2843. 幻の大陸 ~⑤置き去りと動物たちの保護・各地の人々・『移動と残留』について・開かれし門
―――『この先、どうすればいいんですか。一人では生きていけない』
ポツンと取り残された人に聞かれた、その質問の正解は・・・ 治癒場へ集められる、ではない。治癒場から出た以降を思うと、ルオロフは何と言って良いか分からなかった。
前に建物の裏からのそりと揺れた人型動力に走り、ルオロフはそれを真っ二つに切り裂く。
取り込まれた人が入っていた動力は、感情を表すような顔を向けたが、横半分に胸から落ちて倒れて終わる。何度見ても嫌な光景だが、今は、どっちがマシなのかと過ってしまう。
「残された人々は、自力で生きていける術があるのだろうか?精霊はそこまで用意しているだろうか」
片手の宝剣を鞘に戻すことなく、握りしめたまま呟く怖れ。
治癒場へ匿われている間は良いにしても、それ以降が問題ではないか。魔物やサブパメントゥがいるのも勿論危険だが、それらがないにしても生き抜くこと自体が難しくなる。
アイエラダハッドの魔物が終わった時も、アズタータルの町で人がいないために水が大変だった(※2426話参照)。アイエラダハッド中が、そうだったはず。
家畜の残りは僅か。他の動物・・・陸の生き物を始め、魚も鳥も虫もいない世界で。植物は大きな消失を見ていないから野菜などは無事かもしれないが、人の食べるものが、まずはない。
ティヤーは井戸のある島が殆どで水は無事だとしても、これだけ地震が連続して起きていると、土が混じって井戸が使えない場所も出てくるだろう。
私がロゼールと対応したピンレーレーの山奥は、増水した川が土を巻き込んで酷い状態になった(※2618話参照)。あんな状況が、この嵐によって引き起こされた地域も多いとしたら、井戸も河川も飲み水に使えない。
食料。飲料水。当然、し尿の管理も問題がある。衛生状態が著しく悪くなった現状、残った人たちは頼れる誰かが全くいないまま、どう生きるのか。
島に一人だけ残された、などもあるのだ。一人きりで孤独に耐えるのがどれほど危険か。理由も分からず・・・・・
「もしかすると、イーアンとイングが食べ物や水の解決、住居環境を整えてくれるのかもしれない。それはあるか、でも。だとしても、孤独はどうにもならない。孤独は命を奪う」
私は耐えられたが、いきなり全てを奪われた人が耐えられるだろうか―――
環境回復はダルナの魔法があることを思い出したルオロフだが、直に人々の声と状態を知った心配は止まない。決戦が終わったら、人々の数を調べると言ったタンクラッドに話してみようと思った。
ルオロフは大きく息を吐き出し、止まない雨に打たれて垂れてくる赤毛をかき上げ、切った動力を後にした。
人の消えた町で、飼い犬だった犬の影、飼い猫だったと思しき猫の蹲る姿を見ては、ルオロフは話しかけ、彼らの行く先を教えてやる。彼らが主人を待つと答えても・・・ここではお前たちの食べるものもなく死んでしまうぞと優しく教えると、犬も猫も、時には家畜も、ルオロフに生きる方を伝えた。
ルオロフの剣が地面に突き立てられ、ザッと土を横に切る。雨が流れ込むことなく、ぱっくり開く地面の向こうに、穏やかな晴れ間を渡すヂクチホスの世界が続き、ルオロフは彼らを送り出した。
こんなどこでも出てくるものかと、最初こそ驚いたが―― これは、ヂクチホスが『人が連れて行かれた後に』と教えてくれた技。
ヂクチホスも、ルオロフに任せきりではなく、こうして集めると話していた。だからルオロフが神様の手伝い状態で、迷える動物たちを導くため、今だけ使える一時的な効力かも知れない。
ここに、人間は呼ばれない。あくまでも、人間以外の動物のため。
送り出した動物がヂクチホスの世界に消えたら、剣でまた地面を切って閉じる。ルオロフに出来る細やかな助けと手伝いは、主を失った気の毒な動物たちにのみ働く。
*****
サッツァークワンは、北上中の旅路にあり、側にはサネーティがいた。親のリーパイトゥーンもいる。だが共にこれまで旅してきた友人たちは、消えてしまった。その理由を、サネーティが精霊アティットピンリーに教えてもらわなかったら、混乱していただろう。
嵐が来ると聞いた数日前から、地震も心配で出港を遅らせ、宿泊予定日を延ばした。一週間の様子見ではあったが、サネーティは毎日『いつどうなるやら』と神経を尖らせ、窓を見ては落ち着きなく、宿内をうろうろしていた。
