2852. ポルトカリフティグと勇者再会・古代檻発動・精霊の子の役目・アピャーランシザー島の農家・サネーティへの問い
※少し長くて6700文字以上あります。お時間のある時にでも。
薄青く、薄緑色にも見え。眩い柱の合間に、壁の如き光が走り、半球の鳥籠のような。
その中ではなく、檻の外からこれを見たドルドレンが急いで女性に駆け寄ると、彼女は頭痛に目を細めるように薄く目を開いた。
この檻の出現前、空を旋回して待っていたショレイヤは、遠くから勇者を求めて来る精霊を感じて空へ戻った。
サブパメントゥがドルドレンを捕らえる前に攻撃を考えていた龍は、真っ直ぐこちらへ向かっている精霊の大きさに、任せて良いと判断。ギリギリまで待ち、精霊の距離に合わせて空へ上がった。その後、一分も待たずに『檻』が出現―――
倒れた人の背に手を当て、ドルドレンは話しかける。
「大丈夫か」
「はい」
背中を支えて起こした女性の答え方に、意識は無事と分かってホッとする。これに続いて、ふと感じた気配・・・檻の輝く壁にも負けない、太陽のような穏やかな明るさに振り返った。
「ポルトカリフティグ?」
木々の隙間から差し込む、橙色の光。その光の主は大きなトラ。ポルトカリフティグ!と叫んだ勇者の満面の笑みに、トラはゆっくり頷いて、側で驚く女にまず伝えた。
『怖れなくて良い。私は精霊』
この一言に、ドルドレンもすぐ『精霊である。無事に逃がしてくれる』と添え、女性は口を両手で覆い、泣いた。
「感謝します。主人も守れなかったけれど、まだ生かされる時間に」
信仰心の厚い女の泣き声に、トラは側へ来て『この道を』と囁いた。道のない林に、橙色の小道がスーッと伸びる。
涙に濡れる顔を上げた女性は、信じられないように道を少し見つめてから、トラと外国人に会釈し、精霊が渡してくれた道に戸惑うことなく歩き始めた。余計な質問も会話もせず、会釈だけの女性に、心から精霊を信じているのが伝わったドルドレンは祝福を祈る。
橙色の道は、彼女に合わせて手前から消えて行く。精霊の配慮を歩く人は、襲われることなく安全な場所へたどり着くだろう。ああした人ばかりが、残ったのだろうか・・・
『ドルドレン。よく戻った』
ぼそっとトラが呟き、ドルドレンも彼を見る。笑み深まる勇者に、トラが背中へ乗るよう示し、ドルドレンは大きな広い背中に乗った。ふかふかの毛に両手を沈める。顔も埋めて深呼吸し、ポルトカリフティグが来てくれた安堵を全身で感じて目を瞑る。
「なんと心強いだろう。あ、すまない。そう言えば、俺は龍を待たせて」
『私と入れ違いで空へ戻った。お前を見守っていた』
「・・・そうか。ショレイヤ、ありがとう」
空を見上げて礼を言うドルドレンが、次の質問をする前に、トラが状況を話し始める。
人間は旅立ったこと、残された人間は各地にある精霊の導きの場へ一時避難をすること、サブパメントゥと魔物がおおいに減ったこと、だが時空の歪みが戻るまで、不安定な封じ(※祠など)から魔物の路が開いこと・・・・・ これで先ほどを思い出したドルドレンが慌てる。
「魔物の門が、すぐそこで」
『問題ない。あれが魔物を捕らえた』
あれ、とトラが少し顔を傾けた方に、檻。
つられてそちらを見たドルドレンは瞬きし・・・確かにそちらの方角に魔物の門があったと理解する。しかし、自分が離れていた間で、随分魔物が出てしまったのではと心配したが、『それらは精霊の光で倒れる』と言われ、また安心した。
「そうだった。つい、焦って」
『気にすることでもない。もうじき、残った民が移動する。それは、お前が付いてゆかなくて良いことだ。ドルドレンは、檻に掛からなかった者を、これから倒せば良い』
ドルドレンとしては、自分が行かなくて良い理由が気になる。勇者なのに人間の問題に関わらなくて良いのだろうか?と少し躊躇うが、精霊が『いい』と言い切っているため、素直に従うことにした。
「分かった。では、あの、あなたも来る?俺が一人で」
『お前を迎えに来た私が、なぜ早々にお前と離れる理由があろうか』
トラは心外そうな返事をしたが、背中に乗る勇者に微笑んでおり、当たり前に否定された言葉にドルドレンも嬉しかった。
