2832. 面師の予知夢・ニーファと獅子の接触・ティヤー『呪いの地』『檻』代行、獅子の想い
☆前回までの流れ
決戦が始まり各地が混乱する中、時空に亀裂が入る現象も起きました。イーアンはすぐに対処したけれど、過去の体験からセンダラに頼ることにし、白い筒発生は男龍に知らせに行きました。馬車の民も、この日に出発。ティヤーから皆を連れて移動した精霊ポルトカリフティグは、ハイザンジェルへ。
今回は、テイワグナ・カロッカンの工房から始まります。
『男女の別がない人?』ニーファは、回復したてのバサンダから夢の内容を聞き終わると同時、怪訝そうに繰り返した(※2827話参照)。バサンダは頷く。
「顔だけでは、どちらとも言えません。声も覚えていますが、男でも女でも通じる。私が見ていて思ったのはそれくらいですが、十二の司りの質問に答えた本人がそう言ったし(※2827話参照)」
「そんな人もいるのか・・・いないとは思わないけれど。でも、バサンダ。その、ええとティヤー人?ですよね?」
「はい。特徴がありましたから」
「男女どちらでもないその誰かを、どう探すんですか。そりゃシャンガマックやイーアンたちに協力を仰ぐにせよ、大混乱の状況下で探すなんて。ティヤーは島が多いのに」
倒れた後、介抱された客間で目覚めた面師が、何より先に話した夢――― 『十二の面を渡す相手を夢で見た』とバサンダは言い、ニーファは内容に首を傾げるばかりだった。
これが予知夢なら、誰に渡すべきかを告げてもらえたのは助かるけれど・・・ どうやって探すんです?と頭を掻いたニーファに聞かれ、バサンダも『それは分かりませんが』としか答えようがない。
夢の話は終わったこの後、『倒れたんだから』とニーファが止めたため、バサンダは気になりながらも本日の作業中止。休む時間はないと何度も頼んだが、ニーファは頑として頷かなかった。
命が消えるのも厭わずにのめり込んだツケと、バサンダは諦めるよりなく、渋々従い・・・ 久しぶりに仮眠ではない睡眠時間を受け取り、気になって寝付けないものの、どうにか次の朝を迎えた。
朝方までニーファが見張る具合で工房に泊まったため、ニーファはバサンダより早く寝床を出て、朝食を用意する。
見張っていたからバサンダは無理せず大人しかった。でもそんなものは、焼け石に水。
今日からまた彼は没頭し、仕上がるまでは籠り切りで休憩など碌に取らないだろうと、それくらい分かっている。せめて朝食は多く食べさせようと、ニーファは少し時間をかけて普段よりも多く作っていた。
工房の台所に差し込む朝陽は細く、中庭の木々の影も濃い時間。煮物と炊き込みの二品を作り終え、もう一品くらい作る時間があると思ったニーファは、中庭を抜けて、坂途中の親戚に卵を貰いに出かけた。
最近、動物が消えてしまったが、家畜はちらほら残っている。鶏が卵を産んでくれるので、親戚も助かっているが、二つくらい分けてもらえるだろうか。そんな心配をしつつ、建物の影を抜ける手前で。
「あっ!」
足がすくむ一瞬、何もなかった影から、ぬっと出た大きな動物に『叫ぶなよ』と言われて凝視したまま頷く。
碧の目を向けた大きな獅子は口の脇に、これまた小さく見える水筒の紐を引っ掛けており、ニーファはそれが『精霊の水』と気づいた。いつもシャンガマックが持ってきてくれる、あの水筒・・・・・
シャンガマックが襲われたのかと勘違いしかけて慄いた顔に、獅子は面倒そうな半目を向けて、口を少し開き、紐を引っ掛けた牙を傾けて水筒を地面に落とした。
「バニザットは用事だ。これをバサンダに渡せ」
「は。は、はい。あの、え?シャンガマックは」
「用事だと言ったぞ。聞こえてるのか」
「きこ、聞こえ」
恐怖で答えられないニーファに、鬣を揺らした獅子が背中を向ける。工房の壁を染める濃い影に足がするッと入った獅子は、びっくりしている小柄な人間に『二日後にまた来る』と言い残して全身を影に溶かし、消えた。
卵を貰いに行こうと思って外へ出ただけのニーファは、それもすっかり忘れて息も荒く水筒を拾い上げ、急いで台所に戻る。
「い、今の。あの動物、影に入ってしまった!何かの霊?シャンガマックの仲間?本当?」
カチカチ鳴る歯を震わせながら台所に駆け込み、落ち着こうと頑張る。
