さい。ずっと手に持たれているから、剣帯を失くしたんだなと思っていました。普通の剣帯ですまないですが、両手が空いた方が戦うに都合の良いこともあるでしょうし」
剣帯を使うと、文字通り剣を帯びる姿勢に思えて。ルオロフはずっと鞘を手に掴んでいたが。サンキーは事情など知らないので、ルオロフが失くしたものと思い、親切で剣帯を差し出してくれている。
少し考え、貴族は剣の鞘と剣帯を交互に見てから、お礼を言って受け取った。
「お金は後で払います」
「何言ってるんですか。差し上げますよ。気に入るかどうかは別ですが」
「気に入りました。大切にします。剣職人、鍛冶屋さんの贈り物です」
大袈裟な、とサンキーがちょっと笑った、その時―――
バガン!と表に打撃音が響く。ハッとしたルオロフが『隠れて』と窓から離れるよう奥を差し、頷いたサンキーが動くのと同時、ルオロフは外へ駆け出した。向かい合ったのは、魔物というより。
お読み頂き有難うございます。




