2856. シャンガマックの魔法と『殺人』・ナシャウニットの許し・イングの予測・大掃除開始
シャンガマックの前に現れたのは、男八人。
全員が『念』を含んだのかと、眉根を寄せるシャンガマックは、出て来た八人ほどの悪党にうんざりして、大きく深呼吸。
相手の話す言葉は、ティヤー語でも海賊の言葉混じり。こっちが理解していないと思って、早々に指示を出している。理解できるんだ、馬鹿どもがと(※獅子に似る)、褐色の騎士は髪をかき上げた。
「これは、使っていいよな」
騎士は、魔法を使うことに決定。この遺跡は、普段は人の目につかずに過ぎていたもの。よりによって、この連中に見せるなど以ての外。
ファニバスクワンに許可を求めたいが、事態は通じていないのか音沙汰なし。こんな時に限ってヨーマイテスもいない。
この程度の人数、自由に動けるなら別に問題はないのだが、離れた隙に一人でもここへ入り込もうなど、許されない。
一つ、脳裏を掠めた懸念――― 臆病ではなく、道徳から。
この人数を気絶させたとしても、その後はどうするのか。
ヨーマイテスから話は聞いている。『念』持ちは、殺されることを。
もし、こいつらの動きを封じたとしても、その後誰かが殺害を行うことになるのだ。相手が一人なら殺す気もなかったが、思い出した。
生かしておけないこの者たちの始末を、実行せねばならない。だとしたら、今―――
「俺は、間違いを選ぶ気はない」
拘束中の身。今から取るべき行動が正しいかどうか。拘束中なら大人しくしているものであれ、目前に起きた状況を他の誰に投げるのは違う。これは、俺に対処を求めている。
淡茶色の髪をかき上げた手を胸の高さに下げ、右手で剣を砂地に突き立てる。
覚悟を決め、ずさっと黄白色の砂に入った剣を手前に傾け、シャンガマックの口が古い言葉を呟いた時。
下卑た犯罪者の群れは、どこかの三文芝居の筋書きのように・・・ 主犯格の男の指一つが動いた時、全員が剣を抜いて駆け出した。二人は波打ち際へ、三人がシャンガマックの前、残りの二人は脇へ回りこもうとし、勢いで口を開けた喉から、何か薄白いものが見えたが―――
「・・・ァド、エシガハァル」
呪文終わり。褐色の騎士の、漆黒の瞳に水の色が揺れ、敵の切っ先が1m以内に入った一瞬。
シャンガマックと波打ち際を囲む砂が、瞬く間に壁となって阻み、壁一面から金の帯を引いた砂が溢れた。
剣を突き出した腕などあっという間に飲み込み、音一つ立てずに埋め尽くす。
もがく隙すら与えない金の砂は流砂を作り始め、壁の向こうでゴゴゴゴと静かに渦をかきながら・・・砂浜に全てを押し込んで終わった。
騎士は一部始終を見届けつつ、発動の遺跡が気になってちらちら様子を見ていたが、ファニバスクワンの絵に影響はないようで胸を撫で下ろす。
金色の砂が一粒残らず砂浜に消えたところで、大顎の剣を引き抜き鞘に戻した。
「守るためだ。八人か・・・俺が、殺すつもりで殺した人数。例え、悪」
「当然のことをしたんだ、バニザット」
遮った、獅子の声。ハッとして右を見ると、波寄せる岩の横から金茶の獅子が現れ、魔法の解けた浜に顔を向けた。
「ヨーマイテス。今帰ったのか」
「いや。戻ってきたら、真っ最中だ」
「そうか・・・ あの、おかえり」
「ただいま」
「ファ、ファニバスクワンの。ええと、影響はないと思うんだけど、どうかな」
「なさそうだ。何かありゃ、言うだろ」
躊躇った様子はなかったにしても。
息子が人間を殺したことを、ヨーマイテスは軽く流す。彼は世界を選んだだけのこと。終わった後に動揺が来ていそうな落ち着かない表情に、獅子は側へ行き、とんと鼻で彼を突いた。
「バニザット。お前の魔法は、ナシャウニットのだったな」