檻は、ティヤーのあちこちに出ていそうで・・・とても大きく、すぐそこに在ると思い込んだものの、側へ行くと海から出ていた。
水の精霊は、ファニバスクワンとティエメンカダしか知らないが、檻を立ち上げたとなるとシャンガマックが思い浮かび、彼と水の精霊ならファニバスクワン。
ドルドレンがトラの背に運ばれながら、残り物退治に向かう時。ずっと離れた島の一つでは―――
*****
腰に下げた鞘に剣を戻した褐色の騎士は、切り捨てた人工物を見下ろす。すぐそこに、古代檻の発動遺跡。
「俺が動けない時に、こんなものが」
動けるなら探して全部片づけるものを、とシャンガマックは吐き捨てる。古代檻を出したばかり、剣があって良かったと呟いて遺跡に戻る。ほんの少しなら動けるゆとりは、ファニバスクワンの絵の範囲を理解しているから。
あんまり離れるわけにはいかないにせよ、人型動力がうろついているのを見過ごす気もないし、倒せる距離まで来たから切った。余計な魔力も使いたくないシャンガマックは、剣への複雑な蟠りがないとは言えないが、頼もしさも改めて感じる。
ヨーマイテスは側に居らず、この島の様子を見に出かけてまだ戻らない。そろそろ、人々がいなくなる第二弾と思うが・・・ここも人が残っていると気づいたヨーマイテスは、結構な人数に怪訝そうだった。
「残った人々は、何が何だか分からないだろう。彼の言葉をちゃんと聞くと良いが」
獅子が恐れられてしまうと話も聞かなさそうだが、安全な場所へ移動することを教えてもらうだけでも違うはず。波打ち際で一人佇むシャンガマックは、沖の向こうに出現した大きな鳥籠のような古代檻に目をやった。
「これで・・・残りの魔物や、サブパメントゥをまた捕えただろう。ファニバスクワンが率先して、自分の絵を使うように言ってくれたから、戦う場面が少ないな。ヨーマイテスが言うように、ティヤー決戦の前半は『人間を逃がすためだけにある』感じだ。とは言え」
もちろん、犠牲者は出ていた。
初日はハイザンジェルにいて知らなかったシャンガマックだが、地上に出た先ほど、島々の状態を見て居た堪れない思いを抱いたのは、どの国で決戦が起きた時とも変わらない。
人々の死体がなかったが、魔物の死骸が転がり、倒壊家屋や破壊された町や村、壊れた船や道、汚れた地面の状態に傷の跡を思う。
古代檻を出す自分は、今回も戦いの場に参加できないけれど。
シャンガマックは小さく息を吸い込み、腰に下げた剣の柄頭に手を乗せ、午前も終わる空を見上げる。
「後半は、何と戦うんだか」
人々が世界から居なくなる時間――― 自分たちと、僅かな魔物と僅かな残党のサブパメントゥ、放置された知恵の愚物、巻き込まれている死霊と、そして。
「ヨーマイテス曰く。『念』が入った者たちを、片付ける時間なのかもな」
決戦の意味が段々変わりゆく流れを、褐色の騎士は考える。身動き利かない役目上、他の仲間のように戦う率は低いため、せっかく剣を持ち戻ったにせよ、考える時間だけはあるなと皮肉に思った。
そう思うのはシャンガマックだけで、ダルナの予言と獅子の心配は当たり、彼に剣を頼らせる事態は、もう少し後。
*****
シャンガマックが発動させた檻・・・本島近く。
「僕が一人で」
ミレイオに先に帰っててと頼んだシュンディーンは、親から来た指示に従い、急に出て来た『精霊が使う檻』の中を掃除に掛かる。捕らわれた者は、人間か禁じられた知恵の産物(※動力)だと聞いているので、それをシュンディーンが。
「殺すんだな。結局、殺すのと変わらない」
精霊の檻に掛かった者を見つけたら、シュンディーンは水を引き込む。
光の壁に守られた大きな鳥籠のような檻の中に、海の水がどんどん満ち、上がる水位と逆に鳥籠の天辺が下がり始める。高くまで水を引き込む必要なく、十数mほどで檻が満水になると、今度は水が引く。
水を檻に引き込むだけ、だけれど。やっていることは。
「僕が呼ばれた時、ミレイオはすぐに察したみたいだった。心配そうな顔をして『あんたは大丈夫かしら』って。ミレイオ、僕はあんまり。でもやらないといけない」
精霊らしく―― 血を流すのではない、命の奪い方。