汗が浮いた顔を何度も手で拭いて、ああ怖かった!とか、シャンガマックは無事だろうか?(※用事信じてない)とか、壁に寄りかかって縮こまり、水筒を腕に抱えたニーファが声に出して心配していたところへ、バサンダが来た。
「ニーファ?」
「あ!バサンダ!起きたのですね、今、あの、さっき」
何かに怯えた調子のニーファに驚き、バサンダは『大丈夫か』と側へ行く。ニーファが持っている水筒に目を留め、その視線でニーファも何があったかを話した。怖がりながら懸命に説明する、大きな獅子との会話・・・ バサンダは水筒をそっと彼の手から引き取り、ゆっくり頷く。
「それは。シャンガマックのお父さんです」
えええ?!と悲鳴のような声で驚いたニーファに、大丈夫ですと落ち着かせ、バサンダはお父さんが来たのかと少し考え、この展開を感じ取る。予知夢を見た翌日、いつも来ていたシャンガマックの代わりに、彼の父親が来た・・・ 水筒を届けに。
「ニーファ、お父さんは」
「お父さんって!動物ですよ!ただの動物じゃなく、喋って影に溶けて!」
「落ち着いて。そういう種族です。シャンガマックは人間ですが、お父さんは別種族で、とても聡明だから怖がることはありません。それで、彼は二日後に来ると言ったのですね?」
友達の背中を撫でながら話しかけ、まだ混乱しているニーファを宥めて尋ねると、ニーファは何度も頷いて『明後日も来るなんて!』と怯える。
「分かりました。明後日は私が迎えます。これは何かの機会ですよ、ニーファ。今日明日は作業しますが、明後日はお父さんを私が迎えるので、ニーファは親戚の家にいて下さい」
こう話すと、ニーファはピタッと止まって『機会』と繰り返した。
「私が夢を見た翌日に、いつもと違うことが起きた。シャンガマック、イーアンなら、通常の範囲でも、これまで来たことのないお父さんが現れた。これは『お父さんに予知夢を話すべき』と思いませんか」
確信するように―― 初老の面師は、力強く言い切る。
ポカンとしたニーファは腕を支えられて立ち、『朝食にしましょう』と促されて、ようやく我に返った。卵がないですと言いながら、遅れてしまった朝食の支度を進め、バサンダと一緒に食べ始める。
ニーファは食事中、ずっと『お父さん』の怖さを話していたが、苦笑しながら相槌を打つバサンダは、『男女の別がない誰か』をお父さんに託す流れのような気がしてならなかった。
*****
カロッカンの山の次は、『檻』と『呪い巡り』でティヤーへ獅子は急ぐ(※2828話参照)。
息子がやりかけの仕事を引き受けて良いか、ファニバスクワンには交渉してある。事情を聴いたファニバスクワンは、納得していなさそうだったが許可を出した。
あくまでもシャンガマックに言いつけたこと、と精霊は釘を刺したが。
そのシャンガマックが、決戦で一人になった時に丸腰では不利だと、剣を取りに行かせた親ヨーマイテスの気持ちは汲んだ。
―――ここで、大精霊ファニバスクワンの心境はどうだったかを、少し説明。
ファニバスクワンは二人と過ごした期間で、この親の過保護を見飽きるくらい見た。
アイエラダハッド戦は、ファニバスクワンが様子を見て参戦させたため、二人は離れずに済んだが、一つ前のテイワグナ戦でシャンガマックが攫われ、エライ目に遭った。これを恐れた獅子に、『決戦はもう始まる。息子に武器を取りに行かせている間、仕事は俺がやるから許可しろ(※命令調のお願い)』と頼まれ、まー仕方ないかと首肯した。
ヨーマイテスが調べたら、あっという間に終わる・・・・・
この先、世界は混雑する。忙しなくなる前に確認しておこうと、出したお題の『檻』と『呪い地の調査』である。
だから、獅子が肩代わりして早く済ませても、別段悪くはないが、シャンガマックに知識と情報を与える機会も考えての『拘束期間と引き換え業務』なので、決戦に入っても続行を考えていた大精霊は、シャンガマックが戻ったら代わるよう、ヨーマイテスに言いつけた―――
代行のヨーマイテスは、狭間空間を使用しながらティヤー各地へ向かう。
戦いが始まって息子の気が散るような仕事は、少しでも片付けておきたい。この狭間空間を使うことも、予め精霊に確認を取っておいた。ファニバスクワンは冷めた目で『お前一人が使うなら』と答えた。