「うん・・・砂を。この服に合わせたつもりで使ったんだけど。色はナシャウニットだ。ちょっと間違えたかな」
「違う。ナシャウニットが、お前を許したんだ」
ふと、逸らしていた目を向けた息子に、獅子は頷き、『お前の行いは正しかったってことだ』と認めてやった。
「後から抵抗が来ても。お前の行為は、世界に沿う」
「・・・うん」
気づけば、昼。少しの沈黙を挟んで、ヨーマイテスは見て来たシュンディーンの状況を伝え、それから食料を出してやった。一度船に寄った獅子は、直接食料を取って来ており、息子に水と食事を与える。
受け取ったシャンガマックは、人を殺したことを罪悪感だけで取らないよう意識しながら、気を逸らして食事を摂り・・・黙って横に座る獅子に、呟いた。
「シュンディーンも、俺と同じ心境か」
「そんな感じだったな。外から見ただけでも、うんざりしてるのは分かった」
「俺は。もし、さっきの相手が一人だけだったら、きっと殺さずに」
「終わったことだ」
獅子の静かな、停止を告げる一言に黙る。シャンガマックは、僧兵ラサンを同船させる話し合いの日を思い出した。
あの時、ヨーマイテスは『僧兵の殺しと、お前らが殺した人数はどっちが多いか、考えたか(※2560話参照)』と、この一言で皆の抵抗を止めたのだ。
殺す気がなくても、巻き添えはあっただろうし、被害が及んで死んだ人もいたと思う。それと、今の俺は、線が引かれた差にあるが。
「バニザット」
流れ込んでくる息子の思考に、獅子はもう一度止めて、目を見て首を横に振った。
「檻の片づけが終わったら、ぶっ続けだぞ」
「・・・何が?」
「完了の合図が鳴るまで、『念』憑きを掃除だ」
獅子の抑揚のない返事に、驚きはしないけれど。シャンガマックはちょっとだけ頷いて、水を一口飲んだ。世界の旅人は、魔物を倒すだけに終わらない、そのことを身を以て理解する。
獅子は、今のバニザットには必要に思って『助言』した。
「その剣で、肉と骨を切らなかったのは良かったんじゃないか」
ミレイオを切った日を巻き戻す、射貫く発言。
ずきっとした胸の痛みに、目を見開いた息子が振り返る。そう反応するだろうと思っていたのもあり、嫌味だと捉えられないよう、獅子は『お前は魔法使いだろ』と付け足した。だがシャンガマックは眉根を寄せ、少し声を震わせて聞き返す。
「ヨーマイテス・・・あなたは、俺に」
「俺がお前を責めると思ったら、それはお前が俺を信じていない」
つまりどういう意味だ?と言わんばかりの目つきで、碧の宝石二つが昼の太陽に煌めく。痛さを先に感じた心を守るように胸を手で掴んだ騎士は、『わかってるが』と目を逸らした。
「次は、その剣で人間を切るかも知れない。だが初っ端、お前が自ら選んだ行動に、剣を使わずに済んだのは、お前のために良かったと俺は思う」
「どんな意味で」
「意味?二つ教えてやろう。一つはお前が気にしているからだ。剣で肉を切ることを。最初からそれじゃ、お前はまた悩む。もう一つは、お前が『大地の魔法使い』だからだ。魔法で倒す方が、今のお前にはふさわしい」
他の者には決してこんなに教えない獅子だが、息子の心の傷を突くと同時に、それを振り払って前進させるため、きちんと教えた。
シャンガマックの憂いの表情は、すぐには戻らなかったが、彼は理解しようとしており、何度も無言で頷きを繰り返した後、獅子の鬣に腕を伸ばし、撫でながら『そうだね』と。
それ以上は言わなかった。獅子も他に言うこともなく、二人は昼の海辺で、『檻』の終わりを待つ。
*****
イーアンを見つけたイングは、トゥとタンクラッド、ルオロフを横目に、イーアンに『一日分報告』をしてから、
―――今度は『祝福されし人間たち』が守られる時間。その後、残り掃除だ(※2853話参照)―――