満水になるまで、時間は掛からないことと、檻の数がティヤーではあまり多くないことが、若干の救いか。だとしても一度満水にしたら、それはもう、そういうこと。
親が言うには、捕まえたサブパメントゥは、光に当たった時点で消滅するし、魔物も精霊の光に耐えられないので、人間と道具だけの始末。親はシャンガマックたちを預かっているから、片付けに一役買ったのかもしれないけれど。
「どうして、僕にやらせるんだ」
苦しい気持ちを懸命に堪えて、精霊の子シュンディーンは、檻を水に満たし続ける。
*****
獅子はこの島に人間が固まって残っている理由が分からなかったが・・・もしシャンガマックの現在地が島の裏手であったら、シャンガマックは気づいたこと―――
「・・・ってことだ。もうじき、避難させられる。せいぜい生き延びろ」
軽く説明を終えた獅子が立ち去り、不安で見送る人々は、獅子が消えてから顔を見合わせ『精霊の?』とひそひそ話し合う。
「今の動物(※獅子)。あれは悪者ではないんだよね?」
「口は悪いけど、話した内容は信じても良さそうだ」
何者だったんだろう?と、正体素性を一切明かさなかった喋る動物(※獅子)の出現に戸惑いは消えないが、攻撃されたわけでもなく、また、何が起きてこれからどうなるかを聞かされた人たちは、信じない理由もないので信じた。
一人の老人が、青から黄色へ変わる最中の稲穂に目を向ける。
「サーンの刈り入れまでに、戻って来れると良いけれど」
「何を暢気なことを言ってるの。さっき、あの動物(※獅子)が助けてくれたから、化け物人形に殺されなかったのに」
危ないから勝手に外へ出ないでと、中年女性が老人に注意する。自分たちは戦える術がないし・・・他を見に行くことも、出来なくなった。牛もいない、馬もいない、移動が出来ない。
サーン農家のあるアピャーランシザー島。
以前、ドルドレンが使った精霊の水に清められた穀物を、最初に食べた農家の人たちは、祝福を受けた状態で世界に残っていた。彼らは自らドルドレン一行に頼み、救われ、精霊への信仰を戻した人たち(※2665話参照)。
―――少ないサーン農家で、あの時、被害を清めてもらったのは七軒。
この七軒の農家は家族ごと残ったため、近所付き合いの範囲で消えた人々がいない状態から、外の様子が分かっていなかった。数日前から急に家畜がいなくなり、魔物にやられたのかと騒いでいたのだが、地震が酷くなった後に嵐・魔物と続き、港近くへ若い人が出て行ったきり・・・ その親や年寄りは家で待ち、朝を迎えた。
嵐が引いた具合に、稲穂が心配だった老人は外へ出て、様子を調べていたところ、奇妙な大型人形がどこからか現れ、その口の奥に別の集落の知人が中に入っていた。悲鳴を上げた畦道。
逃げようとして走れず、倒れかけたところに大きな動物が不意に現れ、大型の人形を黒い塵に変えてしまった――― のが、さっき。
老人は、動物にも消えた人形にも悲鳴を上げたため、他の人が出て来た。動物は彼らを振り向き、『呑気なやつらだ』と呟くなり、今、何が起きているのかを伝えていなくなったのだ。
「連れて行かれる。守られるのよね」
中年女性二人は、不安の視線を交わす。まさかここ以外の人たちが、全くいなくなっているなんて。
自分たちが残った理由を、あの動物は『大方、精霊か別の種族の認めでも受けていたんだろう』と言ったが・・・思い当たるのは最近の出来事、清められた土と水だけで、あれがそうだったのかと。
「みんな、戻ってくるのかな」
タンクラッドたちを家に呼んだ農家、シーワーヤンガポーンが呟く。一軒に身を寄せ合う、残された自分たちもどこかへ運ばれるけれど、また戻される話。その時、先に消えたらしき人たちも戻るのだろうか。
隣農家の初老の男性が、額を掻いて溜息を落とし、救われる印象が薄いことを誰もが同感した。
「魔物がいない場所ならどこでも良い、って思ったけれど。そうでもない」
アピャーランシザー島の一画と同じように、数人~数十人、百人そこらのまとまりで一ヶ所に残る民は、自分たち以外の外の状況を知る機会がないまま、時間が過ぎてゆく―――
*****
人々の声。
狼狽え、困惑する心。誰が残っているのか、探している人たちの声が届く。