親は何か察していたように、長期滞在の食料を買い込み、井戸がやられた時のためにと目の詰まった高い笊と丈夫な網まで買い込んで、水を濾す準備まで整えていたが、まさか本当に必要になるとは。
親は海賊だった時代に、船の上で身動き取れないどうしようもない時、小便を濾して飲んだと話し、それに比べたら泥を濾す方がマシだと言うが。
「サッツァークワン。寝ていないのか。暗くて分かりにくいが、もう夜が明けるぞ」
人のいなくなった宿に取り残されたのは、自分たち三人。一階の食堂脇にある長椅子に座って、窓の外を見ていたら、サネーティが部屋から出て来た。
「サネーティも寝ていないんじゃないのか。少し、休んでくれ。あなたはいつも私たちに気遣って」
「そんなの問題ない。呪術師なんて徹夜はしょっちゅうだ。足があると言ったって、サッツァークワンが剣で戦ったことはないし、リーパイトゥーンは年だ。無理させられないだろう。俺が」
言いかけて欠伸をし、サッツァークワンは気の良い海賊に微笑んで、彼の腕を掴み少し引いた。横に座らせて、窓を叩く大雨を背に二人の男は暫し沈黙。
「どうなるのかな」
呟いたサッツァークワンは、何回この言葉を口にしたか分からない。
「どうなっても、龍と一緒だ」
返すサネーティも、同じ返答でもう一回欠伸をした。長椅子の横の棚に、開けていない酒瓶が幾つか倒れている。地震で転がって割れた瓶は片付け、割れていないものは横倒しにして手前に板を渡した。
今は、酒なんか飲めない。喉が渇いて脱水を招くアホなことはできないと、サネーティは瓶を横目に、呑みたそうな表情で、正論を呟き、棚を見たサッツァークワンは『落ち着いたら好きなだけ飲めばいい』と慰める。
「これも全て、歌になるな」
サネーティは、少しずつ黒さが取れて行く嵐の外に視線を移し、海賊の新しく加わる歌を想像した。
どこかで、イーアンたちが戦っている。どこかでアネィヨーハンが波を分けている。
きっと。また。 いずれ、海の上に青空が広がり、波が楽し気に揺れ、船が行き交うティヤーに戻る日が来るだろう。
その時、新しい海賊の歌を彼女に聴かせてやりたいと、土砂降りの音に思った。
*****
イーアンたちがティヤーで出会った人々で、置いて行かれた人たちは少なくない。
イーアンが懸念したように、出あう運命に紡がれて祝福を得たとも言えるが、本人たちが自覚しているかと言うと、それも曖昧だった。
ついこの前、動物型動力に襲われた夫婦も残され、龍に治された体のことなど思いつかず、なぜ自分たちしかいないのか?と恐れたし、祝福を直接受けたわけでもないアピャーランシザー島の農家もまた、精霊の水で土を清められた穀物を、真っ先に口にしたことで、祝福と同じ効果を得ていたなど。
ハクラマン・タニーラニは、イーアンに直に聞いたことで、やはり、と・・・誰もいなくなった島を見渡す。
同じように、アマウィコロィア・チョリア島の警備隊オンタスナも、話を教えてもらったことで、一人きりの状況を理解した。
他にもいるが、ティヤーに限らず世界中に起きたこと。
イーアンはすっかり忘れていたが、ヨライデにもいる『レムネアク』も残った。アイエラダハッドも残された人々の条件は同じであり、理解している人とそうでもない人に分かれる。
ゴルダーズ公は精霊から許されて回復したので(※2404話参照)彼もまた残された。イーアンが全体的に龍気を回したカビシリリトの町(※2261話参照)、精霊に選ばれた占い師イジャックと庭師リチアリ(※2349話参照)、龍以外にも祝福と判別される状態を受けた存在は、皆、世界に残る。
・・・決戦時、アイエラダハッド治癒場に行った人々はその範囲かと言うと、これが少し違う。
そして、テイワグナ・ハイザンジェルの治癒場で、体を回復した人々も範囲内ではない。祝福とは違う『設置された特別な回復場所』が治癒場だから。
治癒場と同様で、ヂクチホスが可能性を示し(※2686話参照)、ルオロフとイーアンたちが祈るように告知した出来事も、実のところは・・・寂しい話だが、イーアンが途中で気づいたように『直接顔を見て祝福していない(※2753話参照)』ことから、残るに至らなかった。