呟いた言葉をそのまま伝え、うーん、と眉根を寄せた女龍の事情を後にさせ、そこから連れ出した。
イーアンは、『今ね、魔物の門があるから』と事態が危なっかしいことを理由に、タンクラッドと行動したかったのだが、イングは『かかりきりでなくて良いはずだ』と何を根拠にか否定し、なぜかトゥが『それもそうだ』と同意してしまったため、ダルナの意見が通った。
ダルナは異界の精霊だが、見通す力に長けている個体は、本当に少し先のことくらいだと当ててしまう。イングもトゥもこの力は正確なので、イーアンは渋々、そういうことならと受け入れた。
これをルオロフが『無理に決めては良くないのでは』と止めかけたが、トゥに『お前も別の仕事がある』と予言めかされ・・・結局、三人はダルナに従い、島で別れた。
「魔物の門ですが」
ずっと口数が少なかった女龍が、ポツリと呟く。今、ティヤー東の治癒場上で、そこに桃色の風が往復している。アティットピンリーの姿は見えないが、見える位置にいないだけかも知れない。
イングは彼女と浮かぶ空中で、中途半端に呟きを止めた女龍に尋ねる。
「魔物の門が、何だ?」
「今もあちこちで開いているとして」
「さっきも言った。かかりきりになる必要がなさそうだと思わないか?」
「どうしてイングはそう思うのですか。こうして、人々が回収されているから?」
こうして、と指を下に受けた女龍の言い方が不満げで、イングはちょっと考え、言葉を選ぶ。
「・・・残った人間たちが治癒場に収まるまで、あと少しだろう。もう終わる頃だ」
回収が早いから犠牲が出る暇もない。それでなぜ門に拘るんだと、はっきりそう言っても良いのだが。
女龍はイングから視線を外して黙り、地上を見る。何が不満だか分からないイングも、会話が途絶えて、また、下を見た。
風は、早い。同時に他の国も集めているのか知らないが、ひゅっと治癒場を掠めるや、数十秒で戻って来る。イングが堕天使と話していた時から集め出したとすれば、いい加減、時間も経っているので、そろそろ終わっても変ではない。
「イング」
「何だ」
また話しかけられ、分かりにくい女龍に向き直る。イーアンは懸念でもありそうな顔で溜息を吐いて、大きなドラゴンの顔の横に来た。ちょっと首を逸らしたイングだが、イーアンは彼の耳に顔を寄せ、ぼそっと・・・
「魔物の門から魔物が出てたら、『原初の悪』が手をつけるんじゃないかと」
耳元で小声。イングはちらっと目だけ動かし、むすっとしている女龍を見つめ、『それを気にしていたのか』と訊くと、彼女は頷いた。
「余計にややこしくなる。あの精霊が絡んだら・・・ここで引っ張られて、さらに面倒を増やされても」
「それはない。イーアン」
「はい?」
小声で伝えたのは人間的な癖だなと思うが、『原初の悪』に聞かれないよう気をつけていたのだと分かると、イングも言えることはある。
「お前が心配していたのは『原初の」
「どこで聞いてるか分からないので、注意を」
「イーアン、あの者の気配はない。大丈夫だ」
「気配ないでしょうに、あの精霊は。元から気配なんかしないですよ」
「何と言えば良いか。俺が感じ取れる範囲では、いないんだ」
イングは嘘になるような曖昧なことも言わないため、イーアンも少し口を閉じるが、信じられない。
どこでも神出鬼没の相手に、『いない』と言い切ったところで、唐突に現れるかもしれない。とっくに現れて、魔物の門から溢れる魔物をまた混乱に使っているかもしれない、そう思うと。
その表情をすぐ近くで見つめるダルナは、何でこの女龍はこんなに心配性なんだと、改めて呆れる。下を見れば、桃色の風はもう吹いておらず、終わった様子・・・ 女龍の疑わし気な目つきに呆れつつ、イングは『嘘は言わないと分かってるくせに』と少し非難めいた口調で返した。イーアン、目を逸らす。