ちゃぷっと水を打って水面に出た混合種は空を見て、陸を見て、海岸の奥に立つ白い建物にしばらく視線を固定してから、そちらへ泳いだ。
白い建物も、それがある通りも港も、全てがめちゃくちゃに壊れている。高波と嵐で磯も浜も汚れ、島から流れる川の出口も、魔物や廃材が積み上がっているのだが、普段ならたかる、虫すら一匹としていない。
アティットピンリーは、自分に名を付けた男を呼び出す。目の前の島を外側から見つめて、この島にある祠へ行くよう伝え・・・少しして祠の前にサネーティが来た。
海に居ながらアティットピンリーが彼に用事を話す。祠は離れていても、その前に立ちさえすれば相手と会話が可能。呼び出されたサネーティは祠の扉をちょっと開けた状態で、石像の光る目に頷き続けた。
「じゃ。私たちは、あなたの迎えが来るまで」
『動く必要がない』
「その、癒しの場所(※治癒場)へ行って・・・いつか出てくると仰いましたが、出て来た時はどんな状況か、分からないのですね?」
『私はここまで』
混合種の精霊は自分の役目だけを教えてやり、知らないことは答えない。分かりました、とサネーティが頷くと、石像は違うことで質問をした。
『ンウィーサネーティ。傷を負ったか』
「え?あれからですか?いいえ。宿の回りの魔物を退治して、あの時だけで」
―――少し前に、サネーティは剣を抜いて魔物を切り付けた。
海沿いに出た大きな魔物相手、他にも戦う者はいたのだが、切った側から体液のようなものを噴出され、それが異常な腐敗臭と溶解熱を持ち、サネーティ含め側にいた男数人が火傷を負った。
どうにか倒した後で宿へ戻り、傷薬を使ったサネーティは手当てして間もなく、通り向こうの祠に呼ばれて、痛みを堪えながら移動。痛みの半身を引きずるように来たサネーティに、アティットピンリーは清めの水をかけて治した―――
「あの水は、あなたに言われたとおり、他の人間にも使いました。彼らも治りましたよ」
精霊が気にしてくれる優しさに、サネーティは少し笑って『私はまた戦えます』と自分の腕をパチンと叩く。が、石像は意外な一言を返した。戦えとは言わず。
『お前は、外にいたいか。中で待ちたいか』
「・・・中?外にいたいか?え?」
何のことだと急いで考える呪術師に、石像の目は光を増した。
目を細めるサネーティに、光の向こうのアティットピンリーが見える。石像越しに見える彼女は『お前が恐れないのであれば、連れてやっても良い』と伝えた。意味が分からないことを急に言われ、サネーティは即答できないが、直感はあった。
「私を、特別扱いすると言ってるんですか?」
ぞわっとした感覚は怖れではなく、格上げの喜び―― サネーティの確認に、光の向こうのアティットピンリーは少し頷いたように見えた。
「わ。私が。あなたと。この動乱の中で、一緒に。本当ですか」
声が上ずる。思わず言葉を噛む。サネーティは小さな祠の前に両手両膝をついて屈みこみ、石像に近づく。
『嘘を言わない』
「もちろんですよ!もちろん、信じてます!アティットピンリー、私を連れて行ってくれるなら、私は怖れません。一度宿に戻り、サッツァークワンたちに挨拶はしないといけませんが」
『移動先まで来ると良い。そこから』
癒しの場(※治癒場)まで行き、それから同行すると精霊は教え、サネーティは頭を下げて『よろしくお願いします』と同行の誘いを受けた。
何故に自分を連れて行ってくれるのか。どこへ、ではなく、どこへでも。人間の社会を離れ、世界中の人間が地面から影を消す時に、自分はアティットピンリーの側で海にいるなんて。
「私がっ。私が、あなたの側で見聞きする全て!いつか戻る民に、語り継ぎます!ウィハニの女に選んでもらった一人の人間が、世界に起きる変化を、誤解なく誠実に」
『そうするように』
口を衝いた勢いの約束。昂る心が叫ばせた想い途中、精霊は遮って認め、石像の目の光は消える。
サネーティは武者震いし、立ち上がって、祠の扉を閉じて頭を下げ、海の方へ向き直って微笑んでから、そこを離れた。
アティットピンリーに何故選ばれたのか、その理由は気付かない。信仰心の厚いサネーティらしいけれど、そこは、『男として』気づいても良かったところ、とは。
お読み頂き有難うございます。




