2831. 時空亀裂の怖れ・太陽の手綱出発・ハイザンジェル太陽の民合流
※明日の投稿をお休みします。どうぞ宜しくお願いします。いつも来て下さる皆さんに、心から感謝して。
飲まれた―――――
雨も風も波も、そして遠い島影も、べしょっと横に線を引くように潰れ、歪んだ色彩が覆い隠した。驚愕で凝視するも、女龍は次の行動を考えるより早く飛んでいた。
行動は正しく、高速の女龍が色彩に突っ込むや、ぱりんと鳴った小さな音。
何か聞こえたと思うや否や。けたたましい破裂音に囲まれ、空中停止したイーアンはテイワグナの仮面の集落を重ねた(※1378話前後参照)。あれと等しい質らしく、突っ込んだ勢いとタイミングはああなる前に間に合ったようで、やかましい音と共に砕ける色の割れ口から、本来の風景が覗き出した。
「これは」
パン、パキン、パチン!バン、バリ!バリ、バキッ・・・ 四方八方から降ってくる音に紛れ、一度は閉ざされた風景がどんどん戻り始める。風と雨は大きく開いた亀裂を潜り、数分後には割れた穴も色彩も景色に馴染んで消えた。
「今のは?バサンダが閉じ込められていた、仮面の集落みたいな感じが」
現在地は、呪われるとかそんな印象のない海のど真ん中で、飲み込まれた広い規模に点々と見える島々は、かなりの距離がある。でも異時空が広がったのは確か・・・イーアンはゾクッとする。
「これはまずい。あの大陸の影響だと思うけど。ちょ、ちょっとどうしよう。今は多分、龍が触れたから、完全に覆われる手前で壊れたんだと思うけど。ええと、センダラ?センダラにこっちに来てもらった方が良いかしら」
動力も倒さないといけないが、それはイングと異界の精霊に事情を伝えてお願いするしか。センダラは私と一緒に動いてもらった方が良い。
完全に異時空に封じられたら、龍は入れない。そんなことをしたら、取り込まれた中身ごと粉砕しかねないのだ。目の前の光景は飲まれる前と変わらず、おかしなところはないから助かった、と分かるが。
「亀裂が出始めると、いつ誰が犠牲になってもおかしくない・・・ 」
イーアンとセンダラの組み合わせでさえ、下手をすると大惨事に繋がる。でも他の仲間に不可能な対処である以上、自分たちの最優先すべきが時空亀裂問題と考えた。だが、龍にしか扱えない難題も、目に映したばかり。
「白い筒は、龍族しか止められない。男龍に知らせておく方が先か」
同時に浮上した危険に呻くも、イーアンは一先ずイヌァエル・テレンへ飛んだ。
*****
自分たちを、先導者とでも思っているのか。
あの日、アタナは、兄のホラティにちょっと呆れてそう思った(※2755話参照)。いや、いつでも思っていたけれど。
そう言えなくもない。それも分かっていた。自分たち馬車の民は、太陽に愛された民族。十番目の家族としてティヤーを巡った自分たちが持つ歌は、他の『太陽の手綱』の持つ歌と一風変わっており、この世界から去るべき時とその予兆を示していた。
先導・・・ 馬車の民を嫌う人間もいるのに、彼らの前を進まないといけない。それは行列の先頭という、単純な解釈ではなく、嫌がる人々を連れ回さないといけない説得役のことだ。
「本当になってしまった」
溜息を吐いた60代後半のアタナは呟く。
今、聖地にあの橙色の大きな動物が現れ、その話の真っ最中。アタナは精霊の取り巻きの後ろの方で、兄のホラティは前列で聞いている。
大きな体の肉食獣を思わせる精霊は、その迫力とは逆の優しい喋り方で、地上に降りた太陽の化身の如き暖かな光を放ちながら、集まった全員に『任務』を言い渡す。
『私が付き添うのは、大陸まで』
「ポルトカリフティグに聞きます。世界にいる馬車の家族が、一緒になるのですか」