「イングが来る前。エサイって狼男から聞いたのです。彼は獅子とシャンガマックの側に、いつもいます。エサイと獅子は昨日の夜、『原初の悪』に襲われたんですって。精霊が助けてくれたらしいですが。
エサイはその後すぐ、私と幻の大陸に入ったので、続きは分かりません。でもさっきの小島で、獅子はエサイを迎えに来たようですし、何かあったのかも」
徐に話し出した女龍の話を聞きながら、それならもっと可能性は高い、とイングは感じて女龍に教えた。
「エサイと獅子を守った精霊がいて、昨日の夜から『原初の悪』がどこにもうろついていない。獅子はエサイを迎えに来た時点で、何かあったわけじゃないだろう。もう、問題ないと捉えて良い」
「なんでそんな極端に」
「極端じゃない。推測だけでもない。他の精霊が割って入った。精霊同士の話になる可能性が高い」
よく知らない世界の仕組みに、自信ありげな言い方のダルナだが、イーアンは反発せずに考えた。確かに、まだ危険があるなら獅子が一言二言、親方に忠告しそうなものか。獅子はエサイを戻して、すぐに帰ったから・・・
「俺がこの続きを予想してやろう。真に受けるも受けないも自由だ」
考え込んだ女龍に、イングは静かに予想を話す。それはあっという間に終わったが、なぜかイーアンにはイングの予想が的確に感じた。
「人間はもういない。生き物もほとんどいないようだ。動力は、俺たちがほぼ片付けた。後は、出放題の魔物と、移動している死霊の群れと、俺たちがこの世界にいる。『原初の悪』は傍観しているのか、この荒れた半日でどこに出た話も聞かない。俺はこの状況、『遠慮なく潰せ』と、そう思うが」
「そう、かもですね。それとイングに話していなかったですが、『念』と呼ばれるものがあり・・・」
遠慮なく、暴れて良い。言い得て妙の言葉が、ぴったり来たイーアンは、ダルナに『念』が憑いた悪人の話も教えた。それらは地上に残っているはず、と。青紫のダルナの、水色と炎の赤を宿す瞳が瞬きする。
「それなら、それもだ」
*****
―――ティヤー本番は、こっちだったのか。
魔物が世界に三度出てくる経緯は、何が目的なのだろう。
例外だらけの敵が混ざっていた事情は、どこまでが計画なのだろう―――
テイワグナ沖から回り込み、ハイザンジェルとティヤー間の海、西から。
水平線がぐわーっと盛り上がった、巨大な津波が空を隠す勢いで影を作る。イングとイーアンは話し途中で、異常な魔物の気配を感じて西へ瞬間移動し、ティヤー西の海でそれと向かい合った。
その幅の広さ、龍のイーアン一人で遮れないと判断したイーアンは急いで『王冠』を求め、イングは『何体?』と数を尋ね、『この津波の端から端まで』と答えて龍に変わったイーアンに従い、『王冠』を10体出し、女龍中心で横一列に配置。津波の根元がどす黒く、海底から巻き込んだ魔物が波をうじゃうじゃ走る。
女龍の咆哮と共に口が開き、首が振られた範囲は波ごと消えた。イーアンの視界に収まらない続きを、『王冠』が代わりに魔物の波を消し去り、イングがこれを操る。
聳え立つ波が落ちるより早く消したため、この水量と魔物は広がらなかったが、これで済むはずもない。
「逆にも出ないか、イーアン」
白い龍の顔の横で、青紫のダルナは背後を気にし、イーアンもサッと振り向く。ティヤーを中心に魔物が出る、それは守られているのか。アマウィコロィア・チョリア含む西側に津波が被るのは避けられたものの、次は中部に魔物の気配が膨れ始める。
鳶色の目と目が合ったイングは、彼女の白い鱗の頬に触れ『移動だ』と瞬時に、その場を引き上げた。
まるで、意図的に――― イーアンが感じたのは、魔物すら、死霊すら、人が消えたこの機会を活かして放り込まれているような印象が。
お読み頂き有難うございます。