そもそも、淘汰が否定的に捉えられた発言と発想によるもので、精霊・龍・妖精の返答諸々、十二の司りとの距離が縮まったのは確かだが、『世界に残るか』と言えば、それが果たして良いかどうか誰も知らない。
ヂクチホスも全能ではない。ルオロフに尋ねられ『契を』と方法を教えてやったのは、可能性である。
淘汰を示す真実が、消滅か移動か、ヂクチホスにすら見えていなかったこと。
近かった解釈はニヌルタの『この世界から、人間を追い出しておく(※2696話参照)』。
ただ、人々は異世界へ旅立ったが地上の全員ではなく、祝福の守りを授けられた人々は、世界に残って世界の動乱を見届ける荷を負う。こうなることまで、ニヌルタも知らなかった。
こうして。
各国に点々と人々が残った夜明け。テイワグナではほとんどの人間がそのままで、彼らだけは意気込んでいるものの・・・ 他国では新たな一区切りの暗さに、人々は恐れを抱く。
*****
白い筒を片づけた男龍たちが、龍と共に引き上げ、その後。
アスクンス・タイネレの『念』を出す場所にいた、イーアン、エサイ、ラファルは、奇岩に彫られた不思議な彫刻柱の脇から現れたザハージャングに驚いたが、引きずられるような横滑りで到着した双頭の龍の状態に『強制執行された』と理解する。
ザハージャングは引力に抵抗しようとして敵わず、『念』が放出され続ける、三本柱の中心に入って急に止まった。奇獣が柱の内側に納まるや、『念』も出なくなる。
「これ、『門』を」
「まさに『門番』ですよ。そういうことなのでしょう」
巨大な柱の中心は、ザハージャングが入っても余裕がある。二つの体に持つ八本の手足を広げても、柱と奇獣の間に隙間はあり・・・人々がこれをどう抜けるかと想像するイーアンたちは、ザハージャングの足の間を潜るのだろうかと眉根を寄せた。
「このすごい形のが、ザハージャングっていうのか。動かないな」
門の前に到着して人の姿に変わったラファルの感想に、イーアンは『動けないのですよ』と答える。
「ね、イーアン。違う世界への門を開くって、どうするんだろうな」
反対側に立つエサイに聞かれ、イーアン唸る。知らないですよと呟き・・・そう、門らしい門ではないし、ザハージャングが来たから『合っていた』と分かったけれど、周囲に特に分かりやすい風景もない。
もっとポータルみたいに、光を放っているとか時空が揺れているとか、空中に穴が開いているとか、そうしたのを考えていただけに、奇岩の彫刻群だけのこの場所で、自分たちが何をどうするのか思い当たるわけもなかった。
どうするんだろうねと太い腕を組んで首を傾げるエサイの横、イーアンも悩む。ラファルは考えているようだが、彼も発言なし。
とにかく、トゥにぶっ叩かれて落とされたザハージャングは門番決定であるから、あとは『馬車の民と大勢の人たちを待つ』しかすることもない三人。
そうして・・・どれくらいか。悩み考えている時間だけに、長くは感じなかった。
どこからか音楽が聞こえ、最初に気づいたのはエサイ。聞こえた方に狼の耳が傾き、続いて顔を向ける。どうしたの?とイーアンもつられてそちらを見てすぐ、音と歌にハッとした。ラファルは胸の前で組んだ腕に頬杖をついた姿勢で『来たんじゃないか』と呟く。
「来ました。私、迎えに」
「え。ここにいた方が良いんじゃない」
「でも、間近まで来たら吸い込まれてしまうかもしれないでしょ?そしたら粘土板の説明もう一回してあげる時間もないし」
女龍らしい心配にラファルがちょっと笑って頷き『それもそうだな』と賛成したが、イーアンが急いで6翼を広げたことが、別の効果に繋がった。
「(エ)あ!イーアン」
「(イ)ええ?何で?!」
「(ラ)龍が合図なのか」
ラファルの言葉にイーアンは『またか!』と目を瞑る。私が何かしたらそれが合図・・・!
時間が欲しかったのに逆の行為を取った自分を悔しく思うも、三人の横の空中に広がる大きな輪から、馬車の民と彼らの連れる民が現れた。
そして女龍の背後、三本柱からも空を分ける大きな光の線が走り、それは幅を増して・・・気づけば両開きの巨大な扉が、揺れ動く陽炎の奥へ開かれていた。
お読み頂き有難うございます。
近い内にお休みを頂こうと思います。日にちが決まったら、こちらでご連絡します。
いつもいらして下さる皆さんに、心から感謝して。