『そうなる。ここから出発し、各国を通過して、大陸へ』
「私たちが、あなたに導かれて他所の国の家族たちを引き連れる。そうですか?」
『そのとおりになる。テイワグナの馬車の家族が、危機を抜ける道具を渡す。受け取り、それぞれの後ろにつく民を』
「ポルトカリフティグ。私たちは伝説でしか知りません。道を知らないのに」
精霊のトラが質問に答え、馬車の家族が不安で次々に口を開くのを、ホラティは我慢強く見守る。ホラティの少し認知症の進んだ感覚では、青年時代から夢見ていた英雄譚の始まり。今こそ自分たちが、精霊の指先となって光の道を勇敢に進むのだ、と心は昂っていた。
文句を言うほどではないが、他の馬車の家族は皆、誰もが腰抜けに見える。恐ろしい目に遭ったかどうかなら、俺だってアタナだって死にかけたし殺されかけている。それでも、怖気づく心はこの体の内にない。
静かな精霊が、矢継ぎ早の不安に応じ続けること十数分で、我慢していたホラティは叫んだ。
「精霊ポルトカリフティグが送り出すんだ!覚悟を決め、今こそ伝説に馬車を出す時だと思わんか!新たな歌を、異界の道に響かせて進む時が来たんだ!腹を決めろ、太陽の手綱とはこの時のためについた呼び名!」
捲し立てて怒鳴った老人に、誰もが振り返り、離れたアタナは、とうとうやったかと目を瞑った。だがアタナが兄の代わりに謝ろうと一歩前に出た時、ポルトカリフティグが空を見上げ、降り注ぐ白熱の光に皆も上を見る。
「おお・・・ あれは」
ざわっとするも、続かない。聖地に降り注いだ、明るさと活力に満ちた光は少しずつ人の形を取り始め、精霊の緑色の瞳がそれを見つめながら話しかけた。
『来たのか。私は馬車の民を守る精霊ポルトカリフティグ。御名は何か』
『私は、太陽を司る。ポルトカリフティグには後で名乗ろう』
答えた相手の言葉を察し、トラは瞬きして受け入れる。白熱の人は輪郭に動く虹を纏い、眩し過ぎるほどの光に晒される馬車の民は、心の奥から力が漲るのを感じながら、これはまさにと唾を呑んだ。
「太陽」
『そう。太陽に愛されたお前たちを、私が見ている。見守られていることを信じなさい』
微妙な心境なのはポルトカリフティグだが(※自分が説得中だったのに)、割って入った太陽に馬車の民の顔は輝く。言葉を失った老人ホラティは眩しさに目を細め、目じりに涙を浮かべた。
はい、と誰かが呟く。眩さと暖かさに包まれる聖地で、最初の一人に続き、他の者も頷く。首肯と返事があちこちで繰り返され、何人かはポルトカリフティグを振り向き『行きます』と意を決して伝えた。
太陽の登場で、問答は終了したものの。複雑なポルトカリフティグは、とりあえず出発出来る状況に変わったため、太陽に礼を言い、太陽は『それでは後で』と帰って行った。
こうして――― ティヤーの馬車の民『太陽の手綱』が、聖地を出発。
それまで、告知も何も聞こえてこなかった聖地から出て、トラの後ろに馬車を進める彼らは、道なき道―― 海の上も、島も岩も ――をゆったりと進みながら、流れて行く風景に驚き続けた。
先頭を歩くポルトカリフティグに話しかけることはなかったが、この精霊が導く後ろをついて行くことが、どれほど安全かを改めて認識させられる。聖地に連れてこられた時も、誰もが思ったことだが、今ほど強く感じるのも。
津波に島が消え、陸の人々が魔物と戦いながら死に、魔物とは違う作り物の化け物が人間を飲み込み、空や広い範囲が急に灰色一色に染まり、嵐はそれを煽り続ける。
今が、ティヤーの魔物の終わり時だと、聞いたけれど。
そして自分たちは、世界中で逃がされる選別を受けた者を引き連れて旅する、とも聞いたのだが。