少し前から狭間空間を使えるようにはなったが、漫然と行う危険は避けて、逐一、了承を得て動くようにしておけば、懸念も遠慮も要らない。
そうしてヨーマイテスは、息子が最後に調べるはずだったティヤーを、前日に千里眼で行先を調べた。
合わせた両手指を全方位にかざし、バニザットから夜な夜な聞いた『檻』と『呪いの地』の特徴・条件 に見合う地を探し、千里眼で見えた風景へ向かう。
「バニザットは故郷で、どれくらい日数を使うか分からん・・・フェルルフィヨバルに任せたが、あれも指導する質のダルナ。目を離すことはないだろうが、バニザットの甘えを鍛えるために、時間をかけてやるのも考えられる」
あのダルナが、最初に会った日『知恵のダルナ』と自己紹介したことを理解する。
知恵は授けるだけではなく、育てるもの。ダルナは無責任ではなく、従う相手バニザットを成長させるため、彼が自分で掴めるように距離を取って付き合って来た。
「信用してやっても良いやつだ。バニザットの事情を理解して付き添う。剣の再入手に日がかかるとしても、手を出さずに根気強く待つだろう・・・バニザットには、あの剣が適当だ」
別の剣ではなく、彼が手放した剣をヨーマイテスは指名した。理由は息子に言わなかったが、息子も理由を聞きたがらなかった。
「心を鍛えろ、バニザット。お前がミレイオを切って手放し、呪われた剣と呼んだそれは、お前の呵責の一部だと気づくんだ」
何でも真面目に捉える息子に、これも機会と思う獅子。
世界はどんどん加速して、個人の成長など待ってくれない。ちょっとした機会でも、身を鍛え、知性を磨き、知識を蓄え、心を逞しくするのは、全部自分に掛かっている。
獅子は走る足を止め、魔物を倒す。今回は決戦前ギリギリで息子を送り出したため、テイワグナで使用した『どんぐりを使って』と言い出されずに済み・・・つまり、どこの人里も魔物予防の処置はない。
土砂降りと暴風に難儀し、戦い、死んでゆく人間たちを通りすがりで見かけると、獅子は魔物をサッと倒してそこを離れた。
『檻』は人里の近辺にないものだが、『呪いの地』はそうでもない。島で構成するティヤーにおいて、『呪いの地』は人間を罠にかける如く、遠からず近からずの距離にある。
「頑張れよ、バニザット。お前が安心して自分を超えられるよう、俺が仕事を減らしておいてやる」
何に記録するわけでもない獅子の調査は、シャンガマックが記帳していた時間などもすっ飛ばし、目視確認の連続で次へ次へと進んでゆく。
現地の特徴の全てを記憶に刻みつける金茶色の獅子は、現場で魔物を倒す際に足を止める以外は、延々と走り続けた。
・・・警戒したことと言えば、妙な体感を伴う異常な揺れと波動を一度、午前に感じたことくらい。
獅子が狭間空間に入る直前だったので、ほんの一掠めの出来事だった。決戦が始まったのだから、おかしな現象が起きたんだなと、それで済ませた。
そうして――― 獅子はティヤーの『檻』の種類と場所、あの精霊絡みの『呪いの地』を、決戦序盤のこの日、ほとんど押さえるに至る。
シャンガマックとヨーマイテスは、経験が雲泥の差。
ファニバスクワンが『獅子ならすぐ終わるだろう』と思ったのは正しく、要領の良さや、必要な範囲を見定める経験値、豊富な知識を持ち、移動手段も邪魔がない特殊な空間を使う獅子にとって、調査は無駄な時間を一切かけずに済んだ。
「意外と少なかったな」
夜に差し掛かる見分けも付かないほどの雨の中。7ヶ所目の呪いの地、その島の崖上で、獅子は岩を刳り貫かれた祠に呟いて・・・ 岩の内側を怪しい赤に染めた光に、去りかける足を止めた。
「地霊か?」
『寄るな。来るな。踏み入るな。なぜここへ来た。傲慢な。禁を破ったお前を取るぞ』
豪雨に滲む脅しに、振り向いた姿勢のヨーマイテスはじっと動かず、濁った光が黒い祠を伝って、小さい扉を開く様子を眺める。
「俺より強いならいざ知らず」
異時空の扉が開く。両開きの扉が広がった側から、土砂降りの雨をものともせず溢れ出した砂。鼻で笑った獅子の全身を覆う刺青が光る。襲い掛かる大量の砂を瞬き一つせず迎えた獅子を、砂が呑んだ。
お読み頂き有難うございます。