左右に流れて行く景色を見ていると、早く逃がしてやらねばティヤーの民は全滅してしまうと、心は焦る一方で、自分たちだけが安全に進んでいるのも、どことなく後ろめたくすら思った。
橙色の精霊はゆっくりゆっくり歩いているだけだが、恐ろしい風景を通過しながら数時間ほどの体感で・・・ 精霊は足を止めて振り向く。
『ハイザンジェルだ』
気づけば、ティヤーの南端も過ぎ、ティヤー海域も終わった地点に入っていた。ポルトカリフティグの静かな視線は、背後の馬車の御者に注がれた後、馬を止めた彼の目を誘導するように、ゆったり大きな首を右へ傾け、御者もその動きに合わせてそちらを見る。
「・・・あれが、ハイザンジェルの」
『そう。太陽の民』
精霊は、右を見たまま呟き、馬車の御者も手綱を離す。御者台から立ち上がった男を、向こうも見つめていた。ポルトカリフティグは、ドルドレンを思い出させる初老の男をしばらく眺め、食い入るように見ていたその男が代表で近づいてくる足を待つ。
「精霊、だな?言葉は通じるか」
ドルドレンが年を取ったらこうなるのかと思わせる相手は、恐る恐る尋ねた。真っ青な冬の湖のような瞳を、大きな輝く精霊と、後ろに続く何十台もの馬車に向け、黒髪を片手でかき上げた彼は、首を横に振る。
「異国の馬車の家族か。とうとう、この世界を離れる日が」
『名乗りなさい。彼らと共に、民を導くハイザンジェル馬車の家族。私は精霊ポルトカリフティグ』
背の高い男は、大きな動物をじっと見つめ、何度か瞬きしてから、少し信じられなさそうな表情で頷く。
「俺は、デラキソス・ダヴァート。ハイザンジェル太陽の民の馬車長」
彼の後ろでは同じように面食らった家族たちが見守る。デラキソスがぎこちなく振り返り、腕をそちらへ伸ばす。手前の馬車から付き添いに片手を握ってもらう女性が歩いて来て、デラキソスの横に立った。
「精霊がいるのね。あの子は?ドルドレンは」
「ドーディーファン。ドルドレンは勇者だ。彼はこの世界で最後まで戦う」
二人の会話を少し聞いて、ポルトカリフティグは理解する。見えていない瞳孔の開いた銀色の目の女は、ドルドレンと声色が似る。男はドルドレンの背格好そのもの。彼らが両親だと分かり・・・でも、ポルトカリフティグはそこに触れず、世界に起きている状況を伝えた。
驚く彼らと、ティヤーから連れて来た馬車の民を会わせ、ハイザンジェル馬車の民には居留地(※マブスパール)があるのも聞き、そこも寄ることにする。馬車を持たない生活をしていると聞いても、精霊は関係ないこと。
この世界の馬車の民全員を集める精霊ポルトカリフティグは、ハイザンジェルに散る彼らを巡り、率いて次はアイエラダハッドへ向かう―――
お読み頂き有難うございます。明日の投稿はお休みです。どうぞ宜しくお願いします。
それと、最後の部分について、説明を足します。
随分前に書いた話が入っています。当時、読まれた方もいらっしゃるかもしれませんが、『こんな俺でも』という冗談みたいな名前のシリーズがありました(内容は割とまじめです)。
今回デラキソスと会話した盲目の女性ドーディーファンは、ドルドレンの実母で、『こんな俺でもシリーズ』のデラキソス編で登場しました。
https://ncode.syosetu.com/n7309gl/20/
関心がある方のためにアドレスを張りますが、5話で完結、意外に長い内容のため、無理してお読みにならなくても大丈夫です。
このデラキソス編で、ドーディーファンを再び馬車に乗せる・・・という流れが出来ています。丁度、『ドルドレンたちが旅に出た辺りから一年後まで』の設定で、その後のドーディーファンが馬車同行している状況に合わせました。




